真田源三郎の休日

神光寺かをり

文字の大きさ
32 / 42

否応

しおりを挟む
碓氷峠うすいとうげ

 父・真田昌幸直筆の書状……というか、には、ただそれだけが書かれていました。
 当たり前の指示書であればその後に当然続くであろう、命令を書いた「本文」がありません。

「全く、我が一族は性急せっかちな者ばかりだ」

 誰に言うとでもなく、つぶやきました。
 本文のない命令書の本文に当たる部分は自分で考え、動かねばならぬ。
 その程度のことが出来なければ、あの人の部下や、ましてやせがれは務まりません。
 父の考えていることを推察するか、あるいは、その場で己の思う最適な行動を取るか――。

「あの親父殿の腹の内など、私ごときにわかるはずがない」

 私はこの時の己が僅かに笑ったのを覚えています。

 それはともかくとして。
 例えその詳細がわからずとも、命令は命令です。
 今この時においては、出向いた先でのことはさておき、私は碓氷峠に向かわなければならなりません。
 そして、出向く道中から行く先にたどり着くまでの間に、何のためにそこに向かうのか、あるいは誰かと相対する必要があるのか、そしてその相手をどのように出迎えねばならぬのかを考えねばなりません。
 目的地に着くまでに思い付かなかったとしても、出迎える相手が眼前に現れる直前までには、私が決めねばならぬのです。

 問題は、「出迎える相手は何処の誰か」ということでしょう。

 このとき、甲州上州、そして信州を欲し、狙っていた陣営といえば、上杉、北条、徳川の諸勢力、ということになりましょう。
 これ以外に、例えば奥州の方々の中にも食指を動かさんという向きはあったのやも知れませんが、あちらの方々が信濃に入るには、まずご自身の領内の安寧を量った上で、北条と当たる必要がありました。ですからこの線は他の三つよりは薄いと断ずることが出来ます。

 そして先の三家の中で一番薄いのは上杉です。
 彼の方々の本拠はは越後にあります。従って攻め込んでくるとすれば、境を接する北信濃からということになります。
 あの殿が放棄した北信濃には、一揆勢いっきぜいを除けば、あまり障害となる存在がありません。上杉勢は速やかに進入し、彼の地を掌握なされるでしょう。
 ですから上杉勢が北信濃を抑えた上で、更に東信濃をもお望みであるならば、そのまま千曲川ちくまがわ沿いに上田の平へ進むか、あるいは地蔵峠じぞうとうげを越えて真田の庄方面へ向かう、というのが筋です。言わずもがな、どちらの道を取るにしても碓氷峠とは逆方角です。

 次に徳川陣営です。
 こちらは、本領の三河から入る形となります。
 南信濃から進むか、あるいはまず甲斐から入るか。
 その時徳川の本体が何処にあるのかによりますが、もし甲斐から入った場合、そこには滝川の諸将と兵がおります。また、その旗下ということになっている武田の遺臣もおります。
 織田信長御生害、そのことをまだ知らされていない……であろう武田の遺臣と、元より「同僚」である滝川様と徳川勢が出会ったなら、どうなるのか?
 滝川左近将監さこんのしょうかん一益様と徳川蔵人佐くらんどのすけ様とが不仲であるとは聞き及ばぬ事です。――飛び抜けて良好であるとも聞かぬことですが――それにしても、戦になるとはあまり考えられません。
 恐らくはこの、徳川・滝川の二筋の「川」は、並び流れるか、そうでなければ滝川が徳川に流れ込んで一筋の大川になるでしょう。そして北条を飲み込み、碓氷峠と云わずどの山をも越えて、信濃に押し寄せてくると考えられます。

 ではそこに北条殿の軍勢しかいなかったなら?
 恐らく戦になるでしょう。この時点では勝敗は判断しかねました。それでも徳川勢が碓氷峠を越えようというのなら、その戦に勝つことが必要でした。
 しかし、織田信長様御生害の折りにはまだ大阪に居られた徳川家康様です。その後、無事ご本領に戻られたとして、次にどのような動きをなさるでしょうか。
 確かに領土拡大の好機ではあります。北条方の不穏な動きも気にかかるでしょう。しかしそれよりも、大謀反人・惟任これとう日向守ひゅうがのかみを討つ方を優先するとも考えられます。

 となれば、一番濃い線は、北条ということになります。
 織田家から武田攻めの報奨が与えられなかった北条殿のことです。信長公という枷がなくなれば、長年欲し続けたこの土地に食指を動かさぬ訳がないではないですか。
 偉大な主君を失って浮き足立つ滝川も、寄る辺を失った武田の残党も踏みつぶし、怒濤どとうの勢いで攻め込んでくるのに、何の障害もないのです。
 定めし小勢を率いた私は、昼なお暗い山の中で、北条の大軍と対峙することになる。その公算が高い。
 背筋の寒いことです。
 多勢を目前に見たならば、戦わぬにしても震えが来るものです。しかし――。

 ええそうです。
 この時私は、真田と北条とがすぐに戦になるとは考えておりませんでした。
 碓氷峠に出張る理由は、そこに来た何者かを「丁重に出迎えるため」であると確信していたのです。

 考えてもご覧なさいませ。武田が滅びつつあるとき、父は……は何をしましたか。
 武田四郎勝頼公に信濃岩櫃いわびつまで撤退するように進言するその裏で、は、織田様に馬を贈り、同時に北条に割の良い文を送っていたのですよ。
 その人が、この時に北条方か、はたまた徳川方か上杉方か、あるいはその総てにか、何らかの手を回していない筈がないでしょう。

