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第9話 レンタル・ソルジャー
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オートリキシャの窓から眺めるデリーの街並みは異様の一言だった。
東洋人や欧米人の観光客に混じって、首都のメイン・ストリートを堂々と野良犬や野良牛が闊歩しているのだ。
ヒンドゥー教では牛を聖なる動物として崇めているという知識は持っていたものの、さすがに目の当たりにすると何とも言えない奇妙な感じを覚える。
走り出してから二十分ほどが経過しただろうか。
オートリキシャは薄暗い路地の手前で緩やかに停車した。
「お疲れ様でした。〈ビハーラ〉はこの路地の奥にあります。ショーウインドウに薬なんかが並べられていますから店自体は簡単に見つかりますよ」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
運転手に礼を述べたユタラは、立てつけの悪いドアを開けて地面に降り立った。
壁の亀裂やゴミが目立つ路地の奥からは、息苦しい熱気と鼻が曲がるほどの悪臭が漂っている。
まるで魔境の入り口だ。
うかつに足を踏み入れればどんな災いに遭遇するかわからない。
それでもユタラと舞弥は散乱していたゴミを避けて路地の奥へと向かった。
やがて先頭を歩いていた舞弥が周囲から浮いていた店の前で立ち止まる。
ピンク色のネオンが眩しい薬局がそこにはあった。
ショーウインドには傷薬や湿布薬、IT関連企業で働くビジネスマンに欠かせない目薬などが豊富に取り揃えられている。
だが、よく見ると大衆薬に混じって奇妙な代物も並んでいた。
性交時に必要な避妊具や妊娠検査薬はまだわかるが、どうして薬局のショーウインドに男性の性器をかたどった大人の玩具やSMグッズが置いてあるのだろう。
「ちょっとちょっと。まさか、〈青い薔薇〉のアジトってここじゃないわよね?」
「残念だけど、どうやらここっぽいね。看板に英語で〈ビハーラ〉って書いてある」
ほどしばらくして、ユタラと舞弥は若干たじろきながらも店内に足を踏み入れた。
広くもなく狭くもない店内にはムーディなインド音楽が流れ、天井には緩やかな速度で回るシーリングファンが取りつけられていた。
しかし、二人はアジトの内装よりもカウンターで雑誌を読んでいたサリー姿の女性に目を奪われた。
サリーとは無裁断・無裁縫の一枚布のことであり、インド人の女性が着用する伝統衣装の一つだ。
けれども財布やスマホを仕舞っておくポケットがないため、近代化が加速している現在のインドでは祝い事の席でもサリーを着る女性が少なくなっているという。
勿体ないことだ。
伝統衣装には国の歴史と文化を感じさせてくれる独特の味がある。
普段は洋服を着ていても祭事には着物を身につける日本女性が美しく見えるのと同様、インド人の女性も洋服ではなくサリーを着たほうが何倍も華やかで美しく見えるというのに。
伝統衣装についてユタラが深く考えたとき、カウンターから漂っていた違和感に気づいた舞弥がつんざくような悲鳴を上げた。
「どうしたの? 舞弥」
「あ、あ、あの人……じょ、女性じゃない。男よ!」
「嘘でしょう?」
ユタラはカウンターに座っていたサリー姿の人間を食い入るように見つめる。
事実であった。
センターでわけられていた黒髪とほっそりとした容貌に騙されたが、口元に薄っすらと生えていた青ひげと喉仏がサリー姿の人間が男であることを如実に示している。
「さっきからピーピーうるさいわね。これじゃあ雑誌に集中できないじゃない」
声を聞くとなおさらにわかった。
女性には出せない低音ボイスは間違いなく男の証だ。
サリー姿の〝男〟はカウンターに頬杖をつくと、入り口で呆然と立ち尽くしているユタラと舞弥の顔をうろんな目で交互に見る。
「十代のエージェントが来るとは聞いていたけど本当だったのね。で? 一体どっちが〈発現者〉なのかしら?」
