嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

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「……行ってきます」

 三人が見守る中、アラキノは一人、池に足を踏み入れる。水底には砂も泥もあるように見えるが、水中で舞い上がることはなく、水はどこまでも澄んだままだった。
 足首まで水に浸しながら一歩ずつ池を歩く。目指すは中央の光輝く大木だ。晩秋の水だというのに、冷たさは感じなかった。

 チャプ、チャプと小さな音を立て、黙々と歩いていくこと数十歩。アラキノは、辿りついた木の前に立ち、そして振り返った。
 この場で、確かに目がある者は三人しかいないはずなのに、それ以外の無数の視線を感じた。
集まっている精霊たちが、自分を値踏みしている。まるで、見世物小屋の獣か、大道芸人にでもなった気分だ。弱気を誤魔化すためにそんなことを考えながら、指輪を嵌めた方の手をまっすぐ前に伸ばす。

 目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をする。夜の清浄な空気が胸に回り、静かな水面のように澄んでいく心地がした。


アロニ セ カムロトスェリ我ら来たれり 約束の場所


 一斉に、枝にとまっていた精霊たちがアラキノだけを見たのがわかった。
 冷やかしで集まっているわけではないというのは本当らしい。アラキノはほっと胸をなでおろした。
 次いで、真新しい指輪の感触を確かめながら、目を閉じて自分の意志を頭に思い浮かべる。

「あの人が誇れるような魔術師になりたい……今すぐに」

 これを聞いた上で契約しても構わないと考えた精霊が、アラキノの前に来る。もしも複数集まったら、最も心惹かれる精霊をこちらから選ぶ。それが、事前に聞いていた契約の手順だった。

 ――ざわ、ざわ、ざわ。

 人の言葉では言い表せない響きのざわめきが、アラキノのいる場所を起点にして木の枝に広がっていく。
 風に吹かれてざわめいているかのようなそれは、精霊が譲りあっているようにも、役目を押し付け合っているようにも聞こえた。その証拠に、ざわめきが枝の先にまで辿りつき、音が最大になっても、アラキノの目の前には誰も来ない。

 思わずつけてしまったが「今すぐに」という部分がまずかったのだろうか。精霊はどう見ても、時に追われることのない存在だ。もしかして、せっかちな事はあまり気に入られないのだろうか。

 ――契約できなかったら、魔術師になれなかったら。俺は、本当に、何もない、役立たずじゃないか。

 奴隷として扱われていた頃の記憶がいとも簡単に蘇り、アラキノの不安が最高に達した、その時だ。

 森の奥深くから、まるで地を這う稲妻のように折れ曲がりながら、青白い光の帯がアラキノ目掛けて飛んでくる。道中にいた精霊たちは、それが来ることがあらかじめわかっていたのか、蹴散らされる前にすいすいと道を開けていく。

「うわっ!?」

 精霊が手元に飛び込んできた勢いは、少年の身体には受け止めきれず、アラキノは背後の木に身体を強かに打った。せき込みながら、ずるずると木の根元に座り込む。服に水が沁み込み始め、下半身がひどく冷たく感じた。

 アラキノに突撃してきた光の帯は、早くしてとばかりにアラキノの目の前で忙しなく旋回している。今にもその細長い身体が絡まってしまいそうだ。

 他の精霊たちは、アラキノの目の前に来る素振りを見せない。もう、アラキノの契約相手はこの精霊に決まったとでもいうように、すっかり銘々の場所に腰を落ち着けて、契約が成される場を見守っていた。

 ごくりと喉を鳴らしたアラキノは、水の中に尻もちをついたまま、右手をゆっくりと上げた。精霊の光に照らされた指輪の形が、闇の中にはっきりと浮かんだ。

「っ、コード ニ カムロトス ィエ君との契約を望む

 光の帯の姿をした精霊が、指輪にはまる青白い石に、すい、と近寄ってくる。段々と青白い輝きが強くなっていくが、目を閉じてはいけないのだと勘が言っていた。
 精霊が石に触れる直前。一際眩しくなった光の中で、何か、歌のような不思議な音が聞こえた。
 それを、アラキノが音として認識した瞬間、苛烈なほどの輝きはふっと消える。アラキノは、指輪と、それが嵌る右手が周囲の精霊の光によって闇にぼんやり浮かんでいるのを、水に座り込んだまま呆然と眺めていた。

