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追記・後編
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アウラ女王はどのような女性だったのだろう。
私があの図書室で初めて間近に向き合い、話した彼女は、少なくとも巷で語られるような贅沢に溺れた女性ではなかった。上品だがシンプルな室内着を着て、装飾品もわずかだった。数字という事実をもとに、淡々と事実と私見を述べてきた。
再会した時、彼女は処刑を待つ罪人で、寝間着一枚しか着せられていなかった。にも関わらず彼女は落ち着いており、私の目の前であの美しい銀髪が切られた時も、琥珀のような瞳でまっすぐ私の目を見つめ返してきた。
あの時、感じた感情に、私は今でも名前をつけられずにいる。
復讐が叶った暗い喜びは一切なく、さりとて若くして命を断たれる罪人を哀れむでもなく、処刑の残酷さに身震いするでもなく…………
あの図書室で、私は初めて彼女と出会った。
彼女と本当に出会い、話したのは、あの時が初めてだった。
彼女はどんな女性だったのだろう。
私はただもう少し、もう少しだけ、彼女と話を
ソヴァールはそこでペンを置き、一息ついた。そして自分が書いた文章を読みかえすと、それを机の上のロウソクに近づけた。火は薄い紙をあっという間に包んで燃やす。
こんな、自分でもはっきりしない言葉を残したくはない。
ソヴァールは書き物机の端に置いた簡素な小箱を手にとり、ふたを開けた。
中に詰まった銀色の長い束がろうそくの光を反射して、きらきら輝く。
ソヴァールはしばらくその銀色を見つめると、ふたを閉めて箱を定位置に戻した。
ふたたびペンを走らせる。
ロヴィーサ王国聖女王、フェリシア・フィーリャ・トゥ・オブリーオ。
ロヴィーサにおいて『聖女王でありながら自国を売った、希代の悪女』と語られる彼女は、どのような女性であったか。
私が知る彼女は明るく素直で屈託がなく、常に笑顔をふりまいて周囲の人々を惹きつけては、自分の意見は貴族相手でもはっきり述べる、活発な田舎の少女だった。
彼女が一国の不幸を自ら進んで願ったとは、今でも天地がひっくりかえっても信じない。
ただ、彼女とロヴィーサには三つの不幸が存在し、それがロヴィーサの未来を決定づけた。
一つは、聖女フェリシアの最初の夫、リーデル・ラ・ドゥーカの早すぎる死。
リーデルはロヴィーサのかつての筆頭貴族、ドゥーカ公爵の跡継ぎであり、将来は大臣になることも見越して育てられた。ゆえに、相応の高い教育を受けていた。
若き日の彼は聖女と並ぶにふさわしい有能な男であり、彼がせめて第一王子の成人まで生きていれば、彼が死んでもロヴィーサ王位はすみやかにカルモ王子に受け継がれて、レスティ王子が干渉する余地を与えなかっただろう。
リーデルに政治を一任したはずの聖女もまた、「育ちと立場をわきまえた慎ましい女性」と評価されたに違いない。
フェリシアの第二の不幸は、レスティ王子の野心を見抜けなかったこと。
彼は刺激的な美形で、親友の喪が明けぬうちから寡婦となった聖女王を口説き落とす行動力と魅力を備え、なにより有能な男だった。
レスティは本心では邪魔であったろうカルモ王子を、妻とロヴィーサ貴族の機嫌をとる道具と割り切って大切にし、聖女の愛と信頼を勝ち得た。
そしてカルモ王子にブリガンテ人の家庭教師をつけてブリガンテ流の教育をほどこし、ブリガンテ人の妻を与えてブリガンテの血を引く子供を産ませた。
聖女に「こんなにカルモを大切にしてくれるなんて」と感謝される裏でロヴィーサから王子を引き離し、王子の牙を抜いて、ロヴィーサ貴族による反乱の芽を摘んだのである。
ただ、その事実に聖女は終生、気づかなかった。
彼女にとってレスティ王子は魅力的で刺激的で、常に自分と自分の子を大切にして楽しませ、いくつになっても自分に情熱的に愛をささやいて女扱いしてくれる、非の打ちどころのない夫であり恋人だった。
レスティ王子は聖女が堅苦しい王宮を嫌って離宮で子供達の世話に夢中の間、王宮で貴婦人達と浮名を流し、愛人と呼べるような美姫も何度かいたが、それらの事実が聖女に知られることはなかった。
聖女フェリシアは生涯、レスティ王子を『私だけを誰よりも心から愛する男性』と信じて、この世を去った。
彼女の不幸は、大国の王族に生まれて野心も抱くレスティのような男は、たとえ本気で愛したとしても恋愛だけで満足することはない、と気づかなかったこと。自分を愛しているのだから、自分の大切なものも同じく愛しているだろう、と信じて疑わなかったこと。
「こんなに私を愛して大事にしてくれるレスティ様が、私の生まれ故郷にひどいことをするはずないわ。絶対にロヴィーサも大切にしてくれるはずだわ」
それが彼女の考えだったのだろう。
大きな野心を抱く男は、自分の夢や目的のためなら愛する女をも利用すると、最後まで知らずに逝ったのだ。
最後の不幸は、そもそも聖女がロヴィーサの正統な王女に生まれてしまったこと。
あとになって気づいたことがある。
『聖女フェリシアはロヴィーサを愛していた』
これは真実だろうか?