 それでも私は、もう一つ、峠を越えようと者がいる可能性も考えておりました。
 出浦盛清が、近々滝川様と北条との間に大規模な戦が起きると申しました。そして悲しいかな、その戦では北条方が勝つことがめ煮見えております。
 そうなれば、生き延びた「敗将」や「敗残兵」が信濃へ落ち延びようとするに違いありません。その地に将が目をかけてやっていた土豪がいたなら、それを頼って来ることは想像にやすいことです。

 私は父の寄越した書き付けを、それこそ穴の開くほどじっと見ました。

『碓氷峠』

 たった三文字からなかなか目を離すことが出来ません。私は顔も上げず、どうにか目玉だけを持ち上げて、

垂氷つらら

 呼ばれた垂氷つららめは、不調法にも白い顔の半分と黒い目玉だけを、僅かに引き開けた襖の隙から覗かせました。
 その目玉は、なにやら奇妙なイキモノでも見るかのような色合いで、私と向き合いで座っている出浦対馬の柔和そうな丸顔を、ちらちらと見ています。

「父の命で碓氷峠へ行くことになった」

 間髪を入れず、応えが返ってきました。

「お供いたしますとも」

 間髪を入れず、私も返答しました。

「お前はこの主水佐もんどのすけ殿と厩橋うまやばしに向かってくれ」

「はいはい」

 そういったなんとも気楽そうに返答したのは、出浦盛清でした。素早くひょいと立ち上がります。
 襖の向こうでは黒い目が輝いておりました。

「厩橋と言うことは、との繋ぎですか?」

 その人の名を聞いて、私は漸く頭を持ち上げる気力を得ました。

「前田宗兵衛殿は厩橋には居られぬ。今頃は武蔵国の当たりまで出張っておいでだ」

 私は意識して硬い口調で決めつけました。
 襖の陰の目の光には、失望のような不安のような色が加わりました。

「では、何を?」

「厩橋に当家からの証人ひとじちがいる」

 垂氷つららが何か言いかけましたが、その前に盛清が、

「つまり、手薄な城に忍び込むか急襲するかして、厩橋に閉じ込められている於菊おきく様をお助けしろ、ということでありますな。承知承知」

 ひょいひょいと歩むと、開き掛けの襖を大きく開け放ちました。

「さ、参りましょうかね」

 垂氷は盛清の柔和顔を見上げ、固唾かたずを飲み込むと、頭を振ったのです。

「嫌でございます」

 これを聞いて盛清は私の顔色をうかがい見つつ、

「……と、おりますが?」

 丸い狸面は、呆れたというでもなく、困ったというでもなく、おかしくてならないといった具合の色をしておりました。
 私は何も言いませんでした。言わぬまま、垂氷つららめの目の玉のあたりに視線を投げました。
 すると垂氷つららはブルリと身震いしたかと思うと、急に居住まいを正して、

「わたしは砥石といしの殿様から、若様の武運長久ぶうんちょうきゅう祈祷きとうをする役目を、専属にするように仰せつかったのです。お側に居らねば祈祷が出来ません」

 真面目な顔をして申したものです。私は少々可笑おかしく思ったのですが、笑うことは堪えました。

「使いに出ろと命じた時には、走るのが好きだと申して、喜々として私から離れて何処までも行くではないか」

 そこまで言うと、一呼吸置いて、

「それとも、慶次郎殿が居らぬ厩橋には興味がないか?」

 意地悪く言い足しました。
 垂氷は激しく頭を振りました。

「それは違います。断じて違います」

「では、何故だ?」

「わたしが今まで喜んで若様のお使いに出たのは、ご命令が『行って帰って来い』だったからです。『行け』と言うだけのご命令ならば、キッパリ御免にございます」

 垂氷はくちばしを尖らせました。於亀おかめ火男ひょっとこの面を真似しているようでした。
 その面を出浦盛清がしみじみと眺め見て、

は何よりなんですがねぇ」

 などという、何か含みのある、それでいてワケの通らぬような事を申したものです。
 申したと思ったときには、ねてそっぽを向いた垂氷つらら奥襟おくえりをがっちりと掴んでおりました。

「さて、参りますよ」

 盛清は掴んだを引きって歩き出しました。その様は、田舎の禅寺に幾年幾十年も掛けっぱなしにされてたっぷりと抹香まっこういぶされた軸から抜け出てきた釈契此しゃくかいしの様に見えました。
 ただ、この狸面の、忍者を自称する布袋尊ほていさまが引き摺っているのは頭陀袋ずだぶくろなどではなく、生きた人間です。それも垂氷つららです。温和おとなしく引き摺られてゆくはずがありましょうや。
 暴れました。
 裳裾もすそが乱れはだけるのも意に介せず、手足と言わず体中をバタバタと振り揺すり、城内隅々まで聞こえるほどの大声でぎゃぁぎゃぁと喚いたものです。駄々だだねるわらべのそのものでした。
 喚き声の主は廊下へ出、出口の側へ曲がり、柱やら壁やらの陰に隠れて、私からは姿が見えなくなりました。その後に及んでもまだ声も床を叩き蹴飛ばす音も聞こえます。
 私は、次第に遠くへ去って小さくなって行くその音に、声を掛けたのです。

「頼んだぞ!」

 思わぬ大声でありました。自分でも驚くほどの声量でした。
 途端、音がぴたりと止みました。
 静寂が続き、息が詰まるかと思ったころ、

「承知いたしました」

 泣き腫らした童めが、掠れた声を張り上げて答えてくれたものでした。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...