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第15話 独占欲とマーキング
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薄暗い会場の中、幕が開くのを私たちは待っていた。
並んで4人、座っている。
私の右隣が陽花里で、いつものように、私の手をぎゅっと握りしめている。陽花里の手は柔らかくて、私が指を動かしたらすぐに反応してくれて面白い。
左隣に座っているのは紫苑さん。
紫苑さんは私の手をとろうとはしないけど、かわりにずっと喋りかけてくる。
「そろそろ公演始まりますよ」
「始まったら黙るよ」
「せっかく葵からチケットもらったのに、やっぱり連れてくるんじゃなかった…」
「凛のふたごなんだって?楽しみだねぇ」
葵が入っている劇団の演劇が行われるというので、渡されたチケットをつかって私たちは鑑賞に来ていた。
いろいろな刺激が欲しい、と紫苑さんがいい、紫苑さんの行動には基本的に反対しない色葉さんが同意し、陽花里は私が一緒にいたかったから誘った。
なんだかんだで、この4人で動くことが多くなってきたな、と思う。
「私も、葵さん見るの楽しみ」
「そういえば陽花里も…葵をみたこと、無かったんだっけ?」
「うん。凛ちゃんからはいつも話を聞いているから、そんな気はしないけど…」
なんか、不思議。
私はいつも葵に会っているのに、そんな葵をみんな知らないんだ。
私と同じ顔してるから、葵をみたら、みんなどんな反応するんだろう?少しばかり、悪戯心が芽生えてくる。
「幕があがるね」
隣の隣、紫苑さんの隣から色葉さんの声が聞こえてきた。
そんなに大きい会場ではない、劇場といっても小規模なところだ。
(今日の演目は…たしか…)
ロミオとジュリエット。
ふと、懐かしく思う。
私が中学の時、文化祭でクラスの出し物をしたことがある。その時の演目も、ロミオとジュリエットだった。私は劇に出ることはなく裏方だったんだけど、ジュリエット役をやっていたのは…当時からずっと私が大好きだった、未来だった。
(未来…)
私の、好きな人。
初めて出会ったのは中学生の時だから、13歳の時になるのか。今、私は20歳。もう7年たつのか…7年。長いような、短いような。
高校を卒業してからは会っていないから、実質、未来と一緒にいたのは5年間だけ。でもこの5年間が、私の全てを奪っていってしまっていた。
(あ)
手が、握られた。
ううん、ずっと握られていた手が、ぎゅっと、もう一度、強く握られた。
(凛ちゃん…大丈夫?)
心配そうな瞳で、陽花里が囁いてくれている。私を見つめてくるその瞳は、本当に、私だけしか見ていなくて。心が届いてくるのに、答えてあげられないのを申し訳なく思う。
(うん、ごめんね。大丈夫。始まるから、一緒に見よう)
(…うん)
ほほ笑んでくれる。劇場内の薄暗い照明の中でも、陽花里の可愛らしさが損なわれることはない。パンケーキみたいに柔らかくて、でも中身は情熱的。そんな陽花里の手の感触を感じながら、私は前を見る。
(…あの時、葵、何の役やっていたかな…)
中学の文化祭。ロミオとジュリエット。
いろいろ、あったな…
昔を思い返し、いい思い出と、ほろ苦い思い出と、後悔と反省が私を包み込み、そして幕があがり…
私は、圧倒された。
■■■■■
高校生の演劇と比べるのはおこがましい。
そんなことは頭で分かっているけど、現実に見るとまったく違っていた。
葵は、ロミオだった。
私の知っている葵はそこにはいなかった。
別の人間が、そこには立っていた。
右を見る。
陽花里が、目を輝かせながら、舞台を見ている。さっきまで私を見つめていたその瞳で、舞台の上の葵を…ロミオを見ている。輝いているその瞳が私に向けられていないのが分かって、少し寂しくなった私はたぶん我儘なのだろう。
(…)
左を見る。
紫苑さんが、息を吞んでいた。
普段、あんなに傲慢で、我儘で、唯我独尊で、それでいて人を惹きつけてやまない紫苑さんが、舞台に魅入られていた。
(葵のロミオ…じゃない)
紫苑さんが見つめているのは、ジュリエットだった。
葵のロミオの恋の相手、ジュリエット。
舞台の上のジュリエットは、優雅で、壮麗で、柔らかそうで、魅力的で。
(…なんか、嫌だな)
ちくり、と胸が痛んだ。
紫苑さんが私を見ていない、ただ、それだけのはずなのに、私以外の相手に心を奪われているのを見るのが、なんか嫌だった。
(私…何考えているんだろう)
陽花里と、紫苑さん。
2人とも、私に告白をしてくれて、そして二人とも、私は選ばなかった。なのに、その2人に私を見て欲しい、って思っている。
(キープしてるんでしょう?)
