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2章
3人の選択
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呪いに侵され命の限界を迎えつつあったノヴァの、最後の力を振り絞った拳がヴィルハートの顔面を正面からとらえた。
それを躱す余裕のなかったヴィルハートはその拳をもろに喰らい後方へ吹き飛ぶ。
ノヴァはその手応えからこの戦いが終わったことを本能で悟ったのだった。
『勝っ……た……こ、れで……姉、ちゃん、を……』
「ノ……ヴァ……」
だがこれですべての力を出し切ってしまったノヴァは力なくそのまま地面へと倒れこんでしまったのだ。
そしてそんなノヴァの姿を、エトナは奴隷の刻印と呪いの激痛に苛まれながら眺めることしかできない。
戦いは終わり、戦場となった道には瀕死のノヴァとエトナが倒れるだけとなった。
「……」
そんな2人の元に憑き物が落ちたような表情のヴィルハートが足を引きずりながら近寄ってきた。
彼の顔にはもはや戦闘続行の意思はうかがえず、2人に何かを告げるためだけにやってきたようだった。
「……呪いを口にしたんだ。その苦しみは想像できるものではない。じきに体の中から腐っていき死ぬだろう。そして君も……奴隷の刻印の激痛と彼を抱きしめた時に貰った呪いでその命はもう長くはないだろう」
「……」
「だが、約束だ……これでも私は元聖職者。最後にその苦しみから救ってあげよう。どちらか1人だけをな……」
命の灯が消えつつあり、もはや悲鳴をあげることもできないエトナの近くでヴィルハートはそう暗く呟いたのだった。
だがそれは単純に彼の優しさや約束を守る義理堅さからくるものではない。
ヴィルハートは地獄の苦しみで死の淵に立つ2人にどちらか片方しか助けないという究極の選択を突き付けたのだ。
(死の恐怖から……地獄の苦しみから解放してもらえるのはたった1人。貴様らの互いを想う気持ちは本物だろうが、この状況では自分が助かることを優先するに決まっている……)
闇に堕ち、他人を一切信用しなくなってしまったヴィルハート。
だがそんな彼も無論初めからこんな考え方をしていた訳ではなかった……
「ヒーナッツェ様!やはり解呪の依頼は無償で受けるべきではありませんか!?貧しい民たちが解呪の料金を払うことが出来ず呪いに苦しみ続けるしかないなど間違っています!」
彼も以前は神の教えに反することがないよう常に心掛けていた程度には真っ当な聖職者であった。
光芒神聖教会の聖職者であることに誇りと使命感を持ち、貧しい民のことを想い決して安くはない解呪の依頼料を無償化すべきだと光芒神聖教会の上層部に何度か掛け合っていた。
「何度も言わせないでくれたまえヴィルハート君。聖職者も人間だ。生きるためには衣食住を確保することが必要。つまり多少の収入源を確保することは仕方がないことなのだよ」
「ですが……恐れながら申し上げます!一部の教会職員は生活に必要な分以上の給与を貰っていると思うのです」
「なんだと……?」
「他にも運営費用にも削減できる余地があると思います。解呪の依頼料は今の半分でもいいかと……」
「……。君の意見はよくわかった。この件は慎重に検討させてもらうよ」
この時の彼は人間の悪意というものに極度に疎かったのだ。
教会が解呪の依頼料を徐々に値上げしていっているのもヒーナッツェ達が貧しい民の現状を理解していないのだと、その金が教会職員の最低限の暮らしや教会の運営費用にだけにしか払われていないと本気で信じていた。
「レンテーナの村で大規模な呪いの被害が!?」
そして約1カ月前、ヒーナッツェに呼び出されたヴィルハートはレンテーナの村で起きた大規模な呪いの発生事件について知らされたのだ。
無論彼はこの事件を引き起こしたのがヒーナッツェだということも、それが自分を光芒神聖教会から追い出そうと画策されたものだとも一切疑うことはなく。
「ああ。村人のほとんどが呪いに侵され重症らしい。しかもかなり強い呪いらしく、並の聖職者では呪いを祓うことができないようだ。そこで君にもレンテーナの村へ行き村人たちを救ってもらいたいのだ」
「もちろんでございます。私に救える命があるならばどこへでも行きます」
「頼もしい。早速で悪いがすぐにでも出発して欲しい。現在人手が足りておらず後発の聖職者の選定に時間が必要そうなのだ。それまではあの村の呪いの被害者の救済は君に一任させてもらいたい」
ヴィルハートは呪いの深刻な被害に苦しめられているというレンテーナの村に、ヒーナッツェの指示で1人送り出されたのだ。
この時の彼はまだすぐに教会が優秀な聖職者を大勢派遣してくれると思っており、それまで1人でできるだけ多くの人を救おうと考えていたのだ。
レンテーナの村の被害がどれだけ酷い物かも知らずに……
「なん……だ、この呪いの濃度は……?」
レンテーナの村の周辺にやってきたヴィルハートは、まだ村からは距離があるはずの位置からでもその村の濃厚な呪いの気配が感じられることに衝撃を受けたのだ。
それは明らかに尋常ではなく、異常事態が発生していることは明らかだった。
「この……呪いの原因はまだつかめていないのか?」
「ただいま一生懸命原因を調査しております。もうしばらくお時間を」
「そうか……それで、この呪いの被害に遭ったという村の住民たちは?」
