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第5章-1 ざわつく気持ち
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そこで祐樹に会ったのは、まったくの偶然だった。
朝陽区にある五つ星ホテルのディスコは、週末の夜11時以降は50元で飲み放題のサービス価格になる。それを目当てに留学生や若手駐在員が集まる交流スポットだ。
孝弘は同寮のフランス人留学生から、ここで見かける日本人に声をかけたいから一緒に来てと頼まれた。つまりナンパの手伝いだ。
あの子だよとこっそり教えられた相手が顔見知りだったので、「久しぶり」と声をかけて紹介した後は、お互いが気に入れば多少言葉が通じなくてもどうとでもなる。
しばらく三人でつたない北京語とそれよりましな英語交じりの会話をして、適当なところで孝弘はトイレと言ってその場を離れた。
フロアの向こうから二人の様子を見ると、寄り添うようにしてスツールに座っている。楽しそうに笑っているからもう戻らないことにした。やれやれだ。
ライムの刺さったコロ ナビールの瓶を持ったまま軽く店内を見まわして、他大学の友人も来ているから朝まで遊ぶか、どうせ飲み放題だからもう少し飲もうかと思案していたら、ソファ席にもたれている人の横顔に目が吸い寄せられた。
祐樹だった。
ミラーボールのライトが目まぐるしく点滅するなかでも、浮かび上がるようにぱっと目に飛び込んできた。
どこか退屈そうな物憂い表情は、孝弘が見たことのない大人の雰囲気をまとっている。仕事帰りらしくスーツ姿だ。
気だるげにネクタイを少し緩めていて、さらりと落ちてきた髪をかきあげる仕草が色っぽく見えて、あらためて年上だったことを知らされた。
ソファ席には祐樹を含め男女四人がいて、一組はカップルなのかじゃれ合うように笑って肩を抱いていて、祐樹にはべつの女性が寄り添ってなにか話しかけている。
どうしてだか孝弘の胸がざわめいた。
そんな無防備な顔でぼんやりしてるなよと思う。楽しそうには見えないが、それでもそこに入っていって声をかけるのはためらわれた。
留学生仲間ならいざ知らず、相手は社会人で同席しているのがナンパ相手なのか同僚なのかもわからない。この前話していた積極的な女性だろうか。
でもここはやっぱり知らないふりするべき?
孝弘がためらううちに祐樹が立ち上がって、カウンターに近寄ってゆく。
何を考える間もなく、孝弘もカウンターに向かう。
「こんばんは、高橋さん」
祐樹がカウンターでグラスを受け取ったところで声をかけた。
「上野くん?」
振り向いた祐樹が驚いた顔をする。
「何飲んでんの?」とグラスを指した。
トムコリンズと聞こえたので、空いた瓶を返して同じものを頼んだ。カクテルはほとんど飲んだことがない。
グラスを手にしたところで、待っていた祐樹がソファ席には戻らずにカウンター席に身振りで誘った。背の高いスツールに隣合わせに座る。
音楽がうるさいので、自然と近い位置での会話になって身を寄せ合う。肩がかるくぶつかった。耳元に顔を寄せられて、ふわりと届いた香りに孝弘は一瞬どきっとする。
フレグランスだろうか。柑橘系の爽やかな香りがした。
「どうしたの? 誰かと一緒じゃないの?」
「ナンパのつき添いに連れてこられた」
孝弘がカウンターの端で頬が触れそうな位置で話し込んでいる二人を指差すと、祐樹は察しよく事情を飲み込んだようだ。
「じゃあ、いまは一人?」
うなずくと祐樹は心もち身を乗り出した。
「しばらく一緒にいてくれる?」
「なにかあった?」
駐在員仲間に連れてこられたそうで、彼が目当ての女性をうまくお持ち帰りできそうなのだが、その連れが祐樹に言い寄ってきて困っていると言う。
祐樹はその気がないらしい。
なぜかほっとした。
さっきまで祐樹がいたソファ席では、その女性がまだ待っている。
「へえ。けっこうかわいいけど、好みじゃない?」
ほっとしたのを悟られたくなくて、口ではそんなことを言ってしまっている。