「こ、こっちよ」
舞弥は一本だけ突き立てた親指でユタラを指す。
「初めまして、ユタラ・ニードマンです」
軽く頭を下げたユタラに対して、サリー姿の男はくすりと笑った。
「試すような言い方をしてごめんなさい。報告書は読んだから知ってたわ。私はプラム・シンケリー。見てのとおり心は女、身体は男の現地工作員よ。じゃあ、そっちの活発そうな女の子が片桐舞弥。生粋の日本人なんだって?」
「そうよ。何か問題でも?」
「いいえ、珍しい組み合わせだなと思っただけ。報告書によると二人は同じ難民キャンプの出身なんですってね。しかもインドとパキスタンの国境付近にあった難民キャンプの」
〈青い薔薇〉の人間しか知りえない自分たちの情報を知っているということは、やはりプラムは本物の現地工作員と見て間違いなかった。
「あたしたちのことはどうでもいい。それよりも早く仕事の話に移りたいんだけど」
喉の渇きと汗を促す熱気。
加えてプラムの女口調と風貌に苛立ったのだろう。
舞弥はカウンターに歩み寄ると、プラムに向かって唾を飛ばすほどの勢いで吼えた。
「こっちのお嬢さんはせっかちね……はいはい、わかりました。それじゃあ、話の続きは別の場所でしましょうか」
プラムは出入り口のシャッターを下ろして早々に店じまいすると、カウンターの奥にあった布の扉を潜り抜けた。
どうやらカウンターの奥には別の部屋があるらしい。
「ねえ、ユタラ。これから本当にあのオカマの世話になっていいの? 何だか嫌な予感がぷんぷんするんだけど」
日本語で同意を求めてきた舞弥に対してユタラは言葉を窮した。
舞弥の不安もわからないでもないが、国外に派遣されたエージェントは現地工作員に頼らざるおえないのが実情だ。
安全な宿泊場所。
安全な食料。
安全な飲料。
メンテナンスが行き届いた武器。
現地でしか得られない新鮮な情報、これらすべては現地で働く工作員の協力なしでは入手できない。
そう思ったとき、プラムは顔だけを布扉からぬっと出してきた。
「黙って聞いていれば失礼な言い草ね」
プラムの言葉を聞いて二人は「え?」と頓狂な声を発した。
プラムの口から出た言葉は最初から最後までしっかりと聞き取れる完璧な日本語だったからだ。
「いいこと。私はヒジュラーじゃない。そこのところ間違えないでよね」
「ヒジュラー?」
二人が同時に訊き返すと、プラムはヒジュラーの意味を教えてくれた。
ヒジュラーとは本来ヒンドゥー語で両性具有者を指す言葉なのだが、現代でヒジュラーと言うと大抵はニューハーフのことを指すらしい。
「ヒジュラーのことを理解したのなら早く来なさい。仕事の話をしたいんでしょう?」
プラムは再び顔を引っ込めて布扉の奥へ消えてしまった。
ユタラと舞弥は互いに視線を交わすと、カウンターを乗り越えて赤と白を基調とした布扉を潜り抜ける。
布扉の奥には部屋ではなく下へと続く階段があった。
二人は無言のまま頼りない音を鳴らす木製の階段を一歩ずつ慎重に降りていく。
〈青い薔薇〉のアジトとはいえ初めて訪れる場所だ。
しかもオーナーが流暢な英語と日本語を話すオカマならば、必要以上に警戒心を持っても罰は当たらないだろう。
けれども二人の不安は杞憂に終わった。
下層に着いた二人は感嘆の声を上げる。
冷房がかかっていた地下室は四方を無機質なコンクリートで囲まれ、展示されていたガラスケースの中には古今東西の拳銃が等間隔に並べられていた。
ショットガンやライフルなどは専用のフックで壁にかけられている。
「へえ~、地下室が銃砲店になっているのね」
舞弥は地下室の中を爛々と輝かせた目で見渡す。
「ベレッタ、SIG、グロックと有名どころのハンドガンは一通り揃っているじゃない。ライフルはAK74、ステアーAUG、M4カービン……さすがにID機能つきの拳銃や自動で弾道計算してくれるスーパーライフルの類はないのね。まあ、近年になってようやく米軍の特殊部隊に正式採用されたから当然と言えば当然か」
愚痴をこぼしながらも舞弥は興奮気味に銃を品定めしていく。
