あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第9章-1 アルバイトのお誘い

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 祐樹と仕事をしたいという望みは、意外な形でかなえられた。
 北京事務所でアルバイトをしないかと安藤に誘われたのは、まもなく夏休みに入る6月下旬のことだった。学年末試験もあとすこしで終了し、7月中旬から大学は6週間の長い夏休みに入る。
 卒業シーズンなので寮内の留学生はがくんと減るが、夏休みだけの短期留学生は一気に増える時期だ。2週間から4週間ほどの期間でやってくる各国からの短期留学生は何となく華やかだ。旅行気分の明るさというか元気さがある。

 通常の授業はないが、むしろ短期留学生向けに太極拳や胡弓や書道などの体験講座などは数多く開催されて、それは長期留学生も参加できた。
 去年はいくつかの講座に出てわりと楽しかった。今年も何か参加してみようかと予定表を見ていたら、祐樹の上司の安藤から寮に電話がかかってきた。

 事務所で雇っている中国人インターンが事情により2ヶ月ほど休むことになり、代わりを探しているという。中国語が話せれば日本人でも構わないということで夏休みの孝弘に声がかかったのだ。
 内容を聞いたら、週3日ほどの出勤で書類の整理や下訳などが主な仕事だという。日本企業だから時給もよかったので孝弘は二つ返事で引き受けた。
 なにより祐樹の職場に興味があったし、新しい経験は単純に楽しそうだった。

「孝弘、アルバイトいつから?」
「来週から8月末まで」
 ぞぞむとダンジョンを攻略しながら孝弘は答えた。
 試験が終わった途端、早々に一時帰国した留学生の部屋でゲームをしていた。ここに共用の冷蔵庫を置いているから鍵を預かっていて、テレビもゲームも自由に使っていいと許可をもらってある。
「日系企業のバイトなんていいよな」
「うん。企業でバイトすんの初めてだから楽しみ。高橋さんの会社だし」

「つーか、高橋さん、ずいぶん気に入ってるな」
「そう見える?」
「孝弘ってあんま人のこと構わないのに、あの人とはなんか仲よさげじゃん」
「うん。なんて言うんだろ、あの人おもしろいよ。大人なのに子供みたいな時もあって、話してると楽しい」
「そっか。でもじゃあ、今年の旅行は来ないのか」
「行かねえ。ぞぞむの旅行、過酷だからなー」

「いや、今年は去年ほどじゃないって。あれは予想してたより大変だった」
「そんな旅に留学4ヶ月目の俺を誘うってひどくね?」
「まーまー。でもおもしろかっただろ?」
「まあね。何かと勉強にはなった。バックパッカー初めてだったし」
 リュック一つ背負って、ざっくりと行程を決めただけで新疆ウイグル族自治区まで旅に出た。
 到着予定もわからないし、予約のしようもないから現地に行ってその日に泊まる宿を探すしかないのだが、そんな旅は初めてだったので正直言って驚いた。

「冬に行くよりは楽だっただろ?」
「どうだろ? 暑くて死にかけた気もするけど」
 昼間の気温は40度を軽く超えて、人々も犬も家畜も死んだように日陰で伸びていた。昼休みは4時間ほどあって、夕方になってようやく午後の仕事が始まるといった具合だった。
「次は和田フーティエンまで行きたいよな。来年どうよ?」

「遠慮しとく。で、今年はどこ行くって?」
「北京から列車でウランバートルまで」
「モンゴルか。羊飼いになって帰ってこないってことになんなよ」
「俺は羊飼いよりもモンゴル相撲の力士になりたい」
「無理だろ、その体格で」
 ぞぞむはスレンダーマッチョなのだ。
 二人で爆笑して、ダンジョン攻略は失敗した。

「でも、夏休み中、どこにも行けなくなるよ。上野くん、いいの?」
 孝弘の部屋で、ビール片手に祐樹が訊ねた。以前、孝弘に勧められて買ったテキストがよかったので、孝弘の学校の本屋まで続編を買いに来たのだ。
「いいよ、日本企業でアルバイトしたことないし、すごくおもしろそうだし。帰省もしないし」 
「夏休みなのに帰国しないの?」
「うん。義妹が受験生だから、顔を合わせたくないんだ」
 義理の妹と不仲だという話は以前にもしたから、祐樹は「そう」とうなずいて、さらりと話題を変えた。

「去年は旅行に行ったんでしょ? どこ行ったの?」
 気を使ってくれたのかな。こういうとこ、やっぱ年上だよな。
新疆シンジャン、シルクロード方面っていえばわかる?」
「ああ、なんだっけ。前に食堂、連れて行ってもらったよね」

 夏休みは地方へ旅行に出かける留学生も多い。
 中国は何しろ広いので旅行先には事欠かない。
 孝弘は8月の1ヶ月間、ぞぞむと旅行した。シルクロードに興味はなかったが、ウイグル族の町を撮った写真集を見せられて行く気になったのだ。

「そうそう、そっち方面。西に行くと漢族は少なくなって、北京語も通じにくくなるから中国って感じはあんましなかった」
 新疆ウイグル族自治区はイスラム教世界で、言葉も生活習慣も考え方も漢族とは全く違い、見た目からして目の色髪の色もさまざまで、中央アジアに来たんだと実感した。
「シルクロードってなんだか響きがいいよね。砂漠のオアシス都市でしょ。浪漫を感じるよ」
「まあね。でも行ってみたらまじで過酷な土地柄だった」
 祐樹ののんきな言葉に、孝弘は苦笑で返した。孝弘もそんな感じでぼんやりとしたイメージしかなかったのだ、実際に体験するまでは。


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