色葉さんに、そんなことを言われたことがある。
あの人は、鋭い。
色葉さんはいつも紫苑さんを見ているから、紫苑さんが見る私を、紫苑さんよりもくっきりと見ているのかもしれない。
『ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?』
ジュリエットの言葉。愛されている女の言葉。
引き込まれる。
みんな、引き込まれている。
劇の最後に、ジュリエットは死ぬ。
ロミオも死ぬ。
愛し合ったものは、みんな死ぬ。
私の未来は…私の愛は。
同じように、みんな死んでしまうのかな。
■■■■■
劇が終わり。
何度も何度も、拍手をした。
隣で陽花里がボロボロに泣いていた。可愛い顔が涙でぐしゃぐしゃになっていて、私は鞄からハンカチをだして拭いてあげる。
「よかった…ね…」
濡れたハンカチにふかれながら、陽花里はそう呟いていた。何がよかったのかな、と思う。劇がよかったんだろうな、と思うことにする。
紫苑さんが黙っているのが気にかかる。
普段ならあることないこと喋りまくる紫苑さんが、ずっと押し黙っている。
真剣な横顔。なぜか、胸がちくちくする。さっきから何なんだろう、この感覚は。
「帰りましょうか」
みんなを促したのは、色葉さん。
目立たないけど、私たちの中心にいるのは、実はこの人なんじゃないかな、と思うことが多々ある。私たちの関係の屋台骨。色葉さんが支えてくれているから、いびつな私たちが崩壊しなくてすんでいるんじゃないだろうか。
「そうですね…」
と私が答えた時、スマホが鳴った。
劇の最中はもちろん電源を切っていた。終わったからつけたのに、つけたからか、メッセージが入ってくる。
見てみると、葵からだった。
「あの…紫苑さん」
恐る恐る、語り掛けてみる。
伝えたいような、でも、なぜか、私の中の何かが、伝えたくない、とも言っている。たぶん空耳。だから…無視しよう。
「葵が…会いませんか、って」
■■■■■
関係者でもないのに、いや、関係者ではあるのかな。
出演者の家族というのは、関係者といってもいいのだろうか。
私と、陽花里と、紫苑さんと色葉さんの4人は、劇場の外に出るのではなく、奥に入っていった。
人の流れの反対、まるで川を昇る鮭みたい、と思った。産卵のために上る鮭を待っているのは、出産後にボロボロになって死ぬか、途中でクマに食べられるか、どちらにせよ破滅だけ、なんて思う。
どうしてそんなこと想ってしまったのだろう。
紫苑さん。
別に好きでもない人。うん。好きじゃない、と思う。
好き、と思ったことが、ある。
好きかもしれない。
私は暖かい陽花里の手を握ったまま、そんな卑怯なことを考えていた。
扉をあける。
劇団の人がいる。
どうして私たち、ここにいるのだろう。
「凛!」
私の姿を見て、まだロミオの格好をしたままの葵が駆け寄ってきた。
汗が、輝いている。
普段私に見せる姿と違う、役者、としての葵。
役者から私の葵へと戻る。
「来てくれた」
「うん、かっこよかったよ、凛」
「…嬉しい」
近い。
もとは私と同じ顔だった葵は、20年たって役者になり、私と違った人生を送っている。手が、ぎゅっと握られた。隣の陽花里が、私の手を何度も何度も、ぎゅっぎゅってしている。
「は、はじめまして…」
なぜか、陽花里がすごく緊張しているのが伝わってきた。
私と同じ顔だから?もうけっこう違うと思うんだけどな。
「あなたが、凛の…おともだちの、陽花里さん?」
おともだち、という単語を強調する。
私に向けていた優しい瞳ではなく、すっと、空気が抜けていったような気がする。
「は、はい。陽花里です。三崎陽花里っていいます。凛ちゃんには…」
いつも、優しく、してもらっていて…
と陽花里が喋っているのを遮るように、葵がすっと顔を近づけてきた。
鼻が動く。
「…この匂い」
葵が、ぽそっとつぶやいた。
陽花里を見つめるその瞳の中に、ぽっと、蒼い炎が宿ったような気がする。私の気のせい…じゃないと思う。葵と私は、離れた部分も多くなってきたけど…それでもまだ、繋がっているところが多いのだから。