一方のプラムはカウンターで呆れたように唇を尖らせた。
「やれやれ、さっきまでの覇気はどこへやら。まるで生まれて初めて玩具コーナーを訪れた子供じゃない。あなたたちが無事に今回の任務をこなせるかどうか不安になってきたわ」
同感です、とユタラは声に出さすに心の中で同意する。
「あなたも大変ね。彼女が相手だと日常生活でも何かと苦労するでしょう?」
ユタラは小さく首を左右に振った。
「そんなことありませんよ。慣れれば可愛いものです。それよりも装備の確認をしておきたいんですけど」
プラムは「あなたも意外とせっかちね」とカウンターの上に二枚のカードを置いた。
顔写真の他に年齢や出身地が記載された、レンタル・ソルジャー専用のライセンス証である。
正規のライセンス証ではない。巧妙に偽造された偽のライセンス証だ。
当然ながら二人とも本名など使わない。
ちなみにユタラの偽名はヴァルマ・バジ。
舞弥の偽名はパク・イルソ。
ユタラはインド人の名前を使ったが、舞弥の場合は韓国人だった。
インドでは韓国産の電化製品が深く浸透しており、日本人よりも韓国人と名乗ったほうが周囲の目も欺けて余計なトラブルを起こしにくいからだという。
「これがあればインド国内で銃の携帯が認められる。だけど銃を使用するには定期的に募集しているPMCの下請け仕事に就かないと駄目。今だとデリーのPMC――〈ヴィナーヤカ〉がレンタル・ソルジャーを募集しているわ。タール砂漠の油田施設を占拠している武装ゲリラを排除する仕事よ。もちろん、あなたたちのことは登録ずみだから安心して」
「ありがとうございます。それにしても〈ヴィナーヤカ〉って珍しい名前ですね」
「現地の言葉を社名にしているからね。意味は色々とあるのよ。真の支配者、超越する者、自分自身を導く者なんていう風に」
ちなみに、とプラムはカウンターの引き出しから一枚の写真を取り出した。
「これが〈ヴィナーヤカ〉の社長であるマラディン・ラルよ」
写真には一人のインド人が写っていた。
彫りの深い相貌と冷酷そうな眼差し。
整髪料でオールバックにしていた髪型が印象的な四十代半ばと思しき男である。
「経歴を調べた限りでは退役軍人らしいわね。インド陸軍にいたときは特殊国境部隊に配属されていたバリバリのエリートだったそうよ。そして二十六歳で軍を除隊すると父親が設立した〈ヴィナーヤカ〉に入社。四年前に父親が死んでからは後釜に座って今では社長と……要するに上級カーストの典型的なエリート人生を送っているわけ。あ~あ、うらやましい」
ユタラは自分の雇い主の顔を確認すると、プラムに「装備のほうは?」と訊ねた。
「必要な装備一式は明日にでも〈ヴィナーヤカ〉に届けるわ。そうそう、念のために記入漏れがないか確かめてくれる? これが今回の任務に必要な装備リストの一覧よ」
ユタラはプラムから装備の一覧が記載されている紙を受け取った。
「要望の品は全部揃っているかしら?」
装備リストに目を通すなりユタラは小さく頷いた。
「ええ、これで安心して任務に集中できます。だけどスマホはどうなんですか?」
口の端を吊り上げたプラムは、カウンターの上に二つのスマホを置いた。
メタリック・ブルーとメタリック・レッドのスマホだ。
「もう一つ頼んでいたものは手に入りましたか?」
「ああ、アレね。はいはい、それも用意してあるわよ」
再びプラムがカウンターの上に置いたのは小さな布袋だった。
ユタラは布口を開けて中に詰まっていた一つの鋼球を取り出す。
「こっちも仕事だから別にいいんだけどさ。それにしてもパチンコ玉なんて手に入れて何をするつもり? インドのパチンコ店なんて人気ないわよ。この国はギャンブルに関しては日本なんかと違って手厳しいからね」
「ギャンブルに興味はありません。このパチンコ玉はあくまでも僕個人のためなんで」
そう言うとユタラは、一つだけ摘んでいたパチンコ玉を口に含んだ。
プラムは幽霊にでも遭遇したように身体を強張らせる。
「あんた、何やってんの! 早く吐き出しなさい!」
プラムが驚くのも予想の範疇だった。