自分も、そしてロヴィーサ中の誰もが疑わず、「そうだろう」と思い込んでいたことだ。
しかし思い返せば、彼女は生後わずか半年で王宮を追われ、ロヴィーサを出た。国王だった両親とも幼い頃に死に別れ、彼女自身は己に流れる血の意味も、両親の名すら知らぬままブリガンテの田舎の村でのびのびと育った。
そんな彼女が、はたして出生を知ったからといって、即座に本気でロヴィーサに深い愛着を感じたりするだろうか?
フェリシアに限らず、人は記憶がなくても『生まれ故郷である』という理由だけで、その国のために命や人生を捧げるほどの愛や情熱を抱くことができるのか?
これはおそらくフェリシアの、そして彼女の親であるイルシオン王夫妻とロヴィーサ貴族の最大の不幸であっただろう。
聖女フェリシアは正統なロヴィーサ王女であったばかりに、私を含めた誰もが「ロヴィーサという国に対して深い愛着があるに違いない」と彼女に確かめる前に確信し、思い込んでしまっていた。
その証拠に、聖女はブリガンテに帰国した際、次のように語ったという。
「あんなに歓迎してもらえるなんて…………帰ってきて本当によかったわ。あの時ようやく、私は長い旅を終えて帰って来たんだ、って実感したの――――」
『長い旅』
そう、フェリシアにとってロヴィーサでの生活は『長い旅』だった。
彼女にとって真の故郷は、生まれたロヴィーサではなく育ったブリガンテだった。
その事実に、彼女と私を含めた誰もが、長く気づかなかった。
それがロヴィーサの不幸の根源だった。
彼女の『ロヴィーサ王女』の血が、ロヴィーサ人達の目をくらませたのだ。
彼女がロヴィーサ王女でさえなければ、最初に気づくこともできただろう。
聖女フェリシアはブリガンテで聖女認定をうけたブリガンテの聖女であり、ロヴィーサの聖女ではないのだ、と――――
――――ソヴァール・ラ・エーデルの手記より抜粋――――
追記:
数百年後。様々な国が民主化し、あるいは王家や貴族制度のいくつかは残りつつも、民主化に近い状態へと生まれ変わる。それにともない、あちこちの国で王家所蔵の宝物や資料の一部が公開されるようになった。
たとえばカルモ王子が妻や大学教授達と編纂した植物図鑑は、今も王家ゆかりの博物館に展示されて当時の植生を知る重要な手がかりとなっている。セーヴェル工房は有名な白磁メーカーで、ミュゲ・シリーズは『ミュゲ・リラ・シリーズ』と名を変えて世界中で愛されている。ユーク王国の温室もまた、そのまま『リラ王妃の温室』という名で観光名所となった。
そしてロヴィーサ共和国のオルディネ博物館では、アウラ女王や彼女の父、レベリオ王、ソヴァール・ラ・エーデルやオーロ男爵が残した大量の文書と共に、小さな箱が展示されている。
ソヴァール・ラ・エーデルが終生、保管していたというそれは、処刑前に切られた『アウラ女王の遺髪』とされる――――
私があの図書室で初めて間近に向き合い、話した彼女は、少なくとも巷で語られるような贅沢に溺れた女性ではなかった。上品だがシンプルな室内着を着て、装飾品もわずかだった。数字という事実をもとに、淡々と事実と私見を述べてきた。
再会した時、彼女は処刑を待つ罪人で、寝間着一枚しか着せられていなかった。にも関わらず彼女は落ち着いており、私の目の前であの美しい銀髪が切られた時も、琥珀のような瞳でまっすぐ私の目を見つめ返してきた。
あの時、感じた感情に、私は今でも名前をつけられずにいる。
復讐が叶った暗い喜びは一切なく、さりとて若くして命を断たれる罪人を哀れむでもなく、処刑の残酷さに身震いするでもなく…………
あの図書室で、私は初めて彼女と出会った。
彼女と本当に出会い、話したのは、あの時が初めてだった。
彼女はどんな女性だったのだろう。
私はただもう少し、もう少しだけ、彼女と話を