葵は、私の首筋に手を伸ばしてきた。
指先で、ちょんと、触ってくる。
撫でるように、線を描くように。
いつも。
酔った時に。
陽花里が…舐めてくる、その首筋を。
「凛」
そういうと、葵は、陽花里をみながら、まるで見せつけるように、舌を伸ばして私の首筋をぺろりと舐めてきた。
「いきなり何するの、葵!」
「…マーキング」
首筋が冷い。葵の唾液が私の首筋に残る。まるで…もう見えない残っていないはずの、陽花里が私につけた痕を上書きするように、葵は私を独占しようとしていた。
陽花里は、お酒が入っていない。
だけど、劇を見た後で興奮しているからか、まるでお酒を飲んだ時のように顔を真っ赤にしている。
そして。
信じられない行動をとる。
「凛ちゃん」
いきなり私に抱き着いてくると、その可愛らしい唇をあけて、舌を出して、ちらりと私の隣にいる葵に向かってまるで挑発するような視線をむけた後、ぺろっと、舐めてくる。
先ほど、葵が舐めた私の首筋を。
舐めとるように、舐めて、吸い付いてくる。
陽花里の唇の感触。
暖かい。
そして、くすぐったい。
小さな陽花里が私に抱き着いて、舐めてきて、まるで可愛い子犬がじゃれてきているみたいな気持ちになる。
…気持ちいい。
「あなた、ね…」
「ごめんなさいっ」
睨みつけてくる葵に対して口では謝りながら、それでも私を舐めるのをやめようとしない。
衆人環視の中、何やっているのだろうか。
陽花里、こんなに周りを見ない子…だったかな。
そんな私たちを見て、色葉さんはケラケラと笑っていた。指までさしている。普段落ち着いて見えるけど、でも、この人が一番、たぶんとんでもない悪い人だと思う。
そんな私たちを尻目に、紫苑さんはジュリエット役をしていた人の前に立っていた。
真剣な瞳。
こんな紫苑さんは…見たことが無いかも。
「素敵でした」
「あら、ありがとう」
「お名前、教えてもらってもいいでしょうか?」
「ふふ。ポスターにちゃんと書いてあるわよ」
「いいえ。あなたの口から、聞きたいんです」
「そうねぇ…じゃぁ、先にあなたの名前から教えてもらってもいい?」
「風見紫苑です」
「紫苑、いい名前ね。芸名みたい」
「私は伝えました。あなたは?」
「水無月詩織」
この劇団の…エースよ、と笑っていう。
私は陽花里にくっつかれながら、そんな紫苑さんとジュリエットの人の姿をじっと見つめていた。
首筋が気持ちいい。
陽花里に触られるのは気持ちいい。
でも、なんか、この2人を見ていたら…心がぞわぞわする。
綺麗な人。
紫苑さんの綺麗さとは違う。
紫苑さんは…持って生まれた、隠しても隠せない、華やかな美しさ。
対してジュリエットは…水無月詩織さん、と言っていたかな。葵の劇団の先輩であるこの人は…なんか違う。
(水無月詩織)
そういえば、葵からよく名前を聞くな。
普段、私以外に興味を抱かない葵が、なぜかよく口にする名前。
劇団で、尊敬する人がいるって。
あんな人になりたい、って。
それが…この人なのか。
綺麗。
たしかに、綺麗。
でも…どうしてだろう。
さっきから…ずっと、ぞわぞわが…止まらない。
「私は、中身がないんです。からっぽなんです」
「あら、初対面の人に向かって、いきなり何を言っているのかしら」
「私は名乗りました。もう初対面じゃありません」
「変な子ね」
「あなたは…」
紫苑さんは、真剣な目で、水無月さんを見ていた。
先ほどまで、ジュリエットだった人を見ていた。
美しい女性。
主役。
華やか。
光。
綺麗な指。
すらりとしたウェスト。
きめ細やかな肌。
まつげ。
瞳。
紅い唇。
挑戦的な瞳。
完璧な…憧れる、女性。
「男、ですよね?」
紫苑さんはそう尋ね、ジュリエットは笑った。
心から、楽しそうに。
低い、声で。
並んで4人、座っている。
私の右隣が陽花里で、いつものように、私の手をぎゅっと握りしめている。陽花里の手は柔らかくて、私が指を動かしたらすぐに反応してくれて面白い。
左隣に座っているのは紫苑さん。
紫苑さんは私の手をとろうとはしないけど、かわりにずっと喋りかけてくる。
