3 / 112
第1章-2
しおりを挟む
その日は祐樹が北京案内といったとおり、日本から来た衣料メーカーの男性社員二人を連れて王府井をかるく案内した。
けれども、祐樹も含めて彼らには中国のもろもろがカルチャーショックを与えたようだった。
デパートに行けば、そのほこりをかぶった商品と客に見向きもしないでおしゃべりに夢中な店員に驚き、ためしに「商品を見せて欲しい」と言ってみれば、乱雑に積み上げられた商品をぽいと放り投げられたことに目を瞠った。
街中の公衆トイレを体験させてみれば有料である上に、扉がないことにショックを受けていた。
もちろん入ってみただけで使わなかったが、出てきたあとに「あのトイレでは大の場合、どちら向きにしゃがむのか」と真剣な顔で訊かれた。
こちら向きが一般的で、並んでいれば目が合うし、中国人は友人同士なら用を足しながら会話もしていると答えると、絶句していた。
孝弘も公衆トイレを使ったことはほとんどない。
街中ではホテルや食堂のトイレが比較的、安全だ。
路上で体重計一つを前に置いて座り込んでいる人を見かけて、何をしているのかと訊くので、体重を量る商売だと教えたら目を丸くしていた。
ほかにも椅子一つ置いただけの散髪屋や靴磨き、占い師や将棋の相手待ちなど、路上の商売人の光景には驚きを隠せないようだった。
喉が渇いただろうと露店でペットボトルのドリンクを買って渡してやり、三人の反応を横目でながめながら、孝弘は自分も一年前はああだったと懐かしく思う。
いつの間にかそんな光景にも慣れて、日本から来たばかりの彼らの反応が新鮮だった。
「さっきから気になってたんだけど上野くんの使ってるお金、人民元ってやつ?」
ミネラルウォーターを飲みながら、祐樹が孝弘の手元を覗きこんだ。さっきもらったおつりの札を見ている。
「そうです。人民幣っていいます」
トイレでも露店でも三人を制して金は孝弘が払った。
その金が自分たちがホテルで換金した金とは明らかに見た目が違うので、ふしぎに思っていたのだろう。
「高橋さんたちはFEC持ってるんですよね。ホテルはともかく、街中の露店や普通の店ではそれはあまり使えません」
「どうして? ホテルでちゃんと換金してきたお金なのに?」
孝弘は自分の財布から、何枚か札を取り出すと三人にみせた。
百元札、五十元札、十元札、五元札、一元札。すべて毛沢東の顔がデザインされた色違いの札だ。
何人もの手に渡って日本人の感覚からすれば、かなりボロボロになっている。
「この下にまだ細かい札とコインもありますけど、あまり使いません。一份札みたいな細かいお金は十枚束ねてホチキスでとめてあったりします」
「お金にそんなこと、するんだ」
「少額の札だとわりと普通ですよ。で、FECは北京語では外幣と言って、外国人専用通貨なんです。建前上、中国人には手に入らないことになっているし使えません。だから街中の露店なんかでは断られたりします」
「この人民元は中国人用通貨です。同じ金額の札がFECにもありますけど、街中でチェンジすれば今のレートで100FECは140人民元になります」
三人は興味深い顔で聞いている。1元は約13円。40元の差額なら約520円。現在の平均月収が5000円程度のこの国では大きいだろう。
「価値が違うってこと? 同じ額面で?」
「はい」
「銀行では同じ金額って扱いだよね?」
「そうです。中国は二重通貨の国なので、外国人には何かと高く設定されているんです。ホテルの宿泊料も観光地の入場料も飛行機や列車の切符も、外国人価格と中国人価格があります。食堂でも外国人価格の設定があったりします。場所によりますけど、中国人の3倍から10倍の設定だと思えばいいかな」
「ああ、そういうことだったのか」
赴任前にさらっと中国事情のレクチャーを受けたという祐樹は、その説明になにやら納得した顔になった。話を聞いただけではピンとこなかったが、中国に来てみて腑に落ちる場面に遭遇したのだろう。