まさか、いきなりエージェントがパチンコ玉を飲み込むとは夢にも思わなかったのだろう。
「いいんですよ。このために僕はパチンコ玉を用意してもらったんですから」
ユタラはパチンコ玉が詰まった布袋をズボンのポケットに仕舞った。
プラムは珍しい動物でも見るような目でユタラの顔をじっと見据える。
「〈発現者〉って本当に変わっているのね。パチンコ玉なんて食べて美味しいの?」
「美味しいわけないじゃないですか。これは……まあ、僕にとって一種の精神安定剤みたいなものです。色々と試した中でパチンコ玉が一番しっくりきたんで服用しているんですよ。それにしてもプラムさんは日本のことに詳しいですね。さっきの日本語も凄く上手だったし」
「当たり前じゃない。これでも私は自他ともに認める日本通なのよ。それに日本語を話せるのはビジネスのためにもなる。英語だってそう。インド人は自分の利益になる技術や言語は進んで習得する人種だしね」
このとき、ユタラは改めて現地工作員のありがたみを実感した。
このようなガイドブックに掲載されていない裏の情報こそエージェントには必要不可欠なのだ。
見知らぬ土地で任務を遂行する場合には、ほんの些細な情報が命運をわけることが大いにあり得る。
「そうだったんですか。僕はてっきりプラムさんは……」
ユタラが世間話に花を咲かせようとした矢先、意気揚々と舞弥が戻ってきた。
素手ではない。
なぜか右手にはモスバーグのM500ライオット・ショットガン。
左手には銃身とストックを短く切ったショットガン――ソードオフを携えていた。
「どう? 何気に決まってない?」
ユタラは即答できなかった。
舞弥のプロ意識の低さに軽い眩暈を覚えたからだ。
そんなユタラにプラムは呆れたような口調で呟く。
「ボウヤ……本当に頑張ってね。影ながら応援してるわよ」
ユタラは世間話のことなど忘れて「頑張ります」と細い声で答えた。
東洋人や欧米人の観光客に混じって、首都のメイン・ストリートを堂々と野良犬や野良牛が闊歩しているのだ。
ヒンドゥー教では牛を聖なる動物として崇めているという知識は持っていたものの、さすがに目の当たりにすると何とも言えない奇妙な感じを覚える。
走り出してから二十分ほどが経過しただろうか。
オートリキシャは薄暗い路地の手前で緩やかに停車した。
「お疲れ様でした。〈ビハーラ〉はこの路地の奥にあります。ショーウインドウに薬なんかが並べられていますから店自体は簡単に見つかりますよ」
「ありがとうございます。本当に助かりました」
運転手に礼を述べたユタラは、立てつけの悪いドアを開けて地面に降り立った。
壁の亀裂やゴミが目立つ路地の奥からは、息苦しい熱気と鼻が曲がるほどの悪臭が漂っている。
まるで魔境の入り口だ。
うかつに足を踏み入れればどんな災いに遭遇するかわからない。
それでもユタラと舞弥は散乱していたゴミを避けて路地の奥へと向かった。
やがて先頭を歩いていた舞弥が周囲から浮いていた店の前で立ち止まる。
ピンク色のネオンが眩しい薬局がそこにはあった。
ショーウインドには傷薬や湿布薬、IT関連企業で働くビジネスマンに欠かせない目薬などが豊富に取り揃えられている。
だが、よく見ると大衆薬に混じって奇妙な代物も並んでいた。
性交時に必要な避妊具や妊娠検査薬はまだわかるが、どうして薬局のショーウインドに男性の性器をかたどった大人の玩具やSMグッズが置いてあるのだろう。
「ちょっとちょっと。まさか、〈青い薔薇〉のアジトってここじゃないわよね?」
「残念だけど、どうやらここっぽいね。看板に英語で〈ビハーラ〉って書いてある」
ほどしばらくして、ユタラと舞弥は若干たじろきながらも店内に足を踏み入れた。
広くもなく狭くもない店内にはムーディなインド音楽が流れ、天井には緩やかな速度で回るシーリングファンが取りつけられていた。
しかし、二人はアジトの内装よりもカウンターで雑誌を読んでいたサリー姿の女性に目を奪われた。
サリーとは無裁断・無裁縫の一枚布のことであり、インド人の女性が着用する伝統衣装の一つだ。
