真田源三郎の休日

神光寺かをり

文字の大きさ
17 / 42

比興《ひきょう》

しおりを挟む
 滝川一益様に気に入られ信頼されているからこそ、父は本領安堵された上に砥石に住むことが許されているのです。

「あのじんは、実に面白い。まことに珍しい生き物だ」

 父も笑っていました。
 これを聞いた大叔父は、

「向こうもお主をそう思うておろうよ」

 大笑たいしょうしました。
 一頻ひとしきりお笑い納めになると、大叔父は急にお顔の色を険しくなさいました。

「儂は人の胸の内を探ったり内密に調べたりなどというのは苦手だ。故に、義太夫殿とはこれからも当たり前に付き合うことにする。当たり前に付き合うて、当たり前に知れることを知る。面白きことがあれば、ぬしに知らせる。それで良いな?」

「構いませぬ」

 父はにこやかに答えました。
 これを聞いて大叔父はうなづいて、立ち上がり、そのまま出て行こうとなさりました。……が、二・三歩ほど歩んだところでふと立ち止まり、無作法にも父に背を向けたまま問いました。

於菊おきくが事は、如何いかにする?」

 途端に父の顔から笑みがかき消えたものです。面倒くさげに息を吐いて、

「厄介ごとを思い出させてくれますな」

「忘れたで済む事でははない。主は正式な返答を後日送れば良かろうが、儂は帰れば直ぐに義太夫殿に復命せねばならぬ」

 振り返りもしない大叔父の背を睨み、父は口をとがらせて言いました。

「今、於菊が三九郎殿に嫁せば、降将が命惜しさのために娘をにえにしたように見る者もおるだろうから、その儀は今暫くお待ちいただきたい、と」

 諒承したとも断ったとも取れる言い草ではありますが、それでも一応は理に適った言い訳になっています。

「ふん……。で、石田の方へは?」

「この度の事により未だ家中が落ち着かぬ故、輿入こしいれの義はお待ちいただきたい、とでも文を出しましょう」

 これも、承とも不承とも取れ、且つ、あやふやとは言え筋は通っています。

「成程。して、主は天秤の傾き具合を遠くから眺める、か。比興ひきょうなり、比興なり」

 大叔父はカラカラと笑い、歩幅大きく出て行かれました。

 その時私には、苦笑いして大叔父を送り出す父の目が、少しばかり曇っているように見えました。
 不安であるとか、心配であるとか、そう言った心持ちのために生じた曇りではない。何かを隠しておいでるのではないか。何か重要な事柄を、大叔父にも私にも言わずにおられるのではないか――私はそう思うて父の顔を見ておりました。
 父の目を見ることで、何かを読み取れるかも知れない、と思ってのことです。
 私の浅はかな考えなど、直ぐに父に知られてしまいました。
 父は瞼を閉じてしまったのです。

源三げんざ

 地を這うような低い声音が私を呼びました。身が縮む思いがしましたが、しかしどうやら平静を保ち、

「はい」

 返答いたしますと、父は小さな声で言いました。

「織田様の使い……いや、織田様の身辺からの正規の使いが重要な知らせを持って滝川様の元へ走り込むのと、ノノウや『草』達がそれを持ってここへ走り込んでくるのと……お主、どちらが速いと思う?」

 私は暫し考えました。
 父のことですから、本当にどちらが速いかを尋ねているのでは無いでしょう。そのようなことなど、私に聞くまでもなく、父の方が良く知っているはずです。
 ではなぜそのようなことを聞くのか。
 父の意向が図りかねました。
 となれば、正直に答えるより他に術がありましょうか。

「どちらとも申し上げかねます」

小狡こずるい答えだな」

「そう仰せになられましても、私には『場合によると』しか返答できませぬ」

「場合、とは?」

「まずは、使です」

「ほう?」

「岩櫃におります垂氷つららと申しますノノウの足の速さには大変驚かされました」

「ノノウの、垂氷つらら?」

 今から思い起こしますと、この時の父の眉根には、なにか奇妙で不可解な皺が浮いていたように思われます。しかしながら、その折の私には、それがどの不可解に対して浮かんだ物であるか、などと考えている暇はなかったのです。
 何分、私の廻りには、この足りない脳味噌で考えねばならぬ事が、あれやこれやあふれておりました。
 考える事が多すぎて、考えの廻らなくなっていたそのときの私は、いささか早口で言葉を続けました。

