あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第14章-3

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 6時を過ぎて電話が鳴った。
 祐樹は寝ていたので一瞬迷ったが、孝弘は電話を取った。安藤からだったのでほっとする。安藤は祐樹のようすを訊ねたあと、趙英明から聞いた医者の話を考慮して3日休ませるといい、孝弘に礼をいった。
「念のため、今夜は高橋さん家に泊まろうかと思うんですけど」
「そうしてもらえる? 悪いな、こっち大連で動けなくて」
「いえ、俺こそ高橋さんにはお世話になったし。海外で病気すると、一人だと不安だし食べたいものがなくて困るし」

「いやほんと、上野くんがいてくれて助かったよ。うちの嫁か:阿姨(アーイー)さんを行かせてもいいけど、高橋がよけいに遠慮するかと思ってさ。大したことなさそうだけど、ここんとこちょっと顔色悪かったし、海外生活の疲れとかストレスが出たんだろうな」
 またあしたの朝、電話をかけると言いおいて、安藤は電話を切った。
 寝室へ行くと祐樹はぼんやり目を覚ましていた。
 安藤の電話の内容を伝えてきょうは泊まると告げると、困ったように目線を揺らした。


「でもあした、授業があるでしょう。きょうも午後はさぼったんでしょ」
 さぼらせておいて言うのもあれだけど、とちいさな声で付け足す。
「大趙にも安藤さんにも頼まれてるし、なにより俺が心配で帰れない。あしたは朝イチで帰って授業は出るよ。それで学校終わったらまた来るから」
 そうまで言われて、心配をかけた祐樹としては折れるしかなかった。
「わかった。上野くんがそれでいいなら。…ありがとう」
 困った顔をしながらも礼を言うのがかわいいと思う。
 
 ……かわいい。年上の男性に思うようなことではないが、やっぱり祐樹はかわいく見える。孝弘はじぶんの気持ちを押し込めてさばさば言った。
「煮込みうどん作ったけど食べる?」
「じゃあ、軽く食べる」
 少なめに盛ったうどんを祐樹はおいしいと食べ終えて、孝弘はほっとした。 
「シャワーと部屋着、借りるよ」
 熱いシャワーを浴びたあと寝る前にもう一度ようすを見に部屋へ行くと、祐樹はぐっすり眠っていた。顔色もすこしはよくなり、寝息も穏やかになっている。

 そっと額に手をあててみた。
 いくらか熱は下がったようだ。
 手のひらに人肌の優しいあたたかさが伝わる。その手を頬にすべらせて、じっと寝顔を見つめた。薬が効いているのか目を覚ます気配はない。
 一瞬、キスしてしまおうかと強い誘惑にかられたが、卑怯な気がしてどうにか思いとどまった。というよりも、一度触れてしまったら、止まれるか自信がなかったというのが正直なところだ。
 承諾も得ずに寝込みを襲うなんて真似はしたくなかった。衝動に負ける前に、無理やり引きはがすように手を戻して部屋を出た。

 2週間ぶりに会うとけっこうくるよな、とベッドに横になってため息をつく。
 昼間、抱きしめた体の緊張や顔を見たときの困ったような表情を思い出して、胸がきゅうきゅうと締めつけられた。あんな頼りない顔をするなんて、ずるい。
 ああ、じぶんは思っていたよりずっと高橋さんが好きなんだなと思う。
 緊急事態だったからとはいえ頼られてうれしかったし、世話を焼かせてもらえるのがうれしい。言ってくれたら何でもしてあげるのに、遠慮して遠ざけようとするのが悔しい。

 でももう会えないと思っていたからこうしてまた会えて、本当に好きだったのだと改めて気づかされた。
 思えばかなり最初から惹かれていたのだと、今になって、気づくことがたくさんあった。
 初対面での押しの強さや案外したたかな性格、思わず見とれた子供のような笑顔。長城で触れたしっかりした腕、タクシーで見たあどけない寝顔、触れあった肩やカクテルグラスの間接キス、中国語の舌足らずな発音、熱いお茶を飲む背中。
 うつむいて写真を見ていたときの耳の輪郭、そんなことをなぜか鮮明に覚えている。

 女の子と一緒のところを見てもやもやしたり、職場で仕事をするきりっとした横顔に見とれたり、仕事のうえで相手を立てる姿やアクシデントに動じない男らしさに頼もしさを感じたり、プライベートで見せるおおざっぱで大胆で、でもさりげなく気を遣うところがいいなと思ったり。
 出会ってからこれまでのことを、孝弘はゆっくり思い返した。
 いつも熟睡していたベッドなのに、なかなか寝付けない夜になった。

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