あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第23章-2

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 車が停まって、祐樹はもの思いから覚めた。
「ここは?」
「ちょっと現場見学しましょう。昨日のところとは比べ物にならない規模ですけど、技術レベルでは引けを取らないと思いますよ」
 優秀なコーディネーターの顔で、孝弘がドアを開けて祐樹を促した。

 痩せた老板(ラオバン)(店主)が出てきて笑顔で握手をした。孝弘とは知り合いなのか親し気に話している。なまりが強くてあまり聞き取れないが、ぞぞむの紹介で来たと説明したことは聞き取れた。ぞぞむの取引先だろうか。
「刺繍工場?」
「そうです」
 孝弘はそつなく手土産の酒とたばこを渡した。
 祐樹からの心遣いだと孝弘が説明したので、老板はとても愛想よく祐樹をなかに案内してくれた。

 日本的にいうなら自営業の下町の工場といった規模だ。
 職人は十人くらい、まだ十代半ばくらいから二十代後半の女性が、刺繍台のまえで真剣に針を刺していた。
 とても薄い、向こう側が透けて見える薄い布に、これまた細い糸で浮かび上がるように図案を刺していく。裏表のどちらから見ても表にしかならない両面刺繍だ。

「ここはぞぞむが立ち上げた会社の両面刺繍の専属工場なんです。ぞぞむ自身がスカウトした職人だけを呼んで、住み込みで働いてもらっています。この裏に寮があって、衣食住すべて面倒を見るかわり、少なくとも5年間はここで勤めてもらう契約です」
 つまり仕事に専念できる環境を整えて、職人を集めているのだ。できた製品を工場から買って売るのではなく、職人を抱えて寮や工場まで作っているのはそれだけの品質を保ちたいからなのだろう。

 間近に立って、刺繍する手元を見せてもらったが、気の遠くなるような細かい作業だ。
 あまりに薄い布なので下書きなどはできないし、一度でも刺し間違うと生地が傷むので、もう商品にならないと老板が説明する。それはかなり神経を使う作業だろう。
 職人の女性たちは祐樹があまりに恰好いいので、作業の手元を覗かれて顔を赤くしている。
 作業の手を止めてきゃあきゃあ騒ぐ姿はまだあどけなかった。
 今後の資料になるかと許可を取って作業場をデジカメで撮影させてもらった。昨日の画像と比べると、設備の差は歴然としていて、しかし持っている技術は確かに侮れなかった。
 こういう場面に出会うと、技術は規模じゃないと思い知らされる。

「ここで作った商品はぞぞむの会社だけの専属販売で、図案やサイズを選んでオリジナル注文も可能になっています」
 奥に商品見本が並んだ部屋があり、そこにも案内された。
 部屋には手のひらに乗りそうな卓上サイズから屏風のような大きさの立派な装飾品まで、サイズも図案もさまざまな見本がずらりと並んでいた。
 図案も大きさの種類もオリジナルが選べるというのなら、こういう手工芸品が好きな人からは人気が出るだろう。
 ぞぞむの会社の取扱い商品を間近で見たのは初めてだったが、なるほどと思わされるラインナップだ。

 中国旅行に来ても土産物屋で売っているのは大量生産の粗悪品が多い。
 質のいいものはなかなか手に入らないし、免税店などでもほとんど並んでいない。品質のいいものが欲しければ、デパートで買うという日本の常識は通用しない。
 ここでもコネや伝手がものを言うのだ。

 一つ一つ、丁寧に見せてもらい、礼を述べて工場を出ようとすると、老板娘(ラオバンニャン)(女店主)から記念に好きなのを持っていってくれといくつかの商品を勧められた。
 気前のいい申し出だが、これはどうしたものかと孝弘をうかがうと、孝弘は愛想よくうなずき、祐樹を前に押し出した。

「好きなの、選んでください」
「でもいいの? これってけっこう高いものでしょう」
 先ほどの制作過程を見たら気軽にもらえるものではないし、ぞぞむの会社の工場だということで祐樹は遠慮したが、孝弘は首を横にふった。
「だめですよ、中国人の面子を尊重してあげてください。社長の友人が日本からわざわざ来たんですから、精一杯のもてなしをしたいんです」

 老板娘のお勧め商品は手土産にしては大きかったが、大きさがある分だけ見応えはあり、繊細な刺繍は見事の一言に尽きた。
 しばらく見比べて、金魚の図案のものを祐樹は選んだ。
 木枠と丸いガラスに挟まれて、水中で涼し気に金魚がふわりと泳いでいる。うすい青緑の生地に浮かぶ赤い金魚と水草の揺れるさまが本物のようで美しかった。
「いい図案ですよ。ここの職人が描いたオリジナルで、とても人気があるんです」
 孝弘が説明してくれる。

 中国では魚(yu)の発音が余(yu)と同じで掛け言葉の意味合いから、金魚のデザインがよく使われる。マグカップやらホーローの洗面器などにもよく金魚が描かれているのはそのせいだ。
 手際よく箱に詰められて、割れないようにしっかり梱包された状態で車まで運ばれてきた。老板夫婦の満足げな笑みを見て、孝弘の助言が正しかったことを知る。
「ありがとうございます。大事にします」
 食事も勧められたが、時間がないことを告げて丁重にお断りして工場を辞した。


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