神様は身バレに気づかない!

みわ

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第一章

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 白砂に彩られた庭の一角、小さな小屋の中には、香木の香りと仄かな湯気が立ち込めていた。

 微かに湿った空気の中、木桶に浸された枝がほどよく柔らかくなっていく。

 ――みつまたやなぎ。

 それは、シオンが改造した庭へ植えた樹木である。この世界には存在しない名でありながら、その枝は見事な三叉に分かれ、白く滑らかな繊維を秘めていた。

 小屋の中、シオンは布を巻いた手でその枝を丁寧に裂き、湯で煮て、灰汁を抜いては繊維を叩く。水にさらし、簀で掬い上げると、薄く美しい和紙が一枚、また一枚と生まれていく。

「……ふむ。今日も、よき白さじゃの」

 満足げに微笑むと、そっと紙を重ねて干し台へと並べた。

 和紙を作る理由は単純だ。毎日少しずつ力を注ぎ込みながら行うこの作業が、自身の力の調整に繋がるからである。

 力を一気に注げば、和紙はその場で完成するだろう。だが、それでは意味がない。少量ずつ、丁寧に扱いながら制御すること――それこそが、今の彼に必要な修練なのだ。

 

 乾いた和紙を手に取り、シオンは小屋を出る。

 程なくして、屋敷内の自室へと戻った彼は、窓辺にある大きな机に座り、準備を始める。

 まずは刃のよく研がれた鋏で、和紙を手頃な札の大きさに切り揃える。それを几帳面に重ねて整え、次に筆を取り出した。

 軸は自ら庭で刈り取った竹を削って作ったもの。穂先には、シードの厩で丁寧に梳かれた馬の毛を用いている。櫛に残った抜け毛を集め、束ね、乾かし、形を整えた筆は、小ぶりながらも柔らかく、よく墨を含んだ。

 墨は、松の木を炭にしてすりおろし、和紙に馴染むよう独自に調合されたもの。

 シオンは筆を持ち、墨壺にそっと筆先を浸すと、静かに息を吐いた。


 一筆、また一筆。紙の上に走らせるたび、見たことのない形の文字が、墨の黒で浮かび上がってゆく。

 この世界において、誰一人として解せぬ言葉。それでも、筆に込められた力は確かにそこに在り、紙はただの紙ではなく、何かを宿す存在へと変化していた。

 

 その日もまた、シオンは机の上にいくつもの神札を並べていた。

 その様子を、部屋の入り口からじっと見つめる一つの影がある。

 「シオン、少し入るぞ」

 足音もなく入ってきたのはクローヴィスである。手には未決の書類が数枚、片手はポケットに突っ込んだままの軽い歩み。

 彼の視線は、札よりも先に、机の上で“立っている”ものへと注がれた。

 ――市松人形。

 黒髪に黒目、白い肌に、妙に丁寧に仕立てられた服。

 それはこの国どころか、この世界のどの文化にも属さない風貌をしていた。

 まるで生きているかのような瞳が、ただそこに“居る”。

 「……いつ見ても、不気味だな」

 呟いた言葉は誰に向けたものでもない。

 その市松人形の前に、シオンが書き終えた神札が数枚、整然と並べられていた。

 「これ、見てもいいか?」

 そう問う父に、シオンは軽く頷くだけで何も言わない。

 彼は一枚、紙を手に取ると、もう一枚も自然と手に取った。

 だが、それをじっと見つめた瞬間――

 ふ、と。

 文字が赤黒くぼんやりと光り出した。

「……ん?」

 気づかぬうちに、自身の魔力が札へと流れ込んでいたのだ。

 浮かび上がったその文字は、ゆるやかに回転しながら父の周囲を二周したかと思うと――するりと彼の胸元へと吸い込まれていった。

 「……っ!? こ、これは……」

 驚きに目を見開く。

 午前中、領内の騎士団に混ざって行った魔法訓練。その時消耗したはずの魔力が、今まさに満ちていくのをはっきりと感じていた。

 「……まさか、これは……」

 あの日の記憶が蘇る。

 ――聖水の風呂。あり得ないほどの回復をもたらした、あの時の感覚に酷似している。

 彼は紙の残骸を探すが、既に札は消えていた。

 「シオン、これはなんなのだ!?」

 「……癒しの札じゃ。丁度よかったであろう? 疲れておったのじゃろうて」

 「丁度よくない!……いや、待て。私が持っていたのは二枚だったはずだ。見れば分かる、違う文字だった。もう一つはなんだ!?」

 父の声は少し上ずっていた。

 だが、シオンはそれに答えず、黙ってじっと彼を見つめる。

「……うむ、これは使えるのう」

 ぽつりと呟いたその声に、父の背に冷たいものが這った。

 