「アラキノ、アラキノ!!」

 その声に、アラキノは、はっとなって顔を上げた。
 長い外套の裾が濡れるのも構わず、ユーダレウスが猛烈な勢いで駆け寄ってくる。魚の形で水に浮かんでいた精霊たちは、魔術師に道をあけてゆらゆらと離れていった。

 気が付けば、あれほど木の枝に集っていた精霊たちは散り散りになっており、枝の先やうろの中にぽつぽつと残っているだけとなっていた。

 視線を下げると、光の帯の姿の精霊は光を弱めてアラキノの右腕の周りでくるくると螺旋を描いて遊んでいた。

「大丈夫かい、アラキノ。どこが痛い?」
「平気、です」

 強く打った背中は痛いと言えば痛いが、それ以上に、確かめたいことがあった。

「師匠……俺、魔術師になった?」

 想像していた精霊との契約の情景と全く違った。想像の中では、少なくとも、アラキノは今もまっすぐに立ったままだった。

 それを聞いて、いつになく真面目な顔つきとなったユーダレウスは、指輪を確かめるようにアラキノの右手をとる。慣れた温かさがアラキノを無性にほっとさせた。

「ねえ、君。まだ契約は終わりじゃないだろう?」

 ユーダレウスが声をかけると、アラキノの周りで遊んでいた光の帯は慌ててアラキノの膝に着地し、蛇がとぐろを巻いたような姿で大人しくなった。
 この精霊に顔はない。ただ青白い光の帯の姿だ。けれど、アラキノは精霊がこちらをじっと見ている気がした。

コード 二 ユーダ チィルィエあなたの名前を教えて

 子供でもない、大人でもない、男でも女でもないその声が言うことを、アラキノははっきりと理解できた。どうするべきかと師を見ると、師は何も言わず、ゆっくりとうなずいた。

「アラキノ……」

 恐る恐る、質問に返事をすると、精霊は嬉しそうに月色の頭の周りを旋回し、アラキノの耳元に囁き声を何度も残す。

アラキノ レウ ディスセラアラキノ 私を呼んで

 その答えは、さっき聞こえたあの音だと、直感が告げていた。

「ヴォルニケツール・セラ」

 声に出すと、青白い精霊は身を伸ばしてアラキノの頬に触れた。ぶわりと髪が逆立つ奇妙な感覚のすぐあとで、精霊は満足したのか右手に嵌る指輪の石の中に飛び込んだ。
 その勢いの良さといったら。それなりの衝撃を受けた手が跳ねた。師が握っていなければ、手から指輪が跳んでいっていただろう。

 見守っていたユーダレウスが、ほっと安堵の息をつく。

「ヴォルニケツール、雷光の精霊か。あの種族はせっかちはせっかちだけど、ここまでのお転婆は初めてみたな……」

 あの激しさをお転婆なんて可愛らしい言葉で済ませていいのだろうか。思わず胡乱気な顔になったアラキノの頭に手のひらが乗った。

「何はともあれ、お疲れ様。アラキノ」

 おっとりと笑う師の顔に、アラキノの肩から力がすとんと抜けた。

「せぇんせー! アラキノは!」

 精霊の水鏡の岸辺で、ロタンが痺れを切らしたのか、手を振って大きな声を上げた。彼の近くの草むらにとまっていた精霊たちが驚いて、蛍の様にふわふわと飛びあがる。

「大丈夫だよ! 無事に契約も終わったよ!」

 振り返ったユーダレウスが大きく手を振り返す。途端に、ロタンは見るからに安心した顔になり、その隣で同じだけ心配そうにしていたジルが、ほっと胸に手を当てたのが見えた。

 ――そうか、終わったのか。ちゃんと契約できた。魔術師に、なった。

 普段は静かに胸の奥で脈打つものが、じたばたと暴れ出す。手足がどうにもむずむずとして、駆け出してしまいたい。

 その時、自分がどんな顔をしていたのかわからない。水鏡に映っていたから確かに見たはずなのに、頭の片隅にもなかった。

「おめでとう、アラキノ」

 けれど、自分のことのように嬉しそうな顔をして、アラキノを抱き締めた師の温度は、きっと一生忘れないだろう。

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