ソヴァールはそこでペンを置き、一息ついた。そして自分が書いた文章を読みかえすと、それを机の上のロウソクに近づけた。火は薄い紙をあっという間に包んで燃やす。
こんな、自分でもはっきりしない言葉を残したくはない。
ソヴァールは書き物机の端に置いた簡素な小箱を手にとり、ふたを開けた。
中に詰まった銀色の長い束がろうそくの光を反射して、きらきら輝く。
ソヴァールはしばらくその銀色を見つめると、ふたを閉めて箱を定位置に戻した。
ふたたびペンを走らせる。
ロヴィーサ王国聖女王、フェリシア・フィーリャ・トゥ・オブリーオ。
ロヴィーサにおいて『聖女王でありながら自国を売った、希代の悪女』と語られる彼女は、どのような女性であったか。
私が知る彼女は明るく素直で屈託がなく、常に笑顔をふりまいて周囲の人々を惹きつけては、自分の意見は貴族相手でもはっきり述べる、活発な田舎の少女だった。
彼女が一国の不幸を自ら進んで願ったとは、今でも天地がひっくりかえっても信じない。
ただ、彼女とロヴィーサには三つの不幸が存在し、それがロヴィーサの未来を決定づけた。
一つは、聖女フェリシアの最初の夫、リーデル・ラ・ドゥーカの早すぎる死。
リーデルはロヴィーサのかつての筆頭貴族、ドゥーカ公爵の跡継ぎであり、将来は大臣になることも見越して育てられた。ゆえに、相応の高い教育を受けていた。
若き日の彼は聖女と並ぶにふさわしい有能な男であり、彼がせめて第一王子の成人まで生きていれば、彼が死んでもロヴィーサ王位はすみやかにカルモ王子に受け継がれて、レスティ王子が干渉する余地を与えなかっただろう。
リーデルに政治を一任したはずの聖女もまた、「育ちと立場をわきまえた慎ましい女性」と評価されたに違いない。
フェリシアの第二の不幸は、レスティ王子の野心を見抜けなかったこと。
彼は刺激的な美形で、親友の喪が明けぬうちから寡婦となった聖女王を口説き落とす行動力と魅力を備え、なにより有能な男だった。
レスティは本心では邪魔であったろうカルモ王子を、妻とロヴィーサ貴族の機嫌をとる道具と割り切って大切にし、聖女の愛と信頼を勝ち得た。
そしてカルモ王子にブリガンテ人の家庭教師をつけてブリガンテ流の教育をほどこし、ブリガンテ人の妻を与えてブリガンテの血を引く子供を産ませた。
聖女に「こんなにカルモを大切にしてくれるなんて」と感謝される裏でロヴィーサから王子を引き離し、王子の牙を抜いて、ロヴィーサ貴族による反乱の芽を摘んだのである。
ただ、その事実に聖女は終生、気づかなかった。
彼女にとってレスティ王子は魅力的で刺激的で、常に自分と自分の子を大切にして楽しませ、いくつになっても自分に情熱的に愛をささやいて女扱いしてくれる、非の打ちどころのない夫であり恋人だった。
レスティ王子は聖女が堅苦しい王宮を嫌って離宮で子供達の世話に夢中の間、王宮で貴婦人達と浮名を流し、愛人と呼べるような美姫も何度かいたが、それらの事実が聖女に知られることはなかった。
聖女フェリシアは生涯、レスティ王子を『私だけを誰よりも心から愛する男性』と信じて、この世を去った。
彼女の不幸は、大国の王族に生まれて野心も抱くレスティのような男は、たとえ本気で愛したとしても恋愛だけで満足することはない、と気づかなかったこと。自分を愛しているのだから、自分の大切なものも同じく愛しているだろう、と信じて疑わなかったこと。
「こんなに私を愛して大事にしてくれるレスティ様が、私の生まれ故郷にひどいことをするはずないわ。絶対にロヴィーサも大切にしてくれるはずだわ」
それが彼女の考えだったのだろう。
大きな野心を抱く男は、自分の夢や目的のためなら愛する女をも利用すると、最後まで知らずに逝ったのだ。
最後の不幸は、そもそも聖女がロヴィーサの正統な王女に生まれてしまったこと。
あとになって気づいたことがある。
『聖女フェリシアはロヴィーサを愛していた』
これは真実だろうか?