「そろそろ公演始まりますよ」
「始まったら黙るよ」
「せっかく葵からチケットもらったのに、やっぱり連れてくるんじゃなかった…」
「凛のふたごなんだって?楽しみだねぇ」
葵が入っている劇団の演劇が行われるというので、渡されたチケットをつかって私たちは鑑賞に来ていた。
いろいろな刺激が欲しい、と紫苑さんがいい、紫苑さんの行動には基本的に反対しない色葉さんが同意し、陽花里は私が一緒にいたかったから誘った。
なんだかんだで、この4人で動くことが多くなってきたな、と思う。
「私も、葵さん見るの楽しみ」
「そういえば陽花里も…葵をみたこと、無かったんだっけ?」
「うん。凛ちゃんからはいつも話を聞いているから、そんな気はしないけど…」
なんか、不思議。
私はいつも葵に会っているのに、そんな葵をみんな知らないんだ。
私と同じ顔してるから、葵をみたら、みんなどんな反応するんだろう?少しばかり、悪戯心が芽生えてくる。
「幕があがるね」
隣の隣、紫苑さんの隣から色葉さんの声が聞こえてきた。
そんなに大きい会場ではない、劇場といっても小規模なところだ。
(今日の演目は…たしか…)
ロミオとジュリエット。
ふと、懐かしく思う。
私が中学の時、文化祭でクラスの出し物をしたことがある。その時の演目も、ロミオとジュリエットだった。私は劇に出ることはなく裏方だったんだけど、ジュリエット役をやっていたのは…当時からずっと私が大好きだった、未来だった。
(未来…)
私の、好きな人。
初めて出会ったのは中学生の時だから、13歳の時になるのか。今、私は20歳。もう7年たつのか…7年。長いような、短いような。
高校を卒業してからは会っていないから、実質、未来と一緒にいたのは5年間だけ。でもこの5年間が、私の全てを奪っていってしまっていた。
(あ)
手が、握られた。
ううん、ずっと握られていた手が、ぎゅっと、もう一度、強く握られた。
(凛ちゃん…大丈夫?)
心配そうな瞳で、陽花里が囁いてくれている。私を見つめてくるその瞳は、本当に、私だけしか見ていなくて。心が届いてくるのに、答えてあげられないのを申し訳なく思う。
(うん、ごめんね。大丈夫。始まるから、一緒に見よう)
(…うん)
ほほ笑んでくれる。劇場内の薄暗い照明の中でも、陽花里の可愛らしさが損なわれることはない。パンケーキみたいに柔らかくて、でも中身は情熱的。そんな陽花里の手の感触を感じながら、私は前を見る。
(…あの時、葵、何の役やっていたかな…)
中学の文化祭。ロミオとジュリエット。
いろいろ、あったな…
昔を思い返し、いい思い出と、ほろ苦い思い出と、後悔と反省が私を包み込み、そして幕があがり…
私は、圧倒された。
■■■■■
高校生の演劇と比べるのはおこがましい。
そんなことは頭で分かっているけど、現実に見るとまったく違っていた。
葵は、ロミオだった。
私の知っている葵はそこにはいなかった。
別の人間が、そこには立っていた。
右を見る。
陽花里が、目を輝かせながら、舞台を見ている。さっきまで私を見つめていたその瞳で、舞台の上の葵を…ロミオを見ている。輝いているその瞳が私に向けられていないのが分かって、少し寂しくなった私はたぶん我儘なのだろう。
(…)
左を見る。
紫苑さんが、息を吞んでいた。
普段、あんなに傲慢で、我儘で、唯我独尊で、それでいて人を惹きつけてやまない紫苑さんが、舞台に魅入られていた。
(葵のロミオ…じゃない)
紫苑さんが見つめているのは、ジュリエットだった。
葵のロミオの恋の相手、ジュリエット。
舞台の上のジュリエットは、優雅で、壮麗で、柔らかそうで、魅力的で。
(…なんか、嫌だな)
ちくり、と胸が痛んだ。
紫苑さんが私を見ていない、ただ、それだけのはずなのに、私以外の相手に心を奪われているのを見るのが、なんか嫌だった。
(私…何考えているんだろう)
陽花里と、紫苑さん。
2人とも、私に告白をしてくれて、そして二人とも、私は選ばなかった。なのに、その2人に私を見て欲しい、って思っている。
(キープしてるんでしょう?)
