あの日、北京の街角で

ゆまは なお

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第21章-1 駆け引き

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 運転手は友人宅に行ってしまって夕食は二人きりだった。孝弘は人目をはばからず祐樹をじっと見つめてきた。
 あまりにも落ち着かないので、そんなに見ないでよと茶化すように言ってみたが、孝弘はうなずいたものの優しく微笑むのをやめなかった。
 熱っぽく、あまい視線。
 ……とても困る。

 大人っぽくなった、いや、大人の男の顔をして、そんなふうに見つめられると、祐樹はうまくポーカーフェイスを作れなかった。
 5年前にはそれであしらえたのに、もうその手は通用しないと突きつけられた気分だ。
 …そうか。孝弘はあの時の祐樹と同じ歳になっているのだ。そりゃ、駆け引きもうまくなるはずだ。
 ホテルに戻ったら、今度は孝弘の部屋に誘われた。
 天津のときにはなかった展開だ。いや、あの時の部屋はツインだったっけ。

「試供品のワインをもらったから味見してくれませんか?」
「試供品のワイン?」
 意外な誘い文句に思わず聞き返してしまった。
「友人の会社で仕入れるかどうか検討中の新疆ワインなんです。俺、あんまりワイン飲まないから正直、味がよくわからないんですよね。日本人としておいしいのかどうか意見もらいたいんです」
 そう言われて跳ねのけられずに乗ってしまう自分も、度し難いバカだとは思う。

 停電のエレベーターで煽られて、ベッドで触りあったのは4日前のことだ。
 反省したはずだ、しっかりしなくては。孝弘の視線に引きずられている場合ではないのだ。
 言い訳かもとすこし疑っていたが、部屋に行ったらワインは本当に出てきた。
 小ぶりの瓶の新疆ワインが2本。ホテルの部屋にグラスはないので、コップに淹れたワインを受け取って、どうしたものかと自問する。
 狭いシングルの部屋でベッドに腰かけてワインを飲んでいる時点でもうアウトだろうか。拒める気がちっともしない。
 
「けっこうおいしい」
 ワインはすっきりした飲み口で、アルコール度数はさほど高くない。酒に弱い人でも気軽に楽しめそうだった。ハーフボトル程度の量だから、食事時に二人で飲むとちょうどいいかもしれない。
 ラベルにはマスカットのような黄緑色の葡萄の絵が描いてある。新疆葡萄酒はそこそこ有名でそれなりに流通しているから祐樹も飲んだことはあるが、このラベルは初めてだ。
「どこの?」
吐魯番トルファン産。工場で飲んだらうまかったから買ってみたらしいです」
 トルファンはそれほど便利な場所ではない。
 孝弘の友人はトルファンのワイン工場まで行って仕入れたのか。思わず笑みが浮かぶ。友人も行動力があるタイプらしい。

「へえ。わざわざトルファンまで行ったんだ」
「新疆好きな奴なので。わりとさわやかな味ですよね。これ、干しブドウと同じ葡萄かな」
 孝弘はデスクの前の椅子に座って、自分のホーローマグにワインを入れて飲んでいる。瓶を持って、ラベルを確かめている。
「これでいくらするの?」
 小売り価格を聞いて、祐樹はなるほどと納得する。どの程度の数量かにもよるが、実際の仕入れ価格はもっと安くなる。販路さえ確保できればそこそこの利益になりそうだ。
 その会社の取引規模は知らないが、元留学生ならそれなりにコネもあるのだろう。

「日常で気軽に楽しむワインとしてはじゅうぶんおいしいと思うよ」
「ですね。まずは少量仕入れて、感触見てみてもいいかな」
 孝弘が仕事の顔をしているから、祐樹はほっとしてワインを飲みほした。これで用事は終わった。
 不自然にならないようにタイミングを計って立ち上がろうとしたら、孝弘に腕を掴まれた。

「何?」
 どくんと心臓が跳ねたことを押し隠して言った。目線を合わせるのはまずい。
「せっかくだから、もう少し話でもしよう?」
 祐樹は戸惑って立ち上がれない。話? 孝弘と二人で何を話せばいいんだろう。
 思わず黙りこむ祐樹の腕を孝弘が掴みなおした。逃がさない、と言うように。

「俺と話すのは嫌?」
 もう一杯、ワインを注がれた。
 断る面倒より、飲んでしまう方が早い。そう判断して、これを飲んだら部屋に帰ると自分に言い聞かせた。
「嫌なわけないでしょう。上野くんは本当に頼りになるし……、胃腸薬の件でも青木さんがとても感謝してたよ」
 なんとか差しさわりのない話題を探し出す。

 連日の宴会や食事会で胃腸の調子を崩した青木に、孝弘が夜間でも診療してくれる中医を探してくれたのだ。診察を受けた後、青木は「すごい匂いなんだけど」と不安そうな顔で煎じ薬を飲んだが、それがかなり効いたらしい。
「胸やけがすごく楽になった」と喜んで、その後もまずいといいながらも煎じ薬を飲んでいる。
「漢方薬があんなに効くって知らなかったよ」
 祐樹はこれまで中医の診察を受けたことはない。
西薬シーヤオ(西洋薬)でもよかったんですけど、こっちの薬って日本のものよりだいぶ強いんで胃腸が弱っているときには負担が大きいんです。漢方だとその辺をうまく調整して出してくれるから、体質に合えばよく効くよ」
 孝弘も長い中国生活で、中医の世話になったことがあるという。

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