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第28話 強奪
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デリーのほぼ中心にそびえ立っているアーチ状のインド門は、高さ四十二メートルを誇る巨大な石造りの門だ。
一般的にはパリのエッフェル塔のような街の象徴と思われているが、実は第一次世界大戦で戦死したインド兵士たちの慰霊碑なのだという。
現にインド門の壁面には、戦没者である一万三千五百人の名前が刻まれているらしい。
しかもインド門が建っている場所の周囲には大領領官邸や国会議事堂が建ち、一月二十六日の共和国記念日には盛大なパレードが催されると旅行ガイドで読んだ記憶がある。
だが、今のユタラにとって興味があるのはインド門の建造秘話ではなかった。
インド門近くのジャンパド通りに建てられた、高級ホテルを占拠しているテロリスト集団についてだ。
事の発端はネットにアップロードされた一つの映像だった。
プラムが言うにはテロリスト側から意図的に流されたリアルタイムの映像だったらしい。
それゆえにユタラはプラムから現場の場所を聞き出すと、アジトから飛び出して正体不明のテロリスト集団に占拠されているという高級ホテルに向かったのだ。
やがて高級ホテルに到着したユタラは、現場の異様な雰囲気に目眉をひそめた。
高級ホテルの周辺は喧騒と怒号が絶えず飛び交っており、デリーの治安を守る地元警察はもちろんのこと、高級ホテルをバックに各テレビ局のアナウンサーが自分に向けられているカメラに向かって現場の様子をヒンドゥー語で報道している。
見れば周辺にはテロ現場を傍観しようという野次馬も大勢いた。
しかし、ユタラは野次馬の一人に加わるために高級ホテルに足を運んだのではない。
街中でテロが起これば真っ先に地元警察が駆けつけてくるのは世界共通だ。
現に高級ホテルの入り口付近には何台ものワゴン使用のパトカーが停車していた。
大勢の警察官たちは野次馬の立ち退きやマスコミの対応などに追われている。
その中でもユタラは話の通じやすそうな警察官に目星をつけて近づいていく。
「すいません」
ユタラが英語で声をかけると、警察官は何事かと振り向いた。
ユタラが声をかけた相手は白髪に白髭という貫禄十分な年配の警察官だ。
インドの警察階級には詳しくなかったが、両肩に刺繍されていた三つの星が男の階級が高いことを示している。
男はユタラを見下ろすなり、ヒンドゥー語で怒鳴り散らしてきた。
言葉は理解できなかったが何を言ったのかは予想がつく。
おそらく、早く立ち去れと言っているのだろう。
だからといって「はい、わかりました」と大人しく立ち去るわけにはいかない。
「あなたは英語が話せますか?」
男の迫力に臆することなくユタラは再び問いかけた。
すると男は白髭を弄りながら英語で訊き返してきた。
「おかしなガキだ。どうしてインド人がインド人に話しかけるのに英語を使う?」
「よかった。あなたは英語が話せるんですね」
「だから何だ。言っておくが物乞いなら時間と場所を選べ。ここは今やテロ現場で俺は現場を仕切っている警視だ。お前のようなストリート・チルドレンと話している暇などない」
ユタラは小さく首を横に振った。
「僕はストリート・チルドレンではありません。レンタル・ソルジャーなんです」
「レンタル・ソルジャー? 冗談も休み休み言え」
「これが証拠です」
ユタラはズボンのポケットからレンタル・ソルジャーのライセンス証を取り出した。警視と言い張った白髪の警察官に見せつける。
「本当にレンタル・ソルジャーなのか?」
「本物のレンタル・ソルジャーです。でも、一人ではありません。もう一人の人間とバディを組んで仕事をしていたんですが、その一人がホテルにいるかもしれないんです」
