あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第14章-2

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 趙英明(ジャオインミン)から電話が来たのは、昼休みで部屋に戻ったときだった。
 バイトが終わって以来、連絡をもらったのは初めてだ。もしもしと電話に出るなり、バイト中には一度も聞いたことのない焦った声が聞こえた。
「上野か、高橋さんが倒れた。いま病院にいる。安藤さんと鈴木さんは大連に行って、連絡つかない。上野、すぐ来てほしい。会社、誰もいない」
 祐樹が会社で倒れて運ばれたらしい。

「大趙(ダージャオ)、落ち着いて。どこにいるって?」
 孝弘は病院名を確認し、それがどこだか分らなかったので場所を訊ねた。ここからタクシーで20分以上はかかるだろう。
 とにかくすぐ行くと伝えて電話を切る。
 どうしたんだろう、大きな病気じゃなければいいが。

 心臓が痛いくらいバクバクしていた。何がどうなったのかはわからないが、とにかく現金が必要だと趙が言ってきたので、部屋に戻って財布に金を足した。
 この国では医療費用が高額になりそうな場合、支払い能力がないと分かれば診察もしてもらえない。日本人だからさすがに手持ちがなくても門前払いはないだろうが、手付金があったほうがいい。

 タクシーの中で孝弘は深呼吸する。
 大丈夫、きっと大したことじゃない。駐在員はストレスでよく胃潰瘍になるって安藤が言っていた。祐樹もちょっとストレスが溜まったんだ、そんな大きな病気じゃない。
 イライラしながら流れていく窓の外を見る。
「上野、こっち」
 病院の玄関前で、趙英明が足踏みしながら待ち構えていた。

「高橋さんは?」
「今は点滴してる。さっき意識戻った。医者が過労といった。休みが必要。でも私は会社に戻らなくてはならない。上野、高橋さんと一緒にいることはできるか」
 ただの過労と聞いてほっと全身から力が抜けた。よかった、いや、顔を見るまでまだ安心できないけれど。

「そうなると思って来たよ」
「安藤さんと鈴木さん、まだ連絡つかない。ホテルに戻ったら伝言聞くと思う」
 趙も相当あせったのだろう。いつもは流ちょうな日本語が微妙に片言になっていた。
「わかった。連絡ついたら、俺が付き添いますって言っておいて」
「ああ、ありがとう。悪いが、お金は持ってるか?」
 そう訊きながら、趙は手持ちの現金を孝弘に預けた。
「持ってきた。高橋さんのことは大丈夫だから、大趙は会社に戻って」
「ありがとう、上野。あとお願いします。後で連絡するから」
「大丈夫、大趙も気をつけて」

 教えられた病室に行くとシャツ姿の祐樹が、袖をまくられて点滴を受けていた。
「上野くん」
 孝弘を見て、ばつが悪そうな顔になる。
 約2週間ぶりに会う祐樹は、確かにすこしやつれたようだ。頬がこけて目の下には隈ができていて、どことなく病弱な王子様といった風情だ。
 それを見たらどうしても我慢できなくなり、孝弘は祐樹を抱きしめた。祐樹が驚いて体をこわばらせたが、孝弘はかまうことなくさらに強く抱き寄せる。
 以前にも嗅いだことのあるフレグランスの香りがした。

 マジで心配した、とつぶやくと祐樹がちいさな声でごめんねと謝った。
 触れあった体から速い心音が伝わってくる。じぶんの心臓の音もきっと聞こえているだろう。しばらくそのままでいたが、やわらかな声で上野くんと声を掛けられ、仕方なく体を離した。
「大趙に呼ばれて来たんだ。もう会社に戻ったけど」
「うん、聞いてる。さっき上野に電話したからって。ごめんね、迷惑かけて」
「迷惑じゃないけどさ。それより大丈夫?」
「毎日暑かったし、でも朝晩はけっこう冷え込んだりして、ちょっと体調悪かっただけ」
「すこし痩せた? あんまり食べてないの?」
「うーん。なんかめんどくさくなって」
 うつむいた祐樹は、頼りない子供のようだった。

 ぽつんぽつんと落ちてくる点滴液をぼんやりと眺めた。病人相手に非難もしづらくて、孝弘はだまって祐樹に付き添った。
 点滴が終われば帰っていいといわれ、会計を済ませるとタクシーでマンションに向かった。
 途中、祐樹をタクシーに残したまま、孝弘はスーパーに寄って食材を買い、いつもの食堂でご飯を持ち帰り用につめてもらった。

 部屋に着くと孝弘は有無をいわさず祐樹をベッドに追いやり、勝手知ったるキッチンに入った。
 胃が弱っているようだし、コンソメよりやっぱり白だしかな? 買ってきた野菜をみじん切りにして鍋に入れて火にかける。
 ここで祐樹の手伝いは何度もしたが、ひとりで料理をするのは久しぶりだった。何年も作っていなかったので心配したが手はちゃんと動いたし、味見した限りでは大丈夫そうだ。

「高橋さん、雑炊なら食べられる?」
「ああ、うん。食べるよ」
 ベッドまで運ぼうかと訊くと、起き上がった祐樹はリビングまで出てきた。鶏肉や野菜をちいさく切って具だくさんに仕立てた雑炊のどんぶりを、驚いた顔で受け取った。
「料理するんだ」
「高一まで親父と二人だったって言っただろ。ずっと料理は俺の担当だったし」
 椅子に座っていただきますを言うとれんげですくって一口食べ、ゆっくり咀嚼して飲み込むとそのままれんげを小皿に置いた。

 口に合わなかったかと慌てる孝弘に、祐樹は顔を上げて、ようやくまっすぐ目を合わせた。
「この雑炊、すごくおいしいよ。本当にありがとう。病院まで迎えに来てくれて、ご飯まで作ってくれて」
 素直に感謝を告げられて、孝弘の頬が熱くなった。
「すごくうれしかった。ちゃんと言えなくてごめん」
「いいから、食べて寝なよ。まだ顔色、悪いから」
 やはり体がしんどかったようで、雑炊を食べて薬を飲んだ祐樹はおとなしくベッドに入った。


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