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第7章-1 夜市
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「夜市?」
「そう、なんか楽しそうかなと思って。行ったことある?」
王府井大街から一本横道に入った通りに毎晩屋台が並ぶ夜市がある。
「あるよ。しばらく行ってないけど」
祐樹が興味があると言うので、金曜の夜に待ち合わせをした。
電話を切って、孝弘はわくわくしているのを自覚する。
祐樹と出かけるのは楽しい。中国初心者の祐樹の反応が1年前の自分を思い出すからか。年上なのに偉ぶったところがなく、素直に頼ってくれるところが心地いいからか。
それでいて、やはり年上の社会人だとはっとするくらいしっかりした一面もある。
どちらにしても今までの孝弘の交友範囲にはないタイプの人だ。だけど、まるで同年代の友人のようにつき合っている。
以前、祐樹が寮に遊びに来たときに「上野くんといるとほっとするよ」なんてことをまじめな顔で告げられたが、祐樹も孝弘を友人扱いしているようだ。
ほっとするというなら孝弘もそうで、本来そんなに親しみやすい性格ではないのに、初対面から祐樹に対しては気安くふるまえた。
出会い方のせいか、年上の社会人という立場の違いのせいか、その後も知り合いとも友人ともいえないつき合いが続いている。
べつに隠しているわけではないのだが、誰にもしたことがない家族の話もするする話してしまった。ぞぞむのように気が合う友人とはすこし違うが、気を許していると思う。
そもそも駐在員と留学生はあまり関わりを持つことはない。
社会人と学生では生活パターンがまったく違うので知り合う機会がないのに加えて、生活エリアも違っている。北京では市内中心部からかなり離れた北西部の海淀区に、ほとんどの大学が集中している。
一方、日本企業の多くは燕沙エリアと呼ばれる日本大使館周辺にオフィスを持っていることが多く、駐在員たちもその周辺に居住していることがほとんどだ。祐樹のマンションもその一角にあった。
孝弘の寮に遊びに来た祐樹は、孝弘の学校生活を垣間見て「別世界に来たみたい」と言ったが、まさにその通りだと孝弘は缶ビールを飲んでいる祐樹をふしぎな気分でながめたものだ。
私服の祐樹は寮にいると学生にしか見えず、一緒に授業を受けていても違和感はなさそうだった。いや、実際に社会人向けの語学学校に通ってるんだっけ。
うちの大学に来てくれたらよかったのに。そしたら毎日会えたのにな。
寮生活のびっくり話を祐樹は楽しそうに聞いていた。
「これ、こないだの写真」と話の合間に目的だった写真を渡すと、めくりながらくすくす笑った。いつシャッターが下りるかと微妙に待つ表情がおかしかったのだろう。
「やっぱりタイマーって緊張感ある顔してるね」
ふいに、あのとき触れた祐樹の腕の感触を思い出して、孝弘はうろたえた。
しっとりした肌だった。そのしたのなめらかについた筋肉の動きまでもわかるような気がした。どうして触れてみたりしたんだろう。
あの時の衝動の理由がわからなくて困惑したが、いま考えてみても、わからないままだ。
「あ、これ、もらっていい?」
祐樹は一枚を手に取って、屈託なく訊ねた。
二人で並んだ背後に、龍のようにくねくねとした長城がきれいにおさまっている。タイマー機能を使って成功した一枚だった。
「好きなの何枚でも持って行っていいよ。焼き増しするし」
二人で写ったその一枚を選んでくれたのがやけにうれしかった。 じぶんの分身がひとり、連れて帰ってもらえるような気分になったものだった。
電話を切ったあと、そんなことを思い出しながら部屋に戻ろうとしたら「あ、上野」と下の階の大原由紀が話しかけてきた。