「ここにか?」
「はい、だからパートナーを探すため中に入りたいんです。あなたは先ほど自分が現場を取り仕切っていると仰いましたね? でしたら僕をホテルに入れてください」
「ふざけるな。そんな許可を出せるわけないだろ」
「僕はレンタル・ソルジャーです。絶対に役に立ちますよ」
「お前が誰だろうと関係ない。今回のテロ事件はただのテロ事件じゃない。連中は次期首相候補のオリビア・パクシー議員を人質に取っているんだ。こうなったら軍やPMCよりも俺たちデリー警察だけで事件を解決してやる。さあ、わかったらとっとと失せろ。あまり現場をうろちょろしていると留置場にぶち込むぞ」
一喝されたユタラは男の襟首を掴んで食い下がろうとしたものの、現場の指揮官相手に無茶な要求を押し通したところで時間の無駄に終わる。
警察官でさえ無闇にホテル内へ突入できない緊迫した状況なのだ。
どう転んでも自分一人に突入許可が下りるはずがなかった。
インドの政治情勢に疎かったユタラはオリビア・パクシーの名前こそ知らなかったが、次期首相候補の議員ということはかなり重要な人物に違いない。
そうなるとインド政府は警察や軍だけに頼らず、地元のPMCにも依頼して事態の解決に当たるだろう。
くそ、とユタラは前髪を掻きむしった。
(どうして舞弥はそんなテロリストたちと一緒にいるんだ)
目出し帽を被っていたので顔はわからなかったが、女性議員に銃口を突きつけていたテロリストの斜め後ろに立っていた人物が舞弥だということはわかっている。
肌身離さず身に着けていた雫形のペンダントが何よりの証だ。
だからこそ、今のユタラは軽いパニック状態に陥っていた。
はっきり言って舞弥がテロリストの一味だということはあり得ない。
だが、そんな舞弥がテロリスト側にいることはネットに流されていた映像を見れば一目瞭然だ。
事情を知らない人間が映像を見れば、十人中十人とも舞弥はテロリストの仲間だと疑うだろう。
それでもユタラは絶対に舞弥がテロリストではないと断言できた。
ならば考えられる理由は舞弥がテロリストに脅されているか、または舞弥自身が何らかの理由でテロリスト側についているかの二つに絞られる。
どちらにせよ、舞弥は本心からテロリストと行動を共にしているはずがない。
きっと舞弥にしかわからない特別な事情があるはずだ。
だとすれば一刻を争う。
早急に舞弥を救いださなければ、ホテル内に突入する特殊部隊にテロリストの一味として逮捕される。
いや、場合よっては射殺ということも十分にあり得た。
「余計な時間を取らせてすいませんでした」
ユタラは白髪の警察官に軽く頭を下げると、速やかに警察官の群れから離れた。
高級ホテルを恨めしそうに眺めながら低く唸る。
頼みの綱であった警察の協力が得られなくなった今、謎のテロリスト集団に占拠されている高級ホテルに入る手段は一つしかなかった。
秘密裏の侵入だ。
ただし、今回は油田施設内に侵入したときとはわけが違う。
人気のない砂漠ではなく人気が多すぎる街中。
しかも現場の周辺は警察やマスコミが目を光らせている。
加えて高級ホテルは頑丈な鉄柵に覆われているのだ。
高さはおよそ二メートル。
決してよじ登れない高さではなかったが、さすがに鉄柵をよじ登る姿は夜とはいえ人目につく。
では、どうやって侵入するか。
ユタラは必死に頭を働かせ、侵入に使えそうな代物はないか周囲を一望する。
警察のパトカー、救急用のヘリコプター、マスコミの中継者などを。
(これしかないか)
数秒後、悩みに悩み抜いたユタラは苦渋の決断を己に下した。
ユタラは救急用のヘリコプターが待機されていた場所へ足早に向かう。
良心が痛まなかったと言えば嘘になる。
ヘリコプターを強奪するためには、少なくとも数人の人間に危害を加えねばならない。
何の罪もない数人の人間たちをである。
まるで通り魔の犯行だ。