色葉さんに、そんなことを言われたことがある。
あの人は、鋭い。
色葉さんはいつも紫苑さんを見ているから、紫苑さんが見る私を、紫苑さんよりもくっきりと見ているのかもしれない。
『ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの?』
ジュリエットの言葉。愛されている女の言葉。
引き込まれる。
みんな、引き込まれている。
劇の最後に、ジュリエットは死ぬ。
ロミオも死ぬ。
愛し合ったものは、みんな死ぬ。
私の未来は…私の愛は。
同じように、みんな死んでしまうのかな。
■■■■■
劇が終わり。
何度も何度も、拍手をした。
隣で陽花里がボロボロに泣いていた。可愛い顔が涙でぐしゃぐしゃになっていて、私は鞄からハンカチをだして拭いてあげる。
「よかった…ね…」
濡れたハンカチにふかれながら、陽花里はそう呟いていた。何がよかったのかな、と思う。劇がよかったんだろうな、と思うことにする。
紫苑さんが黙っているのが気にかかる。
普段ならあることないこと喋りまくる紫苑さんが、ずっと押し黙っている。
真剣な横顔。なぜか、胸がちくちくする。さっきから何なんだろう、この感覚は。
「帰りましょうか」
みんなを促したのは、色葉さん。
目立たないけど、私たちの中心にいるのは、実はこの人なんじゃないかな、と思うことが多々ある。私たちの関係の屋台骨。色葉さんが支えてくれているから、いびつな私たちが崩壊しなくてすんでいるんじゃないだろうか。
「そうですね…」
と私が答えた時、スマホが鳴った。
劇の最中はもちろん電源を切っていた。終わったからつけたのに、つけたからか、メッセージが入ってくる。
見てみると、葵からだった。
「あの…紫苑さん」
恐る恐る、語り掛けてみる。
伝えたいような、でも、なぜか、私の中の何かが、伝えたくない、とも言っている。たぶん空耳。だから…無視しよう。
「葵が…会いませんか、って」
■■■■■
関係者でもないのに、いや、関係者ではあるのかな。
出演者の家族というのは、関係者といってもいいのだろうか。
私と、陽花里と、紫苑さんと色葉さんの4人は、劇場の外に出るのではなく、奥に入っていった。
人の流れの反対、まるで川を昇る鮭みたい、と思った。産卵のために上る鮭を待っているのは、出産後にボロボロになって死ぬか、途中でクマに食べられるか、どちらにせよ破滅だけ、なんて思う。
どうしてそんなこと想ってしまったのだろう。
紫苑さん。
別に好きでもない人。うん。好きじゃない、と思う。
好き、と思ったことが、ある。
好きかもしれない。
私は暖かい陽花里の手を握ったまま、そんな卑怯なことを考えていた。
扉をあける。
劇団の人がいる。
どうして私たち、ここにいるのだろう。
「凛!」
私の姿を見て、まだロミオの格好をしたままの葵が駆け寄ってきた。
汗が、輝いている。
普段私に見せる姿と違う、役者、としての葵。
役者から私の葵へと戻る。
「来てくれた」
「うん、かっこよかったよ、凛」
「…嬉しい」
近い。
もとは私と同じ顔だった葵は、20年たって役者になり、私と違った人生を送っている。手が、ぎゅっと握られた。隣の陽花里が、私の手を何度も何度も、ぎゅっぎゅってしている。
「は、はじめまして…」
なぜか、陽花里がすごく緊張しているのが伝わってきた。
私と同じ顔だから?もうけっこう違うと思うんだけどな。
「あなたが、凛の…おともだちの、陽花里さん?」
おともだち、という単語を強調する。
私に向けていた優しい瞳ではなく、すっと、空気が抜けていったような気がする。
「は、はい。陽花里です。三崎陽花里っていいます。凛ちゃんには…」
いつも、優しく、してもらっていて…
と陽花里が喋っているのを遮るように、葵がすっと顔を近づけてきた。
鼻が動く。
「…この匂い」
葵が、ぽそっとつぶやいた。
陽花里を見つめるその瞳の中に、ぽっと、蒼い炎が宿ったような気がする。私の気のせい…じゃないと思う。葵と私は、離れた部分も多くなってきたけど…それでもまだ、繋がっているところが多いのだから。
