嘘つき師匠と弟子

聖 みいけ

文字の大きさ
83 / 83

30

しおりを挟む
 雨がアルイマの葉を打つ音がする。
 数日続いた季節の雨雲は、時折、激しい大雨を降らせた。幸い、アルイマの大樹の家に留まっていたユーダレウスたちは、雨に打たれることはなかったが、思わぬ長期間の足止めを食らっていた。

 湿っぽい窓の外の空を見ながら、ユーダレウスは窓を開ける。雨に濡れた草木と土の匂いをはらんだ風が、湯上りの肌に心地良い。
 気分の良さとは裏腹に、夜風に当たって水を纏った髪が急速に冷えていく。ユーダレウスは水が滴るそれを布で雑に拭いた。

 ふと、視界の端に曇天色のつむじが映り、ユーダレウスは手を止めた。顔をそちらにを向けると、嬉しそうにガラス玉のような青い瞳が輝いた。

「師匠! 師匠! 見てください!」

 ティニが弾むように立ち上がり、ユーダレウス目掛けて駆けてくる。どうやら風呂から上がるのを待ちかねていたらしく、風呂のすぐそばに踏み台を置いてそこに腰かけて待っていたようだ。
 身に着けているのは青いシャツに黄色いズボン。どちらも今はない大昔の技術で鮮やかに染め上げられた服だ。
 大樹の家の本棚にはその技術を持っていた時代の本が残っていた。そのせいで、鞄の奥底に仕舞いこんだ服の存在を思い出し、どうせ人に会うわけでもないので引っ張り出して着せてみたのだ。
 上から下まで弟子を見て、我ながら目が痛くなる組み合わせだとユーダレウスは顔を顰める。よくもまあ文句もなく着ているものだと感心していると、ティニがぐいと紙を差し出してきた。

「あ、おい、水が――」

 言い終わる前に差し出された紙の上にぽたりと滴が落ち、丸い染みを作った。

「ああ、もう、濡れちまっただろうが。落ち着け馬鹿弟子」
「はい!」

 聴いているのかいないのか、微妙なラインの元気すぎる返事に、自然と眉間に皺が寄る。疑わしいと言わんばかりの顔で紙を受け取ったユーダレウスは、それ以上滴を落とさないように、手を伸ばして身体から離して眺めた。

 何が書いてあるのかは、もうとっくにわかっている。
 紙の上で一番目立つのは『ティニエト』そして『ユーダレウス』という二つの名前だ。それだけではなく、簡単な単語もいくつか練習したらしい。空、星、花。それと食べ物の名前がいくつか。精霊の名も書こうとしたらしい。
『サソレア』は良く書けていたが、自分の名前以上に何度も書き損じている。『アラキノ』の方は、どれも綴りが『アラノ』になっていることに気が付いていないようだ。『ヴォルニ』はどこにもない。読み書き初心者には少々難しい綴りなので、書けなかったのだろう。

 無意識にユーダレウスの頬が緩む。上手いとは言えないが、かつての誰かが書いた、ミミズがのたくったよりも酷い字よりははるかにましだった。

 ユーダレウスはティニに紙を返すと、悪だくみをする人のように、ニヤッと笑った。
 笑った本人はいたずらっ子の微笑みのつもりだったのだが、弟子の目には大悪党の親玉のように映っていたのは秘密だ。

「こんだけ書けりゃあ上出来だな。よし、祝杯だ!」

「師匠! しゅくはいってなんですか?」

 反応してほしいのはそこじゃない。ユーダレウスは半眼し、肩を落とす。だが、このお人よしには、弟子の小さな疑問を無視することなどできはしないのだ。
 諦めの嘆息を一つ零すと、ユーダレウスは幼い弟子の為に言葉を選ぶ。

「祝杯は、祝い酒を飲む器。お前が自分の名前を書けるようになった祝いをしようってことだ」
「……お酒のむんですか? ぼくも?」

 途端に不安げな顔をする弟子に、師は苦笑を漏らす。手を伸ばして、弟子の曇天色の髪をかき混ぜた。細く柔らかい子供の髪は、本人の手入れの甲斐もあって指に絡むことはなく、間をするりと通り抜けていった。

「んなわけねえだろうが。ジュースだ、ジュース。こないだ漬けたアルイマベリーのシロップ出すぞ」
「やったあ!」

 ユーダレウスとしてはもうかなり興が削がれていたのだが、手のひらの下のティニは嬉しそうにぴょんと跳びあがったので、まあいいかと肩をすくめた。

「わあっ!?」

 ちょっとした意趣返しに曇天色の髪を思い切りぐしゃぐしゃにしてから、ユーダレウスはそこから手をはなした。
 ティニが真剣な顔つきで乱れた髪を撫でつける。その様子は、さながら小動物の毛づくろいのようだ。それを横目に、ユーダレウスは悪びれることなく、手早く残りの服を身に着けた。
 未だにもそもそと髪を整えている弟子を置いてキッチンへと向かい、身を屈めて隅にある大ぶりの広口瓶の様子を見た。
 発酵することもなく、上手い具合に果実の水分が抜け、瓶の中は透き通った赤の液体に満たされていた。液面にはしおれたアルイマベリーが浮かんでいる。
 こればかりは、鞄の向こうに入れるわけにはいかない。鞄の向こうの時間は止まっていて食物は腐らないが、その代わりに熟成させたり、漬けるといった時間に任せる調理法も進まないからだ。