許してくれと謝罪しても許されることではなかった。
だとしてもやる。
ユタラは脇目も振らずにヘリコプターに近づいていく。
近くの消防署から派遣されたのだろう。
目的の場所に到着すると、ヘリコプターの外にはモスグリーンのジャケットに黄色のヘルメットを装着している救急隊員が四人いた。
「すいません、あなたたちの中で英語を話せる人はいますか?」
ユタラが沈痛な面持ちで四人の顔を見渡しながら質問したとき、一人の救急隊員がユタラに気づいて英語ではなくヒンドゥー語で話しかけてきた。
他の三人はユタラを見て怪訝そうな表情を浮かべるのみ。
どうやら外にいる四人の中で英語を話せる人間はいないらしい。
好都合だった。
会話が成り立つのは余計に良心の呵責に苛まれる。
大きく深呼吸してわずかに残っていた良心を押し殺したユタラは、舞弥をテロリストたちから救出するという私心を最優先させた。
ユタラは声をかけてきた男の股間に加減した金的蹴りを見舞う。
予想外の不意打ちを受けた男は込み上げてきた激痛に耐え切れず地面に両膝をつく。
すかさずユタラは苦痛に顔を歪ませた男の顎を掌底で打ち抜いた。
的確に顎を打ち抜かれた男は脳震盪を起こして意識を消失。
糸が切れた人形のように前のめりに地面に倒れる。
ユタラは罪悪感に苛まれながらも、未だに事態を飲み込めていなかった三人の男に向かって疾駆する。
そこでようやく三人の男たちは慌て始めたが、すでに限界まで弓矢の弦を絞っていた状態のユタラの前では限りなく無力だった。
影のように素早く三人の男の間合いに不法侵入したユタラは、一撃で相手を戦闘不能にできる顎と金的の二箇所に的を絞って攻撃を繰り出したのだ。
三人の男たちは悲鳴一つ上げることもできずに地面に崩れ落ちた。
これで完全に後戻りはできなくなった。
ユタラは素早く機内に乗り込むと、自分が入ってきた側のドアを完全に閉める。
ユタラは間を置かずに操縦席に座った。
右手は進行方向の操作に必要な操縦桿を、左手はエンジンの回転数を上げるために必要なピッチ・レバーを、両足は機首方向の調整に欠かせないローターブレードを操作するラダーペダルに預ける。
訓練で車の運転やヘリコプターの操縦を学んでいたため、ユタラはヘリコプターが地面を離れて上空に飛び上がったときも恐怖や不安はあまり感じなかった。
そしてユタラは見事な操縦でヘリコプターを高級ホテルの真上に留めた。
ホバリングだ。
これはヘリコプターを空中の一点で留めている状態を指し、救難活動などを行う際には必ず操縦者に求められる極めて高度な操縦技術の一つである。
しかし、それ以上に高度なのはホバリングさせた機体を地表に着陸させる技術だ。
真下に機体を下ろせばいいだけだと高を括っていると、重量とローターブレードの推力により機体が左右へ流されて大事故を引き起こしかねない。
(大丈夫だ。絶対に上手くいく)
ユタラは爆破物を扱うような真剣な表情でヘリコプターをゆっくりと降下させていく。
このままヘリコプターを屋上に着陸させれば第一段階はクリアしたも同然。
あとは屋上から建物内に侵入すればいい。
などと甘い考えを持っていたユタラだったが、ヘリコプターのランディングギアと屋上の地表の距離が数メートルまで縮まったときに悲劇は起こった。
いきなり屋上のドアが蹴破られ、数人の兵士たちが屋上に現れたのだ。
それだけではない。
アサルトライフルを携帯していた兵士たちの中で、一人だけ別の武器を携帯していた人間がいた。
地対空ミサイルのスティンガーだ。
地対空ミサイルとは読んで字の如く、空中の目標を地上からミサイルによってダメージを与えるために造り出された兵器である。
中でもスティンガーは一人の人間が肩に担いで撃てるよう開発されたもので、扱い慣れた人間ならばヘリコプターを撃ち落すことなど造作もない。
