アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳

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天下激動

壱 スイートホーム

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 佳穂との婚礼から数日後のこと。
 昨日の熱い夜を思い出しながら御座の間で書類を決裁していると、廊下に気配があった。

「御前様」
「寅左衛門か」

 立ち上がり、部屋の外の廊下に控える小柄な益永寅左衛門に近づいた。

「麻布のほう、うまくいきました」
「あいわかった」

 寅左衛門が去った後、慶温は少しばかり悪辣な笑顔になっていた。
 今頃、奉行所の者らはいかなる顔をしていることか。





 慶温の想像通り、奉行所の役人らは唖然とした表情でもぬけの殻になっている仕舞屋しもたやの前に立っていた。
 前夜、奉行所に投げ文があった。麻布某町の仕舞屋に長岡英仙が家族とともに潜伏していると。
 朝、その方面を見回る同心や岡っ引きが周辺に聞き込みし、それらしい一家がいると聞き付けた。
 すぐに捜索が決まり、午後与力、同心始めその配下らが捕り物道具一式用意し、通報のあった仕舞屋に向かった。
 岡っ引きがちょいと御用の筋だがと戸口の前で声をかけたが、返事がない。おかしいと思い、戸を開けると昨日まであった道具類も布団もきれいさっぱりない。無論、人影もない。押し入れや天井裏、床下まで調べたが猫の子一匹出て来なかった。
 隣の家に住む老女は耳が悪く、どうにか筆談でやり取りすると、確かに昨日まで夫婦と子ども二人の四人家族が暮らしていたが、今日はまだ顔を合わせていないと言う。引っ越しをした気配はなかったかと尋ねたが、物音は聞こえなかったと言われればそれ以上の尋問はできなかった。
 結局、その家の者がどこに行ったのかわからぬままであった。家主も、前の住人の紹介で入り、家賃もきちんと入れていたので不審を感じなかったと言う。家主の持つ書類を見ても、果たしてまことに長岡の一家なのか不明だった。
 
「逃げられたな」

 その夜、遠山は与力らの報告を受けうなった。恐らく何者かが長岡一家を逃したのだろう。ことによると、月野家の殿ではないのか。そんな疑念がよぎった。
 だが、月野家は今それどころではないはずである。尼や赤岩の一件と関わりがあるかどうかわからぬが、分家の主が本家の法事に出た後、病に倒れ本家下屋敷で療養中という話が漏れ聞こえている。
 他にも本家当主の隠居、若殿の家督相続、縁組などいろいろと立て込んでいるのに、長岡一家の逃亡の手助けなどできるものであろうか。
 一体どういう仕儀でかようなことになったのか。遠山は思案の腕を組んだ。無論、腕まくりなどはしない。若気の至りで彫った文様を他人に見せるつもりはない。あの頃は粋がってこれ見よがしに袖をまくっていたものだが。
 この後、幾度か、奉行所は密告を受けて隠れ家と思しき家に突入するのだが、いずれももぬけの殻だった。
 遠山はその度に歯噛みすることになる。





 翌年の四月、月野丹後守慶温は藩主として初のお国入りのため、江戸を旅立った。
 見送る正室佳穂姫は先日戌の日の帯祝いを済ませていた。
 慶温と離れる寂しさはあったが、おなかの中の新しい生命と出会える喜びのほうが佳穂には大きかった。
 来年慶温が江戸に戻って来たら、佳穂は赤子とともに彼を迎えることになる。
 『二人のホームが三人になる』
 懐妊を知った時の慶温の言葉を思い出す。

「さあ、中に入りましょう。身体を冷やすといけませんよ」

 そう言って佳穂を建物へといざなうのは聡姫だった。今は隣にいる大殿斉尚とともに中屋敷に住んでいる。今日は見送りのため早朝から上屋敷まで来たのである。
 佳穂は月野一族の人々とともに屋敷に入った。
 分家の当主下野守斉陽や他の親戚の男達、家老は高輪の大木戸まで見送りのためついて行ったので隠居と女ばかりである。