けれども財布やスマホを仕舞っておくポケットがないため、近代化が加速している現在のインドでは祝い事の席でもサリーを着る女性が少なくなっているという。
勿体ないことだ。
伝統衣装には国の歴史と文化を感じさせてくれる独特の味がある。
普段は洋服を着ていても祭事には着物を身につける日本女性が美しく見えるのと同様、インド人の女性も洋服ではなくサリーを着たほうが何倍も華やかで美しく見えるというのに。
伝統衣装についてユタラが深く考えたとき、カウンターから漂っていた違和感に気づいた舞弥がつんざくような悲鳴を上げた。
「どうしたの? 舞弥」
「あ、あ、あの人……じょ、女性じゃない。男よ!」
「嘘でしょう?」
ユタラはカウンターに座っていたサリー姿の人間を食い入るように見つめる。
事実であった。
センターでわけられていた黒髪とほっそりとした容貌に騙されたが、口元に薄っすらと生えていた青ひげと喉仏がサリー姿の人間が男であることを如実に示している。
「さっきからピーピーうるさいわね。これじゃあ雑誌に集中できないじゃない」
声を聞くとなおさらにわかった。
女性には出せない低音ボイスは間違いなく男の証だ。
サリー姿の〝男〟はカウンターに頬杖をつくと、入り口で呆然と立ち尽くしているユタラと舞弥の顔をうろんな目で交互に見る。
「十代のエージェントが来るとは聞いていたけど本当だったのね。で? 一体どっちが〈発現者〉なのかしら?」
「こ、こっちよ」
舞弥は一本だけ突き立てた親指でユタラを指す。
「初めまして、ユタラ・ニードマンです」
軽く頭を下げたユタラに対して、サリー姿の男はくすりと笑った。
「試すような言い方をしてごめんなさい。報告書は読んだから知ってたわ。私はプラム・シンケリー。見てのとおり心は女、身体は男の現地工作員よ。じゃあ、そっちの活発そうな女の子が片桐舞弥。生粋の日本人なんだって?」
「そうよ。何か問題でも?」
「いいえ、珍しい組み合わせだなと思っただけ。報告書によると二人は同じ難民キャンプの出身なんですってね。しかもインドとパキスタンの国境付近にあった難民キャンプの」
〈青い薔薇〉の人間しか知りえない自分たちの情報を知っているということは、やはりプラムは本物の現地工作員と見て間違いなかった。
「あたしたちのことはどうでもいい。それよりも早く仕事の話に移りたいんだけど」
喉の渇きと汗を促す熱気。
加えてプラムの女口調と風貌に苛立ったのだろう。
舞弥はカウンターに歩み寄ると、プラムに向かって唾を飛ばすほどの勢いで吼えた。
「こっちのお嬢さんはせっかちね……はいはい、わかりました。それじゃあ、話の続きは別の場所でしましょうか」
プラムは出入り口のシャッターを下ろして早々に店じまいすると、カウンターの奥にあった布の扉を潜り抜けた。
どうやらカウンターの奥には別の部屋があるらしい。
「ねえ、ユタラ。これから本当にあのオカマの世話になっていいの? 何だか嫌な予感がぷんぷんするんだけど」
日本語で同意を求めてきた舞弥に対してユタラは言葉を窮した。
舞弥の不安もわからないでもないが、国外に派遣されたエージェントは現地工作員に頼らざるおえないのが実情だ。
安全な宿泊場所。
安全な食料。
安全な飲料。
メンテナンスが行き届いた武器。
現地でしか得られない新鮮な情報、これらすべては現地で働く工作員の協力なしでは入手できない。
そう思ったとき、プラムは顔だけを布扉からぬっと出してきた。
「黙って聞いていれば失礼な言い草ね」
プラムの言葉を聞いて二人は「え?」と頓狂な声を発した。
プラムの口から出た言葉は最初から最後までしっかりと聞き取れる完璧な日本語だったからだ。
「いいこと。私はヒジュラーじゃない。そこのところ間違えないでよね」
「ヒジュラー?」
二人が同時に訊き返すと、プラムはヒジュラーの意味を教えてくれた。
ヒジュラーとは本来ヒンドゥー語で両性具有者を指す言葉なのだが、現代でヒジュラーと言うと大抵はニューハーフのことを指すらしい。