 使用されたもう一つの札は――『目』。

 それは、どれほど離れた場所にあろうとも、シオンがその人物の視点を得られるというものだった。

 何があっても、すぐに駆けつけられる。

 もし家族の身に何か起これば――それは、力を振るう正当な理由になり得る。

 「……この札、皆にも配っておくとしようかのう……ふむふむ」

 空を見つめるように、ぼんやりと思考に沈むシオン。

 「な、なんなんだ、もう一つの札は……!? おい、聞いているのか!? シオン!!」

 結局、どれだけ問いかけても答えを得られることはなく、父は疲れ切った表情で溜息をついた。

 「……はあ……もういい。お前は本当に……」

 扉へと向かい、手をかけて開こうとしたその時。

 ふと、背中に視線を感じた。

 振り返る。

 机の上の市松人形――その黒い瞳が、自分を見ていたような気がした。

 「…………」

 思わず数歩、後ずさる。

 「……やはり、あれは……不気味だ……」

 そう呟きながら、父はそっと扉を閉めた。





 数日が経ち、父はあの人形のことがどうにも心に引っかかっていた。

 白く艶めいた顔に、黒い瞳。どこか生気を帯びた佇まいで、机の上に“立っている”。

 妙に整った造形、見たことのない服、生きているかのような存在感。そう、まるで――子供がままごと遊びに用いる相棒のように。

「……もしかして」

 ふと、そんな考えが過る。

 あれは、ままごとの相手なのではないか?

 幽閉された幼少期。眠り続けた五年の空白。その間に得られなかった、誰かとの関わりを埋めるための存在――。

 「……そうか。そうだったのかもしれないな」

 そう思い至った彼は、ある日、屋敷付きの職人にひとつの品を用意させた。

 それは、ふわふわとした茶色い毛並みの熊のぬいぐるみ。

 丸くつぶらな瞳、軽く笑みを浮かべるような口元。手足が動かせる構造になっており、小柄なシオンの腕にも収まるサイズだった。

 

 後日、それを渡した時のことだった。

 「……くま、じゃな……?」

 シオンは小さく目を見開き、しばし熊の顔をじっと見つめていた。

 そして次の瞬間、ぱっと笑顔を咲かせ、両手でぎゅっと抱きしめた。

 「いと尊き贈り物、しかと受け取り申した。ありがたき幸いなり……!」

 心の底から嬉しそうなその様子に、父はつい目を細めてしまう。

 「……まったく。やっぱり、まだまだ子供だな」

 

 それからというもの、シオンは熊をいつも手放さずにいた。

 屋敷の廊下を歩くときも、庭に出るときも、時には机の上に置いて筆を執るときでさえ、その小さな相棒をすぐそばに置いている。

 その姿はどこまでも愛らしく、屋敷の者たちは揃って頬を緩めた。

 「ああもう、可愛い……」「今、熊と話してた……」「ずっと抱えてるんですね……」
 「ぬいぐるみにすら品がある……」
 「いや、それ本人のせいだろう」

 屋敷に漂う空気が、幾分和やかなものになっていく。

 

 だが、父にはどうしても気になることがあった。

 ある日、シオンの部屋の前を通りかかったとき、ふと中を覗くと――

 シオンが、市松人形の髪を、櫛で梳かしていたのだ。

 「……」

 丁寧に、ゆっくりと、まるで誰かにするように優しく。

 声をかけようとしたが、その姿を見て、なぜか言葉が出なかった。

 しばらくその場に立ち尽くし、そして静かに扉を閉じた。

 「……熊だけじゃなかったのか……」

 微かに頭を抱えるようにして、小さくため息をつく。

 