「ノノウや草の者たちが揃ってみな彼の者ほどに足早で、しかもその網が強く強固であるのなら……当たり前の連絡つなぎであれば、おそらくノノウや草の方が恐らく速いかと。されど……」

「されど?」

が、思いもしない程に大きければ、正規の御使者が死に物狂いで馬を走らせることでしょう。
 ですから、場合による、と」

「事の、大きさ、か」

 父は言葉の一つ一つを、それぞれ絞り出すようにして言い、瞑目《めいもく》したまま天を仰ぎました。
 このような勿体もったい振った有様を見せつけられますれば、幾ら鈍い私でも、父の所に来た連絡の内容が、実は相当な大事であったのだろうと察することが出来ます。
 己が頼みとする叔父に総てを開かすことができず、不肖ふしょうせがれにもそのまま告げることが出来ないような一大事です。
 私は足りない頭で精一杯の問いかけをいたしました。

「速く届いた知らせが、必ずしも正しい知らせとは限らないのではありますまいか?」

 そのようなことなど父は重々承知でしょう。それでも私は言わずにおれなかったのです。

「正しくなければよいが、な」

 父は大きく息を吐き、眼を見開いて、天井を睨みました。
 私は不安に駆られました。そして何故か、このまま父を沈黙させてはならない、そんな気がしたのです。

「正しいとご判断なさるに足る知らせで御座いますか?」

「むしろ、有り得ぬ知らせだな」

「ならばそれほど御懸念ごけねんなさらずとも宜しいのでは?」

「ここが、な……」

 つい先ほど、顎の辺りを撫でた右手の、骨太な親指が、胸板の真ん中当たりを突き刺すようにして指し示しました。
 父の唇の端がくっと持ち上がりました。笑っています。
 しかし、目は、眼は、暗い色をしておりました。
 いいえ、決して落ち沈んでいたのではありません。
 遠い暗雲の中の雷光のような、暗い、恐ろしい光を放っていたのです。
 心の大半では、大事が起きるのを楽しみに待っている。そして残った僅かなところで、平穏無事を願っている。
 人の心という物は、なんとも複雑な代物です。
 私は父の前に膝行しっこうし、その暗く光る眼を見つめ、思い切って尋ねました。

「どのような知らせで?」

「儂がこの面白き事を、人に開かすと思うか?」

 父は弾けるように笑いました。

「倅にも明かさずに、になさりまするか?」

 私が拗ねた声で尋ねますと、父は笑声をぴたりと止め、

「菊の嫁ぎ先を決めたなら、真っ先にお前に教える」

 渋皮を貼ったような顔で言ったものです。


 さて――。
 私が岩櫃に戻りますと、垂氷が出迎えてくれました。
 その時の私といえば、情けなくも、できれば直ぐにでも寝てしまいたいと弱気になるほどに疲れ切っておりました。ところが、垂氷は私の都合など知らぬ顔で、

は、血の氷った鬼のような方ですね」

 口を尖らせました。

「大叔父殿が、なにかなされたか?」

 垂氷の顔には、そう尋ねろ、と、書かれておりました。

「戻ってお見えになるなり、
『沼田だ。急ぐ。換え馬』
 で御座いますよ。それで、沼田からお連れになって、ここで御休息なされていたご家来衆の襟首を掴んで、まるで荷物のように無理矢理馬に乗せて……」

「ここを出立するときに、私を馬に乗せたように、か?」

「はい、先刻若様にそうなされたように、です」

 私の疲れ切った脳髄でも、大叔父のなさりようが、ありありと想像できました。

「それは……可哀相かわいそうに」

 呟いたその直ぐ後を追って、大きな欠伸が腹の底から湧き出て参りました。

「本当にお可哀相でしたよ。丁度お茶を点じて差し上げた所でしたのに。まだ口も付けない内に、首根を掴まれて引きずって行かれて。本当に酷いお年寄りです」

 垂氷のむくれた声が、なにやら遠くにから聞こえるような気がしました。
 私は首を横にして、

「違う。可哀想なのはあの者達ではなく、大叔父殿だ。父上から厄介ごとを頼まれて、その頼まれごとに急かされている大叔父殿が可哀相だ……」

 と言いました。
 いえ、正しくは「言ったつもり」でありました。

 情けないことに私は、首を横に振ったその途端に、耐え難い眠気に襲われて、途端、バタリとうつ伏し、そのまま夜が明けるまで、前後不覚に眠ってしまったのです。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...