あの日、北京の街角で

ゆまは なお

文字の大きさ
20 / 112

第5章-1 ざわつく気持ち

しおりを挟む
 そこで祐樹に会ったのは、まったくの偶然だった。
 朝陽区にある五つ星ホテルのディスコは、週末の夜11時以降は50元で飲み放題のサービス価格になる。それを目当てに留学生や若手駐在員が集まる交流スポットだ。
 孝弘は同寮のフランス人留学生から、ここで見かける日本人に声をかけたいから一緒に来てと頼まれた。つまりナンパの手伝いだ。
 あの子だよとこっそり教えられた相手が顔見知りだったので、「久しぶり」と声をかけて紹介した後は、お互いが気に入れば多少言葉が通じなくてもどうとでもなる。
 しばらく三人でつたない北京語とそれよりましな英語交じりの会話をして、適当なところで孝弘はトイレと言ってその場を離れた。

 フロアの向こうから二人の様子を見ると、寄り添うようにしてスツールに座っている。楽しそうに笑っているからもう戻らないことにした。やれやれだ。
 ライムの刺さったコロ ナビールの瓶を持ったまま軽く店内を見まわして、他大学の友人も来ているから朝まで遊ぶか、どうせ飲み放題だからもう少し飲もうかと思案していたら、ソファ席にもたれている人の横顔に目が吸い寄せられた。
 祐樹だった。

 ミラーボールのライトが目まぐるしく点滅するなかでも、浮かび上がるようにぱっと目に飛び込んできた。
 どこか退屈そうな物憂い表情は、孝弘が見たことのない大人の雰囲気をまとっている。仕事帰りらしくスーツ姿だ。
 気だるげにネクタイを少し緩めていて、さらりと落ちてきた髪をかきあげる仕草が色っぽく見えて、あらためて年上だったことを知らされた。
 ソファ席には祐樹を含め男女四人がいて、一組はカップルなのかじゃれ合うように笑って肩を抱いていて、祐樹にはべつの女性が寄り添ってなにか話しかけている。

 どうしてだか孝弘の胸がざわめいた。
 そんな無防備な顔でぼんやりしてるなよと思う。楽しそうには見えないが、それでもそこに入っていって声をかけるのはためらわれた。
 留学生仲間ならいざ知らず、相手は社会人で同席しているのがナンパ相手なのか同僚なのかもわからない。この前話していた積極的な女性だろうか。
 でもここはやっぱり知らないふりするべき?

 孝弘がためらううちに祐樹が立ち上がって、カウンターに近寄ってゆく。
 何を考える間もなく、孝弘もカウンターに向かう。
「こんばんは、高橋さん」
 祐樹がカウンターでグラスを受け取ったところで声をかけた。
「上野くん?」
 振り向いた祐樹が驚いた顔をする。

「何飲んでんの?」とグラスを指した。
 トムコリンズと聞こえたので、空いた瓶を返して同じものを頼んだ。カクテルはほとんど飲んだことがない。
 グラスを手にしたところで、待っていた祐樹がソファ席には戻らずにカウンター席に身振りで誘った。背の高いスツールに隣合わせに座る。
 音楽がうるさいので、自然と近い位置での会話になって身を寄せ合う。肩がかるくぶつかった。耳元に顔を寄せられて、ふわりと届いた香りに孝弘は一瞬どきっとする。
 フレグランスだろうか。柑橘系の爽やかな香りがした。

「どうしたの? 誰かと一緒じゃないの?」
「ナンパのつき添いに連れてこられた」
 孝弘がカウンターの端で頬が触れそうな位置で話し込んでいる二人を指差すと、祐樹は察しよく事情を飲み込んだようだ。
「じゃあ、いまは一人?」
 うなずくと祐樹は心もち身を乗り出した。

「しばらく一緒にいてくれる?」
「なにかあった?」
 駐在員仲間に連れてこられたそうで、彼が目当ての女性をうまくお持ち帰りできそうなのだが、その連れが祐樹に言い寄ってきて困っていると言う。
 祐樹はその気がないらしい。
 なぜかほっとした。

