あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第15章-3

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 すでに過去の話だとわかっていてもじりじりと腹の底から焦げそうなほど嫉妬したし、当時の祐樹の気持ちを思うと胸が痛かったが、孝弘はだまって話を聞き、祐樹の背中をゆっくりなで続けた。

「正直女子とつき合うのもセックスも全然好きじゃなくて。どうすればいいかわからなくて、苦しくて混乱してたときに、手を差し伸べてもらった」
 もがいて苦しかった高校時代を思い出すと、今でもその時の気持ちがありありとよみがえる。学校では王子さまの仮面をつけて優雅に微笑みながら、心のなかは葛藤でいっぱいで混乱して苦しかった。
 彼女と呼べる子は途切れなかったが、短い期間付き合ったもう顔も名前も覚えていない彼女たちを思うと、申し訳なくて、でもそんなことを思うことすらおこがましい気もする。

「中学でも高校でも、おれがいちばん苦しかった時に、さりげなく助けてくれた。べったりそばにいたわけじゃないけど、精神的な支えになってくれてたと思う。彼に恋愛感情はなかったけど、好きだったし信頼してた」
 その後、彼が大学を卒業して就職したあとは、とくに連絡は取らなくなった。たまに元気かとようすをうかがう電話が来ても、社会人になった彼と会う機会はなかった。

「もう俺の助けはいらないだろって言ってた。彼は就職して忙しかったし、おれも大学に入っていろんな出会いがあって」
 ほんの少しためらうようなそぶりのあと、もたれかかっていた孝弘の肩から身を起こして祐樹は言葉をつづけた。
「同じような指向のやつもいたし、理解してくれる友人もできた。初めて恋人っていえる相手もできて、ようやく自分を認められるようになった」
 そこまで話して、祐樹はふうと息をついた。
 冷めてしまったほうじ茶を手に取って一息に飲む。


 その横顔を、孝弘はじっと見つめた。
 なにも口を挟まなかった。話はまだ終わっていない。


「去年、就職してずいぶん久しぶりに彼に会った。再会してからはときどき二人で会うようになった。お互いフリーな時期で、食事に行ったり飲みに行ったり。誘われたらセックスもした」
 つき合おうなんて言葉はなかった。
 彼に対してそういう感情は持たなかったし、ただ懐かしく、また会えたことがうれしかった。
 頼りっぱなしだった中学高校時代とは違って、同じ会社の同僚として、お互い社会人として話ができることが楽しかった。

「おれの北京行きが決まるすこし前、彼が上司から見合いを持ち込まれて、それで海外赴任の話が出るんだなって薄々わかってた。日本を出る直前におれも一緒に食事したけど、ほんとにきれいで頭のよさそうな人でお似合いだと思った」
 上司の紹介だけあって、家柄もよく気配りのできる美人で英語もできて、海外駐在員の結婚相手にはぴったりの女性だった。
 整った容姿の彼と並ぶと、本当に似合いの美男美女のカップルだった。

「だけど、こないだ突然電話があって。そのあと北京まで会いにきて、本当はずっと好きだったっていうんだ。おれが高校に入ってから、ずっと好きだったって。そんなこと、知り合って十年以上たってから言われるなんて想像もしてなかった」
 祐樹が苦しそうな表情になる。
 孝弘はそっと手を握った。ぴくりと一瞬身を固くしたが、振り払われはしなかった。
 うつむいた祐樹が唇をかんで、何か思い出したのか苦しげに眉を寄せる。

「彼女と結婚する前に、気持ちに決着をつけに来たって言ってた」
 わざわざ北京まで会いにきたものの、彼の告白はすでに熱のこもったものではなかった。
 ただ静かな声と表情で、恋愛対象に見られてないのがわかっていたから言えなかった。セックス込みの友人で満足してたのに、結婚して海外赴任してもう会えないと思ったら、最後にどうしても直接会って気持ちを言いたくなったとあきらめに似た表情で笑っていた。
「なんかそれ見たら、なんていうんだろう。すごく申し訳ないような、取り返しのつかないことをしたような気持ちになって。この十年おれはずっと助けてもらってたのに、傷つけてきたのかもと思ったら苦しくて情けなくて」

 何年も一緒にいたのに、気づかなかった。
 出会った時から大人っぽい人だったけれど、ずっと甘やかされて居心地よくぬくぬくしていた。
 自分の鈍感さを謝りたいと思ったが、そんなことを彼が望んでいないことも知っているから、自己満足だけで謝罪を押しつけるわけにもいかなかった。

「そんなことをぐるぐる考えてたら気持ちが落ち込んで。暑かったから食欲もなくなって、仕事の疲れも出たんだと思う。気が付いたら病院だった」
 迷惑かけてごめんね、と頼りない声で謝る。
「そこは来てくれてありがとうだろ」
 孝弘が迷惑だったら来ねえよ、と軽く頭をこづいた。背中越しにとくとくとすこし早い心臓の音が手に伝わる。
「そうだね。来てくれてありがとう」
 泣きそうな顔のまま、祐樹は素直に言い直した。

「……もしその彼にもっと前に告白されてたら、彼と恋人になれた?」
 孝弘の問いにはすぐに首を横に振った。
「こないだから何度も考えたけど、やっぱりそれはなかったと思う。本当に恋愛感情はないんだ。彼が誰とつき合ってもおれは嫉妬しないよ。彼が幸せだといいなと思うだけで」

 精神的につらい時期に何度も助けてもらって感謝はしている。
 彼女と結婚して幸せに過ごしてほしいと心から思う。
 だからそう伝えて、笑顔で別れた。
 彼のほうも北京まで会いに来て気が済んだのか、すっきりした顔で帰って行った。
 きっと今ごろ正式な辞令が出て、赴任前に日本で式だけは挙げていくと言っていたから、慌ただしく準備している頃だろう。

「これで、おれの話はおしまい。……へんな話、聞いてくれてありがとう」
 するりと孝弘の腕のなかから抜け出して、祐樹はキッチンへ行った。


 孝弘はテーブルの螺鈿細工を見ながら、いま聞いた話を反芻する。いろいろショックな内容もあったが、安心した部分もあって心のうちは複雑だった。
 恋愛感情はないと祐樹が言い切ったことはうれしいけれど、だからと言ってじぶんが彼より好かれているわけではない。
 どんな関係か気になっていたから、教えてもらってほっとしたが、そんなに長い付き合いと信頼があったのかと思うと嫉妬心が沸き起こる。
 二人が寝ていたと思うと、過去のことだと言い聞かせても感情は波立った。


 落ち着かなければ。
 爪が食い込みそうなほど手を握って、深呼吸した。
 おかしなことを言って祐樹を傷つけないように。

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