あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第16章-3

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「そうそう、昼に大趙が来てこれ置いて行ったんだけど」
 祐樹が赤い包みを出してきた。
「うん? 月餅(ユエビン)?」
「そう、なんかそういう時期なんだって? 月餅を贈りあうとか?」
「ああ、中秋節(ジョンチュウジエ)が近いんだっけ」
 季節行事を重視していないので忘れていたが、もうすぐのはずだ。
 壁のカレンダーを確認すると、9月30日が農歴8月15日となっている。

「中秋節は農歴(ノンリー)(旧暦)なの?」
「そう、中国の祝日は陽暦(ヤンリー)(新暦)のと農歴(ノンリー)のがあるからややこしいんだよな」
 農歴の祝日は毎年、日付が変わるのだ。
 春節(旧正月)や中秋節がそうで、今年の中秋節は9月30日。
「どうりで売り場がやたら赤金色だと思った」
 中秋節は中秋の名月を楽しみ秋の収穫に感謝するもので、月餅という伝統菓子を友人知人に贈りあう習慣がある。その消費量が半端じゃないのだ。

 中国人は面子を重んじるため数が多く豪華なものを贈りたがるので、この時期、月餅売場は相当な混雑になる。
「昔は月餅の箱に現金詰めて、賄賂を持って行ったらしいよ」
「ほんとに?」
「そんな話を中国人の先生がしてた」
「確かにありそうな話だね」

「せっかくだから、ひとつ食べてみる?」
 食後に熱いほうじ茶を淹れて、月餅の箱を開ける。日本で売っているものより大ぶりなので、ピザのように切れ目を入れて一口サイズで出した。
「すごくどっしり」
 一切れ食べて、祐樹が笑った。
 皮が薄くて中に餡がぎっしりつまっている。

「高橋さん、来週、時間のある日はある?」
 気持ちを抑えられず、そう訊いてしまった。祐樹は穏やかな顔を保っている。
「どうしたの?」
 相変わらず、返事をしない人だな。
 質問で返され、その警戒心にちょっといらだつ。
「会いたい」
 抑えきれない気持ちのまま素直に告げると、祐樹が微妙に表情を曇らせた。
 そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

「ごめんね、ちょっと時間ないと思う。仕事、立て込んでるし。学校も休んだから課題もやらなきゃいけないし。社内レポートもためてるから」
 きわめて真っ当かつ、隙のない返事にガードの固さを思い知る。
「上野くんにはいろいろお世話になったし、今回のことは本当に感謝してる。でも、そういうのにはつき合えない。ごめんね」
 やわらかな声と表情で、でも迷いなくきっぱり言い渡された。

 用意してあった答えをもらったんだと理解した。
 完敗だな、と思う。
 そんなことできないけど、たとえ泣いてすがっても祐樹は同じ返事を返すのだろう。祐樹の気持ちを動かすのはきっとじぶんじゃないのだ。
 それが分かったから、黙って孝弘は立ち上がった。

「これ、治療費とか交通費とか食費とか。受け取ってね」
 玄関前で有無を言わせず、封筒を渡された。おとなしく受け取って、そのままカバンに突っ込んだ。
「お邪魔しました」
 かろうじてそれだけ言うと、部屋をあとにした。
 もっと何か言いたいことがあった気もする。
 でも何を言っても祐樹に届かないとわかったから、無駄に追いすがるのはやめにした。そんなみっともない姿を見せたくなかった。

 最後に見た祐樹は、静かな顔をしていた。
 気持ちがこもっていない人形のように整ったきれいな顔。笑顔で別れたかったと思ったがとても無理だった。
 バスにも乗らず、タクシーも止めず、ひたすら歩いた。
 頬に伝わる涙に、びっくりして一瞬足をとめた。
 振られて泣くなんて初めてだった。そんなにショックだったのか。
 ぐいっと手でぬぐって、また歩き出す。

 大体、男を好きになったのが、そもそも間違いだったのだ。
 今までそんなことはなかった。だから、すぐに忘れるはずだ。そうに決まってる。
 言い聞かせながら、夜道をひたすら歩いた。

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