「彼らなら村の外れに設置された仮設の救護施設にいます。呪いが広まる恐れがあるため他の街の医療施設にも送れないのです」
「わかった……早速解呪を始める」
レンテーナの村にやってきたヴィルハートは、すぐに呪いに侵され苦しんでいた村人たちの解呪にあたったのだ。
村から発せられる呪いの濃度がすさまじいのだ、村人たちが被った呪いの被害も尋常ではない。
(これは……私1人でどうにかなる領域をはるかに超えている……)
「あぐぅ……く、苦しい……」
「はぁ……はぁ……ぐぉお……」
「たす、けてください……神様……」
「……。いや、それでもやるしかないんだ」
苦しむ村人たちをみて、ヴィルハートは単独で呪いにかかった村人たちの救助を開始した。
解呪というものは何のデメリットもなしに行えるものではない。
呪いを外すためにはそれ相応の代償を術者が負わなければならず、さらに彼のスキルは他者の呪いを自らが引き受けるものであったためにその解呪はまさに命がけともいえるものになったのだ。
「これでもう大丈夫ですよ……ぐぅぅ……」
(まずい……もうこんなにも体の負担が……これ以上は……)
「たす……けてくれ……」
「っ!!」
「ヴィルハートさん!3歳の息子が呪いにかかって命が危ないんです!どうかお助け下さい!」
「私の夫は持病があるの!このまま呪いに侵され続けたらすぐに死んでしまうわ!」
「っ!!……わかりました。すぐに行きます!」
現場はまさに地獄絵図。
呪いにより消えてしまいそうな命の灯を守るべく、彼は自分の身の危険も顧みずに必死に解呪を続けたのだ。
何人……十何人……何十人と……
(おかしい……何日たっても呪いの被害者は増え続けるばかりだ……教会からの聖職者の派遣も一向に来ない……これは一体……)
「ごほっごほっ……こ、これは……」
そして彼がレンテーナの村にやって来てから10日ほどが経過したある日。
ついにヴィルハートは村人から呪いを引き受け過ぎた影響で限界を迎えてしまったのだ。
激しく吐血し彼の肉という肉は呪いに浸り、彼の誇りであった光の魔力はその輝きを失ったのだった。
「そうか……ようやく限界を迎えたか」
ヴィルハートが解呪の反動で限界を迎えたことを、首都テスクトーラの教会本部にいたヒーナッツェは部下からの報告で知ることとなった。
「それで、奴は死んだのか?」
「いえ。解呪を継続できなくなっただけで死亡する気配はないとのことで」
「ちっ。民のためにこの身を捧げるだの綺麗事を抜かすならその民のために死ぬまで働けってんだ」
「ですがもう奴はまともに動けません。依然は失敗しましたが今暗殺者を送れば確実に始末できるかと」
「いや。今の奴を光芒神聖教会から追い出すのは容易。無駄金を使うこともあるまい。ひとまず奴に本部に戻るよう伝えろ」
「はっ」
自身の思うように事が進んだことにヒーナッツェは下卑た笑みを浮かべながら、ヴィルハートに本部へ帰還売るよう命令を出したのだ。
流石のヴィルハートも解呪が出来ない状態ともなれば村にとどまる理由もない。
こうしてヴィルハートは光芒神聖教会本部に戻りもらい受けた呪いを祓うことに注力することになった……しかし……
「ごほっごほっ……」
「まったく。神聖なこの教会で汚らわしいことこの上ないな」
「その呪いに染まった肉体。あまりにも聖職者に相応しくないな」
「ぐ、ごふっ……申し訳、ありません……」
限界まで呪いを蓄えてしまった彼の魂は穢れに染まり、もはやいかなる手段においても呪いを落とすことは叶わなかったのだ。
復帰のめども立たないヴィルハートが聖職者を続けることは困難。
光芒神聖教会から聖職者を除名するには上層部の過半数の賛成票が必要であり、以前ならヒーナッツェと彼の息のかかった上層部だけではヴィルハートを除名することは叶わなかった。
だがヴィルハートが呪いを蓄えた今であればその票を集めることは容易いことだった。
「ヴィルハート。貴様は聖職者でありながらその身を呪いで染め上げた。それは光芒神聖教会の教えに反すること……よって、ヴィルハート・レーン。貴様を光芒神聖教会から追放する」
こうしてヴィルハートは彼の人生の全てとも癒えた聖職者の地位を奪われることとなったのだ。
「はぁ……はぁ……」
(私は……光芒神聖教会の指示で呪いに来るしむ民たちを救おうとしたんだぞ……それなのに、なぜ私が聖職者の地位を奪われなければならんのだ……)
「私は、間違っていない……間違っているのは、貴様らの方だ……」
ヴィルハートが受けた呪いは肉体だけではなく、その精神を持つよく蝕む。
元々人を恨んだことなど1度もなかった彼はその経緯もあって光芒神聖教会に強い恨みの念を抱えながら本部を後にしたのだ。
光芒神聖教会から追放されたヴィルハートは呪いによる激痛に苦しめられながら、ゆっくりととある場所へと向かった。
「この村の呪いは……何か裏があるはずだ」
そこは未曾有の呪いの被害が発生したレンテーナの村。
彼は自身の人生を狂わせることとなった呪いの原因を突き止めようと呪いの震源地へと向かったのだ。
そして、彼はそこで発見してしまう……
「なんだ……なんなんだこれはぁ!?」
それはレンテーナの村の地下にあった巨大な空洞の中心に置かれたドラゴンの死体。
伝説に語られるドラゴンは死後もその肉体の強度を保ち、無尽蔵に呪いを溜め込み新たな厄災をもたらす。
そんなドラゴンの死体が、巨大な結界の内側に置かれていたのだ。