あまりつき合いはないが、日本の大学を休学して1年間の語学留学に来ているということは孝弘も知っている。
「ねえねえ、この前、来てた駐在員の人、もう来ないの?」
「高橋さんのこと?」
「そう、高橋さん」
食堂で食事をしていた時に、隣りのテーブルにいたのですこし会話したのだが、大原は祐樹に興味を持ったらしい。
「べつに用事ないから来ないよ」
孝弘はそっけなく答えた。
「そうなんだ。ねえ、連絡取ってくれない?」
大原は孝弘の返事に怯むことなく、率直に言った。そこそこかわいくて、男子に人気のある大原は頼みを断られるとは思っていない口ぶりだ。
留学生のあいだでこういうことは珍しくないのに、なぜかむっとした。
「どういう意味で?」
「んー、まあ、また会いたいなって言うか、話してみたいって言うか、ねえ?」
大原がちょっと意味ありげに笑って孝弘を見上げる。その笑顔の意味を汲み取れないほど鈍くはないが、仲介を頼まれるのは面倒くさい。
「仕事かなり忙しいみたいだよ。そもそも半年だけ北京に研修に来てるらしいし、そのうち帰国するだろ」
「なんだ、近いうちに帰国しちゃう人なのか」
大原があからさまにがっかりした顔になる。
「じゃ、いいわ。ごめんね、忘れて」
軽く手を振って、大原は足早に寮を出て行く。あわよくばを狙ったんだろうが、じきに帰国と知ってその気はなくなったようだ。
その後ろ姿を見送って、孝弘はじぶんの発言にはっとしていた。
半年後ということは祐樹の帰国は11月頃だろう。それが近いのか遠いのかよくわからない。
そうか、高橋さんとは11月までの期間限定のつき合いなんだ。その後も中国に赴任してくるようだが、いつになるかも、また北京に来るかも知らない。
忙しい駐在員が、帰国後も学生の孝弘と交流を持つとは思えなかった。
この1年間でも、たくさんの留学生と知り合って、帰国でお別れしてきた。
その後も連絡し続けることはほとんどない。本国の住所を教えてもらっても、手紙のやり取りなんて滅多にしない。
まあそんなもんだよな。
そう思ってみたけれど、なんとなく寂しい気持ちはぬぐえなかった。
「そう、なんか楽しそうかなと思って。行ったことある?」
王府井大街から一本横道に入った通りに毎晩屋台が並ぶ夜市がある。
「あるよ。しばらく行ってないけど」
祐樹が興味があると言うので、金曜の夜に待ち合わせをした。
電話を切って、孝弘はわくわくしているのを自覚する。
祐樹と出かけるのは楽しい。中国初心者の祐樹の反応が1年前の自分を思い出すからか。年上なのに偉ぶったところがなく、素直に頼ってくれるところが心地いいからか。
それでいて、やはり年上の社会人だとはっとするくらいしっかりした一面もある。
どちらにしても今までの孝弘の交友範囲にはないタイプの人だ。だけど、まるで同年代の友人のようにつき合っている。
以前、祐樹が寮に遊びに来たときに「上野くんといるとほっとするよ」なんてことをまじめな顔で告げられたが、祐樹も孝弘を友人扱いしているようだ。
ほっとするというなら孝弘もそうで、本来そんなに親しみやすい性格ではないのに、初対面から祐樹に対しては気安くふるまえた。
出会い方のせいか、年上の社会人という立場の違いのせいか、その後も知り合いとも友人ともいえないつき合いが続いている。
べつに隠しているわけではないのだが、誰にもしたことがない家族の話もするする話してしまった。ぞぞむのように気が合う友人とはすこし違うが、気を許していると思う。
そもそも駐在員と留学生はあまり関わりを持つことはない。
社会人と学生では生活パターンがまったく違うので知り合う機会がないのに加えて、生活エリアも違っている。北京では市内中心部からかなり離れた北西部の海淀区に、ほとんどの大学が集中している。
一方、日本企業の多くは燕沙エリアと呼ばれる日本大使館周辺にオフィスを持っていることが多く、駐在員たちもその周辺に居住していることがほとんどだ。祐樹のマンションもその一角にあった。
