嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

文字の大きさ
69 / 83

16

しおりを挟む
「師匠……」

 ロタンより先に気を持ち直したジルが呟く。その声は泣いているのか、酷く震えていた。

 アラキノは師の肩越しに、枕に向けて深いため息をつくと、もう動くことはないその人から身を離した。
 名残惜しくて、皺だらけになった手をそっと握った。まだ温かく、柔らかい。けれど、アラキノの手を握り返してくれることはもうない。閉じた唇が「アラキノ」と名を呼んでくれることはもうない。
 それを思うと、獣のように叫び出したいような激しい悲しみに襲われた。

「アラキノ……」

 ジルが肩をさすってくれている。けれど、師の手に似た華奢な手に縋ろうとは思えなかった。
 扉の方を振り返ると、ロタンが寄りかかり、信じられないという顔のまま動かないでいた。

 いつからいたのかわからないが、この二人には真実を告げなければならない。酷い霧の中にいるように不明瞭な思考の中で、それだけは確かにわかることだった。

「……俺が、師匠についていた精霊の名を、呼んだ」

 アラキノは硬い声でそう語った。喋っているという感覚が遠く、口が勝手に動いているようだった。

 すぐに大股でやってきたロタンが、強く肩を握ってアラキノを強引に振り向かせる。ロタンは、陽だまりに咲く花を思わせる男だった。しかし、今の彼は、真冬の堅く積もった雪のように青白く、冷たかった。

「……どういうことだ」
「……そのままの意味だ」

 いやに感情のない声に、同じだけ感情の乗らない声でアラキノは答える。言葉を推敲する余裕もなく、思いつくままに口から出していた。

 精霊を惑わせたのは自分の色だ。
 精霊に名を聞いたのは自分の意志だ。
 精霊の名を呼んだのは自分の口だ。

 いっそ、魔術師になどならなければ。

 アラキノは、ここぞとばかりににじり寄ってくる悔恨の情に、目を強く瞑った。


「呼んだ……? 師匠の精霊の名を……?」

 ざわり。ロタンの怒りの感情が、部屋の中の空気を揺らがせた。部屋のあちこちにいた精霊たちが、怯えて姿を消していく。

「まさかお前……師匠の精霊に名を付けたっていうのか?」
「それは……」

 口ごもったアラキノをロタンは力ずくで揺さぶった。

「そうなんだな!?」

 冷静でないロタンが勘違いをしていることは明白だ。それを正さないということは、嘘をつくことと同じだった。
 今更そんな小さな間違いを正すことなどしなくていいと思った。正したところで結果は何も変わらない。自棄になっていた。

「お前のせいで、師匠は死んだ……?」

 何も包み隠さないロタンの言葉がアラキノの鼓膜を突き抜け、脳に直接突き刺さる。

 ――そうだ。俺のせいで師匠は死んだ。その事実は何も変わらない。

 この張り裂けそうなほどの罪悪感は、アラキノ自身が背負っていくのだと決めた。それが、自分が師と共に存在していたことの確かな証になるのだと思ったからだ。
 けれど、深い後悔の念に満ちた銀の瞳は、持ち主が物言わずとも全てを物語ってしまった。

 刹那、勘違いを確信に変えたロタンの眉が吊り上がる。

「さっきぶん殴った分じゃ、てめぇには効かなかったんだな……っ!」

 握り砕くつもりなのかと思うほどに、肩にあるロタンの手に力がこもる。アラキノが小さく呻くと、ジルがロタンの手首を握った。

「落ち着きなさい、ロタン! さっきの師匠の言葉を聞いていたでしょう。何か、ふたりにしかわからないわけがある。そうでしょう、アラキノ」

 どうか、そうであって。
 そんな言葉が言外に聞こえるような悲壮な声で、ジルが助け船を出すが、その声は怒りに荒ぶるロタンの耳に届いても、心の中までは届かない。

 静かな、しかし激しい怒りに狂ったロタンは煩わしいとばかりにジルの手を引きはがし、アラキノの胸倉を鷲掴みにして引き寄せた。

 息がかかる程近くに、初めて見る表情をした兄弟子の顔がある。その表情は、師の前で暴れるのを――アラキノを害することを、ひたすら耐えている。そんな顔だった。

「……出てけ。これ以上、師匠の傍にいるな」
「っ、ロタン! 大丈夫だアラキノ、ここにいなさい。こいつは今、取り乱しているだけだから……」

 張りあうようにジルが口を挟む。その言い分が悪手であることが分かったのは、ロタンだけだった。

「俺がっ!」

 怒声に部屋がびりびりと揺れ、そして静まり返る。
 なくなった音の代わりに、ロタンの怒りの気配は濃くなっていく一方だ。

「……俺が、お前をぶっ殺す前に、出ていけ……っ!」
「ロタン!」

 ジルが悲鳴じみた声を上げ、アラキノを庇うようにロタンとの間に身体をねじ込んだ。

「いい加減にしなさい、ロタン! 師匠が亡くなったことにアラキノは関係ない。でなければ、あの人があれほど穏やかでいられるはずがない! アラキノはここにいていい。師匠もきっと、そう望――」

