あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第26章-2

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「いえ、何も。留学の最後のほうは授業に出るよりも仕事してたってことは聞きましたけど、事務所でアルバイト続けてたことは聞いてませんでした」
「そうか。うん、ほんと色んなとこに顔出して仕事してたよ。上野は度胸があって機転が利くっていうか、中国の習慣になじんでるからこっちも使い勝手がよくてさ。いや悪い意味じゃないぞ」
 祐樹はわかります、とうなずいた。

「北京事務所で実はかなりスカウトしたんだ、専属で入らないかって。小趙も上野を気に入ってたし、俺もちょくちょく個人的な仕事頼んだりしてたしな」
 個人的な仕事とは、ほかの駐在員にも頼まれていたという親族や友人のアテンドなんかだろう。
 どうやら祐樹が知るより、かなり幅広いつき合いがあったようだ。

「でもあいつ、断ったんだ。もう少し、色々経験を積んでみたいって。アルバイトならいいけど、正社員で入るのはやめておきますって」
 その理由がおぼろげながらわかる気がして、祐樹は過去の話なのに胸が痛んだ。
 たぶん、孝弘は祐樹を避けたのだ。
 アルバイトならほかの事務所の社員と接触することはほとんどない。
 書類上、名前が載ることもないし、責任を負うこともない。

 おそらく孝弘は注意深く避けていたのだろう。
 現に、この5年のうち4年近く中国駐在だった自分が、孝弘のことを知らなかった。
 いくら北京から遠く離れた南方の勤務だったとしても。
 しかし現地採用であっても正社員となれば話は変わってくる。
 毎週のテレビ会議でも顔を合わせるし、出張先で会うこともあるだろう。

「上野はちょうどそのころ、留学生仲間と会社も立ち上げたみたいだったし、ほかの会社や業種の経験をしてから、よかったら使ってくださいってな」
 立ち上げたというのはぞぞむの会社のことか。
 両面刺繍の工場に連れて行ってもらった時に共同経営者だと言うような話を聞いた。
 メインは中国雑貨や日用品のだがそれ以外に伝統工芸品や手工芸品を扱っているとさらりと話していたが、けっこう大きな仕事をしているのかもしれない。

 ぞぞむはいつだったかシルクロード旅行にも孝弘を同行したはずだ。
 その頃から、なんらかの話があって起業したのだろうか。起業に至った経緯も何も聞いていなかった。
「で、俺も2年前に上海に異動になって、たまにあいつが近くに出張に来たら連絡とってメシ食うくらいのつき合いが続いてたんだけど。去年の春先ごろかな、突然電話かかってきて、うちの会社の現地通訳かコーディネーターをやりたいっていうんだ」
 それで何度か国内出張の通訳をしていたという。

 つまり去年から、再会の準備はしていたのだ。
 孝弘はどうして祐樹に会う気になったんだろう。
 慎重に避けていたようなのに、一体どんな心境の変化があったというのか。
 ふと、先日の孝弘の言葉を思い出す。告白を断った祐樹に孝弘はこう言った。
 今回は諦めないよ、覚悟しといて、と。
 つまり孝弘はすでに覚悟を決めていたのだろうか。

「あいつ、ほんと語学好きなんだな。HSKはすでに最高級の12級まで取ってるし、英語もOK、広東語もそこそこいけるってんで、緒方部長に推薦しておいたってわけ」
 孝弘はそもそも長いあいだ、北京事務所でアルバイトをしていた。緒方と直接会ったことはなくても、その実力はよく知られていただろう。
 今回、難しい案件だと知っていて、緒方はわざわざ孝弘をコーディネーターにつけたのだ。

 やられた、と思った。 
 東京本社で会った時の、孝弘のすました顔を思い出す。
 わかっていて来たのか。
 おれに会うって知ってて、それであんなしらっとした顔で名刺だしたりして。
 祐樹は動揺して目も合わせられなかったというのに。

「それで5月の終わりに東京本社に呼ばれましたって上野が連絡よこしたからさ。どうだったって聞いたら、高橋さんと仕事することになりましたってすごく喜んでたから、ああ、よかったなって思って」
「よかったって、なんでですか?」
 一瞬、孝弘とのあれこれがばれているのかと、祐樹は思わず身構えた。いやでも、まさかそんなはずはない。
「んーなんか、けんか別れしたっぽかっただろ? 高橋の帰国のとき。お前ら、気が合ってたし、それまでけっこう仲良く遊んでただろ」
「ええ、まあ」
 孝弘との仲など何も疑っていない調子の安藤に、そっと安堵の息をこぼした。


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