「皆様、見送りかたじけないことにございます」

 年寄の鳴滝の挨拶の後、お礼に朝餉を出すのが月野家の仕来りだった。
 ともに朝餉の膳を囲むのは、大殿夫妻、登美姫、梅枝、淑姫である。その淑姫も身重だった。
 淑姫は昨年再婚した。相手は留守居役の桂木作右衛門である。幼い淑姫が国から江戸に向かう旅で、桂木は警護を任されていた。その頃から淑姫は桂木を慕っていたらしい。が、花尾家との縁組があり、一度は諦めた恋だった。離縁されて戻ってから、淑姫は文で桂木に猛攻を仕掛けた。文の取次をしていたお園が一時謹慎になった際は佳穂の部屋子だったお喜多を使った。とうとう桂木が根負けし、二人は晴れて昨年の暮れに祝言を挙げた。だが、淑姫の腹はどう見ても十月に結婚した佳穂より大きい。皆深く追及はしなかったが、大殿様だけは最近まで立腹していた。二人は屋敷の近くにあるかかえ屋敷で暮らしている。





 さて、藩主としての初のお国入りとなる月野丹後守慶温の行列は家臣二百人及び人足らも含めると六百人以上も続くものであった。他にも荷物を運搬する馬なども従い、それぞれに馬子もつくから行列は長かった。
 その長い行列の中ほどに藩主がおり、そのやや後方には医師の乗る駕籠もあった。

「ああ、こんな天気のいい日に駕籠なんぞ」

 医師はそう言って、駕籠を止めさせ降りると歩き出した。そして、前方に小走りに近づいた。
 御前様の乗り物の脇に立つ警護の侍は仰天した。

「これ、何の用があって参った」
「退屈なんで話でもと」
「無礼者」

 その権幕に乗り物から声がした。

「構わぬ。余も降りる」

 そう言うと乗り物が止まり、開いた戸から出たのは御前様慶温だった。

「おう、又四郎殿」

 医師は相も変らぬ口調であった。又四郎もそれを咎めず、ともに歩き出した。行列は進んでいく。
 神奈川沖の海を横目に二人は歩いた。

「この海の向こうに米利堅、英吉利があるのですね」
「そうだ。だからこそ、海防を急がねば」
「いつか、この海に異国の船が現われる日が来ると」
「ああ。奴らは必ず来る。大砲を乗せた戦船で。そして開国を迫る。それまでになんとかしなければ」

 そんな二人の会話を耳にして驚く小姓は、後に外交官になるのだがそれはまだ先の話である。
 長岡英仙はこの後、二年余り、望月藩及び月影藩で軍制改革を行なうことになる。また沿岸部の防衛にも携わり、洋書の翻訳でも貢献することとなる。
 これらは後に大きく実を結ぶ。





 佳穂はその年の九月、女子を生んだ。慶温に似た赤子にしては整った顔立ちの姫は千代と名付けられた。千代より四か月早く生まれた淑姫の娘とともに祖父母に可愛がられた。
 千代はすくすくと育ち、翌年四月に江戸に戻って来た慶温を喜ばせた。
 だが、慶温はまた翌年には国許に戻らなければならない。佳穂にとってはつらいことだった。自分が側室ならついて行けるのにと思うこともあった。
 と思っていた矢先、またも懐妊した。佳穂は大きな腹を抱えて翌年再び慶温を見送った。
 六月に生まれたのは男子だった。御世継誕生ということで江戸でも国許でも人々は喜んだ。松丸と名付けられた。
 祖母にあたる聡姫は中屋敷から上屋敷に来ると、真っ先に松丸の顔を見に来る。

