あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第4章-2

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 机に出しっぱなしのテキストや辞書をぱらぱらめくって見てみる。
「まじめに勉強してるんだね、書き込みがたくさんある」
「うん、語学って上達具合がわかるから楽しいんだ」
 本棚には北京語だけでなく英語のテキストや辞書、広東語の辞書なんかも並んでいる。
「いっぺんに勉強して混乱しない?」
「するする。英語のyouをヨウって読んだり、weをウェって読んだりする」
「ああ、なるほど」
 それは確かに混乱しそうだ。

 本棚の上の段にはマグカップやどんぶりやコーヒーの瓶、真ん中数段にテキストやたくさんの教材付属のカセットテープ、日本のマンガやその中国語版もある。
 下の段には鍋や電熱器、カップラーメンやお菓子や缶ビールが雑然と並んでいた。孝弘のふだんの生活が見えるようで微笑ましかった。

「そうだ、これ手土産」
「えー、手ぶらでいいのに。あ、カレーだ」
 袋には日本のレトルトカレー数種類とインスタントみそ汁を入れてきた。この前、ホテルの日本食を喜んでいたから、こういうものがいいかと持ってきたのだ。
「高橋さん、ありがとう」
 孝弘はにこりと笑って礼をいった。
「日本のスーパーも市内にあるけど、日本の商品って高くてめったに買いに行くことないからこういうレトルト食品はうれしい」
 笑うと年相応なんだなと祐樹は孝弘の笑顔を見つめた。
 最初に王府井で会ったとき、目つきが鋭くて仏頂面の孝弘は祐樹と同年代か年上かと思ったほどだ。
 黙っていると愛想がないが、話してみたら素直ではっきりした性格がとてもつき合いやすく、一緒にいると楽しい。

「ビールかコーラかインスタントコーヒーしかないけど、どれがいい?」
「いや、おかまいなく」
「ビールとコーラはちゃんと冷えたやつだから」
「どうやって?」
 部屋には冷蔵庫もテレビもない。この国のどこでも見かけるお湯用の保温瓶はコンクリートの床に直置きしてあるが、電化製品は机のうえの小さなラジカセだけだ。
「同じくらいの時期に留学した奴らに声かけて、五人で割り勘して洗濯機と冷蔵庫買ったんだ。で、冷蔵庫は隣の一人部屋のとこに、洗濯機は洗面所に置いて共同で使ってる」
 祐樹は思いつかない使い方だったので、それを聞いて目を丸くした。

「冷蔵庫を人の部屋に置いてるの?」
「うん。寮内にいれば部屋はたいてい開けっぱだし、閉まってたら諦めるだけだよ」
「清々しい割り切りかただね」
 面白いなあと祐樹は感心した。これも生活の知恵というのだろうか。 
 暑いしビールでいいよね、と返事を待たずに取ってきた五星ウーシンビールを渡されて、おとなしくプルタブを開けた。
 気持ちのいい天気で、昼に飲む冷たいビールはおいしかった。孝弘はベッドに座って、やはりビールを開けている。
 六月のからりとしたさわやかな風が開け放した窓から廊下へと吹き抜けた。

 目隠し代わりの赤い布がぱたぱたと揺れて、学生たちの声があちこちから聞こえる。北京語や韓国語や英語や日本語の会話が楽しげに響く。ここで孝弘は暮らしているのか。
 寮生活の不便や留学生の文化のちがいで起こる小さな事件のあれこれを聞きながら、ふしぎな気分に祐樹はひたった。
 平日の自分が過ごしている駐在員社会と孝弘のいる留学生社会、そのありようのあまりの違いにちょっと異世界に来たような気分になる。
 孝弘を通じて別の世界に招待されたような、夢のなかに入り込んだような。
 なんていうんだっけ、こういうの。
 白昼夢? 胡蝶の夢?


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