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おまけ(恋はまだ先のこと)
しおりを挟むドナイナッテ王国からマケルカ王国へと居を移して、三年が経ちました。
改めまして私の名は、ヴィオレッタ・ショーリー・マケルカ。元、ドナイナッテ王国のショーリー公爵家の娘であり、今ではマケルカ王国の国王夫妻――私にとって叔父夫婦――と養子縁組が成立し、血筋の上でも籍の上でも正当な第一王位継承者です。
転入した女学園は何事もなく卒業し、現在は王家としての務めを果たしつつ結婚の準備を進める日々を送っておりますわ。…そう、半年後には私の結婚式が執り行われますの。結婚後、立太子する事が決まり、次期女王となる事が確定している私の結婚式は国を挙げての慶事となり、マケルカ王国が復興に成功しその未来は明るく盤石であると各国に示す絶好の機会。油断なく適切に確実に準備を進めねばなりません。その為に、ショーリー公爵夫人(実のお母様)も隣国とは言え国境を超えてわざわざ手伝いに駆けつけて下さいました。ついでのようにショーリー公爵家からの紹介で優秀な女官や従者達が増やす事が叶いましたのは、結婚式の準備で王女付きとなる者達の人手不足問題を知っておられたのでしょうね。お母様、実に頼もしいですわ。
これで何の問題もなく結婚式を挙げられることでしょう――――そのはずですのに。私の心は不安に揺らぐことが増えております。具体的な懸案はありませんが、どうにも落ち着かないのです。
「――と言う感じなのですが、不安になる様な問題は今のところ起きてもおりませんので、どう解決すればよいのか困ってしまって」
「あぁ、それはマリッジブルーね」
ある日、一息入れましょうとお母様に誘われて、王城内の小さな中庭にて二人きりのお茶会となりました。話題の一つとして私の今の心情について相談してみると、お母様からすぐに答えが出てきました。マリッジブルーと言えば、結婚を控えた人が一時的に発症する精神的な症状のことでしたわね。突然気分が落ち込んだり不安がったりと…あぁ、確かに今の私にピッタリの症状と言えますわ。
「知識として知っておりましたが、私に当てはまるとは思っていませんでしたわ…」
私は将来的に女王となる身。まだ一つの可能性でしかなかった頃から常に心を落ち着け、冷静に判断するよう厳しく教えられ、必死に取り組んできました。まだまだ未熟ではあると思いながらも、自制心や精神力は同世代の令嬢よりも強いという自負もありましたのに…不甲斐ないですわ。
「貴方には大きな負担をかけてしまったわね…」
「いいえ、お母様。私にも選択肢がありました。今の道を選択したのは私です」
両親を含めた周囲の思惑もありましたが、実を言うと最終的な判断は私自身に委ねられていました。私が女王となるか、私が産んだ子を次期王とするか。後者を選べばドナイナッテ王国の第二王子との婚約が白紙となった以上、その場合、私はショーリー公爵令嬢として、ドナイナッテ王国の王太子の側妃に迎え入れられる可能性がありました。隣国の次期王の母親ですもの、王家に嫁入りする事で王族として丁重に扱う為でもありますが、いざと言う時の人質としての価値もありますしね。どの道、王族貴族は政治の手段として婚姻を用いますから、下手な所に嫁入りするよりも断然良い縁談と言えるでしょう。側妃ですので、子を産む以外の重責は国を背負う女王となる事よりも軽いモノでしょうし。
それでも、私は女王となる事を選びました。少しの迷いがなかったとは決して言えませんが、この判断に後悔することは今後もありませんでしょう。
次代の王が決まるまでの時間が遅ければ遅いほど、あのアリエン帝国が再び戦争や裏工作を仕掛けてくる可能性が高まります。しかし、私が次代の女王となればアリエン帝国に隙を与えることなく、私の血でマケルカ王国の未来を繋ぎ、私の身体でマケルカ王国の今を築き、私の心でマケルカ王国の平穏を守ることが出来る。
私は、第一王位継承者である身として、この道を選んだのです。
「…今にして思えば、かつての婚約期間中に色々と学んだ事が決め手で、女王となる決意が付いたのかもしれませんわね」
後先を考えず己の為だけに行動する者の愚かさを。すべての物事を己の都合の良いように判断する者の軽率さを。耳障りの良い言葉に酔いしれる者の迂闊さを。
国を背負う王家の者として、あってはならないその姿を近くで見て来たのです。婚約者として寄り添う努力はしておりましたが、貴族としてあのような恥は晒すまいと決意した時もありました。