 机の上、市松人形は何も語らず、変わらぬ微笑をたたえたまま、じっとそこに“立って”いた。





 昼下がりの調理場には、甘い香りと湯気が立ちのぼっていた。

 今日も料理人たちは、いつものようにおやつ作りに励んでいる。

 この時間帯は、厨房にひときわ緊張感と微笑ましさが共存する不思議なひとときだ。なぜなら――

「シオン様、きっと今日も来られますよ」

 「ああ、間違いないな。だって昨日も一昨日も……」

 「……時間前に来て、こっそりひとつ摘んでいかれたわ」

 「しかもそのたびに、奥様に叱られて……可愛かったなぁ……!」

 にこやかに語り合う彼らの手元には、いましがた焼き上がったばかりのふわふわのタルト。彩りも味も申し分ない。

 ――今日も、あの愛らしい小さな訪問者が来る。

 誰もがそれを楽しみにしていた。

 

 だが、その日は、違っていた。

 カラン……カラン……カラン……。

 軽やかで、不思議な間を置いた音が、石床を叩くように響いてくる。

 最初は誰も気に留めなかった。けれども、音は次第に近づいてくる。一定のリズムを刻みながら、着実に。

 「……何の音?」

 「誰か来てるのか?」

 音の主が見えぬまま、扉の前でぴたりと止まる。

 そのとき、誰かが小さく息を呑んだ。

 

 ――コン、コン、コン。

 調理場の扉が、三度、叩かれる。

 次いで、ぎぎぎぎぃ……と古びた蝶番が軋むような音を立てて、扉がゆっくりと開かれる。

 「……?」

 だが、そこには、誰もいなかった。

 「……おかしいな、誰も……」

 「ひっ……!!」

 料理長の声が震え、指先が扉の下を指す。

 視線を追った料理人たちは、一斉に息を呑んだ。

 

 そこに立っていたのは、一体の人形。

 白い顔に黒い髪、黒い瞳。その口元には、どこか妖しく微笑むような線が刻まれている。

 そう――あれは、シオンの部屋に置かれていた、あの市松人形。

 

 人形は、確かに立っていた。

 だが、それ以上に恐ろしかったのは――

 その小さな口が、動いたことだった。

 

「ようさんお世話になっております。うちの主のおやつ、ちょいと頂戴いたしますえ」

 

 ……瞬間。

 調理場に、阿鼻叫喚の悲鳴が響き渡った。

 

 

 「……なんでこうなる」

 クローヴィス頭を抱えていた。

 目の前では、いつものようにシオンがにこやかにおやつを口に運んでいる。

 そしてその隣には――

 手拭いを手に、シオンの口元に付いた欠片をぬぐう、市松人形の姿があった。

 「……動いてる、な……?」

 「うむ。この子はな、小夜(さよ)というのじゃ。余の命形、いと忠義深き娘なり」

 「命形……」

 理解が追いつかないまま、彼は黙って胃薬を取り出して口に放り込んだ。

 

 お抱え魔導士はこの光景を目撃して以来、泡を吹いて倒れ、三日間高熱にうなされる羽目になったという。

 

 

 その日を境に、小夜は屋敷内を自在に歩き回るようになった。

 特に多く見かけられるのは、シオンの部屋と調理場の往復である。

 どうやら、おやつ作りに夢中になっているらしい。

 

 シオンの髪を梳く小夜の手つきは見事なものだった。滑るように動く櫛、絡まり一つない絹糸のような髪。

 メイドたちは悔しそうにハンカチを噛みしめていた。

 「私だって……! あんな風に整えてあげたいのに……!」

 「でも小夜さん、凄すぎて……」

 

 使用人たちの間でも、小夜の存在は最初こそ畏怖の対象だった。

 しかし、時間が経つにつれ、誰よりも早く働き、誰よりも丁寧に仕上げるその仕事ぶりは、次第に彼らの心を解かしていった。

 「今日も早朝からシーツ取り替えてくれたわよ……」

 「皿洗い、あれ小夜さんが……?」

 「もはや人形というより、職人だな……」

 

 使用人たちは、もはや半ば慣れきっていた。

 というより、シオンの周囲では“不可解”が常であり、異常はもはや日常なのである。

 

 そして今日も、小夜は両の腕に小さな籠を抱えて調理場へ向かう。

 籠の中には、砂糖と小麦粉、バターに干し果実。

 おやつ作りに向けた彼女の情熱は、今や屋敷内でひそかな伝説になりつつあった。

 

 ――人形が、動いて、喋って、働いて、おやつを作る。

 それが、シオンの周囲における“平穏”であった。
 
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