ユタラは航空機に対して有効な武器を携帯していた兵士を忌々しく見据えた。
細長い筒状のスティンガーを肩に担ぎ、自分が操縦していたヘリコプターに向かって躊躇なくミサイルを発射した兵士の姿を――。
一般的にはパリのエッフェル塔のような街の象徴と思われているが、実は第一次世界大戦で戦死したインド兵士たちの慰霊碑なのだという。
現にインド門の壁面には、戦没者である一万三千五百人の名前が刻まれているらしい。
しかもインド門が建っている場所の周囲には大領領官邸や国会議事堂が建ち、一月二十六日の共和国記念日には盛大なパレードが催されると旅行ガイドで読んだ記憶がある。
だが、今のユタラにとって興味があるのはインド門の建造秘話ではなかった。
インド門近くのジャンパド通りに建てられた、高級ホテルを占拠しているテロリスト集団についてだ。
事の発端はネットにアップロードされた一つの映像だった。
プラムが言うにはテロリスト側から意図的に流されたリアルタイムの映像だったらしい。
それゆえにユタラはプラムから現場の場所を聞き出すと、アジトから飛び出して正体不明のテロリスト集団に占拠されているという高級ホテルに向かったのだ。
やがて高級ホテルに到着したユタラは、現場の異様な雰囲気に目眉をひそめた。
高級ホテルの周辺は喧騒と怒号が絶えず飛び交っており、デリーの治安を守る地元警察はもちろんのこと、高級ホテルをバックに各テレビ局のアナウンサーが自分に向けられているカメラに向かって現場の様子をヒンドゥー語で報道している。
見れば周辺にはテロ現場を傍観しようという野次馬も大勢いた。
しかし、ユタラは野次馬の一人に加わるために高級ホテルに足を運んだのではない。
街中でテロが起これば真っ先に地元警察が駆けつけてくるのは世界共通だ。
現に高級ホテルの入り口付近には何台ものワゴン使用のパトカーが停車していた。
大勢の警察官たちは野次馬の立ち退きやマスコミの対応などに追われている。
その中でもユタラは話の通じやすそうな警察官に目星をつけて近づいていく。
「すいません」
ユタラが英語で声をかけると、警察官は何事かと振り向いた。
ユタラが声をかけた相手は白髪に白髭という貫禄十分な年配の警察官だ。
インドの警察階級には詳しくなかったが、両肩に刺繍されていた三つの星が男の階級が高いことを示している。
男はユタラを見下ろすなり、ヒンドゥー語で怒鳴り散らしてきた。
言葉は理解できなかったが何を言ったのかは予想がつく。
おそらく、早く立ち去れと言っているのだろう。
だからといって「はい、わかりました」と大人しく立ち去るわけにはいかない。
「あなたは英語が話せますか?」
男の迫力に臆することなくユタラは再び問いかけた。
すると男は白髭を弄りながら英語で訊き返してきた。
「おかしなガキだ。どうしてインド人がインド人に話しかけるのに英語を使う?」
「よかった。あなたは英語が話せるんですね」
「だから何だ。言っておくが物乞いなら時間と場所を選べ。ここは今やテロ現場で俺は現場を仕切っている警視だ。お前のようなストリート・チルドレンと話している暇などない」
ユタラは小さく首を横に振った。
「僕はストリート・チルドレンではありません。レンタル・ソルジャーなんです」
「レンタル・ソルジャー? 冗談も休み休み言え」
「これが証拠です」
ユタラはズボンのポケットからレンタル・ソルジャーのライセンス証を取り出した。警視と言い張った白髪の警察官に見せつける。
「本当にレンタル・ソルジャーなのか?」
「本物のレンタル・ソルジャーです。でも、一人ではありません。もう一人の人間とバディを組んで仕事をしていたんですが、その一人がホテルにいるかもしれないんです」
「ここにか?」
「はい、だからパートナーを探すため中に入りたいんです。あなたは先ほど自分が現場を取り仕切っていると仰いましたね? でしたら僕をホテルに入れてください」