 ユーダレウスは広口瓶をテーブルにドンと上げた。魅惑的な赤い液体がゆらゆらと揺れている。
 とことことティニが寄ってくるのを視界の隅に捉えながら、月の色によく似た銀髪の魔術師は、外していた大ぶりの指輪を右手に嵌め直し、いつも腰につけている小型の鞄にその手を入れた。

「ヴォルトゥニカ」

 誰でもない、自分自身とだけ契約していた精霊の名を囁く。
 別にわざわざ名を呼ばなくとも構わないのだが、たまにこうして呼んでやると最高の速度を出してくれるのだ。それがこの精霊の可愛いところだ。

コード ヴァル セ ロ取ってきてくれ

 呟き終わるや否や、ユーダレウスは鞄から手を引き抜く。
 取り出したのはグラスが二つだ。脚のない透明なグラスで、表面に切り込みを入れたような細やかな幾何学模様が美しい。ランプの光に照らされたそれは、まるで磨かれた宝石のように目映く輝いた。
 珍しい物を前にして、ティニの瞳がグラスに負けじと輝く。まだ幼い弟子がこの手の物に殊更興味を惹かれることを、師はしっかりと把握していた。

 しかし、今宵はこれだけで終わりではない。ユーダレウスは片眉を上げて笑んだ。

「いいか、ティニ。目ぇ閉じると損すんぞ」
「はいっ!」

 師の忠告に、人形のように動きのない表情を心持ち明るくした弟子は、大きな期待を込めて青い瞳をしっかりと見開いた。その青は驚くほど鮮やかな色で目の前の世界を見つめている。
 ふっと笑ったユーダレウスは、テーブルの上にふたつのグラスを並べ、カンテラが揺れる杖を構える。

 そして、芝居がかった身振りで大きく両腕を開いた。



                      『ユーダレウス名を呼ぶ者』    了
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

葉霧 星
2021.07.18 葉霧 星

文章が上手くて、すごく読みやすかったです!
師匠かっこいいですね。個人的には脳内cv諏●部さんで読んでます笑

2021.07.19 聖 みいけ

葉霧 星さん、感想ありがとうございます!素敵な声優さんで脳内再生していただいて嬉しいです!

解除

あなたにおすすめの小説

ずっとヤモリだと思ってた俺の相棒は実は最強の竜らしい

空色蜻蛉
ファンタジー
選ばれし竜の痣(竜紋)を持つ竜騎士が国の威信を掛けて戦う世界。 孤児の少年アサヒは、同じ孤児の仲間を集めて窃盗を繰り返して貧しい生活をしていた。 竜騎士なんて貧民の自分には関係の無いことだと思っていたアサヒに、ある日、転機が訪れる。 火傷の跡だと思っていたものが竜紋で、壁に住んでたヤモリが俺の竜? いやいや、ないでしょ……。 【お知らせ】2018/2/27 完結しました。 ◇空色蜻蛉の作品一覧はhttps://kakuyomu.jp/users/25tonbo/news/1177354054882823862をご覧ください。

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

莫大な遺産を相続したら異世界でスローライフを楽しむ

翔千
ファンタジー
小鳥遊 紅音は働く28歳OL 十八歳の時に両親を事故で亡くし、引き取り手がなく天涯孤独に。 高校卒業後就職し、仕事に明け暮れる日々。 そんなある日、1人の弁護士が紅音の元を訪ねて来た。 要件は、紅音の母方の曾祖叔父が亡くなったと言うものだった。 曾祖叔父は若い頃に単身外国で会社を立ち上げ生涯独身を貫いき、血縁者が紅音だけだと知り、曾祖叔父の遺産を一部を紅音に譲ると遺言を遺した。 その額なんと、50億円。 あまりの巨額に驚くがなんとか手続きを終える事が出来たが、巨額な遺産の事を何処からか聞きつけ、金の無心に来る輩が次々に紅音の元を訪れ、疲弊した紅音は、誰も知らない土地で一人暮らしをすると決意。 だが、引っ越しを決めた直後、突然、異世界に召喚されてしまった。 だが、持っていた遺産はそのまま異世界でも使えたので、遺産を使って、スローライフを楽しむことにしました。

追放された味噌カス第7王子の異種族たちと,のんびり辺境地開発

ハーフのクロエ
ファンタジー
 アテナ王国の末っ子の第7王子に産まれたルーファスは魔力が0で無能者と言われ、大陸の妖精族や亜人やモンスターの多い大陸から離れた無人島に追放される。だが前世は万能スキル持ちで魔王を倒し英雄と呼ばれていたのを隠し生まれ変わってスローライフを送る為に無能者を装っていたのだ。そんなルーファスはスローライフを送るつもりが、無人島には人間族以外の種族の独自に進化した先住民がおり、周りの人たちが勝手に動いて気が付けば豊かで平和な強国を起こしていく物語です。

私と子供より、夫は幼馴染とその子供のほうが大切でした。

小野 まい
恋愛
結婚記念日のディナーに夫のオスカーは現れない。 「マリアが熱を出したらしい」 駆けつけた先で、オスカーがマリアと息子カイルと楽しげに食事をする姿を妻のエリザが目撃する。 「また裏切られた……」 いつも幼馴染を優先するオスカーに、エリザの不満は限界に達していた。 「あなたは家族よりも幼馴染のほうが大事なのね」 離婚する気持ちが固まっていく。

ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜

KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞 ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。 諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。 そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。 捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。 腕には、守るべきメイドの少女。 眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。 ―――それは、ただの不運な落下のはずだった。 崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。 その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。 死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。 だが、その力の代償は、あまりにも大きい。 彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”―― つまり平和で自堕落な生活そのものだった。 これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、 守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、 いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。 ―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。

【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。