「ヒジュラーのことを理解したのなら早く来なさい。仕事の話をしたいんでしょう?」
プラムは再び顔を引っ込めて布扉の奥へ消えてしまった。
ユタラと舞弥は互いに視線を交わすと、カウンターを乗り越えて赤と白を基調とした布扉を潜り抜ける。
布扉の奥には部屋ではなく下へと続く階段があった。
二人は無言のまま頼りない音を鳴らす木製の階段を一歩ずつ慎重に降りていく。
〈青い薔薇〉のアジトとはいえ初めて訪れる場所だ。
しかもオーナーが流暢な英語と日本語を話すオカマならば、必要以上に警戒心を持っても罰は当たらないだろう。
けれども二人の不安は杞憂に終わった。
下層に着いた二人は感嘆の声を上げる。
冷房がかかっていた地下室は四方を無機質なコンクリートで囲まれ、展示されていたガラスケースの中には古今東西の拳銃が等間隔に並べられていた。
ショットガンやライフルなどは専用のフックで壁にかけられている。
「へえ~、地下室が銃砲店になっているのね」
舞弥は地下室の中を爛々と輝かせた目で見渡す。
「ベレッタ、SIG、グロックと有名どころのハンドガンは一通り揃っているじゃない。ライフルはAK74、ステアーAUG、M4カービン……さすがにID機能つきの拳銃や自動で弾道計算してくれるスーパーライフルの類はないのね。まあ、近年になってようやく米軍の特殊部隊に正式採用されたから当然と言えば当然か」
愚痴をこぼしながらも舞弥は興奮気味に銃を品定めしていく。
一方のプラムはカウンターで呆れたように唇を尖らせた。
「やれやれ、さっきまでの覇気はどこへやら。まるで生まれて初めて玩具コーナーを訪れた子供じゃない。あなたたちが無事に今回の任務をこなせるかどうか不安になってきたわ」
同感です、とユタラは声に出さすに心の中で同意する。
「あなたも大変ね。彼女が相手だと日常生活でも何かと苦労するでしょう?」
ユタラは小さく首を左右に振った。
「そんなことありませんよ。慣れれば可愛いものです。それよりも装備の確認をしておきたいんですけど」
プラムは「あなたも意外とせっかちね」とカウンターの上に二枚のカードを置いた。
顔写真の他に年齢や出身地が記載された、レンタル・ソルジャー専用のライセンス証である。
正規のライセンス証ではない。巧妙に偽造された偽のライセンス証だ。
当然ながら二人とも本名など使わない。
ちなみにユタラの偽名はヴァルマ・バジ。
舞弥の偽名はパク・イルソ。
ユタラはインド人の名前を使ったが、舞弥の場合は韓国人だった。
インドでは韓国産の電化製品が深く浸透しており、日本人よりも韓国人と名乗ったほうが周囲の目も欺けて余計なトラブルを起こしにくいからだという。
「これがあればインド国内で銃の携帯が認められる。だけど銃を使用するには定期的に募集しているPMCの下請け仕事に就かないと駄目。今だとデリーのPMC――〈ヴィナーヤカ〉がレンタル・ソルジャーを募集しているわ。タール砂漠の油田施設を占拠している武装ゲリラを排除する仕事よ。もちろん、あなたたちのことは登録ずみだから安心して」
「ありがとうございます。それにしても〈ヴィナーヤカ〉って珍しい名前ですね」
「現地の言葉を社名にしているからね。意味は色々とあるのよ。真の支配者、超越する者、自分自身を導く者なんていう風に」
ちなみに、とプラムはカウンターの引き出しから一枚の写真を取り出した。
「これが〈ヴィナーヤカ〉の社長であるマラディン・ラルよ」
写真には一人のインド人が写っていた。
彫りの深い相貌と冷酷そうな眼差し。
整髪料でオールバックにしていた髪型が印象的な四十代半ばと思しき男である。
「経歴を調べた限りでは退役軍人らしいわね。インド陸軍にいたときは特殊国境部隊に配属されていたバリバリのエリートだったそうよ。そして二十六歳で軍を除隊すると父親が設立した〈ヴィナーヤカ〉に入社。四年前に父親が死んでからは後釜に座って今では社長と……要するに上級カーストの典型的なエリート人生を送っているわけ。あ~あ、うらやましい」
