【完結】この胸が痛むのは

Mimi

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第63話 アシュフォードside

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下城する侯爵を馬車まで見送る。
何を言えばいいのか、わからない俺に侯爵から話しかけられた。


「私の真意は別として。
 アグネスが殿下を求めるのであれば、邪魔は致しません」

「……」

「もう二度と、子供から嘘を付かれたり……これ以上は勘弁して欲しいですから。
 息子や娘の心まで、親が思うようにするのは無理ですね。
 思い知らされましたよ」

「……では、アグネスに」

「ご随意に。
 しかし、娘が貴方を拒否したなら。
 喜んで全力で、近付けないように致します。
 もう王命など聞く気はない」


バロウズは忠臣を失った……?
『お見送りありがとうございました』
そう言って、侯爵は扉を閉め、前を向き。
俺の方は見なかった。


そして、その日の内に侯爵家から書状が届いた。

『お探しのドレスは、こちらにはございませんでした。
たぶん、クラリスが持って逝ったのでしょう』と。


それと同封されていた、大臣職の暇願い。
2つを同時に届けさせる行為に、王家に対しての敬愛は少しも残っていないのを、思い知らされる。

それを受け取って、怒り、不敬だといきり立つかと思っていた王太子は。
静かに2通をびりびりと裂いた。

侯爵家に何かのお咎めを与えようとするなら、全身全霊をかけて阻止しようと決めていたが、王太子は何もしなかった。

あのドレスは何処にも無い物。
そう決まったのだ。


 ◇◇◇


そして、葬儀の日以来やっと会えた彼女から。
アグネスからの言葉に、俺は驚いた。

『殿下は好きな事をしてもいい、と仰っていた。
 私はトルラキアへ行きたい。
 ここから、しばらく離れたい』


来月、祖母と共にトルラキアへ行くと言う。
最初は母と姉を失った辛さから逃れるために、少しの間だけ祖母のところへ身を寄せるのかと思ったが、あの国の学校へ通うと聞かされた。


確かに俺はそう、3年前にアグネスに好きにして自由にして欲しい、そう言った……

君は君の望むように、思うようにしてくれたらいい、そんな事を告げた記憶はある。
ちゃんと覚えているし、その気持ちに嘘はない。
しかし、それはあくまでも俺の側で、なんて思っていたんだ。

自分だって、将来の為に彼女から離れてリヨンへ行くのに、俺はアグネスには何処へも行って欲しくなかったのだ。


『喜んで全力で近付けないように』
侯爵に言われたが……もしかして、トルラキア行きは侯爵が勧めた?


「お父上からも承諾は得たの? 旅券の申請も終わっているの?」

まだ12のアグネスが自分で決定したとは思えず、いや、思いたくなかった。
君が俺から離れていく?


「……父からは、お前の好きにしていいと。
 申請はまだです、今夜話して、手続きをして貰おうと思います」

「……」


アグネスが求めるのであれば。
侯爵から聞いたそれは俺の事だけではなく、全てにおいて、なのか。


これから物理的に離れてしまうが、気持ちは離れたくなくて。
今日、必ず聞いて貰おうと決めていた、その話をしたくて。


「今日は今まで言えなかったことを話して、もしも君が許してくれるなら、婚約を申し込みたかった」

婚約、と言う言葉にアグネスは、目を見開いた。
いつもは落ち着いた青い眼差しが、頼りなく左右に揺れ始めた。
そんなに驚くことかな、まだ12だからか。


側に居て守れないのなら、約束などしない方がいいか、と迷っていたけれど。
やはり、きちんと形にして、彼女を送り出したいと思った。
俺の話を聞いて嫌われても、トルラキアへ旅立つ前に何度でも会いに来て話をしようと思って……


「お父上やプレストンからドレスの話は聞いていない?
 あれは俺の、俺の馬鹿な俺のせいで、君のお母上とクラリスが亡くなってしまったのは、俺の……」


俺のせいだと続けようとしたら、アグネスが苦しそうに胸を押さえた。
顔色が白くなり、小刻みに震える。
呼吸が乱れて、浅い息を何度も短い間隔で繰り返して。

何かの発作か?
倒れそうな彼女を抱き締めて、名前を呼び背中を擦る。
ハッハッと、短い呼吸を繰り返し、吸い続けるばかり。
耳元で落ち着いて呼吸をするように伝えるが、聞こえているのだろうか。 