「そういえば、社員食堂も値段が二種類あるけど、そういうこと?」
「たぶんそうだと思います。社員食堂は知りませんが、同じメニューで価格が違うんでしょう?」
「うん。メニューそのものが違うこともある。現地社員とは給与体系が違うからそのせいかと思ってたけど、外国人価格だったのか」
「ずいぶん露骨な外貨獲得政策ってやつだな」
「それでぼったくるのが当たり前になってんのかな?」
それは日本人の感覚だ。孝弘は苦笑を浮かべて言った。
「ぼったくるというよりも、言ったもん勝ちって感じな気がします」
「言ったもん勝ち?」
「はい。基本的に交渉ありなので」
値段に不満があれば、交渉すればすぐに下げてくれる。最初から交渉する気で売り手は声を掛けるし、買い手が納得する値段で売る、という考え方なのだ。
「そうか……。もともと買い物は交渉制なんだよね?」
「そうですね。ほとんど何でも交渉します」
「そもそも定価ってあんの?」
「ものによってはありますよ」
「例えば?」
「本とか薬とかは一応定価書いてあります」
「ああ、なるほど」
話しながら王府井大街のいちばん故宮側まで来て、四人は足を止めた。
けれども、祐樹も含めて彼らには中国のもろもろがカルチャーショックを与えたようだった。
デパートに行けば、そのほこりをかぶった商品と客に見向きもしないでおしゃべりに夢中な店員に驚き、ためしに「商品を見せて欲しい」と言ってみれば、乱雑に積み上げられた商品をぽいと放り投げられたことに目を瞠った。
街中の公衆トイレを体験させてみれば有料である上に、扉がないことにショックを受けていた。
もちろん入ってみただけで使わなかったが、出てきたあとに「あのトイレでは大の場合、どちら向きにしゃがむのか」と真剣な顔で訊かれた。
こちら向きが一般的で、並んでいれば目が合うし、中国人は友人同士なら用を足しながら会話もしていると答えると、絶句していた。
孝弘も公衆トイレを使ったことはほとんどない。
街中ではホテルや食堂のトイレが比較的、安全だ。
路上で体重計一つを前に置いて座り込んでいる人を見かけて、何をしているのかと訊くので、体重を量る商売だと教えたら目を丸くしていた。
ほかにも椅子一つ置いただけの散髪屋や靴磨き、占い師や将棋の相手待ちなど、路上の商売人の光景には驚きを隠せないようだった。
喉が渇いただろうと露店でペットボトルのドリンクを買って渡してやり、三人の反応を横目でながめながら、孝弘は自分も一年前はああだったと懐かしく思う。
いつの間にかそんな光景にも慣れて、日本から来たばかりの彼らの反応が新鮮だった。
「さっきから気になってたんだけど上野くんの使ってるお金、人民元ってやつ?」
ミネラルウォーターを飲みながら、祐樹が孝弘の手元を覗きこんだ。さっきもらったおつりの札を見ている。
「そうです。人民幣っていいます」
トイレでも露店でも三人を制して金は孝弘が払った。
その金が自分たちがホテルで換金した金とは明らかに見た目が違うので、ふしぎに思っていたのだろう。
「高橋さんたちはFEC持ってるんですよね。ホテルはともかく、街中の露店や普通の店ではそれはあまり使えません」
「どうして? ホテルでちゃんと換金してきたお金なのに?」
孝弘は自分の財布から、何枚か札を取り出すと三人にみせた。
百元札、五十元札、十元札、五元札、一元札。すべて毛沢東の顔がデザインされた色違いの札だ。
何人もの手に渡って日本人の感覚からすれば、かなりボロボロになっている。
「この下にまだ細かい札とコインもありますけど、あまり使いません。一份札みたいな細かいお金は十枚束ねてホチキスでとめてあったりします」
「お金にそんなこと、するんだ」
「少額の札だとわりと普通ですよ。で、FECは北京語では外幣と言って、外国人専用通貨なんです。建前上、中国人には手に入らないことになっているし使えません。だから街中の露店なんかでは断られたりします」
