目覚めたら公爵夫人でしたが夫に冷遇されているようです

MIRICO

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番外編 ヴァルラム⑤

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 暗闇の中、何かが聞こえるような気がした。

 体を動かしたいが、どう動かしていいか分からない。
 視界はぼやけ、黒なのか灰色なのか分からない状態が続いた。

 何度かまぶたを上げ下げしようと試みたが、それが動いているのか分からない状態で、それなのに、前がぼんやり開けて、何かが見える気がした。

 どれほどの時間が経ったのか、しばらくして、先ほどよりもずっとぼやけた世界がはっきりしてきた。闇の中にぽっかりと明るい場所があり、そこで草が風で揺れるのが見えた。

 そこになにかがいる。それがなんなのか、気付くのにも時間がかかり、一度いなくなって、再び戻ってくるまでには、暗闇は明るい場所となり、今自分がふわふわと浮いているのが分かった。

(ああ、そうか。ここは封印の中なのか)

 それに気付くのにどれくらい時間が経ったのか。浮かんでいる体は自由に見えて手足が鎖に繋がれており、それが地面に繋がっている。自分の意思で動いて高く飛んだりもできるが、鎖の長さでしか動けない。
 そうして、自分の名さえ思い出せなかったが、やっと思い出すことができた。

 ヴァルラムは周囲を見渡す。封印の中と、現実の外が混じって見えるのか、山際の森の中にうごめくものが見えた。声は聞こえないが、魔獣が動けずに唸っているようにも見える。
 自分もまた、生きているのか死んでいるのか分からない状態で、ただ分かるのは、封印は成功したことだけだった。

 朝が来て、日が上り、夜になって星空が見える。人の姿はなく、一番側にいるのは魔獣のみ。それらがこちらを襲うことはなかったが、流れる魔力のようなものは感じた。

(体はあるが、実体はないのか。意識だけで、魂のようなものなのだろうか)

 手足の感覚などはなく、風が吹いても感じたりはしない。地面にある草を引っこ抜こうとしても触れられず、けれど自分に繋がっている鎖は手にできた。
 そして、その鎖が繋がる地面に石碑があった。そこには座ることができ、台座に花や飲み物、お菓子などが置かれており、それには触れられるようで触れられなかった。

 不思議な感覚。

(この石には座れるのが不思議だな。石にもなにか施しているのか? 魔力を感じる)

 どうやら魔力のあるものには触れることができ、ないものには触れられないようだ。
 それならば、人にも触れられるのだろうか。そう思ったが、人が訪れることはない。

(参ったね。これはずっとこのままなのかな)

 眠ろうと思えば眠れるので、まぶたを下す。ただ、次に目覚めた時に一体どれほどの時間が経っているのか分からない。それを考えるだけで気が狂いそうになる。
 ずっと景色を見続けることになるのか。鳥が頭の上を飛び、うさぎが台座にある食べ物に近付く。のどかだが、永遠のような時間だ。

 ならば魔法が使えるのか試みる。使えるわけがない。
 何度も、何度も、何ができるのか、数えられないほど多くを試して、諦めた。

 ここは寂幕の世界だ。ヴァルラムはここに存在していない。現実に見えて、実は別の世界である。暗闇に戻ろうと思えば戻れて、光の世界に行こうと思えば行けるが、そこはヴァルラムにとって現実ではなく、重なっていてもその世界に馴染むことのできない存在となっていた。

 しかし、一度だけ、封印に穴が空いたかのように風が流れた。

 うごめいていた魔獣が底の穴に入っていく。それは魔法陣で繋がっており、間違いなく誰かの仕業だった。しかし、ヴァルラムには鎖が繋がり、引っ張られるように風が吹いても、山際の遠いあの場所に届くことはない。
 ならば見ていても仕方がない。まぶたを下ろして眠りについて、そのまま消えるまでの時間を待つしかない。

 それが短いのか長いのか、想像もできない。ただ、ここは封印の中で、時間の経過も自分が感じているそれとはまったく違う可能性もあり、眠れば消えるのではないかという淡い期待を持ってまぶたを下ろすしかなかった。

『————わけ、ありません。多くの犠牲を……、……は滅びました。皆は故郷に戻り……』

 聞き覚えがあるような、ないような、音が耳に届く。
 耳なのか、体なのか。響いた音が直接体に届いているような、よく分からない状態だ。
 音が声なのだと気付くのに時間がかかる。ぼやけた視界の中で、惚けながらそれが何なのか考えた。

『————は、弟君を次の王……。……』

 ハッと気付いてまぶたを上げる。くぐもって聞こえるが、ブルイエの声だ。
 暗闇から抜け出して光の世界に出ると、懐かしい顔がそこに座っていた。
 ただ、討伐の時よりずっと殺伐とした顔をしており、目の下は窪んで別人のような容貌をしていた。年齢も前よりも年がいっているように思える。

