あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第3章-5

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「なに?」
 じっと見つめられて、孝弘は落ち着かない気分を味わう。
「上野くんて好奇心旺盛だよね。なんかいつ見ても、目がきらきらしてるっていうか、なんでも楽しもうって感じが伝わってくるよ」
「……目がきらきらって」
 好奇心旺盛なのは確かだが、目がきらきらなど言われたことはない。思わず照れて赤くなる。
「高橋さんこそ、そんな顔して王子さまってかんじ」
「うーん。実際そういう柄じゃないんだけどね」

 淹れてもらったコーヒーはミルクだけ入れて飲んでみると、たしかにインスタントより味も香りもよかった。
「でもモテるでしょ」
「そこそこだね。そんなにノリよくないから。学生時代にモテるのってそういう感じの子たちでしょ」
 さらっと肯定したうえに謙遜したけれど、嫌みがまったくないのもすごい。
「ああ、まあそれはあるけど」
 
「とりあえず、お風呂どうぞ。ゆっくりでいいからね」
 せっかくなので遠慮なくゆっくり入らせてもらう。
 髪と体を洗ってから、湯船のなかで足をマッサージした。すこし筋肉が張っているが、それほどではない。
 久しぶりに入る湯船に、体がのびのびとほぐれるのがわかる。
 中国では水不足が深刻なので入浴の習慣はほとんどない。
 一般家庭には風呂はないのが当たり前で、有料の公衆シャワー場があちこちにあるが、それも週に1回くらいという人がほとんどだ。

 断水も多く、朝晩の炊事時間はだいたい出るが、昼間は強制断水していることもしばしばある。だから久しぶりの湯船は本当に気持ちがよかった。
 風呂からあがってそんな話をして、祐樹に礼をいうと、なんだか複雑そうな顔をされた。
「え、なに? かわいそうになっちゃった?」
 たまにそういう言い方をする人がいるから、あえて軽く訊いてみた。

 日本の友人たちは、孝弘の留学生活を聞いて、よく言うのだ。
 しょっちゅう水がでないなんて、停電するなんて、一人部屋がないなんて、テレビも電話もないなんて、そんな不便な国に留学するなんて、色々かわいそう、と。
 孝弘自身はそんなふうに思ったことはないのだが、便利で清潔な生活に慣れた友人たちはそう思うらしい。まあ無理もないと思う。
 孝弘だって北京に着いたばかりのころは、あまりの不便さや中国人の適当さに呆れたり怒ったりの毎日だったのだ。
 しかし、祐樹は首をよこに振った。

「まさか。上野くんはそういう不便な生活も含めて、留学生活を楽しんでるんだってわかってるから、かわいそうなんて思わない」
 祐樹が孝弘の留学に対する姿勢を的確に言い当てたので、かなり驚いた。
 なにが起きても楽しもう、孝弘はこの1年間の留学生活でそう心掛けるようになっていた。
 だって怒っても呆れても事態はよくはならないのだ。断水にしろ停電にしろ欲しいものが手に入らないことにしろ、それを受け入れて暮らすしかない。
 だったらすこしでも楽しく過ごせるように気持ちを切り替えたほうがいい。

「俺、そんなふうに見えた?」
「うん。見てればわかるよ。いろいろ不便が多いけど、上野くんはそれについて不満を言わないから。こういうことがあるんだって単純な事実として話してくれる。日本人とは考え方が違うから、いろんなことで腹も立つし傷つく事も多いけど、上野くんはそれを楽しめるんだなって」
「じゃ、なんで、さっきへんな顔したんだ?」
「断水の話だけど、開発特区の工場や外資系オフィスやホテルではそんなことないんでしょ。優先されてるのは知ってたけど、実際に一般人の生活はまだそんな状態なんだと思うと、中国進出に慎重な意見もわかるなというか、やっぱいろいろ大変だなと思ったり。ちょっと仕事のことを思い出しただけ」
 それ以上、その話を続けるつもりはないようで、祐樹は孝弘にビールを渡すと風呂に行ってしまった。

 仕事の話なんてされても当然わからないが、子供扱いされたようでなんだかもやもやする。孝弘が社会人だったらもっと深い話をしたり、愚痴を言い合ったりできただろうか。
 まあ、考えてもどうしようもないことだ。
 それにしても、祐樹が孝弘のことをかなり的確に把握していることに驚いた。
 会うのはきょうで4回目だ。
 冷えたビールが喉を落ちる感覚を楽しみながら、祐樹のことを考える。

 中国に限らないが、海外生活はその国に馴染める人間と馴染めない人間がかなりはっきり分かれる
 留学生はたいてい自分で望んで来るが、それでもまったく違う文化の中で考え方の違いを受け入れられずに途中で帰国していく者も多い。
 本人が希望して来るわけでもない駐在員はなおのこと、拒否反応を示して駐在国とできる限り関わらないで過ごすものもいる。
 これまでの様子を見る限り、祐樹は異文化を楽しめるタイプのようだ。
 そもそも中国に興味などまるでなく、社命で仕方なく来たらしいが、それでもカルチャーショックを受け入れて楽しんでいる。
 たぶん、そういうところが高橋さんとは気が合うんだなと孝弘は思った。

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