かきまぜないで

ゆなな

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3章

3話

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「あれ……おれ……?」
 気付くと何処か暖かくて柔らかい場所に寝かせられていて、高弥はたじろいだ。
「あ……よかった。高弥くん、トイレから出たところで倒れたんだよ。脳貧血の症状かなと思ったから此処で様子を見てたんだけど」
 心配そうな顔でユキが覗き込んでいた。
 よく高弥が学生の頃泊めてもらっていた客間のベッド。
「すみません、心配かけて」
 高弥が掠れた声で言ったとき、ちょうど永瀬も部屋に入ってきた。
「飲めるか?」
「ありがとうございます」
  そっと躯を起こして、グラスに注がれた水を受け取る。
「また気持ち悪くなっちゃうかもしれないから、少しずつ飲んだ方がいい。俺も『そう』だったから」
 ユキの言葉にはじかれたように高弥は顔を上げた。
「やっぱりそうなのかい?」
 尋ねたユキは入院しているときに毎日見せてくれた小さな患者を安心させるような優しい顔だった。高弥はもう何も隠せずに素直に頷いた。
「そっか。病院にはもう行ったの?」
 ユキは高弥が身を起こしたベッドに腰掛けて、高弥の背に手を当てて言った。
「はい。昔ユキ先生に教えてもらったオメガの専門医の高梨先生のところに今も通ってるんで、先生に妊娠の確認をしてもらいました。高梨先生もすごく驚いていたけれど、ちゃんと赤ちゃんの心拍まで確認できました」
 そう言って自身のお腹にそっと触れた高弥の言葉にユキは
「高弥くんは子供を持つのは難しいかなと思ってたから、すごく嬉しい。おめでとう」
と言って高弥のことをぎゅっと抱き締めた。
 ユキの優しい香りにほっと息が漏れた。
「ありがとうございます……誰にも祝福されないかと思ってたから嬉しい……」
 そう言う高弥をユキは幼子にするようにそっと頭を撫でた。
「高弥、お腹の子の父親は陽介だな?」
 傍らで見守っていた永瀬が静かに口を開いた。沢村が帝大医学部に在学中の頃、永瀬は帝大付属病院にて勤務医の傍ら講師を務めており、大学でも授業をしていたことから二人の縁は続いていた。永瀬が病院を設立する際には永瀬が直々に沢村をスカウトしたという自慢話を沢村から高弥は聞いていた。病院の職員食堂でばったり会って何度となく3人で昼食を共にしたこともあるが、ここで永瀬の口から沢村の名前である『陽介』が出てきて不覚にも動揺してしまった。
 傍目から見てもわかるほどに動揺した高弥を見てユキは驚いて目を瞠り、永瀬はやっぱりそうか、と溜め息を吐いた。
「 職場の近しい人間でなければ、職場を変わる必要は無いだろう。君たちは院内でもよく一緒に居たからそうなんじゃないかと思っていたんだよ。陽介は何て言って……ってあのバカに話せていたら此処には陽介と一緒に来てるはずだな」
「でも……沢村くんは高弥くんの恋人、なんだよね?」
 ユキの心配気な顔を見ると本当のことは言い難かったが、嘘を吐くこともできず、静かに首を横に振る。その表情と仕草で永瀬には全て伝わったらしい。
「凡その事情はわかった。 あいつが君を気に入っているのをわかっていたのに、消化器外科に君を配置したのは俺だったな。陽介は外科医としてはこれ以上ない逸材だから高弥にとっていい勉強になると思ったのと、陽介も高弥ももう大人になったから問題ないと判断したわけだが、申し訳ない」
 いつも明瞭でわかりやすい永瀬の言葉の意味が珍しく半分くらい高弥には正しく伝わっていなかったが、永瀬の謝罪の言葉に
「永瀬先生、謝らないで下さい。沢村先生とは……会えてよかったと思ってます。ただ沢村先生結婚するみたいだから、妊娠してることは先生には伝えないで欲しいんです」
 高弥が静かにそう答えると
「そんなのって……っ」
 ユキが泣きそうな顔で言いかけたセリフを永瀬は静かに制すると言った。
「わかった。高弥、君の希望どおりにしよう。新しい勤務地も東京と離れた方がいいなら北陸の方の病院にも伝手がある。あいつをボストンにやってたのは助かったな。勘づかれないうちに、直ぐにでも其処に行けるようにしておく。子供がいても差し支えなく働けるように手配する。大丈夫だから心配しないでとりあえず君は今夜はもう寝なさい。酷い顔色だ」
 永瀬の言葉を聞くと、ひどく先行きが不安だった気持ちが少し楽になった。頼ってばかりで情けないが永瀬が大丈夫だと言ってくれたのなら安心なのだ。そう感じると突然睡魔が高弥を襲ってきて、柔らかなベッドに吸い込まれるように高弥は眠りに就いた。眠りに落ちていく途中で、ユキが心配そうな声で永瀬と話しているのが聞こえて、申し訳なく思ったけれども、もう目を開けることは出来なかった。
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