「あら…反面教師としては優秀な方だったのね。公爵家としてもあの問題しかない態度を再三注意していたのだけれど全く相手にされず、どういう事だろうかとその有り得ない思考を理解しようと旦那様と頭を悩ませた日が懐かし…くもないわね」
「…口に出したのは私ですが、私も良い思い出がない分、嫌な気分しか残りませんわ。かと言って、忘れることも難しいですし」
「……もしかして、貴方の不安の原因はそれなのかしら」
「え?」
「ねぇ、今の婚約者であるデーキルッゾ侯爵令息をどう思っているのか、少し聞かせてちょうだい?」
「ロイ様のこと…」
私の婚約者であるロイ様。デーキルッゾ侯爵家の嫡男でしたが、私の王配となるに当たりデーキルッゾ侯爵家の継承権を破棄したことで、妹君であるロネ侯爵令嬢が継承者として認定されました。なので、ロイ様の今の身分は侯爵令息だけとなります。
本来、王配となる方が実家である家の継承権を破棄する必要はありません。弟妹に譲位する形を取れば問題ないのです。しかし、ロイ様はデーキルッゾ侯爵家に戻るつもりはないからと、継承権を破棄する事で私に一生を捧げ、またマケルカ王国に生涯仕える事を誓われたのです。
「王配となる事を覚悟した、責任感の強い方ですわ」
「それだけではないのでしょう?」
「はい、それはもちろん」
初めての対面は、次の婚約者候補として叔父様…いえ、お義父様より紹介される前でした。実は妹君であるロネ侯爵令嬢は私の一つ上で同じ女学園に通っておりまして、ロネ侯爵令嬢専用の馬車が故障した事が原因で、ロイ様がご自身の専用馬車で女学園前までロネ侯爵令嬢を迎えに来られた事がありましたの。
当初、私は私の馬車がある位置まで普段通り歩いて向かっていたのですが、前日の雨でレンガの小道が濡れていたせいか、少しばかり足を滑らせてしまい前に倒れかけました。私の後ろを歩き荷物を運んでいたアンナも対応に遅れ、私が倒れる寸前に支えて下さったのが、ロイ様でした。支える為とは言え不用意に淑女である私に不用意に触れてしまったことに深く謝罪をされ、そのまま丁重な扱いで馬車までエスコートして下さいました。
その場では名乗り合う事を敢えてしていなかったのですが、後日、不用意に触れてしまったことへのお詫びとして、綺麗な花束と手紙がロイ様より私宛てに届きました。馬車の家紋をしっかり確認していたのでしょうね。抜かりの無い手配に感心致しました。
「ロイ様の手紙は、美しく優しい手紙でした。その内容も、文字も。代筆ではと疑う余地すらありませんでした。…今も手紙を交換しておりますが、その美しさと優しさは変わりありませんの」
後、一番思い出深い出来事と言えば、正式に婚約者となり、初めての夜会でエスコートされて日のこと。互いの持つ色を指し色にした衣装と、同じように色を合わせた宝石のついた装飾品。不思議とそれらを身に纏うだけで心強く思いましわ。それだけではなく、まだ不慣れであったマケルカ王国での夜会の間、ずっと私の隣に並び立つロイ様の存在がどれだけ頼もしく思えたか。さりげなくリードされるダンスのステップにどれだけ心躍ったか。
「ロイ様が隣にいると思うだけで、心が落ち着きますの。実際に隣に居れば、私の心は安堵に包まれどんな苦境も乗り越えられると思えてきますのよ」
何もない普段であってもロイ様は紳士的で良い方ですのよ。ロイ様は私への言葉と関心のある姿勢を一切隠さず見せてくれますの。挨拶には当然のように私を褒めるような言葉が付き、会話にも自然と紛れ込むのです。どんな些細な話にも耳を傾け、意見もくれる。例え私の意見とは異なるものであっても、考えていることを私に伝えて下さいます。対立する意見の時は何度も討論を重ね、互いの妥協点を探る事にしているのけれど、そんな時間さえ、とても楽しいと思えるのです。ロイ様と過ごす時間はどんなに短い時間でも、楽しい印象しかないのはすごいことだと思うわ。
「ロイ様と私は気の合う方だと思うわ。だって、どれだけ話をしていても、お互いにつまらないと感じたことがないのですもの」
「…でも、結婚したら前の婚約者のようになるかもしれない、と不安に思う?」
「!!」
お母様の言葉を受け、ズキッと胸が痛みました。先程まであった温かい気持ちが、スゥっと冷えていく気がします。
「…私は、前の婚約者とロイ様を同じだと思っておりません」
「分かっているわ。でも、一度経験したからこそ、不安になることもあるわ」
「ロイ様は、私に嘘をついてはいません。態度からも分かりますし、ロイ様についての調査でもこの結論は変わりませんでしたわ」