「ふざけるな。そんな許可を出せるわけないだろ」
「僕はレンタル・ソルジャーです。絶対に役に立ちますよ」
「お前が誰だろうと関係ない。今回のテロ事件はただのテロ事件じゃない。連中は次期首相候補のオリビア・パクシー議員を人質に取っているんだ。こうなったら軍やPMCよりも俺たちデリー警察だけで事件を解決してやる。さあ、わかったらとっとと失せろ。あまり現場をうろちょろしていると留置場にぶち込むぞ」
一喝されたユタラは男の襟首を掴んで食い下がろうとしたものの、現場の指揮官相手に無茶な要求を押し通したところで時間の無駄に終わる。
警察官でさえ無闇にホテル内へ突入できない緊迫した状況なのだ。
どう転んでも自分一人に突入許可が下りるはずがなかった。
インドの政治情勢に疎かったユタラはオリビア・パクシーの名前こそ知らなかったが、次期首相候補の議員ということはかなり重要な人物に違いない。
そうなるとインド政府は警察や軍だけに頼らず、地元のPMCにも依頼して事態の解決に当たるだろう。
くそ、とユタラは前髪を掻きむしった。
(どうして舞弥はそんなテロリストたちと一緒にいるんだ)
目出し帽を被っていたので顔はわからなかったが、女性議員に銃口を突きつけていたテロリストの斜め後ろに立っていた人物が舞弥だということはわかっている。
肌身離さず身に着けていた雫形のペンダントが何よりの証だ。
だからこそ、今のユタラは軽いパニック状態に陥っていた。
はっきり言って舞弥がテロリストの一味だということはあり得ない。
だが、そんな舞弥がテロリスト側にいることはネットに流されていた映像を見れば一目瞭然だ。
事情を知らない人間が映像を見れば、十人中十人とも舞弥はテロリストの仲間だと疑うだろう。
それでもユタラは絶対に舞弥がテロリストではないと断言できた。
ならば考えられる理由は舞弥がテロリストに脅されているか、または舞弥自身が何らかの理由でテロリスト側についているかの二つに絞られる。
どちらにせよ、舞弥は本心からテロリストと行動を共にしているはずがない。
きっと舞弥にしかわからない特別な事情があるはずだ。
だとすれば一刻を争う。
早急に舞弥を救いださなければ、ホテル内に突入する特殊部隊にテロリストの一味として逮捕される。
いや、場合よっては射殺ということも十分にあり得た。
「余計な時間を取らせてすいませんでした」
ユタラは白髪の警察官に軽く頭を下げると、速やかに警察官の群れから離れた。
高級ホテルを恨めしそうに眺めながら低く唸る。
頼みの綱であった警察の協力が得られなくなった今、謎のテロリスト集団に占拠されている高級ホテルに入る手段は一つしかなかった。
秘密裏の侵入だ。
ただし、今回は油田施設内に侵入したときとはわけが違う。
人気のない砂漠ではなく人気が多すぎる街中。
しかも現場の周辺は警察やマスコミが目を光らせている。
加えて高級ホテルは頑丈な鉄柵に覆われているのだ。
高さはおよそ二メートル。
決してよじ登れない高さではなかったが、さすがに鉄柵をよじ登る姿は夜とはいえ人目につく。
では、どうやって侵入するか。
ユタラは必死に頭を働かせ、侵入に使えそうな代物はないか周囲を一望する。
警察のパトカー、救急用のヘリコプター、マスコミの中継者などを。
(これしかないか)
数秒後、悩みに悩み抜いたユタラは苦渋の決断を己に下した。
ユタラは救急用のヘリコプターが待機されていた場所へ足早に向かう。
良心が痛まなかったと言えば嘘になる。
ヘリコプターを強奪するためには、少なくとも数人の人間に危害を加えねばならない。
何の罪もない数人の人間たちをである。
まるで通り魔の犯行だ。
許してくれと謝罪しても許されることではなかった。
だとしてもやる。
ユタラは脇目も振らずにヘリコプターに近づいていく。
近くの消防署から派遣されたのだろう。