(なんだ、あの結界は……ドラゴンの死体から発せられる呪いが強すぎてすべての呪いを遮断できずに外に漏れだしてしまってる……いや。あれは……あの程度の呪いを外に放出するように計算された結界だ)
「うっわ。やっぱりここ空気悪いなぁ」
「空気悪いってレベルじゃないだろ。なんたって呪いを纏ったドラゴンの死体が……って、誰だ貴様!?」
結界術にも精通していたヴィルハートはこのドラゴンを囲っていた結界が、地上のレンテーナの村の住民が死なない程度の呪いが漏れるように調整されたものだということにすぐに気が付いたのだった。
レンテーナの村で発生した呪いが何者かの手によって仕組まれていたことに強い怒りを覚えたヴィルハートだったが、その時4人の男たちが雑談をしながらヴィルハートの元に姿を現した。
その男たちの格好にヴィルハートはすぐに彼らが何者なのかの回答を得る。
「お前たち……教会の人間か……」
「おっ!?お前はヴィルハート!?」
「貴様がなぜここに……いや、そんなことはどうでもいい」
「ああ。知っちまったのなら仕方がない。折角ヒーナッツェ様が殺しまではしなくていいと慈悲をくださったのによぉ」
「そうか……そうか。この村に呪いを振り撒いたのも……私が光芒神聖教会を追い出されることになったのも、全部、全部……教会お前らの企みのせいだったのか」
男たちが来ていたのは結界から漏れ出した濃度の高い呪いの瘴気に耐性がある光芒神聖教会の衣装。
レンテーナの村の人々が呪いに侵されたこの事件には光芒神聖教会が関わっていたのだ。
自分たちの姿をみられてしまい、男たちは迷うことなくヴィルハートを始末しようと武器を取り出す。
だが呪いに侵され戦闘能力と狂暴性が増していたヴィルハートは自分の手のひらから血がにじみ出るほどに拳を強く握りしめ、全力で男たちに応戦したのだった。
「死ねぇヴィルハー……がッ!?」
「遅すぎる……」
「なっ!?貴様……ぎゃぁ!!」
「ご……がぁああ!!……かっ……」
先頭に居た男は短刀を取り出し大振りな攻撃で前に出たのだが、ヴィルハートはぬるりと懐に入り込み手刀で男の頸動脈を搔っ切る。
それに動揺した男たちに対し、ヴィルハートは頸動脈を切った男の手を短刀ごと握り1番傍に居た男の心臓を突き刺す。
そしてもう1人の男の首を掴むとそのまま躊躇いなく握りつぶしてしまったのだ。
「なっ……あ、殺しやがった!全員!」
「先に殺そうとしたのはお前たちの方だろう?」
「ひっ!ま、待ってくれ!殺そうとしたことは謝るから助けてくれ!」
仲間が一瞬でやられてしまった光景を目の当たりにし、1人残った男は戦意を失いヴィルハートに命乞いを始めた。
そんな男に対しヴィルハートは冷たい眼差しを向けながらゆっくりと歩み寄る。
「あのドラゴンの死体はなんだ?その指示を出したのはヒーナッツェか?貴様の知ってることをすべて話してもらう」
「し、知ってることを正直に話したら俺を助けてくれるんだな!?」
「早く喋れ。じゃないと殺す」
「ひぃ!!わ、わかりました!」
怯え切った男から情報を抜き出そうと、ヴィルハートは髪を掴み至近距離で男を睨みつける。
その圧に負けた男は助かりたい一心ですべてをヴィルハートに話したのだ。
男が話した事実はヴィルハートにとっては信じがたい物であった。
日頃から高額な依頼料を改善するよう進言していた自分のことをヒーナッツェは疎ましく思っていたこと。
偶然発見されたドラゴンの死体を利用して、自分を光芒神聖教会から追い出そうと計画したこと。
その話は彼にとって信じがたいものであったのは事実だが、同時に彼はどこか納得したような感覚と自分を貶めたヒーナッツェやそれに賛同する教会職員に強い怒りと恨みの感情を抱いていった。
「こ、これで俺が知ってることは全部だ!正直に話したから俺のことは助けてくれるんだろ?頼むよ!!」
「ああ。もちろんだ。もう行っていいぞ」
「へ、へへ。ありがとよ。それじゃあ俺はこれで……ぎゃぁああああ!!」
すべてを話し終えた男はヴィルハートに再度助けてもらえるように懇願する。
するとヴィルハートは意外にもすんなりと男を見逃すと言ったのだ。
その言葉に恐怖に染まっていた男の表情に色が戻る。
そうして男はすぐにこの場を立ち去ろうと振り返ったのだが……その直後、ヴィルハートの手刀の突きが男の心臓を貫いたのだ。
「な、んで……助けてくれるって……」
「いいだろう?一度希望を与えられてからの方が絶望が深くて」
その不意打ちは以前のヴィルハートならば絶対にすることはなかったであろう行動。
それ以前にどんな悪人であろうと決して命を奪うべきではないと考えていた彼が4人の命を奪ったことは、彼がもう完全に呪いに染まり別人へと変わってしまったことを強く物語っていた。
「光芒神聖教会……ヒーナッツェめ。必ず貴様らも同じ目に遭わせてやる」
ヴィルハートは殺意のこもった目つきでその洞窟を後にした。
自分に地獄を味あわせたヒーナッツェとその周辺の人間に復習をすると誓い、彼は一度姿をくらますことにしたのだ。
「おお!!ヴィルハートさんかい!?」
「ヴィルハートさん!?」
だが彼が洞窟を出て少し歩いていた所に、避難していたレンテーナの村の住民たちが姿を現したのだ。
彼はヒーナッツェ達への怒りに燃えていたせいで自分がどこへ向かっているのかもわからず、偶然村の住民たちが避難していたエリアの方向へ歩いていたのだった。
「あんた!?少し前に居なくなったっきりどこへ行っていたんだい!?」
「……こちらにもいろいろと事情がありまして。ただこの呪いが広まったのは……」