「自己判断だけに頼るのではなく、第三者の目を入れるのは施政者として正しいわ」
「…私は、私は…」
目元が熱くなります。頬が濡れてゆくのも感じますが、今の私にはどうにも出来ません。
「…ロイ様を信じています。なのに、不安になるのです。どうしようもなく、疑う理由も根拠もないのに」
本当に私は、ロイ様を信じています。ロイ様とならば共に国の礎となる、互いに想い合える夫婦になれると。憧れていたような熱烈な恋をする事はなくとも、穏やかに緩やかに互いを尊重し愛する事は叶うと。その気持ちは私だけのモノではない事も、今はもう確信しているのです。
それなのに、いつの日かロイ様が、以前の婚約者のように私を睨みつけ、私を疎ましく思う言葉を吐き散らし、私を無視する態度を隠すこともせず。意味もなくただただ私を敵だと思う様な、そんな状態になるのでは…そんな考えが、ふとした瞬間に私の心の片隅から湧いてくるのです。
「ヴィオラ。私の愛しい娘、ヴィオレッタ」
お母様は優しく私を呼びながら、取り出したハンカチで私の涙をぬぐって下さいました。
「その貴方の不安な気持ちを、今すぐぶつけなさいな。そういった不安は当事者同士、存分に語り合えば解決するものよ」
「…いますぐ?」
「ええそうよ。結婚の準備と共に、王配としての教育が進んで忙しい中、私の呼び出しに即座に応じた――ほら、こちらに真っすぐ向かって来る貴方の婚約者に、ね」
お母様が向けた視線の先には、まだ距離がありますが確かにロイ様の姿がありました。ロイ様は急いで来られたのか、銀色の御髪が少し乱れているように見えます。真っすぐ私に向けられる青い目は強い意志が感じられますが、あれは怒っていると言うより、心配しているのかしら…?
「…お母様、ロイ様に何と伝えて呼び出されたのですか?」
「あら、簡単よ。『愛しい娘を不安にさせたままの誰かさんの顔を見てみたい』って一言で済んだわ」
「お母様?」
最初から私の状態を察しておられたようです。お母様、頼もしすぎません事…?
「ヴィー」
ようやく中庭に到着されたロイ様がお母様への挨拶もほどほどに、私の名を呼びます。
私の名はヴィオレッタ。『ヴィオラ』は家族や身近な方に呼ばれる私の愛称。『ヴィー』はロイ様だけに許した、特別な呼び方です。『ヴィー』と呼ばれるだけで、私の中の不安はゆっくり消えてゆき、心が落ち着いていくのを実感します。
心が落ち着けば同時に思考が晴れ渡り、以前目にした書物の内容を思い出します。それは結婚に関する書物で、マリッジブルーについての解消法も記載されていたのです。確か、解消法として結婚後にやりたいことや将来の楽しい場面を想像する事が挙げられ、結婚相手と良く話し合う事も大事である、と記されていたはずですわ。…本当に、お母様のいう通りですわね。
時間が足りない中で、私を心配し駆けつけて下さったロイ様。この方なら、私が抱える不安の気持ちをぶつけても、きっと応えて下さいます。将来の事だって、厳しい問題ばかりではなく、楽しい場面だってたくさんあるはずです。たくさんたくさん、お話しましょう。
「ロイ様、私の話を聞いて下さいますか?」
――それから、日が暮れるころまで、私はロイ様と思う存分に語り合いました。いつの間にかお母様は席を外しており、その間の私とロイ様の予定はお母様達が色々と手配して下さったようです。大変助かりました。そして後日、すっかり落ち着いた私は、お母様から言葉を貰いました。
――あなたは恋をする前に、愛を知っただけなのよ。恋愛結婚だろうと政略結婚だろうと、愛の形は人それぞれなのだから、貴方自身の愛を大事になさい。
私はこの言葉で気付かされましたの。両親の恋愛結婚の話を聞いて、両親の相思相愛の姿を見て、以前の婚約者の恋愛模様を知った私は、恋を先にしなければ理想の恋愛は叶えられないものだと、思い込んでいた事に。
愛を知った後でも、恋する事は出来るはず。その相手が、愛する相手であるなら猶更のことです。うふふ、これで将来の楽しみ事がまた一つ、増えましたわね。
きっと、私は恋をします。それは先の事でもしかすると、女王の座を我が子に譲位した日以降になるかもしれません。ですが、ロイ様とならば幾つになっても素敵な恋愛が楽しめると思えるのです。
結婚式はもうすぐそこ。その日は一切の憂いもなく、素晴らしい日となる事でしょう。
【完】
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