 気付かない間に日にちは過ぎて、思った以上の日時が経っていたようだ。

「……この土地に住むことに決めました。魔獣の封印が解けぬよう、一族でこの土地を守ると誓います」

 すべては終わった。そんな報告。ブルイエは時折花や食べ物などを持ってきて、この場所で日々あったことを口にする。
 まめな人間だったが、律儀に毎日来ているようだった。

 まぶたを下ろせば再び時が過ぎていく。気付いたらブルイエが子供を連れていた。男の子だ。

「じゃあさ、結局、封印するよりずっと人が死んだってこと? 王弟が生きてれば、国が滅びることはなかったってこと?」
「さあなあ。ヴァルラム様が生きていても、王はきっとまた下らぬことを考えて、自分の首を絞めただろう」
「でもさ、王弟が戦えば良かったと思うけど? だったら、国も滅びなかったでしょう?」
「……そうだな。もっと早く、あの王を止めておけば良かったのだろう。弑する気概が、あの時の我々にはなかったのだ……」
「しい、……なに?」
「お前ももう少し大きくなれば、理解できるだろう」

(いたい話をしてくれる)

 自分の子供に、歴史を教えているようだ。
 ブルイエは結婚していなかった。子供は十歳くらいに見える。それを考えると、少し眠ったくらいで十年は軽く過ぎてしまったようだ。

 それでも、ヴァルラムは消えることがない。

(魔法陣の封印に時間を止めるような作用はないんだけれど、封じるとそんなことが起きるのかな。意図せずできたってかんじか。僕もまだまだだねえ……)

 ブルイエの子供は森の中に続く道を歩いていく。あちらには何もなかったはずだが、十年の間になにかができたのかもしれない。

(鎖をもう少し伸ばして欲しいな。木が伸びてきて、遠くが見えなくなってきた)

 魔法陣の封印はブルイエが続けて行っているため、それが弱まることはない。弱まったらまだうごめいている魔獣が動き出すだろう。壊すわけにはいかない。
 しかし、手足の鎖は少しずつだが変化があった。ブルイエが魔力を注げば鎖は綺麗に元通りになるが、伸ばそうと思えばある程度伸ばすことができる。

 魔法はあまり強いものではなかったが、封印の魔法陣と連動するようにしていたようだ。だから、封印の魔力が減ってくると、鎖の魔法も弱まってくる。その間にぐいぐい引っ張ると、木々より少し上に飛ぶことができて、森の先が見ることができた。

 城砦は前の討伐で壊れたこともあって、少し古くなっているように見えた。けれど、前にはなかった建物が、城の外にも作られている。

(封印で、魔獣が減ったのかな?)

 役には立っただろうか。多くの犠牲を出して施したとしても、これからの未来のために、少しは役立てただろうか。

 それならば良い。

 国が滅びたのは王の資質に問題があったからだ。けれど、それを放置し戦うことを怠った。守るべき民は守らず、遠くの土地の民を守ったのだから、こんなことになったのも自業自得だろう。

 起きているとブルイエは誰かを連れてやってくる。その時に思い出話や現在の状況を話していく。
 起きていれば時はゆっくりと進む。眠ったら進むのが早いようだ。

 再び眠ると、今度はブルイエとブルイエに似た男が同じ年くらいの女性を連れてきた。ブルイエの短い焦茶色の髪が白髪混じりになっており、ブルイエに似た男は息子のようだった。

 そして、どこか懐かしさを覚える女性は黒髪黒目で、笑う顔が誰かを彷彿とさせた。

「チェルシーの妹の娘の、カエラです。今度、息子と結婚することになりました」
「これから、彼女と一緒に封印を守っていきます」

 前の小生意気な雰囲気は消えて、きりっとした青年になっていることに驚いてしまう。しかも、隣にいる女性はチェルシーに少しだけ似ていた。ただ目が優しくて、彼女のような力強さが見られない。

(妹の子……)

 ブルイエは、チェルシーに頼まれて両親と妹を保護していた。前にヘクターやエニシャがここに訪れたが、そこにチェルシーの姿はなかった。
 ブルイエが彼女の死を伝えてはくれたし、両親と妹を近くの町に住まわせたとは聞いていたが、まさか妹の子とブルイエの子が結婚するとは思わなかった。

 気付けば誰もが年をとり、子供たちは大人になっている。仲間たちは老いていき、子供たちは成長するのだ。

 自分だけが。このまま。

 それを、なんと表現すれば良いのか分からない。

 ただ、涙が流れて、彼らに流れる時間に目を瞑りたくなった。




「父が死んだので、お知らせに……。最後まで、この封印を守れと言って眠りました。俺も子供にこの地の封印を守らせます」

 ブルイエの息子はブルイエと同じ年になり、ブルイエだけが旅立った。
 まぶたを上げれば、別の子供がいる。
 そうして、眠れば、見知らぬ者がそこにいた。

 何度も繰り返し目が覚めて、どれだけの時が続いたのか分からないまま、目覚めたある日、黒髪黒目の小さな女の子が座り込んでいた。
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