葵は、私の首筋に手を伸ばしてきた。
指先で、ちょんと、触ってくる。
撫でるように、線を描くように。
いつも。
酔った時に。
陽花里が…舐めてくる、その首筋を。
「凛」
そういうと、葵は、陽花里をみながら、まるで見せつけるように、舌を伸ばして私の首筋をぺろりと舐めてきた。
「いきなり何するの、葵!」
「…マーキング」
首筋が冷い。葵の唾液が私の首筋に残る。まるで…もう見えない残っていないはずの、陽花里が私につけた痕を上書きするように、葵は私を独占しようとしていた。
陽花里は、お酒が入っていない。
だけど、劇を見た後で興奮しているからか、まるでお酒を飲んだ時のように顔を真っ赤にしている。
そして。
信じられない行動をとる。
「凛ちゃん」
いきなり私に抱き着いてくると、その可愛らしい唇をあけて、舌を出して、ちらりと私の隣にいる葵に向かってまるで挑発するような視線をむけた後、ぺろっと、舐めてくる。
先ほど、葵が舐めた私の首筋を。
舐めとるように、舐めて、吸い付いてくる。
陽花里の唇の感触。
暖かい。
そして、くすぐったい。
小さな陽花里が私に抱き着いて、舐めてきて、まるで可愛い子犬がじゃれてきているみたいな気持ちになる。
…気持ちいい。
「あなた、ね…」
「ごめんなさいっ」
睨みつけてくる葵に対して口では謝りながら、それでも私を舐めるのをやめようとしない。
衆人環視の中、何やっているのだろうか。
陽花里、こんなに周りを見ない子…だったかな。
そんな私たちを見て、色葉さんはケラケラと笑っていた。指までさしている。普段落ち着いて見えるけど、でも、この人が一番、たぶんとんでもない悪い人だと思う。
そんな私たちを尻目に、紫苑さんはジュリエット役をしていた人の前に立っていた。
真剣な瞳。
こんな紫苑さんは…見たことが無いかも。
「素敵でした」
「あら、ありがとう」
「お名前、教えてもらってもいいでしょうか?」
「ふふ。ポスターにちゃんと書いてあるわよ」
「いいえ。あなたの口から、聞きたいんです」
「そうねぇ…じゃぁ、先にあなたの名前から教えてもらってもいい?」
「風見紫苑です」
「紫苑、いい名前ね。芸名みたい」
「私は伝えました。あなたは?」
「水無月詩織」
この劇団の…エースよ、と笑っていう。
私は陽花里にくっつかれながら、そんな紫苑さんとジュリエットの人の姿をじっと見つめていた。
首筋が気持ちいい。
陽花里に触られるのは気持ちいい。
でも、なんか、この2人を見ていたら…心がぞわぞわする。
綺麗な人。
紫苑さんの綺麗さとは違う。
紫苑さんは…持って生まれた、隠しても隠せない、華やかな美しさ。
対してジュリエットは…水無月詩織さん、と言っていたかな。葵の劇団の先輩であるこの人は…なんか違う。
(水無月詩織)
そういえば、葵からよく名前を聞くな。
普段、私以外に興味を抱かない葵が、なぜかよく口にする名前。
劇団で、尊敬する人がいるって。
あんな人になりたい、って。
それが…この人なのか。
綺麗。
たしかに、綺麗。
でも…どうしてだろう。
さっきから…ずっと、ぞわぞわが…止まらない。
「私は、中身がないんです。からっぽなんです」
「あら、初対面の人に向かって、いきなり何を言っているのかしら」
「私は名乗りました。もう初対面じゃありません」
「変な子ね」
「あなたは…」
紫苑さんは、真剣な目で、水無月さんを見ていた。
先ほどまで、ジュリエットだった人を見ていた。
美しい女性。
主役。
華やか。
光。
綺麗な指。
すらりとしたウェスト。
きめ細やかな肌。
まつげ。
瞳。
紅い唇。
挑戦的な瞳。
完璧な…憧れる、女性。
「男、ですよね?」
紫苑さんはそう尋ね、ジュリエットは笑った。
心から、楽しそうに。
低い、声で。
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