自分も、そしてロヴィーサ中の誰もが疑わず、「そうだろう」と思い込んでいたことだ。
しかし思い返せば、彼女は生後わずか半年で王宮を追われ、ロヴィーサを出た。国王だった両親とも幼い頃に死に別れ、彼女自身は己に流れる血の意味も、両親の名すら知らぬままブリガンテの田舎の村でのびのびと育った。
そんな彼女が、はたして出生を知ったからといって、即座に本気でロヴィーサに深い愛着を感じたりするだろうか?
フェリシアに限らず、人は記憶がなくても『生まれ故郷である』という理由だけで、その国のために命や人生を捧げるほどの愛や情熱を抱くことができるのか?
これはおそらくフェリシアの、そして彼女の親であるイルシオン王夫妻とロヴィーサ貴族の最大の不幸であっただろう。
聖女フェリシアは正統なロヴィーサ王女であったばかりに、私を含めた誰もが「ロヴィーサという国に対して深い愛着があるに違いない」と彼女に確かめる前に確信し、思い込んでしまっていた。
その証拠に、聖女はブリガンテに帰国した際、次のように語ったという。
「あんなに歓迎してもらえるなんて…………帰ってきて本当によかったわ。あの時ようやく、私は長い旅を終えて帰って来たんだ、って実感したの――――」
『長い旅』
そう、フェリシアにとってロヴィーサでの生活は『長い旅』だった。
彼女にとって真の故郷は、生まれたロヴィーサではなく育ったブリガンテだった。
その事実に、彼女と私を含めた誰もが、長く気づかなかった。
それがロヴィーサの不幸の根源だった。
彼女の『ロヴィーサ王女』の血が、ロヴィーサ人達の目をくらませたのだ。
彼女がロヴィーサ王女でさえなければ、最初に気づくこともできただろう。
聖女フェリシアはブリガンテで聖女認定をうけたブリガンテの聖女であり、ロヴィーサの聖女ではないのだ、と――――
――――ソヴァール・ラ・エーデルの手記より抜粋――――
追記:
数百年後。様々な国が民主化し、あるいは王家や貴族制度のいくつかは残りつつも、民主化に近い状態へと生まれ変わる。それにともない、あちこちの国で王家所蔵の宝物や資料の一部が公開されるようになった。
たとえばカルモ王子が妻や大学教授達と編纂した植物図鑑は、今も王家ゆかりの博物館に展示されて当時の植生を知る重要な手がかりとなっている。セーヴェル工房は有名な白磁メーカーで、ミュゲ・シリーズは『ミュゲ・リラ・シリーズ』と名を変えて世界中で愛されている。ユーク王国の温室もまた、そのまま『リラ王妃の温室』という名で観光名所となった。
そしてロヴィーサ共和国のオルディネ博物館では、アウラ女王や彼女の父、レベリオ王、ソヴァール・ラ・エーデルやオーロ男爵が残した大量の文書と共に、小さな箱が展示されている。
ソヴァール・ラ・エーデルが終生、保管していたというそれは、処刑前に切られた『アウラ女王の遺髪』とされる――――
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