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05. 火傷
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その日はどんよりした曇り空だった。
心が沈む。ささやかな抵抗に、私は厨房の片隅を借りた。お菓子作りは私の心を癒してくれるものの一つだった。母様直伝のバニラサブレ。シンプルで、繊細で、甘いお菓子。銀の盆に並べ、自らアールグレイを淹れた。
その時、偶然リアム様が部屋に入ってきて、焼いたばかりのお菓子をじっと観察するように眺めた。そして、驚くことが起きた。
リアム様が一つ手に取った。緊張で空気が張り詰める。
「甘すぎないな」
彼は唇についた欠片を払いながら呟いた。
「嫌いじゃない」
心が舞い上がった。胸の奥で、小さく愚かな花が咲く。『ほら、届くわ。努力すれば、彼は私を見てくれる』
「お紅茶をお入れしますね。サブレにきっと合うはずです。」
私はほころぶ頬をおさえながら、リアム様のティーカップに紅茶を注いだ。
その時、ドアが開いた。
「リアム?ティータイムなら私を呼んでよ」
それは嵐だった。アリスが入ってきた。彼女は私を見なかった。当然のように彼の隣に座り、盆からサブレをつまんで一口かじる。そして、私がリアム様のために淹れたカップに手を伸ばした。
「熱っ!」
彼女が悲鳴を上げ、カップを取り落とす。磁器が砕ける音。白いテーブルクロスに濃い茶色の染みが広がる。
「火傷したわ!痛い!」
リアム様の表情が一変した。微かな温かみは消え失せる。部屋が凍り付く。
「アリス!」
彼は彼女の顎を掴み、無理やり口を開かせた。私の目の前で。
「見せてみろ」
彼は顔を寄せた。水も氷も必要なかった。
アリスは彼に舌を差し出した。赤く、ざらついた、湿った舌。
彼は、彼女の舌を吸った。一度、二度。彼はただ冷やしているのではなかった。味わっていた。自身の舌を彼女のそれに絡ませ、赤く腫れた箇所を執拗に舐め上げる。まるで蜜を吸うかのように、彼女の唾液を啜る。チュ、クチュ、と。濡れた、卑猥な音。それはゆっくりと、意図的に行われた。
「良くなったか?」
彼が囁く。
「ん……少しだけ」
アリスが甘えた声を出す。彼女の瞳は濡れていたが、リアム様の手の陰で、その唇は歪んでいた。嘲笑。
「でも、このサブレ……ひどい味よ、リアム。パサパサだわ。まるで砂を食べてるみたい」
リアム様が背筋を伸ばした。私に向き直る。その瞳に光はない。
「彼女を火傷させるために、わざと熱くしたな。お前はアリスに嫉妬しているんだろう。なんて醜いんだ。」
「そんな。違います! 誤解です……!」
「黙れ」
彼は立ち上がり、サブレが山盛りにされた銀の盆を掴んだ。
「こんなものはゴミだ」
ガシャン。
彼が盆をひっくり返した。黄金色のサブレが床に散らばり、砕けた磁器の破片と混じり合って粉々になる。
『嫌いじゃない』
ついさっきのリアム様の言葉が頭の中をこだました。
「片づけておけ」
彼は冷たく言い放ち、ドアへと向かいながらサブレの一つを踏みつけた。
靴底の下で、乾いた音がした。彼はアリスの手を取り、出て行った。甘いバニラの香りと、無惨な残骸だけを残して。
心が沈む。ささやかな抵抗に、私は厨房の片隅を借りた。お菓子作りは私の心を癒してくれるものの一つだった。母様直伝のバニラサブレ。シンプルで、繊細で、甘いお菓子。銀の盆に並べ、自らアールグレイを淹れた。
その時、偶然リアム様が部屋に入ってきて、焼いたばかりのお菓子をじっと観察するように眺めた。そして、驚くことが起きた。
リアム様が一つ手に取った。緊張で空気が張り詰める。
「甘すぎないな」
彼は唇についた欠片を払いながら呟いた。
「嫌いじゃない」
心が舞い上がった。胸の奥で、小さく愚かな花が咲く。『ほら、届くわ。努力すれば、彼は私を見てくれる』
「お紅茶をお入れしますね。サブレにきっと合うはずです。」
私はほころぶ頬をおさえながら、リアム様のティーカップに紅茶を注いだ。
その時、ドアが開いた。
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それは嵐だった。アリスが入ってきた。彼女は私を見なかった。当然のように彼の隣に座り、盆からサブレをつまんで一口かじる。そして、私がリアム様のために淹れたカップに手を伸ばした。
「熱っ!」
彼女が悲鳴を上げ、カップを取り落とす。磁器が砕ける音。白いテーブルクロスに濃い茶色の染みが広がる。
「火傷したわ!痛い!」
リアム様の表情が一変した。微かな温かみは消え失せる。部屋が凍り付く。
「アリス!」
彼は彼女の顎を掴み、無理やり口を開かせた。私の目の前で。
「見せてみろ」
彼は顔を寄せた。水も氷も必要なかった。
アリスは彼に舌を差し出した。赤く、ざらついた、湿った舌。
彼は、彼女の舌を吸った。一度、二度。彼はただ冷やしているのではなかった。味わっていた。自身の舌を彼女のそれに絡ませ、赤く腫れた箇所を執拗に舐め上げる。まるで蜜を吸うかのように、彼女の唾液を啜る。チュ、クチュ、と。濡れた、卑猥な音。それはゆっくりと、意図的に行われた。
「良くなったか?」
彼が囁く。
「ん……少しだけ」
アリスが甘えた声を出す。彼女の瞳は濡れていたが、リアム様の手の陰で、その唇は歪んでいた。嘲笑。
「でも、このサブレ……ひどい味よ、リアム。パサパサだわ。まるで砂を食べてるみたい」
リアム様が背筋を伸ばした。私に向き直る。その瞳に光はない。
「彼女を火傷させるために、わざと熱くしたな。お前はアリスに嫉妬しているんだろう。なんて醜いんだ。」
「そんな。違います! 誤解です……!」
「黙れ」
彼は立ち上がり、サブレが山盛りにされた銀の盆を掴んだ。
「こんなものはゴミだ」
ガシャン。
彼が盆をひっくり返した。黄金色のサブレが床に散らばり、砕けた磁器の破片と混じり合って粉々になる。
『嫌いじゃない』
ついさっきのリアム様の言葉が頭の中をこだました。
「片づけておけ」
彼は冷たく言い放ち、ドアへと向かいながらサブレの一つを踏みつけた。
靴底の下で、乾いた音がした。彼はアリスの手を取り、出て行った。甘いバニラの香りと、無惨な残骸だけを残して。
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