孝弘の寮に遊びに来た祐樹は、孝弘の学校生活を垣間見て「別世界に来たみたい」と言ったが、まさにその通りだと孝弘は缶ビールを飲んでいる祐樹をふしぎな気分でながめたものだ。
私服の祐樹は寮にいると学生にしか見えず、一緒に授業を受けていても違和感はなさそうだった。いや、実際に社会人向けの語学学校に通ってるんだっけ。
うちの大学に来てくれたらよかったのに。そしたら毎日会えたのにな。
寮生活のびっくり話を祐樹は楽しそうに聞いていた。
「これ、こないだの写真」と話の合間に目的だった写真を渡すと、めくりながらくすくす笑った。いつシャッターが下りるかと微妙に待つ表情がおかしかったのだろう。
「やっぱりタイマーって緊張感ある顔してるね」
ふいに、あのとき触れた祐樹の腕の感触を思い出して、孝弘はうろたえた。
しっとりした肌だった。そのしたのなめらかについた筋肉の動きまでもわかるような気がした。どうして触れてみたりしたんだろう。
あの時の衝動の理由がわからなくて困惑したが、いま考えてみても、わからないままだ。
「あ、これ、もらっていい?」
祐樹は一枚を手に取って、屈託なく訊ねた。
二人で並んだ背後に、龍のようにくねくねとした長城がきれいにおさまっている。タイマー機能を使って成功した一枚だった。
「好きなの何枚でも持って行っていいよ。焼き増しするし」
二人で写ったその一枚を選んでくれたのがやけにうれしかった。 じぶんの分身がひとり、連れて帰ってもらえるような気分になったものだった。
電話を切ったあと、そんなことを思い出しながら部屋に戻ろうとしたら「あ、上野」と下の階の大原由紀が話しかけてきた。
あまりつき合いはないが、日本の大学を休学して1年間の語学留学に来ているということは孝弘も知っている。
「ねえねえ、この前、来てた駐在員の人、もう来ないの?」
「高橋さんのこと?」
「そう、高橋さん」
食堂で食事をしていた時に、隣りのテーブルにいたのですこし会話したのだが、大原は祐樹に興味を持ったらしい。
「べつに用事ないから来ないよ」
孝弘はそっけなく答えた。
「そうなんだ。ねえ、連絡取ってくれない?」
大原は孝弘の返事に怯むことなく、率直に言った。そこそこかわいくて、男子に人気のある大原は頼みを断られるとは思っていない口ぶりだ。
留学生のあいだでこういうことは珍しくないのに、なぜかむっとした。
「どういう意味で?」
「んー、まあ、また会いたいなって言うか、話してみたいって言うか、ねえ?」
大原がちょっと意味ありげに笑って孝弘を見上げる。その笑顔の意味を汲み取れないほど鈍くはないが、仲介を頼まれるのは面倒くさい。
「仕事かなり忙しいみたいだよ。そもそも半年だけ北京に研修に来てるらしいし、そのうち帰国するだろ」
「なんだ、近いうちに帰国しちゃう人なのか」
大原があからさまにがっかりした顔になる。
「じゃ、いいわ。ごめんね、忘れて」
軽く手を振って、大原は足早に寮を出て行く。あわよくばを狙ったんだろうが、じきに帰国と知ってその気はなくなったようだ。
その後ろ姿を見送って、孝弘はじぶんの発言にはっとしていた。
半年後ということは祐樹の帰国は11月頃だろう。それが近いのか遠いのかよくわからない。
そうか、高橋さんとは11月までの期間限定のつき合いなんだ。その後も中国に赴任してくるようだが、いつになるかも、また北京に来るかも知らない。
忙しい駐在員が、帰国後も学生の孝弘と交流を持つとは思えなかった。
この1年間でも、たくさんの留学生と知り合って、帰国でお別れしてきた。
その後も連絡し続けることはほとんどない。本国の住所を教えてもらっても、手紙のやり取りなんて滅多にしない。
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