「それより早く俺たちを助けてくれよ!」
「そうよ!教会が聖職者を派遣しないせいでまだ大勢呪いに苦しんでるんだから!」
「いえ、それは……申し訳ありません。ずいぶん無茶をしてしまったせいでこれ以上解呪を行うのは……」
「なんだと!?ふざけるな!!」
「……!?」
ヴィルハートの前に現れたのは、彼がいなくなり呪いの解呪を行ってもらえなくなって苦しんでいたレンテーナの村の住民たち。
避難所にはまだ重症で動けない人もたくさんおり、彼らは早く解呪をして貰おうといなくなったヴィルハートを探していたのだ。
そんな村人たちにヴィルハートはもう今の自分には解呪を行えるだけの余裕がないと告げようとした。
しかし解呪が出来ないと伝えようとしたその瞬間、集まって来ていた村人たちは彼への態度を一変させたのだ。
「それがお前たち教会の仕事だろう!?まさか俺たちを見捨てようってか!?」
「ならせめて俺だけは助けてくれ!苦しくて苦しくて夜も寝られないんだ!」
「あなたは大人なんだから我慢しなさいよ!私の息子がずっと苦しそうで見てられないの!あの子だけでも助けてあげて!」
「あんた!!俺たちがこんなに苦しんでるのに見捨てるつもりなのか!?」
「……ッ!」
ヴィルハートがいなくなり、教会から追加の聖職者が派遣されることもなくレンテーナの村の住民たちは絶えることなく続く呪いの苦しみに精神面でも限界を迎えていた。
この呪いは精神を蝕む効果もある。
さらに呪いに関して素人である村人たちが今のヴィルハートの最悪なコンディションを察することなどできるはずが無く、彼らは解呪を断ろうとしたヴィルハートに不満を爆発させ詰め寄ったのだ。
「……どいてくれ」
「っ!?おい、どこに行くんだよ!」
「私はもう聖職者を辞めているんだ。貴様らを助ける義務はない」
今のヴィルハートに村人たちの呪いを引き受ける余裕はない。
それ以上に精神が荒み切った彼にはこの村人たちの言動は実に身勝手なものに映ったのだ。
もうヴィルハートには彼らが救うべき対象には見えなかった。
そうしてヴィルハートは村人たちを押しのけ、教会への復讐をするために行動を開始したのだった。
(私が復習を決意したのは間違っていない。教会は腐りきって……私が守るべきだと考えていた民たちも命を削ってまで助けるには値しない存在なのだ)
完全に闇に堕ちることに、ヴィルハートは若干の心残りがあった。
それは自分が呪いに染まれば弱者であるこの国の民は頼ることができる存在を失い絶望してしまうんじゃないかということ。
だから彼は、自分が死ぬ前に自分が守るべき清く正しい弱者は存在しなかったと証明したかったのだ。
一見大切な人を救うためには自分を犠牲にすることも厭わないと考えている目の前の2人の少年少女も、地獄の苦しみの果てに自身の死が目の前に迫れば自分の命を優先するんだと。
自分が己の弱さにより民を見捨てたのではなく、民が救うべき存在には値しないから自分が呪いに堕ちたのだと、死ぬ前にその確証が欲しかったのだ……
「さあ、答えろ。今ならその地獄の苦しみから救われるんだぞ?」
「……ノ……ヴァ、を……」
「っ!?」
「……ノヴァを……助けてください……」
「なん、だと……」
地獄の苦しみと死の恐怖に負け、エトナが自分のことを助けて欲しいと答えると踏んでいたヴィルハート。
しかしエトナは最後の力を振り絞り、自分ではなくノヴァを助ける様ヴィルハートにお願いしたのだった。
「正気か?助けるのは1人だぞ?貴様は死ぬんだぞ?」
「……」
死を目前にしても自分ではなく他者の命を優先するエトナをみて、ヴィルハートは信じられないと言った表情でエトナに質問を返す。
しかしそれでもエトナは小さく首を縦に振るだけであったのだ。
それを見たヴィルハートは言葉を失いながらノヴァの元に歩みを進めた。
(馬鹿な……人間、追い詰められれば醜いものだと……助ける価値がない存在、だったんじゃないのか……)
「……ガっ……ああぁ……」
「少年、貴様は……」
「ね……ぇ……んを……姉ちゃん、を……助けて……くだ、さい……」
「ッ!!」
エトナの覚悟を目の当たりにして聖職者でありながら闇に堕ちた自分の心の弱さに打ちひしがれるヴィルハート。
だがそんなヴィルハートに、意識を失っていたと思われていたノヴァが潰れた喉でエトナを助けて欲しいと懇願したのだ。
「これは、戦いの跡!?誰かいるのか!?」
「っ!?これは……」
するとそこへドラゴンゾンビを討伐し、ドラゴンゾンビの呪いと同じ強い気配を察知して駆けつけて来たアレスたちがヴィルハートの前に姿を現したのだった。
アレスたちは全速力でこの現場に辿り着くと、そこで驚きの光景を目にしたのだった。
「エトナさん!!ノヴァ君!!」
「ヴィルハートさん、あんた……」
それは呪いの気配を纏いながらも並べて寝かせたエトナとノヴァの2人に同時に解呪を施していたヴィルハートの姿だったのだ。
「……呪いは祓い終わったよ。ただこっちの少年はドラゴンの死体の一部を口にして重傷だ、早く手当てしないと解呪が無意味になるぞ」
「なんて傷……しっかりしてノヴァ君!!」
「少年……私は、どうすれば道を踏み外さないですんだのだろうか」
(これは……ヴィルハートさんの中の呪いの気配が剝がれかけてる!?)
「ヴィルハートさん……その命、俺に預けてくれませんか?」
「それが例え断罪の刃であっても。今の私には拒む資格はない……」
(剣聖……天朧解解!!)
呪いは解呪できてもドラゴンゾンビの肉片を口にしたノヴァは取り返しがつかないような大けがを負ってしまっていた。
その姿を見たソシアはすぐに回復魔法を施そうとノヴァに駆け寄る。
そんな中、アレスは呪いの気配に取り込まれていたはずのヴィルハートがその魂から呪いの気配が分離しかけていたことに気付き迷うことなく剣に手をかけたのだった。
「呪いの気配が……まさか、私は助かったのか?だが聖職者でありながら呪いに屈してしまった私に生きる価値などあるのだろうか……」
「それは今後のあなたの生き方次第じゃないですか。あなたに自分の過去を受け入れる勇気と変わろうとする強い意志があるならば」
抵抗する意思のないヴィルハートはアレスの剣を素直に受け入れた。
直後、迷いのないアレスの太刀筋が一瞬にしてヴィルハートめがけ煌めく。
そうしてアレスが通り過ぎた後には呪いから解放され静かに涙を流すヴィルハートの姿だけが残ったのだった。
それを躱す余裕のなかったヴィルハートはその拳をもろに喰らい後方へ吹き飛ぶ。
ノヴァはその手応えからこの戦いが終わったことを本能で悟ったのだった。
『勝っ……た……こ、れで……姉、ちゃん、を……』
「ノ……ヴァ……」
だがこれですべての力を出し切ってしまったノヴァは力なくそのまま地面へと倒れこんでしまったのだ。
そしてそんなノヴァの姿を、エトナは奴隷の刻印と呪いの激痛に苛まれながら眺めることしかできない。
戦いは終わり、戦場となった道には瀕死のノヴァとエトナが倒れるだけとなった。
「……」
そんな2人の元に憑き物が落ちたような表情のヴィルハートが足を引きずりながら近寄ってきた。
彼の顔にはもはや戦闘続行の意思はうかがえず、2人に何かを告げるためだけにやってきたようだった。
「……呪いを口にしたんだ。その苦しみは想像できるものではない。じきに体の中から腐っていき死ぬだろう。そして君も……奴隷の刻印の激痛と彼を抱きしめた時に貰った呪いでその命はもう長くはないだろう」
「……」
「だが、約束だ……これでも私は元聖職者。最後にその苦しみから救ってあげよう。どちらか1人だけをな……」
命の灯が消えつつあり、もはや悲鳴をあげることもできないエトナの近くでヴィルハートはそう暗く呟いたのだった。
だがそれは単純に彼の優しさや約束を守る義理堅さからくるものではない。
ヴィルハートは地獄の苦しみで死の淵に立つ2人にどちらか片方しか助けないという究極の選択を突き付けたのだ。
(死の恐怖から……地獄の苦しみから解放してもらえるのはたった1人。貴様らの互いを想う気持ちは本物だろうが、この状況では自分が助かることを優先するに決まっている……)
闇に堕ち、他人を一切信用しなくなってしまったヴィルハート。
だがそんな彼も無論初めからこんな考え方をしていた訳ではなかった……
「ヒーナッツェ様!やはり解呪の依頼は無償で受けるべきではありませんか!?貧しい民たちが解呪の料金を払うことが出来ず呪いに苦しみ続けるしかないなど間違っています!」
彼も以前は神の教えに反することがないよう常に心掛けていた程度には真っ当な聖職者であった。
光芒神聖教会の聖職者であることに誇りと使命感を持ち、貧しい民のことを想い決して安くはない解呪の依頼料を無償化すべきだと光芒神聖教会の上層部に何度か掛け合っていた。
「何度も言わせないでくれたまえヴィルハート君。聖職者も人間だ。生きるためには衣食住を確保することが必要。つまり多少の収入源を確保することは仕方がないことなのだよ」
「ですが……恐れながら申し上げます!一部の教会職員は生活に必要な分以上の給与を貰っていると思うのです」
「なんだと……?」
「他にも運営費用にも削減できる余地があると思います。解呪の依頼料は今の半分でもいいかと……」
「……。君の意見はよくわかった。この件は慎重に検討させてもらうよ」
この時の彼は人間の悪意というものに極度に疎かったのだ。
教会が解呪の依頼料を徐々に値上げしていっているのもヒーナッツェ達が貧しい民の現状を理解していないのだと、その金が教会職員の最低限の暮らしや教会の運営費用にだけにしか払われていないと本気で信じていた。
「レンテーナの村で大規模な呪いの被害が!?」
そして約1カ月前、ヒーナッツェに呼び出されたヴィルハートはレンテーナの村で起きた大規模な呪いの発生事件について知らされたのだ。
無論彼はこの事件を引き起こしたのがヒーナッツェだということも、それが自分を光芒神聖教会から追い出そうと画策されたものだとも一切疑うことはなく。
「ああ。村人のほとんどが呪いに侵され重症らしい。しかもかなり強い呪いらしく、並の聖職者では呪いを祓うことができないようだ。そこで君にもレンテーナの村へ行き村人たちを救ってもらいたいのだ」
「もちろんでございます。私に救える命があるならばどこへでも行きます」
「頼もしい。早速で悪いがすぐにでも出発して欲しい。現在人手が足りておらず後発の聖職者の選定に時間が必要そうなのだ。それまではあの村の呪いの被害者の救済は君に一任させてもらいたい」
ヴィルハートは呪いの深刻な被害に苦しめられているというレンテーナの村に、ヒーナッツェの指示で1人送り出されたのだ。
この時の彼はまだすぐに教会が優秀な聖職者を大勢派遣してくれると思っており、それまで1人でできるだけ多くの人を救おうと考えていたのだ。
レンテーナの村の被害がどれだけ酷い物かも知らずに……
「なん……だ、この呪いの濃度は……?」
レンテーナの村の周辺にやってきたヴィルハートは、まだ村からは距離があるはずの位置からでもその村の濃厚な呪いの気配が感じられることに衝撃を受けたのだ。
それは明らかに尋常ではなく、異常事態が発生していることは明らかだった。
「この……呪いの原因はまだつかめていないのか?」
「ただいま一生懸命原因を調査しております。もうしばらくお時間を」
「そうか……それで、この呪いの被害に遭ったという村の住民たちは?」
「彼らなら村の外れに設置された仮設の救護施設にいます。呪いが広まる恐れがあるため他の街の医療施設にも送れないのです」
「わかった……早速解呪を始める」
レンテーナの村にやってきたヴィルハートは、すぐに呪いに侵され苦しんでいた村人たちの解呪にあたったのだ。
村から発せられる呪いの濃度がすさまじいのだ、村人たちが被った呪いの被害も尋常ではない。
(これは……私1人でどうにかなる領域をはるかに超えている……)
「あぐぅ……く、苦しい……」
「はぁ……はぁ……ぐぉお……」
「たす、けてください……神様……」
「……。いや、それでもやるしかないんだ」
苦しむ村人たちをみて、ヴィルハートは単独で呪いにかかった村人たちの救助を開始した。
解呪というものは何のデメリットもなしに行えるものではない。
呪いを外すためにはそれ相応の代償を術者が負わなければならず、さらに彼のスキルは他者の呪いを自らが引き受けるものであったためにその解呪はまさに命がけともいえるものになったのだ。
「これでもう大丈夫ですよ……ぐぅぅ……」
(まずい……もうこんなにも体の負担が……これ以上は……)
「たす……けてくれ……」
「っ!!」
「ヴィルハートさん!3歳の息子が呪いにかかって命が危ないんです!どうかお助け下さい!」
「私の夫は持病があるの!このまま呪いに侵され続けたらすぐに死んでしまうわ!」
「っ!!……わかりました。すぐに行きます!」
現場はまさに地獄絵図。
呪いにより消えてしまいそうな命の灯を守るべく、彼は自分の身の危険も顧みずに必死に解呪を続けたのだ。
何人……十何人……何十人と……
(おかしい……何日たっても呪いの被害者は増え続けるばかりだ……教会からの聖職者の派遣も一向に来ない……これは一体……)
「ごほっごほっ……こ、これは……」
そして彼がレンテーナの村にやって来てから10日ほどが経過したある日。
ついにヴィルハートは村人から呪いを引き受け過ぎた影響で限界を迎えてしまったのだ。
激しく吐血し彼の肉という肉は呪いに浸り、彼の誇りであった光の魔力はその輝きを失ったのだった。
「そうか……ようやく限界を迎えたか」
ヴィルハートが解呪の反動で限界を迎えたことを、首都テスクトーラの教会本部にいたヒーナッツェは部下からの報告で知ることとなった。
「それで、奴は死んだのか?」
「いえ。解呪を継続できなくなっただけで死亡する気配はないとのことで」
「ちっ。民のためにこの身を捧げるだの綺麗事を抜かすならその民のために死ぬまで働けってんだ」
「ですがもう奴はまともに動けません。依然は失敗しましたが今暗殺者を送れば確実に始末できるかと」
「いや。今の奴を光芒神聖教会から追い出すのは容易。無駄金を使うこともあるまい。ひとまず奴に本部に戻るよう伝えろ」
「はっ」
自身の思うように事が進んだことにヒーナッツェは下卑た笑みを浮かべながら、ヴィルハートに本部へ帰還売るよう命令を出したのだ。
流石のヴィルハートも解呪が出来ない状態ともなれば村にとどまる理由もない。
こうしてヴィルハートは光芒神聖教会本部に戻りもらい受けた呪いを祓うことに注力することになった……しかし……
「ごほっごほっ……」
「まったく。神聖なこの教会で汚らわしいことこの上ないな」
「その呪いに染まった肉体。あまりにも聖職者に相応しくないな」
「ぐ、ごふっ……申し訳、ありません……」
限界まで呪いを蓄えてしまった彼の魂は穢れに染まり、もはやいかなる手段においても呪いを落とすことは叶わなかったのだ。
復帰のめども立たないヴィルハートが聖職者を続けることは困難。
光芒神聖教会から聖職者を除名するには上層部の過半数の賛成票が必要であり、以前ならヒーナッツェと彼の息のかかった上層部だけではヴィルハートを除名することは叶わなかった。
だがヴィルハートが呪いを蓄えた今であればその票を集めることは容易いことだった。
「ヴィルハート。貴様は聖職者でありながらその身を呪いで染め上げた。それは光芒神聖教会の教えに反すること……よって、ヴィルハート・レーン。貴様を光芒神聖教会から追放する」
こうしてヴィルハートは彼の人生の全てとも癒えた聖職者の地位を奪われることとなったのだ。
「はぁ……はぁ……」
(私は……光芒神聖教会の指示で呪いに来るしむ民たちを救おうとしたんだぞ……それなのに、なぜ私が聖職者の地位を奪われなければならんのだ……)
「私は、間違っていない……間違っているのは、貴様らの方だ……」
ヴィルハートが受けた呪いは肉体だけではなく、その精神を持つよく蝕む。
元々人を恨んだことなど1度もなかった彼はその経緯もあって光芒神聖教会に強い恨みの念を抱えながら本部を後にしたのだ。
光芒神聖教会から追放されたヴィルハートは呪いによる激痛に苦しめられながら、ゆっくりととある場所へと向かった。
「この村の呪いは……何か裏があるはずだ」
そこは未曾有の呪いの被害が発生したレンテーナの村。
彼は自身の人生を狂わせることとなった呪いの原因を突き止めようと呪いの震源地へと向かったのだ。
そして、彼はそこで発見してしまう……
「なんだ……なんなんだこれはぁ!?」
それはレンテーナの村の地下にあった巨大な空洞の中心に置かれたドラゴンの死体。
伝説に語られるドラゴンは死後もその肉体の強度を保ち、無尽蔵に呪いを溜め込み新たな厄災をもたらす。
そんなドラゴンの死体が、巨大な結界の内側に置かれていたのだ。
(なんだ、あの結界は……ドラゴンの死体から発せられる呪いが強すぎてすべての呪いを遮断できずに外に漏れだしてしまってる……いや。あれは……あの程度の呪いを外に放出するように計算された結界だ)
「うっわ。やっぱりここ空気悪いなぁ」
「空気悪いってレベルじゃないだろ。なんたって呪いを纏ったドラゴンの死体が……って、誰だ貴様!?」