アグネスを抱擁したのは何度も無いので、自信は無いが。
以前より痩せた気がする。
本人は食べていると言うが、ちゃんとした量を食べていないんじゃないか。
睡眠の方も充分じゃないから疲れが貯まっているんじゃ……


「吸うよりも吐いて、ゆっくり息を吐いて……」

俺の護衛も、彼女の侍女も、人払いをさせていたので、自分で何とかしようと。
家族を失った心労から倒れそうになったアグネスが健気で、
俺が何とかしないと、と愛しくて。
ただただ大切で愛おしくて。

君がここを離れたいと言うなら、反対などしない。
それで健康を取り戻してくれるなら。
おばあ様が側に付いてくださるなら安心だ。
あの国にはアンナリーエ嬢も居る。
君が笑顔を取り戻せるなら……

確か祖母も、1年に1回はこっちに戻らねばならないのじゃなかったか。
アグネス自身も留学旅券なら、2年に1度は更新しなくてはならないよな。
俺がリヨンから戻ってきたら、直ぐにトルラキアに会いに行けばいい。
そんな事を考えたら、彼女が彼の国へ行くのは良い事ばかりな気もしていた……この時は。


 ◇◇◇


リヨンに赴いて、それなりにバロウズの表外交は成功したと思えるようになったのは、王太子の見立てた通り、3年後だった。

レイとカランは俺と帰国するが、ライアンはこちらに移住を許された。
シモーヌ公女にトラップを仕掛けたはずが、本気の恋に発展して、結婚することになった。
これからは外交官がリヨン王宮の表を、ライアンが裏を知らせてくれる。

恋多き男が落ち着けるか心配だったが、本人は
『もう充分に遊びました、これからはマルゴだけです』と言うのを信じるしかない。

フォンティーヌ女王陛下は今まで、自分を抑えていらっしゃったのか、持ち前のカリスマ性を遺憾無く発揮されるようになり、素晴らしい采配ぶりを見せた。

バロウズとの領海についても、それほどリヨンに打撃を与えるでもなく、さりとてこちらが不満に思うほどでもない、微妙な塩梅の折衷案を出してきた。
王太子からの指示と、外交官と俺の現場の空気感を併せて、最善の所に落ち着けたと自負している。

遣り甲斐のある3年だった。
最後まで『アシュ、帰るなよ』と言ってくれたのが、元ラニャンの王子で王配のクライン殿下だった。
クライン殿下とは、ラニャンの酒を飲み、歌を唄い、ラニャン女性の素晴らしさを聞かされた。
彼には母国に愛する女性が居たが、義務を受け入れ婿入りをしたと、ラニャン語で打ち明けてくれた。
『女王陛下は尊敬出来る御方だし、隣に立てる俺はラニャン王族の中では幸せな部類だ』と。


バロウズに帰国して、報告や何だかんだと終えた。
レイとカランには長めの休暇を与えて、護衛を2人だけ伴って俺はトルラキアへ向かった。

3年間アグネスとは便りをやり取りしていた。
要らない圧力は与えたくなくて、具体的な将来の事は綴らず、リヨンでの日常を知らせた。
アグネスからの手紙も同様で、祖母やアンナリーエ嬢との交流を知らせてくれていた。

彼女の本当の帰国まで、後3年。
トルラキアの貴族高等学院を卒業するのだと決めているようだ。
だが、デビュタントはバロウズで行う。
今回はそれについて打ち合わせもしたかった。
予定通り、アグネスのデビューは俺が全て整えたかった。

この日に伺います、と祖母の前伯爵夫人にも伝えていた。
歓迎をしていただき、学院から帰宅するアグネスを待つ間に、お土産を渡し、歓談する。

3年ぶりに会う15の君はもう少女ではなく、女性になっているだろう。
早く会いたい気持ちをうまく隠せて居るだろうか。

アグネスの帰宅を執事が知らせてきた。
夫人と共に迎えに出る。
馬車から降りてくるアグネスの手を取りたくて。

だが、最初に降りてきたのは男で……
その男の手を取り、アグネスが降りてきた。
彼女と同じ制服を着た若い男。

俺を見たその目は、挑むように赤く輝いていた。
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