「おお、戻っておいでになった」

 聡姫は松丸を息子斉倫の生まれ変わりのように思っているようだった。古くからいる奥の中臈らも、亡くなった若殿様のお小さい頃に似ていると言っていた。





 一方、国許では改革が始まっていた。
 領内の藩校に蘭学を導入し、阿蘭陀語や英吉利語を学ばせた。長岡が翻訳した海外の兵法書や医学書、自然科学書が教科書に用いられた。長岡も変名を名乗って講義をした。
 また、慶温自身が翻訳した医学、科学関係の洋書を国許に送り、それを希望する学生に貸し出し書写させた。後に、益永寅左衛門の弟辰之進は蘭学に目覚め、大坂の適塾に行くことになった。
 最大の改革は軍制改革だった。
 それまでの戦いは武士がそれぞれの家臣を引き連れて、主君のもとにはせ参じるという形であった。家臣は自分の仕える武士に手柄を上げさせることを優先に戦っていた。だが、そのような戦い方はヨーロッパの軍隊には通用しない。ヨーロッパではフランス革命やナポレオンの登場によって、徴兵制に基づく国民軍が組織されるようになった。一人の指揮官の指示の元、多くの兵力を投入し相手を圧倒するのである。仕える武士に手柄を立てさせるような戦いでは他の武士に手柄を渡すなどもってのほか、味方の邪魔になることさえある。ヨーロッパの国々を敵にまわした場合、それでは勝てない。
 足軽組を再編成し、新たにに隊を作り、彼らを教練した。また、村々の男子の名簿を作り、普請などの労役で若い男を集めた際に体力や技量を見て、有能と判断される場合は農閑期に城下に集め足軽組とともに訓練を行った。
 当初は上級の武家からの反発があったが、彼らの子弟が藩校で海外の事情を学ぶようになると、次第にそれは薄らいだ。領地が西国にあるため、商人らから長崎に現われた異国の艦船の話も広まれば、おのずと世の中の変化は領内でも感じられるようになったことも反発が薄らいだ理由であろう。
 松丸誕生の翌年、江戸への参勤の途上で大坂の緒方洪庵が除痘館という種痘所を作ると聞くと、いち早くその技術を領内の医師に学ばせ、江戸よりも早く種痘を普及させた。これによって天然痘にかかる者が大幅に減った。
 こうして江戸屋敷に入った慶温であったが、一つだけ懸念していることがあった。
 長岡英仙のことである。
 彼は望月・月影領内の改革に尽力したものの、前年領内を出て江戸に戻ってしまった。手当てはそれなりに出していた。が、彼は慶温にこう言い残して国を出た。

『江戸の追手を逃れ妻と子と離れて早や二年余り。江戸を離れた時身重であった妻から先日文があり、生まれた子どもが息災とあった。それを読んだら無性に会いたくなった。御前様も奥方様とお子様がおありなればおわかりかと存ずる』

 確かに長岡の言うことはわかる。だが、江戸に戻るのはまだ時期尚早だった。町奉行所は彼の捕縛に懸命であり、慶温は江戸の妻子を陰ながら援助しているが、それでも町奉行所の探索の目から逃れるのは容易ではない。妻子は住まいを頻繁に変えねばならなかった。
 とりあえず、慶温は江戸に常住する薩摩藩の世継ぎに長岡の保護を依頼した。同じ蘭学好きの彼ならばという思いもあった。だが、どうも藩主である父との関係がぎくしゃくしているようで、世継ぎでは思うに任せぬことも多いらしく、はかばかしい返事が得られなかった。
 それでも長岡は江戸に戻ってしまった。名を変えて隠れ家を転々としているようだが、果たしてそれがいつまで続くことか。





 江戸に戻って以来、慶温は例年になく忙しくなった。城に上がることが増えた。時々は老中の阿部様の屋敷にも出かけるようになった。
 九月になり、翌年の参勤交代の支度が本格的になる頃、慶温は家老らを集めて、来年は国許に戻らなくともよいと老中から命じられたと告げた。
 家老は国許から一年限りで勤番として連れて来た者達が帰れぬと言い、困惑した。
 慶温は、いちどきに全員を交代させるわけにはいかないので、何班かに分けて国許の者と交代させるようにせよと命じた。

