あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第3章-1 慕田峪長城

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「なに上野シャンイエ、ずいぶん早いじゃん」
 同室ドンウー(ルームメイト)の佐々木があくびまじりにベッドのうえでぼんやり目を開いていた。時計はまだ朝7時前だ。
慕田峪ムゥティエンユィ行ってくるって言っただろ」
「あーうん。みやげは長城まんじゅうなー」
「ないわ、ボケ。じゃあな」
 まだ寝ぼけ声の佐々木に突っ込み、孝弘は部屋を出た。足取り軽く階段を降り、寮を出ると外は快晴だった。うん、長城日和だ。

 寮から校門までは歩いて10分ほどかかる。
 途中の露店で小さいサイズの包子パオズを買う。朝ごはんによく買うので、店のおやじは黙っていてもペラペラのビニール袋に3個入れてくれる。2元払って、それを食べながら校門まで歩いた。
 校門前でチャーターしておいたタクシーが待っていた。長城でゆっくりできるように、念のため朝は早めの出発にしたのだ。
 中国の移動にはトラブルがつきもので、道路が途中で通行止めになっていたり、車が突然故障したりとスムーズにいかないことが多い。
 時間には余裕を持ったほうがいいと1年ちょっとの滞在で嫌というほど学んでいる。

 前回待ち合わせた燕莎友誼商場で祐樹と合流した。
 祐樹はTシャツにパーカー、ジーンズ、足元はスニーカーと前回よりさらにラフな格好で、そんなふつうの服でもやはりかっこよかった。
 全体のバランスがいいんだな。腰の位置が高くて足が細い。
「こないだは急に呼び出してごめんね。時間つくってくれて、ありがとう」
「こっちこそ、ごちそうさまでした」
 祐樹が王府井で知り合った留学生と長城まで行くという話を上司にしたところ、上司がその留学生に一度会いたいと言い出して、先週、一緒に食事をした。

 上司の対応はごく当然だろう、と孝弘は素直に出かけて、安藤という四十代の上司に日本料理をごちそうしてもらった。
 ホテルの日本料理店など値段が高すぎて、貧乏留学生は足を踏み入れないのでどんなものかと思ったが、出てきたのは焼きなすや胡麻和え、肉じゃがや天ぷらといったメニューで、久しぶりの日本の味は孝弘にはありがたかった。

「日本料理はめったに食べないから、なつかしかったな」
「街中には日本料理はあんまりないんだっけ?」
「ほとんどないよ。あっても見た目だけで味がぜんぜん違ったり、なんだこりゃって感じ」
 あまりに味が違うので訊いてみたら、日本料理の写真を見て作ったと悪びれずに言ったりする。
「それは面白すぎるね。あまり帰国してないの?」
「まだ一度も。渡航費がもったいなくて。そうそう、北京大学の留学生寮に安い日本料理屋があって、そこはけっこういける。トンカツとかコロッケとかおいしいよ」

「安藤さん、知ってるかな。そういう駐在員が知らない情報、知りたがるんだよね。だからこの前、上野くんに留学生情報いっぱい聞いてたでしょ。これ、教えていい?」
「いいけど、安藤さんは食べに行かないよな?」
「たぶんね。でも行きたいって言い出したら、上野くんに連絡するよ。案内してくれる? 学生じゃなきゃ入れない?」
「そんなことないけど、ホテルのほうがおいしいと思う」
 北京駐在4年目という安藤は、その前は上海に3年駐在していたそうで、話上手なやり手ビジネスマンという印象だった。
 中国慣れしたストレートな物言いに、仕事場での姿が見えるようだった。

 中国のことも中国人のこともよく理解していて、孝弘が留学2年目で、将来は中国ビジネスに関わるつもりだと聞くと「これからも高橋と仲良くしてやって」と朗らかに笑っていた。
「高橋は当分、中国から出られないからな」
「安藤さん、それって脅しですか」
「いやいや、末永く中国に関わって欲しいっていう緒方課長の希望で」
「えー、それはちょっと遠慮したいかな」
「北京に来てまだ1カ月もたたないのに、なんだそれは」
「緒方課長には、とりあえず半年って言われたんですけど」
「俺もそう言われて、気づけば中国7年目だ。覚悟しとけよ」
 安藤と高橋はビールを飲みながら、そんな掛け合いをしている。
 上司と部下ってこんな感じなのか。孝弘のイメージする会社員とはすこし違っていた。

「上野くんはいつまで留学する予定なの?」
「一応3年をめどにしてます。とりあえずHSK10級が目標です」
「おお、それはすごい。取れたら連絡して。うちで専属契約しよう」
 安藤はからりと笑ってそんな誘いを口にする。
 それでお墨付きが出たのか知らないが、予定通りきょうは二人で長城に出かけているというわけだった。



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