なんでそんなこと言ってんだ。高橋さんがその気になったらどうするんだよ。ってべつに、その気になってもいいんじゃないか。
彼女を気に入ったとして、なにか俺が困るんだろうか。いや、べつに困らない。でもなんだか嫌な気持ちになる。いらいらするような、むかむかするような。
……なんだっけ、こういうの。
けっこう酔っているのか、思考がおかしくなっている気がする。
「好みの問題じゃないよ。素性の知れない初対面の女の子を部屋に連れこんだりできないよ」
初対面なのか。そりゃそうだ。用心したほうがいいに決まっている。
しばらく二人で飲みながら様子を見ていると、彼女は戻ってこない祐樹をあきらめたのかソファ席から去って行った。
ちょうどチークタイムになって音楽がバラードに変わり、照明も切り替わって、祐樹の同僚はナンパ相手と一緒にフロアに出て抱き合って踊っている。酔っているのか上機嫌なのがここから見てもわかる。
グラスが空いて、祐樹が今度はジンリッキーを頼んだ。
「高橋さん、けっこうカクテル飲むの?」
「うん。ジンベースのカクテルが好きなんだ。甘すぎないやつ」
「それもジンベース? さっきのこれも?」
「そう。飲んでみる?」
大きなライムが入ったグラスを渡され、一口もらってみた。予想よりも飲みやすく、ライムのさわやかな香りが口の中に広がった。
「おいしい。カクテルって飲む機会ないから、どんな味か全然知らなかった」
祐樹が初心者におすすめというウォッカベースのモスコミュールを頼んでくれて、孝弘はたまにはこういうのもいいかと思う。
そういえば、なにげに間接キスだったとさっきのおすそ分けを思い出した。
何を考えてるんだか、この年になって間接キスって。けれども少し酔っているのか、気だるそうに笑う祐樹から目が離せない。
初対面以来のスーツ姿なのも、普段と違う大人っぽい感じがして孝弘を落ち着かない気分にさせる。
グラスのなかの氷がきらきらとミラーボールの光をはじくのを眺めて、気持ちを抑えた。
朝陽区にある五つ星ホテルのディスコは、週末の夜11時以降は50元で飲み放題のサービス価格になる。それを目当てに留学生や若手駐在員が集まる交流スポットだ。
孝弘は同寮のフランス人留学生から、ここで見かける日本人に声をかけたいから一緒に来てと頼まれた。つまりナンパの手伝いだ。
あの子だよとこっそり教えられた相手が顔見知りだったので、「久しぶり」と声をかけて紹介した後は、お互いが気に入れば多少言葉が通じなくてもどうとでもなる。
しばらく三人でつたない北京語とそれよりましな英語交じりの会話をして、適当なところで孝弘はトイレと言ってその場を離れた。
フロアの向こうから二人の様子を見ると、寄り添うようにしてスツールに座っている。楽しそうに笑っているからもう戻らないことにした。やれやれだ。
ライムの刺さったコロ ナビールの瓶を持ったまま軽く店内を見まわして、他大学の友人も来ているから朝まで遊ぶか、どうせ飲み放題だからもう少し飲もうかと思案していたら、ソファ席にもたれている人の横顔に目が吸い寄せられた。
祐樹だった。
ミラーボールのライトが目まぐるしく点滅するなかでも、浮かび上がるようにぱっと目に飛び込んできた。
どこか退屈そうな物憂い表情は、孝弘が見たことのない大人の雰囲気をまとっている。仕事帰りらしくスーツ姿だ。
気だるげにネクタイを少し緩めていて、さらりと落ちてきた髪をかきあげる仕草が色っぽく見えて、あらためて年上だったことを知らされた。
ソファ席には祐樹を含め男女四人がいて、一組はカップルなのかじゃれ合うように笑って肩を抱いていて、祐樹にはべつの女性が寄り添ってなにか話しかけている。
どうしてだか孝弘の胸がざわめいた。
そんな無防備な顔でぼんやりしてるなよと思う。楽しそうには見えないが、それでもそこに入っていって声をかけるのはためらわれた。
留学生仲間ならいざ知らず、相手は社会人で同席しているのがナンパ相手なのか同僚なのかもわからない。この前話していた積極的な女性だろうか。
でもここはやっぱり知らないふりするべき?
