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第一部
14:猫又さまの帰還
しおりを挟むシャララ――ン……。 神谷さんが鳴らしたガムランボールの残響が、緊張で張り詰めたリビングの空気に溶けて消えていく。
どれくらい時間が経っただろう。一分か、あるいは数秒か。時間の感覚がぐちゃぐちゃだった。
ミケがいない。
その事実だけが、冷たい石のように胃の底に沈んでいる。
(ミケ……ミケ……!)
神谷さんと神崎先生が息を詰めて、テーブルの上の一点を凝視している。私も、祈るようにその空間を見つめた。
その、瞬間。
ぽふん、と。まるで埃が舞うような、頼りない音。テーブルの上に、見慣れた毛色の猫が出現した。
「――ミケ!」
叫びのような声が喉から漏れる。椅子をから立ち上がり、覆いかぶさるように抱きしめた。
「にゃ、にゃあ……っ! さ、さくらちゃ……!」
抱きしめた身体は、小刻みに震えていた。ミケは、袖に縋るように必死で爪を立て、顔を擦り付けてくる。温かい。間違いなくミケだ。
「よかった……本当によかった……!」
どれだけ強く抱きしめても足りない。もう二度と会えないかと思った。失う恐怖が、安堵の涙になって目から溢れた。
「ミケ、ミケ……!!」
「さくらちゃん、さくらちゃん……!」
腕の中でしゃくり上げるミケの首に、見慣れない小さなお守り袋が下がっているのが見えた。赤い布でできた、指先ほどの小さな袋。
それに気付いた時、神谷さんの後ろの空気が歪んだ。微かな風と共に姿を現したのは長身の青年。
頭に耳、そして九本の尾。
(ええええええっ)
わたしの感情はぐちゃぐちゃだった。驚きの悲鳴は喉で止まったが、ミケを抱きしめる力が少し強くなってしまった。
「さくらちゃ……」
「ごめん、ミケ! 苦しかったね」
「違うにゃ……安心するにゃ」
「ミケ……」
わたしたちのやりとりをじっと見ていた青年はゆったりと首を傾げ、その姿を黒猫に変えた。
大きな黒猫。しっぽは一本。
「お疲れ様、クロ」
「うむ」
神谷さんはクロちゃんを抱き上げ、膝に乗せる。
先ほどの青年の姿を見た後の衝撃というか、違和感がとんでもない。
「花屋敷さん、一年です」
静かな声に顔を上げると、神谷さんが、私とミケを真っ直ぐに見つめていた。
「一年間は、そのお守りでミケちゃんの体質は改善されます。ですが、確実に一年とは断言できません。出来るだけ早急にミケちゃんが自分の力を制御し、桜さんの命を食わずに生きる術を身に着けて下さい。協力できる範囲でこちらも手助けします」
一年。 それが長いのか短いのか、私には判断がつかなかった。
わたしはミケを抱きしめ直し、椅子に座り直した。ミケを膝に乗せて、頭を撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らす姿に、愛おしさだけこみ上げる。この小さな命は、もうただの猫ではない。私の、人の命を糧に生きる宿命を背負った、猫又。
でも、そんなことはどうでもいい。この子はわたしの大切な存在だ。
「ありがとうございます」
ミケの首からぶら下がった小さなお守り。これが、わたしとミケの命綱。その軽さと、途方もない重さに、私は唇を強く噛んだ。
「あの……クロ、ちゃん……? はどうやって制御できるように……?」
先ほどの姿を見るとクロちゃんと呼ぶのもおかしいような気はするが、呼び捨てにするのも違う気がして。
おそるおそる聞けば、黒猫はゆっくりと深海の瞳を開いた。
「わしが完全に制御できるようになったのは神格化した時だ。黒猫は妖力が強いのでな」
「し、神格化……!?」
情報が、多い……!!
「た、確かにしっぽ多かったけど……あれ? でも今は一本だよね?」
「これはそのように見せておるだけだ。三毛もいずれ出来るようになる」
「そうなの?」
「お前が存命の間は無理かもしれんぞ。何せ猫又に寿命などという概念はない」
「そうなの!?」
わたしの理解が追いつかない。今日一日の出来事で、別の熱が出そう。
「妖力が枯渇せん限りは、だがな。ところで、三毛にわしの眷属をつけようと思うのだが」
「眷属?」
いちいち大声をあげるわたしに、クロは面倒くさそうにしっぽを振った。
また新しい単語が出てきた。
「そうだ。従者という方が通じるか? そやつは妖力の制御に長けておる。基礎的な制御の教育係としても優秀だ。お前は覚悟をしたのだろう? であれば、もう一匹増えても問題なかろう」
「え?」
話の展開が早すぎる。教育係? もう一匹? 私が混乱していると、クロは鼻を鳴らした。
「ルナ、聞こえたな」
――はい、クロさま!
どこからか、ガムランボールの音のように可愛らしい声が響いた。声はすれども姿は見えない。キョロキョロと部屋を見回すわたしの膝の上で、ミケが不思議そうに首を傾げた。
「クロさまはお忙しいので、このルナがお役目を承ります! 桜さま、ミケさま、よろしくお願いいたします」
声は、わたしの頭の上から聞こえた。いつの間に!? 驚いていると、声の主は頭の上からテーブルに飛び降りる。
そこには雪のように真っ白な毛並みで、晴れた空のような青い瞳をした猫。
わたしの手に乗るぐらいに小さな猫が、ちょこんとおすわりをしてこちらを見た。
「……え、ええ!?」
どうやら我が家にもう一匹猫が増えるらしい。
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