目的の場所に到着すると、ヘリコプターの外にはモスグリーンのジャケットに黄色のヘルメットを装着している救急隊員が四人いた。
「すいません、あなたたちの中で英語を話せる人はいますか?」
ユタラが沈痛な面持ちで四人の顔を見渡しながら質問したとき、一人の救急隊員がユタラに気づいて英語ではなくヒンドゥー語で話しかけてきた。
他の三人はユタラを見て怪訝そうな表情を浮かべるのみ。
どうやら外にいる四人の中で英語を話せる人間はいないらしい。
好都合だった。
会話が成り立つのは余計に良心の呵責に苛まれる。
大きく深呼吸してわずかに残っていた良心を押し殺したユタラは、舞弥をテロリストたちから救出するという私心を最優先させた。
ユタラは声をかけてきた男の股間に加減した金的蹴りを見舞う。
予想外の不意打ちを受けた男は込み上げてきた激痛に耐え切れず地面に両膝をつく。
すかさずユタラは苦痛に顔を歪ませた男の顎を掌底で打ち抜いた。
的確に顎を打ち抜かれた男は脳震盪を起こして意識を消失。
糸が切れた人形のように前のめりに地面に倒れる。
ユタラは罪悪感に苛まれながらも、未だに事態を飲み込めていなかった三人の男に向かって疾駆する。
そこでようやく三人の男たちは慌て始めたが、すでに限界まで弓矢の弦を絞っていた状態のユタラの前では限りなく無力だった。
影のように素早く三人の男の間合いに不法侵入したユタラは、一撃で相手を戦闘不能にできる顎と金的の二箇所に的を絞って攻撃を繰り出したのだ。
三人の男たちは悲鳴一つ上げることもできずに地面に崩れ落ちた。
これで完全に後戻りはできなくなった。
ユタラは素早く機内に乗り込むと、自分が入ってきた側のドアを完全に閉める。
ユタラは間を置かずに操縦席に座った。
右手は進行方向の操作に必要な操縦桿を、左手はエンジンの回転数を上げるために必要なピッチ・レバーを、両足は機首方向の調整に欠かせないローターブレードを操作するラダーペダルに預ける。
訓練で車の運転やヘリコプターの操縦を学んでいたため、ユタラはヘリコプターが地面を離れて上空に飛び上がったときも恐怖や不安はあまり感じなかった。
そしてユタラは見事な操縦でヘリコプターを高級ホテルの真上に留めた。
ホバリングだ。
これはヘリコプターを空中の一点で留めている状態を指し、救難活動などを行う際には必ず操縦者に求められる極めて高度な操縦技術の一つである。
しかし、それ以上に高度なのはホバリングさせた機体を地表に着陸させる技術だ。
真下に機体を下ろせばいいだけだと高を括っていると、重量とローターブレードの推力により機体が左右へ流されて大事故を引き起こしかねない。
(大丈夫だ。絶対に上手くいく)
ユタラは爆破物を扱うような真剣な表情でヘリコプターをゆっくりと降下させていく。
このままヘリコプターを屋上に着陸させれば第一段階はクリアしたも同然。
あとは屋上から建物内に侵入すればいい。
などと甘い考えを持っていたユタラだったが、ヘリコプターのランディングギアと屋上の地表の距離が数メートルまで縮まったときに悲劇は起こった。
いきなり屋上のドアが蹴破られ、数人の兵士たちが屋上に現れたのだ。
それだけではない。
アサルトライフルを携帯していた兵士たちの中で、一人だけ別の武器を携帯していた人間がいた。
地対空ミサイルのスティンガーだ。
地対空ミサイルとは読んで字の如く、空中の目標を地上からミサイルによってダメージを与えるために造り出された兵器である。
中でもスティンガーは一人の人間が肩に担いで撃てるよう開発されたもので、扱い慣れた人間ならばヘリコプターを撃ち落すことなど造作もない。
ユタラは航空機に対して有効な武器を携帯していた兵士を忌々しく見据えた。
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