あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第10章-3

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 祐樹がケンカに強いと目にしたのはその翌週だった。

「朝族(チャオズー)?」
「そう、朝鮮族のこと。晩メシ、焼肉と冷麺はどう?」
「いいよ。朝鮮族の店って行ったことないと思う」
 人気店だから、夕食時の店は混んでいた。
 隣のテーブルは男女5人グループで、興奮気味にやたら大声で話していた。地声の大きい中国人にはよくあることだったから、孝弘はちょっとうるさいなと思ったが気にしないでいた。

 そのうち男性3人が激しい口論を始めた。白酒で悪酔いしたようだ。ひとりの手が出て殴り合いになりかけたところを、ほかの男性が止めに入り、女性二人はそれぞれの応援をするように早口でけしかけている。
「高橋さん、出ようか」
 食事はほぼ終えていたので孝弘は店員に「结账(ジェジャン)(お会計)」と声を掛けた。

隣がうるさいのですこしばかり声を張った。それが癇に障ったのか、隣の男が突然、孝弘を罵りはじめた。
 祐樹は心配そうに眉をひそめたが、孝弘は相手にしなかった。
 男とは目も合わせず、素早く店員に金を渡す。その態度がますます相手を煽ったらしい。

「何、無視してるんだ、坊主」
 ぐっと腕をつかまれて、孝弘はとっさに振り払った。次に繰り出された拳をよけて、ぽんと背中を押すと足元の怪しかった酔っ払いは簡単に足元に転がった。
 仲間がそれに逆上して、孝弘に向かって大声で殴りかかってきた。一歩下がってそれを避けると、祐樹がそのあいだにさっと体を入れた。
 驚いた孝弘が目をみはると同時に、祐樹が男の手首をぐっと掴んだ。思いがけない強さで拘束され、男が反射的に腕を引こうとする。
 祐樹はぎっと相手の目を見据えた。
「お前ら、いい加減にしろよ」
 決して大声ではなかった。
 でも腹から出した声に籠った迫力と、きれいな顔に浮かんだ剣呑な目の輝きに、腕を掴まれた相手は怯んだ表情になった。
 しんと店が静まり返る。

 店中の人間が注目するなか、ためらった男が握った拳を引こうとするのが孝弘には見えた。しかしそんな男に背後から女性二人のけしかける声がかかった。
 男のメンツをひっぱたくようなその言葉に、男はぐっと唇を噛んだ。あとに引けなくなった男は、祐樹に腕を掴まれたまま、さらに踏み込もうとした。
「うわああああっ、ああああ」
 突然、響いた大声に、店中の人間がぎょっとした顔をした。女たちはビクッと体を揺らして一歩下がった。
 何をしたのか、間近で見ていた孝弘にもわからなかった。

 祐樹が男の手首をくいっと軽くひねったように見えた。
 それがいつの間にか肩からねじられている。
 祐樹は涼しい表情で、特に力を入れている様子もないが、上体を倒した男は顔を真っ赤にして苦痛をこらえている。
「聞こえなかったか。いい加減にしろと言ったんだ」
 低い声に込められた迫力に、男ははくはくと酸欠の金魚のようになっている。
 祐樹は日本語だったが、充分その意味は通じただろう。
 ぐうああっと男の喉から声が漏れて、ぎりぎりと関節がきしむ音が聞こえるようだ。膝を折った男が地面に崩れたところで、祐樹はようやく腕を離した。

「出よう、上野くん」
「あ、はい」
 祐樹の落ち着き払った声に、孝弘は手荷物を持ってさっと出口に向かった。
 そのまま二人で足早に店を出て、孝弘はすぐにタクシーを拾った。あれだけ酔っている仲間が追って来るとは思えないが、外国人が厄介ごとに巻き込まれるのはまずい。
 留学生もそうだが、駐在員である祐樹はもっと面倒なことになるだろう。運転手に道を指示して遠回りし、後をついてくるタクシーがないことを確認してからほっと息をついた。

「ごめんね」
 祐樹が本気ですまなさそうに謝ったので、孝弘は首を横にふった。
「いや、高橋さんのせいじゃないでしょ。っていうか助かったし、俺がありがとうって言うべきなんじゃ?」
「ううん、おれが手を出さなくても上野くんは何とかすると思ったんだけど、殴られるかもと思ったらつい手が出ちゃって」
 決まり悪げに微笑んだ。孝弘はあの大声を出す中国人に迫力負けしない度胸をすごいと思ったのだが、祐樹は恥ずかしそうに首をすくめる。

「どんな相手かわからないのに、あそこは黙って逃げるべきだったよ。たまたま何もなかったからいいけど、軽はずみだったよね。ごめんね」
「俺は助かったけど。でも高橋さんの言うとおりだな。外国人がトラブル起こすと公安に引っ張られて色々面倒だから、関わり合いにならないほうがいいな」
 余計なトラブルは避けようと二人でうなずき合った。

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