「この人民元は中国人用通貨です。同じ金額の札がFECにもありますけど、街中でチェンジすれば今のレートで100FECは140人民元になります」
三人は興味深い顔で聞いている。1元は約13円。40元の差額なら約520円。現在の平均月収が5000円程度のこの国では大きいだろう。
「価値が違うってこと? 同じ額面で?」
「はい」
「銀行では同じ金額って扱いだよね?」
「そうです。中国は二重通貨の国なので、外国人には何かと高く設定されているんです。ホテルの宿泊料も観光地の入場料も飛行機や列車の切符も、外国人価格と中国人価格があります。食堂でも外国人価格の設定があったりします。場所によりますけど、中国人の3倍から10倍の設定だと思えばいいかな」
「ああ、そういうことだったのか」
赴任前にさらっと中国事情のレクチャーを受けたという祐樹は、その説明になにやら納得した顔になった。話を聞いただけではピンとこなかったが、中国に来てみて腑に落ちる場面に遭遇したのだろう。
「そういえば、社員食堂も値段が二種類あるけど、そういうこと?」
「たぶんそうだと思います。社員食堂は知りませんが、同じメニューで価格が違うんでしょう?」
「うん。メニューそのものが違うこともある。現地社員とは給与体系が違うからそのせいかと思ってたけど、外国人価格だったのか」
「ずいぶん露骨な外貨獲得政策ってやつだな」
「それでぼったくるのが当たり前になってんのかな?」
それは日本人の感覚だ。孝弘は苦笑を浮かべて言った。
「ぼったくるというよりも、言ったもん勝ちって感じな気がします」
「言ったもん勝ち?」
「はい。基本的に交渉ありなので」
値段に不満があれば、交渉すればすぐに下げてくれる。最初から交渉する気で売り手は声を掛けるし、買い手が納得する値段で売る、という考え方なのだ。
「そうか……。もともと買い物は交渉制なんだよね?」
「そうですね。ほとんど何でも交渉します」
「そもそも定価ってあんの?」
「ものによってはありますよ」
「例えば?」
「本とか薬とかは一応定価書いてあります」
「ああ、なるほど」
話しながら王府井大街のいちばん故宮側まで来て、四人は足を止めた。
12
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
【完結 一気読み推奨】片想いの相手が「そろそろ恋愛したい」と言ったので、用済みの俺はニートになることにしました。
はぴねこ
BL
高校生の頃、片想いの親友に告白した。
彼はノンケだったから玉砕して友人関係も終わるものだと思っていた。
もしかすると気持ち悪いと軽蔑される覚悟までしていたのに、彼は「今は恋愛をしている時間がないんだ」と自分の夢を語ってくれた。
彼は会社を興した祖父のことをとても尊敬していて、自分も起業したいと熱く語ってくれた。
そして、俺の手を握って「できれば親友のお前には俺の右腕になってほしい」と言われた。
同性愛者の俺のことを気持ち悪いと遠ざけることもせずに、親友のままでいてくれた彼に俺は感謝して、同じ大学に進学して、大学の頃に彼と一緒にゲームを作成する会社を起業した。
あれから二十年間、本当に二人三脚で駆け抜けてきた。
そして、昨年売り出したVRMMOが世界的に大ヒットし、ゲーム大賞を取ったことを祝うパーティーで親友が語った言葉に俺の覚悟も決まった。
「俺もそろそろ恋愛したい」
親友のその言葉に、俺は、長年の片想いを終わらせる覚悟をした。
不憫な拗らせアラフォーが”愛”へと踏み出すお話です。
【完結】余四郎さまの言うことにゃ
かずえ
BL
太平の世。国を治める将軍家の、初代様の孫にあたる香山藩の藩主には四人の息子がいた。ある日、藩主の座を狙う弟とのやり取りに疲れた藩主、玉乃川時成は宣言する。「これ以上の種はいらぬ。梅千代と余四郎は男を娶れ」と。
これは、そんなこんなで藩主の四男、余四郎の許婚となった伊之助の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる