あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第28章-1 意識のありか

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 安藤と二人で病室で夕食を食べた。
「腕どうだ? まだ痛むか?」
「痛み止め効いててあんまり感じません。ていうか、中国の薬ってめちゃめちゃ効きよくないですか?」
「ああ、言える。どんな成分入ってるんだろうな」 
 寝ている孝弘のそばでふつうに会話したのは、声が聞こえたら目が覚めるかと期待したのだが、眠ったままだ。
 
 意識ってどこにあるんだろう。
 どうすれば戻ってくる?
 食事を終えて安藤がホテルに帰ると、今朝そうしたように名前を呼びながら布団をめくって、パジャマのうえから孝弘の心臓の音を確かめた。
 とくとくと少しゆっくりな心音が手のひらから伝わってくる。
 大丈夫、温かい。

 祐樹はベッドの横に椅子を持ってきて座った。
 そっと布団のなかをさぐって孝弘の手を握りこむ。
 握り返してもこないって、どういうことだよ。
 おれが手、つないでやってんのに、ねえ。
「起きてよ、孝弘」
 静かな呼吸は乱れることなく、祐樹はじっと孝弘の寝顔を見つめていた。

 窓を見あげれば、薄いカーテン越しにまるい月が透けていた。
 満月を見ると中秋節の夜を思い出す。
 5年前の中秋節。
 最初で最後だと思って抱かれた記憶。
 苦くてあまい思い出。

 孝弘の熱い手を覚えている。
 すこし戸惑いながら、でも情熱的にやさしく祐樹を愛撫した。
 まっすぐな濡れたまなざしも。
 触れた肌のしっとりした熱も。
 あの最後の夜、抱き合った記憶が、2日前の夜と重なってよみがえりそうになり、慌てて振り払う。

 あれから祐樹は満月が嫌いになった。
 まるい月を見ると孝弘を思い出す。日常生活の中では、忙しいからふだんは満月など気に留めていない。
 しかしいちばん忘れたい中秋節だけは毎年、嫌でも意識する。
 中国に住んでいれば、中秋節は毎年盛大に祝うべき伝統祝日で、忘れようにも忘れさせてもらえないのだ。
 8月になればどこのショッピングセンターにも月餅売り場が大きく展開し、赤と金の装飾が派手に飾られはじめる。取引先からは豪華な化粧箱入りの月餅がいくつも届き、こちらも贈り返す手配をする。
 街中にいても灯籠の飾りつけや伝統食の用意、月見の宴会の誘いなどが目や耳に入り、中秋節は毎年、嫌でも意識させられるのだ。


 それでもなんとか忘れたふりをしてきたのに、でもそんなことは無駄なことだったのだと思い知る。
 忘れたふりで心の奥底にそっと大切にしまったはずなのに、いつだって孝弘のことは意識のどこかにあったのだ。
 
 薄闇のなかで「祐樹」とやさしく呼ばれた。
 祐樹の好きな低いささやき声。
「好きだよ」
 さわさわと髪をなでられて、気持ちがいいとその手に擦り寄った。頬を包まれて、気持ちよさに微笑む。
 くすりと笑う気配。
 ……ああ、夢を見ている?

 ふと、やわらかいなにかが唇に触れて、祐樹はふわりと目を開いた。
 目を開けても視界が暗くて、あれ…?と思う。
 ここはどこだったっけ?
「起きた?」 
 声を掛けられて、ぼんやり頭を起こした。
 笑いをふくんだ低くあまい声。
 孝弘が身を引いて間近で目が合って、それでキスされていたのだとわかった。

 孝弘はベッドに横たわった状態で、祐樹は片頬を布団につけて寝ていたようだ。
「孝弘?」
「うん」
 これはまだ夢のなかだろうか。
 横になったままの孝弘に、やさしい手つきで頬をなでられた。
 手のひらがほんわりと温かい。その感触がやけにリアルだ。

「どうしたの、なんかかわいい顔してる」
「え?」
「孝弘ってもう一回、呼んで」
「孝弘?」
 誘われるまま名前を呼んだら、孝弘が目を細めてとてもうれしそうに笑った。
 そこではっと目が覚めた。

「上野くん!」
 意識が戻ってる!
 がばっと身を起こした。
「あーあ、目が覚めちゃった?」
 孝弘が残念そうに、かわいかったのになとつぶやく。
「目が覚めちゃったじゃねーだろ。そっちこそ、いつ起きたんだよ。勝手にいたずらしてんじゃねーよ」
 安堵のあまり、乱暴な言葉になってしまう。
 うれしさが突き抜けて、何を考えていいかわからなかった。

「うわー、祐樹がそんな言葉使いするなんて、すげー新鮮」
 状況がわかっていない孝弘はのんきなものだった。
「ていうか、ここ病院? 祐樹は平気なのか?」
「それどころじゃないって。事故からもう2日も経ってんのに! 麻酔はとっくに切れてるのに目が覚めなくて、人がどんだけ心配したと思って」
 祐樹が言えたのはそこまでで、つんと鼻の奥が熱くなって胸がつまったと思ったら、あっという間に涙があふれた。

 孝弘が目をまん丸に見開いて、驚いた顔で祐樹を見つめた。
 止めようもなくぽろぽろ涙がこぼれ落ちて、シーツにいくつも染みを作っていく。
「心配かけてごめんな」
 頭を抱き寄せられて、耳元にそっと謝罪が落ちて来た。


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