「勝手にあの人の言葉を語るなっ!!」

 ロタンは二人の間で壁になろうとしていたジルを力任せに押しのけた。もとより小柄な彼女が床に倒れる音がしたが、それを案ずる間もなく、アラキノも床に投げ飛ばされる。

 アラキノを見る兄弟子の瞳は、毒々しいまでの憎悪に染まっていた。

「さっさと、出ていけ……人殺し」

 吐き捨てられた即効性の毒は、アラキノの心を瞬く間に蝕んだ。

 急に耳が遠くなった気がした。ジルが何か言っている。聞こえない。呼吸、鼓動、自分の音がうるさすぎて、何も聞こえない。
 けれど一つだけはっきりとわかる。自分はもう、ここにいてはいけない。

 アラキノは自分の外套をひっつかみ、師から譲られた杖――カンテラ付きの杖を持って部屋を飛び出した。階段を段をとばして駆け下り、玄関のドアノブを握る。
 これを開いたらもう二度と戻れない。そのことに一瞬躊躇ったが、そうするほかに選択肢はなかった。

 外はすっかり陽が沈み、暗くなっていた。いやに冷たい風が頬を撫でる。あの日と同じ満月が静かに逃げ道を照らしていた。


 その日、一人の魔術師が死んだ。そして、新たな『ユーダレウス』が生まれたことによって、三人の魔術師たちは別離した。

 一つの時代の終焉が始まったことに、気が付く者はいなかった。


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ずっとヤモリだと思ってた俺の相棒は実は最強の竜らしい

空色蜻蛉
ファンタジー
選ばれし竜の痣(竜紋)を持つ竜騎士が国の威信を掛けて戦う世界。 孤児の少年アサヒは、同じ孤児の仲間を集めて窃盗を繰り返して貧しい生活をしていた。 竜騎士なんて貧民の自分には関係の無いことだと思っていたアサヒに、ある日、転機が訪れる。 火傷の跡だと思っていたものが竜紋で、壁に住んでたヤモリが俺の竜? いやいや、ないでしょ……。 【お知らせ】2018/2/27 完結しました。 ◇空色蜻蛉の作品一覧はhttps://kakuyomu.jp/users/25tonbo/news/1177354054882823862をご覧ください。

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

莫大な遺産を相続したら異世界でスローライフを楽しむ

翔千
ファンタジー
小鳥遊 紅音は働く28歳OL 十八歳の時に両親を事故で亡くし、引き取り手がなく天涯孤独に。 高校卒業後就職し、仕事に明け暮れる日々。 そんなある日、1人の弁護士が紅音の元を訪ねて来た。 要件は、紅音の母方の曾祖叔父が亡くなったと言うものだった。 曾祖叔父は若い頃に単身外国で会社を立ち上げ生涯独身を貫いき、血縁者が紅音だけだと知り、曾祖叔父の遺産を一部を紅音に譲ると遺言を遺した。 その額なんと、50億円。 あまりの巨額に驚くがなんとか手続きを終える事が出来たが、巨額な遺産の事を何処からか聞きつけ、金の無心に来る輩が次々に紅音の元を訪れ、疲弊した紅音は、誰も知らない土地で一人暮らしをすると決意。 だが、引っ越しを決めた直後、突然、異世界に召喚されてしまった。 だが、持っていた遺産はそのまま異世界でも使えたので、遺産を使って、スローライフを楽しむことにしました。

追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発

ハーフのクロエ
ファンタジー
 アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。

幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕だけ別な場所に飛ばされた先は異世界の不思議な無人島だった。

アノマロカリス
ファンタジー
よくある話の異世界召喚… スマホのネット小説や漫画が好きな少年、洲河 愽(すが だん)。 いつもの様に幼馴染達と学校帰りの公園でくっちゃべっていると地面に突然魔法陣が現れて… 気付くと愽は1人だけ見渡す限り草原の中に突っ立っていた。 愽は幼馴染達を探す為に周囲を捜索してみたが、一緒に飛ばされていた筈の幼馴染達は居なかった。 生きていればいつかは幼馴染達とまた会える! 愽は希望を持って、この不思議な無人島でサバイバル生活を始めるのだった。 「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕の授かったスキルは役に立つものなのかな?」 「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は幼馴染達よりも強いジョブを手に入れて無双する!」 「幼馴染達と一緒に異世界召喚、だけど僕は魔王から力を授かり人類に対して牙を剥く‼︎」 幼馴染達と一緒に異世界召喚の第四弾。 愽は幼馴染達と離れた場所でサバイバル生活を送るというパラレルストーリー。 はたして愽は、無事に幼馴染達と再会を果たせるのだろうか?

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

処理中です...