エレンディア王国記

火燈スズ

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第3章

130.失われし過去

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 長老の声が響いた瞬間、両脇に控えていた老人たちがざわめいた。背筋を伸ばし、顔色を変え、互いに目配せをする。その動きには、ただの驚きではなく、恐怖に似た色があった。

「長老、本当なのか……?」

「まさか……あの予知が、現実に……」

 低く交わされる囁きは、焚き火のはぜる音にかき消されそうでありながら、リアの耳に生々しく届く。

 ハランが横に立ち、静かに説明を始めた。

「長老はサーシャの曾々祖母だ。彼女もサーシャと同じレオル族の出だ。……いや、サーシャよりもはるかに濃い血筋を持つ、唯一無二の予見者だ」

「レオル族……?」とリアが問い返すと、ハランは頷いた。

「この地に暮らす数多の部族の中でも、レオル族だけは未来を視る力を持っている。長老は半年前、三つの予知を告げた」

 焚き火の光がハランの顔を照らし、その瞳に影を落とす。

「一つ目は――『黒雲の災厄、銀の龍』」
「二つ目は――『地を揺るがす巨人の咆哮』」
「そして三つ目が――『世界を変える炎の魔法使い』だ」

 ハランはそこでリアを見やった。

「長老は三つ目の夢の中で、お前のような人間に出会ったと言う。そして……この土地を救ってほしいと願っている」

 長老は目を細め、まるで何十年も前の景色を思い出すかのようにゆっくり口を開いた。

「わしの夢に現れたのは、燃えるような力を持つ者……炎がすべてを変え、そして、新たな時代を呼び込む。その顔、その目……間違いなくお主じゃ」

 リアはその言葉を受け止めながらも、胸の奥に違和感を覚えた。夢は、善き未来だけを示すとは限らない。

 案の定、ご意見番の老人の一人が低く反論した。

「予知は絶対ではない。この者こそが、黒雲の災厄……銀の龍である可能性はないのか?」

 ざわ、とテント内の空気が揺れた。リアはその言葉に対し、ふと脳裏に浮かんだものを口にする。

「……銀の龍、それは銀翼のことではないでしょうか。エレニア王国では、今まさに銀翼という集団が暗躍し、悪事を働いています。もしかすると、それが一つ目の夢に――」

 しかし、彼の言葉が終わるより早く、別の老人が露骨に顔をゆがめた。

「エレニア王国、だと……!」

 他の老人たちも眉間に皺を寄せ、視線に敵意が混じる。その変化にリアは眉をひそめたが、長老の声が鋭く割り込む。

「ここで、その名を口にするでない」

 焚き火の火がぱちぱちと音を立て、長老の横顔を紅く照らす。

「……この地とあの国との間には、深い軋轢がある」

 リアは黙って頷き、自分がその国の王子であることは口にせず、耳を傾けた。

 長老はゆっくりと過去を紡ぎ始めた。

「かつて、この山脈を囲む大地には、我らの先祖が国を築き、平和に暮らしておった。大河と森が恵みを与え、誰もが満ち足りた日々を送っていた」

 その声には、遠い記憶を語る懐かしさと、失われたものへの悔しさが入り混じっている。

「だが、東の海から異国の船が現れた。彼らは交易を装い、やがて国を乗っ取ろうと動き始めた。幾度も衝突が起き、戦の火が広がった」

 焚き火がはぜ、長老の影が壁に長く伸びる。

「それでも、当時の指導者たちは愚かではなかった。互いの力を合わせ、二人の王を立て、新たな国――エレニア王国を築いたのじゃ」

 一瞬、場に温かな空気が流れた。だが、長老の次の言葉は重く、冷たかった。

「……しかし、三代目の治世。東の海から来た王が、先住の王を暗殺した」

 リアの背に、ひやりとした感覚が走る。

「そこから弾圧が始まり、我らの文化も土地も奪われた。百年にわたる戦争の末、生き残った者たちは二つに分かれた。山脈を越えて新天地を求める者と、この地に残る者……」

 長老の目が細まり、その視線は焚き火を越えて遠い過去を見ているようだった。

「最終的に、互いに不可侵の協定を結び、争いは表向き終わった。だが、その傷は……癒えることはなかった」

 説明を聞き終えたリアは、胸の奥に鉛の塊を抱えたような重さを感じた。反論の言葉も、慰めの言葉も、何ひとつ浮かばない。ただ、沈黙が落ち、焚き火の音だけが静かに響いていた。
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