孝弘がためらううちに祐樹が立ち上がって、カウンターに近寄ってゆく。
何を考える間もなく、孝弘もカウンターに向かう。
「こんばんは、高橋さん」
祐樹がカウンターでグラスを受け取ったところで声をかけた。
「上野くん?」
振り向いた祐樹が驚いた顔をする。
「何飲んでんの?」とグラスを指した。
トムコリンズと聞こえたので、空いた瓶を返して同じものを頼んだ。カクテルはほとんど飲んだことがない。
グラスを手にしたところで、待っていた祐樹がソファ席には戻らずにカウンター席に身振りで誘った。背の高いスツールに隣合わせに座る。
音楽がうるさいので、自然と近い位置での会話になって身を寄せ合う。肩がかるくぶつかった。耳元に顔を寄せられて、ふわりと届いた香りに孝弘は一瞬どきっとする。
フレグランスだろうか。柑橘系の爽やかな香りがした。
「どうしたの? 誰かと一緒じゃないの?」
「ナンパのつき添いに連れてこられた」
孝弘がカウンターの端で頬が触れそうな位置で話し込んでいる二人を指差すと、祐樹は察しよく事情を飲み込んだようだ。
「じゃあ、いまは一人?」
うなずくと祐樹は心もち身を乗り出した。
「しばらく一緒にいてくれる?」
「なにかあった?」
駐在員仲間に連れてこられたそうで、彼が目当ての女性をうまくお持ち帰りできそうなのだが、その連れが祐樹に言い寄ってきて困っていると言う。
祐樹はその気がないらしい。
なぜかほっとした。
さっきまで祐樹がいたソファ席では、その女性がまだ待っている。
「へえ。けっこうかわいいけど、好みじゃない?」
ほっとしたのを悟られたくなくて、口ではそんなことを言ってしまっている。
なんでそんなこと言ってんだ。高橋さんがその気になったらどうするんだよ。ってべつに、その気になってもいいんじゃないか。
彼女を気に入ったとして、なにか俺が困るんだろうか。いや、べつに困らない。でもなんだか嫌な気持ちになる。いらいらするような、むかむかするような。
……なんだっけ、こういうの。
けっこう酔っているのか、思考がおかしくなっている気がする。
「好みの問題じゃないよ。素性の知れない初対面の女の子を部屋に連れこんだりできないよ」
初対面なのか。そりゃそうだ。用心したほうがいいに決まっている。
しばらく二人で飲みながら様子を見ていると、彼女は戻ってこない祐樹をあきらめたのかソファ席から去って行った。
ちょうどチークタイムになって音楽がバラードに変わり、照明も切り替わって、祐樹の同僚はナンパ相手と一緒にフロアに出て抱き合って踊っている。酔っているのか上機嫌なのがここから見てもわかる。
グラスが空いて、祐樹が今度はジンリッキーを頼んだ。
「高橋さん、けっこうカクテル飲むの?」
「うん。ジンベースのカクテルが好きなんだ。甘すぎないやつ」
「それもジンベース? さっきのこれも?」
「そう。飲んでみる?」
大きなライムが入ったグラスを渡され、一口もらってみた。予想よりも飲みやすく、ライムのさわやかな香りが口の中に広がった。
「おいしい。カクテルって飲む機会ないから、どんな味か全然知らなかった」
祐樹が初心者におすすめというウォッカベースのモスコミュールを頼んでくれて、孝弘はたまにはこういうのもいいかと思う。
そういえば、なにげに間接キスだったとさっきのおすそ分けを思い出した。
何を考えてるんだか、この年になって間接キスって。けれども少し酔っているのか、気だるそうに笑う祐樹から目が離せない。
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