「海防掛の手伝いをすることになった」

 その夜、寝所で慶温は佳穂に告げた。佳穂は慶温から幕府の状況、異国船の情報などを知らされており、その仕事がいかに重要か知っていた。

「閏四月に英吉利の軍艦が相模の沖まで来て、江戸の湾内を測量したそうだ」
「まあ、それは」
「他の国々の動きもあるゆえ、私も海防掛の方々の手伝いをすることになった」

 海防掛には老中阿部正弘ら老中や若年寄等が名を連ねている。彼らの下で働くということは、慶温の知識が必要な時代が来てしまったということらしい。

「恐らくしばらく国許には戻れないだろう」

 慶温は領内のまつりごとを案じているようだったが、佳穂にとっては思いもかけない幸せだった。

「だから、お佳穂、私たちは江戸で四人、家族として暮らしホームを作るのだ」

 慶温はそう言うと、佳穂を抱き締めた。

「これからは、思いもかけないことがたくさん起きるだろう。だが、しっかりと皆で手を携えて乗り越えていこう」
「はい、一緒に」

 こうして望月藩月野家の主丹後守慶温は江戸常府となった。
 国許の政治については、分家の主斉陽に参勤交代を行なわせ、分家の領内だけでなく、本家の領内の事情も監督させた。斉陽のお国入りは月影藩の者達を熱狂させた。彼が陣屋に入った夜は提灯行列が行なわれたほどである。江戸生まれの斉陽は歓迎ぶりに驚き、改めて国許の者達に感謝の念を覚えた。
 斉陽はこの地で側室を迎え、その側室が分家の世継ぎを生むことになる。





 その年の冬至は十一月八日だった。その十一日後の十九日。
 慶温は奥で阿蘭陀正月を初めて行った。これは阿蘭陀人が日本ではキリスト教のクリスマスを祝えないことから太陽暦の正月元日に祝宴をしたのが始まりだった。蘭学者たちもそれを真似て江戸で阿蘭陀風の祝宴を行なった。慶温も知人らとしたことがあり、この年以後、子どもに異国のことを教えるために毎年行った。鶏の丸焼きや薄めたワイン、カステラなどが出され、成長した子どもたちは後にこの日のことを懐かしく家族に語ることになる。
 この時はまだ四つの千代姫は大好きなカステラが食べられると喜ぶばかりで、意味などわかっていなかった。佳穂は恐る恐る血の色をしたチンタと呼ばれていた赤ワインを口にしたものだった。意外にも甘く驚いたものの、後に残る渋みは好きになれなかった。
 松丸はまだ何もわからないのか、目を丸くして鶏の丸焼きを見ていた。
 他にも西洋風に子どもの誕生日を祝ったりした。
 それ以外にも慶温は奥に行きできるだけ子どもと過ごす時間をとるようにした。
 古参の奥女中達はこれほど昼間おいでになる御前様はいなかったと驚いた。
 時には犬のシロも交え、庭で子どもらと遊ぶこともあった。シロは大きな体躯に似合わぬ慎重さで子どもらに相対した。子どもらはシロを遊び仲間としてすくすくと育った。
 翌年の嘉永元年(一八四八年)五月には次男の吉丸が生まれ、一家はますますにぎやかになった。佳穂は子どもの世話や交際などに多忙であったが、満ち足りた幸せを感じていた。
 だが、時に寝所で慶温の憂いを秘めた表情に気付くことがあった。佳穂が目覚めているとも気付かぬまま、なんともいえぬ苦し気なまなざしをする慶温に声を掛けることなどできなかった。
 仕事で誰にも言えぬ苦しみを感じておいでなのかもしれぬ。そうなると佳穂にはどうしようもない。佳穂は黙って見守るしかなかった。




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