ユタラは自分の雇い主の顔を確認すると、プラムに「装備のほうは?」と訊ねた。
「必要な装備一式は明日にでも〈ヴィナーヤカ〉に届けるわ。そうそう、念のために記入漏れがないか確かめてくれる? これが今回の任務に必要な装備リストの一覧よ」
ユタラはプラムから装備の一覧が記載されている紙を受け取った。
「要望の品は全部揃っているかしら?」
装備リストに目を通すなりユタラは小さく頷いた。
「ええ、これで安心して任務に集中できます。だけどスマホはどうなんですか?」
口の端を吊り上げたプラムは、カウンターの上に二つのスマホを置いた。
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「もう一つ頼んでいたものは手に入りましたか?」
「ああ、アレね。はいはい、それも用意してあるわよ」
再びプラムがカウンターの上に置いたのは小さな布袋だった。
ユタラは布口を開けて中に詰まっていた一つの鋼球を取り出す。
「こっちも仕事だから別にいいんだけどさ。それにしてもパチンコ玉なんて手に入れて何をするつもり? インドのパチンコ店なんて人気ないわよ。この国はギャンブルに関しては日本なんかと違って手厳しいからね」
「ギャンブルに興味はありません。このパチンコ玉はあくまでも僕個人のためなんで」
そう言うとユタラは、一つだけ摘んでいたパチンコ玉を口に含んだ。
プラムは幽霊にでも遭遇したように身体を強張らせる。
「あんた、何やってんの! 早く吐き出しなさい!」
プラムが驚くのも予想の範疇だった。
まさか、いきなりエージェントがパチンコ玉を飲み込むとは夢にも思わなかったのだろう。
「いいんですよ。このために僕はパチンコ玉を用意してもらったんですから」
ユタラはパチンコ玉が詰まった布袋をズボンのポケットに仕舞った。
プラムは珍しい動物でも見るような目でユタラの顔をじっと見据える。
「〈発現者〉って本当に変わっているのね。パチンコ玉なんて食べて美味しいの?」
「美味しいわけないじゃないですか。これは……まあ、僕にとって一種の精神安定剤みたいなものです。色々と試した中でパチンコ玉が一番しっくりきたんで服用しているんですよ。それにしてもプラムさんは日本のことに詳しいですね。さっきの日本語も凄く上手だったし」
「当たり前じゃない。これでも私は自他ともに認める日本通なのよ。それに日本語を話せるのはビジネスのためにもなる。英語だってそう。インド人は自分の利益になる技術や言語は進んで習得する人種だしね」
このとき、ユタラは改めて現地工作員のありがたみを実感した。
このようなガイドブックに掲載されていない裏の情報こそエージェントには必要不可欠なのだ。
見知らぬ土地で任務を遂行する場合には、ほんの些細な情報が命運をわけることが大いにあり得る。
「そうだったんですか。僕はてっきりプラムさんは……」
ユタラが世間話に花を咲かせようとした矢先、意気揚々と舞弥が戻ってきた。
素手ではない。
なぜか右手にはモスバーグのM500ライオット・ショットガン。
左手には銃身とストックを短く切ったショットガン――ソードオフを携えていた。
「どう? 何気に決まってない?」
ユタラは即答できなかった。
舞弥のプロ意識の低さに軽い眩暈を覚えたからだ。
そんなユタラにプラムは呆れたような口調で呟く。
「ボウヤ……本当に頑張ってね。影ながら応援してるわよ」
ユタラは世間話のことなど忘れて「頑張ります」と細い声で答えた。
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どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
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お姉ちゃんの秘密の悩みです。
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