 さっきまで祐樹がいたソファ席では、その女性がまだ待っている。
「へえ。けっこうかわいいけど、好みじゃない?」
 ほっとしたのを悟られたくなくて、口ではそんなことを言ってしまっている。
 なんでそんなこと言ってんだ。高橋さんがその気になったらどうするんだよ。ってべつに、その気になってもいいんじゃないか。
 彼女を気に入ったとして、なにか俺が困るんだろうか。いや、べつに困らない。でもなんだか嫌な気持ちになる。いらいらするような、むかむかするような。
 ……なんだっけ、こういうの。
 けっこう酔っているのか、思考がおかしくなっている気がする。

「好みの問題じゃないよ。素性の知れない初対面の女の子を部屋に連れこんだりできないよ」
 初対面なのか。そりゃそうだ。用心したほうがいいに決まっている。
 しばらく二人で飲みながら様子を見ていると、彼女は戻ってこない祐樹をあきらめたのかソファ席から去って行った。
 ちょうどチークタイムになって音楽がバラードに変わり、照明も切り替わって、祐樹の同僚はナンパ相手と一緒にフロアに出て抱き合って踊っている。酔っているのか上機嫌なのがここから見てもわかる。
 グラスが空いて、祐樹が今度はジンリッキーを頼んだ。

「高橋さん、けっこうカクテル飲むの?」
「うん。ジンベースのカクテルが好きなんだ。甘すぎないやつ」
「それもジンベース? さっきのこれも?」
「そう。飲んでみる?」
 大きなライムが入ったグラスを渡され、一口もらってみた。予想よりも飲みやすく、ライムのさわやかな香りが口の中に広がった。
「おいしい。カクテルって飲む機会ないから、どんな味か全然知らなかった」
 祐樹が初心者におすすめというウォッカベースのモスコミュールを頼んでくれて、孝弘はたまにはこういうのもいいかと思う。

 そういえば、なにげに間接キスだったとさっきのおすそ分けを思い出した。
 何を考えてるんだか、この年になって間接キスって。けれども少し酔っているのか、気だるそうに笑う祐樹から目が離せない。
 初対面以来のスーツ姿なのも、普段と違う大人っぽい感じがして孝弘を落ち着かない気分にさせる。
 グラスのなかの氷がきらきらとミラーボールの光をはじくのを眺めて、気持ちを抑えた。



しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

騎士が花嫁

Kyrie
BL
めでたい結婚式。 花婿は俺。 花嫁は敵国の騎士様。 どうなる、俺? * 他サイトにも掲載。

逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦

雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、 隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。 しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです… オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が なかたのでした。 本当の花嫁じゃない。 だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、 だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という お話です。よろしくお願いします<(_ _)>

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

顔も知らない番のアルファよ、オメガの前に跪け!

小池 月
BL
 男性オメガの「本田ルカ」は中学三年のときにアルファにうなじを噛まれた。性的暴行はされていなかったが、通り魔的犯行により知らない相手と番になってしまった。  それからルカは、孤独な発情期を耐えて過ごすことになる。  ルカは十九歳でオメガモデルにスカウトされる。順調にモデルとして活動する中、仕事で出会った俳優の男性アルファ「神宮寺蓮」がルカの番相手と判明する。  ルカは蓮が許せないがオメガの本能は蓮を欲する。そんな相反する思いに悩むルカ。そのルカの苦しみを理解してくれていた周囲の裏切りが発覚し、ルカは誰を信じていいのか混乱してーー。 ★バース性に苦しみながら前を向くルカと、ルカに惹かれることで変わっていく蓮のオメガバースBL★ 性描写のある話には※印をつけます。第12回BL大賞に参加作品です。読んでいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします(^^♪ 11月27日完結しました✨✨ ありがとうございました☆

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

処理中です...