結界術にも精通していたヴィルハートはこのドラゴンを囲っていた結界が、地上のレンテーナの村の住民が死なない程度の呪いが漏れるように調整されたものだということにすぐに気が付いたのだった。
レンテーナの村で発生した呪いが何者かの手によって仕組まれていたことに強い怒りを覚えたヴィルハートだったが、その時4人の男たちが雑談をしながらヴィルハートの元に姿を現した。
その男たちの格好にヴィルハートはすぐに彼らが何者なのかの回答を得る。
「お前たち……教会の人間か……」
「おっ!?お前はヴィルハート!?」
「貴様がなぜここに……いや、そんなことはどうでもいい」
「ああ。知っちまったのなら仕方がない。折角ヒーナッツェ様が殺しまではしなくていいと慈悲をくださったのによぉ」
「そうか……そうか。この村に呪いを振り撒いたのも……私が光芒神聖教会を追い出されることになったのも、全部、全部……教会お前らの企みのせいだったのか」
男たちが来ていたのは結界から漏れ出した濃度の高い呪いの瘴気に耐性がある光芒神聖教会の衣装。
レンテーナの村の人々が呪いに侵されたこの事件には光芒神聖教会が関わっていたのだ。
自分たちの姿をみられてしまい、男たちは迷うことなくヴィルハートを始末しようと武器を取り出す。
だが呪いに侵され戦闘能力と狂暴性が増していたヴィルハートは自分の手のひらから血がにじみ出るほどに拳を強く握りしめ、全力で男たちに応戦したのだった。
「死ねぇヴィルハー……がッ!?」
「遅すぎる……」
「なっ!?貴様……ぎゃぁ!!」
「ご……がぁああ!!……かっ……」
先頭に居た男は短刀を取り出し大振りな攻撃で前に出たのだが、ヴィルハートはぬるりと懐に入り込み手刀で男の頸動脈を搔っ切る。
それに動揺した男たちに対し、ヴィルハートは頸動脈を切った男の手を短刀ごと握り1番傍に居た男の心臓を突き刺す。
そしてもう1人の男の首を掴むとそのまま躊躇いなく握りつぶしてしまったのだ。
「なっ……あ、殺しやがった!全員!」
「先に殺そうとしたのはお前たちの方だろう?」
「ひっ!ま、待ってくれ!殺そうとしたことは謝るから助けてくれ!」
仲間が一瞬でやられてしまった光景を目の当たりにし、1人残った男は戦意を失いヴィルハートに命乞いを始めた。
そんな男に対しヴィルハートは冷たい眼差しを向けながらゆっくりと歩み寄る。
「あのドラゴンの死体はなんだ?その指示を出したのはヒーナッツェか?貴様の知ってることをすべて話してもらう」
「し、知ってることを正直に話したら俺を助けてくれるんだな!?」
「早く喋れ。じゃないと殺す」
「ひぃ!!わ、わかりました!」
怯え切った男から情報を抜き出そうと、ヴィルハートは髪を掴み至近距離で男を睨みつける。
その圧に負けた男は助かりたい一心ですべてをヴィルハートに話したのだ。
男が話した事実はヴィルハートにとっては信じがたい物であった。
日頃から高額な依頼料を改善するよう進言していた自分のことをヒーナッツェは疎ましく思っていたこと。
偶然発見されたドラゴンの死体を利用して、自分を光芒神聖教会から追い出そうと計画したこと。
その話は彼にとって信じがたいものであったのは事実だが、同時に彼はどこか納得したような感覚と自分を貶めたヒーナッツェやそれに賛同する教会職員に強い怒りと恨みの感情を抱いていった。
「こ、これで俺が知ってることは全部だ!正直に話したから俺のことは助けてくれるんだろ?頼むよ!!」
「ああ。もちろんだ。もう行っていいぞ」
「へ、へへ。ありがとよ。それじゃあ俺はこれで……ぎゃぁああああ!!」
すべてを話し終えた男はヴィルハートに再度助けてもらえるように懇願する。
するとヴィルハートは意外にもすんなりと男を見逃すと言ったのだ。
その言葉に恐怖に染まっていた男の表情に色が戻る。
そうして男はすぐにこの場を立ち去ろうと振り返ったのだが……その直後、ヴィルハートの手刀の突きが男の心臓を貫いたのだ。
「な、んで……助けてくれるって……」
「いいだろう?一度希望を与えられてからの方が絶望が深くて」
その不意打ちは以前のヴィルハートならば絶対にすることはなかったであろう行動。
それ以前にどんな悪人であろうと決して命を奪うべきではないと考えていた彼が4人の命を奪ったことは、彼がもう完全に呪いに染まり別人へと変わってしまったことを強く物語っていた。
「光芒神聖教会……ヒーナッツェめ。必ず貴様らも同じ目に遭わせてやる」
ヴィルハートは殺意のこもった目つきでその洞窟を後にした。
自分に地獄を味あわせたヒーナッツェとその周辺の人間に復習をすると誓い、彼は一度姿をくらますことにしたのだ。
「おお!!ヴィルハートさんかい!?」
「ヴィルハートさん!?」
だが彼が洞窟を出て少し歩いていた所に、避難していたレンテーナの村の住民たちが姿を現したのだ。
彼はヒーナッツェ達への怒りに燃えていたせいで自分がどこへ向かっているのかもわからず、偶然村の住民たちが避難していたエリアの方向へ歩いていたのだった。
「あんた!?少し前に居なくなったっきりどこへ行っていたんだい!?」
「……こちらにもいろいろと事情がありまして。ただこの呪いが広まったのは……」
「それより早く俺たちを助けてくれよ!」
「そうよ!教会が聖職者を派遣しないせいでまだ大勢呪いに苦しんでるんだから!」
「いえ、それは……申し訳ありません。ずいぶん無茶をしてしまったせいでこれ以上解呪を行うのは……」
「なんだと!?ふざけるな!!」
「……!?」
ヴィルハートの前に現れたのは、彼がいなくなり呪いの解呪を行ってもらえなくなって苦しんでいたレンテーナの村の住民たち。
避難所にはまだ重症で動けない人もたくさんおり、彼らは早く解呪をして貰おうといなくなったヴィルハートを探していたのだ。
そんな村人たちにヴィルハートはもう今の自分には解呪を行えるだけの余裕がないと告げようとした。
しかし解呪が出来ないと伝えようとしたその瞬間、集まって来ていた村人たちは彼への態度を一変させたのだ。
「それがお前たち教会の仕事だろう!?まさか俺たちを見捨てようってか!?」
「ならせめて俺だけは助けてくれ!苦しくて苦しくて夜も寝られないんだ!」
「あなたは大人なんだから我慢しなさいよ!私の息子がずっと苦しそうで見てられないの!あの子だけでも助けてあげて!」
「あんた!!俺たちがこんなに苦しんでるのに見捨てるつもりなのか!?」
「……ッ!」
ヴィルハートがいなくなり、教会から追加の聖職者が派遣されることもなくレンテーナの村の住民たちは絶えることなく続く呪いの苦しみに精神面でも限界を迎えていた。
この呪いは精神を蝕む効果もある。
さらに呪いに関して素人である村人たちが今のヴィルハートの最悪なコンディションを察することなどできるはずが無く、彼らは解呪を断ろうとしたヴィルハートに不満を爆発させ詰め寄ったのだ。
「……どいてくれ」
「っ!?おい、どこに行くんだよ!」
「私はもう聖職者を辞めているんだ。貴様らを助ける義務はない」
今のヴィルハートに村人たちの呪いを引き受ける余裕はない。
それ以上に精神が荒み切った彼にはこの村人たちの言動は実に身勝手なものに映ったのだ。
もうヴィルハートには彼らが救うべき対象には見えなかった。
そうしてヴィルハートは村人たちを押しのけ、教会への復讐をするために行動を開始したのだった。
(私が復習を決意したのは間違っていない。教会は腐りきって……私が守るべきだと考えていた民たちも命を削ってまで助けるには値しない存在なのだ)
完全に闇に堕ちることに、ヴィルハートは若干の心残りがあった。
それは自分が呪いに染まれば弱者であるこの国の民は頼ることができる存在を失い絶望してしまうんじゃないかということ。
だから彼は、自分が死ぬ前に自分が守るべき清く正しい弱者は存在しなかったと証明したかったのだ。
一見大切な人を救うためには自分を犠牲にすることも厭わないと考えている目の前の2人の少年少女も、地獄の苦しみの果てに自身の死が目の前に迫れば自分の命を優先するんだと。
自分が己の弱さにより民を見捨てたのではなく、民が救うべき存在には値しないから自分が呪いに堕ちたのだと、死ぬ前にその確証が欲しかったのだ……
「さあ、答えろ。今ならその地獄の苦しみから救われるんだぞ?」
「……ノ……ヴァ、を……」
「っ!?」
「……ノヴァを……助けてください……」
「なん、だと……」
地獄の苦しみと死の恐怖に負け、エトナが自分のことを助けて欲しいと答えると踏んでいたヴィルハート。
しかしエトナは最後の力を振り絞り、自分ではなくノヴァを助ける様ヴィルハートにお願いしたのだった。
「正気か?助けるのは1人だぞ?貴様は死ぬんだぞ?」
「……」
死を目前にしても自分ではなく他者の命を優先するエトナをみて、ヴィルハートは信じられないと言った表情でエトナに質問を返す。
しかしそれでもエトナは小さく首を縦に振るだけであったのだ。
それを見たヴィルハートは言葉を失いながらノヴァの元に歩みを進めた。
(馬鹿な……人間、追い詰められれば醜いものだと……助ける価値がない存在、だったんじゃないのか……)
「……ガっ……ああぁ……」
「少年、貴様は……」
「ね……ぇ……んを……姉ちゃん、を……助けて……くだ、さい……」
「ッ!!」
エトナの覚悟を目の当たりにして聖職者でありながら闇に堕ちた自分の心の弱さに打ちひしがれるヴィルハート。
だがそんなヴィルハートに、意識を失っていたと思われていたノヴァが潰れた喉でエトナを助けて欲しいと懇願したのだ。
「これは、戦いの跡!?誰かいるのか!?」
「っ!?これは……」
するとそこへドラゴンゾンビを討伐し、ドラゴンゾンビの呪いと同じ強い気配を察知して駆けつけて来たアレスたちがヴィルハートの前に姿を現したのだった。
アレスたちは全速力でこの現場に辿り着くと、そこで驚きの光景を目にしたのだった。
「エトナさん!!ノヴァ君!!」
「ヴィルハートさん、あんた……」
それは呪いの気配を纏いながらも並べて寝かせたエトナとノヴァの2人に同時に解呪を施していたヴィルハートの姿だったのだ。
「……呪いは祓い終わったよ。ただこっちの少年はドラゴンの死体の一部を口にして重傷だ、早く手当てしないと解呪が無意味になるぞ」
「なんて傷……しっかりしてノヴァ君!!」
「少年……私は、どうすれば道を踏み外さないですんだのだろうか」
(これは……ヴィルハートさんの中の呪いの気配が剝がれかけてる!?)
「ヴィルハートさん……その命、俺に預けてくれませんか?」
「それが例え断罪の刃であっても。今の私には拒む資格はない……」
(剣聖……天朧解解!!)
呪いは解呪できてもドラゴンゾンビの肉片を口にしたノヴァは取り返しがつかないような大けがを負ってしまっていた。
その姿を見たソシアはすぐに回復魔法を施そうとノヴァに駆け寄る。
そんな中、アレスは呪いの気配に取り込まれていたはずのヴィルハートがその魂から呪いの気配が分離しかけていたことに気付き迷うことなく剣に手をかけたのだった。
「呪いの気配が……まさか、私は助かったのか?だが聖職者でありながら呪いに屈してしまった私に生きる価値などあるのだろうか……」
「それは今後のあなたの生き方次第じゃないですか。あなたに自分の過去を受け入れる勇気と変わろうとする強い意志があるならば」
抵抗する意思のないヴィルハートはアレスの剣を素直に受け入れた。
直後、迷いのないアレスの太刀筋が一瞬にしてヴィルハートめがけ煌めく。
そうしてアレスが通り過ぎた後には呪いから解放され静かに涙を流すヴィルハートの姿だけが残ったのだった。
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