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7章:ネクロフィリアの葬送
7話:カロンの道
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その日の夕刻になっても、事態は好転しなかった。ウルバスが焦燥しきった顔でファウストの前に立つ。
「姿が消えて、三時間は経ったか」
どう考えてもおかしい。トレヴァーはそれなりに長身で体重もそれなりにある。一方イーノックという男はいかにも細く力はなさそうだ。そんな男が日中、自分よりも重いだろう男を担いで移動できるか。しかも、人目につかず。
多分だが、まだ知らない道があるに違いない。住人達もとうの昔に忘れたような、そんな場所が。
こういう時、ランバートに聞ければ一番早い。だがそれは同時に、ランバートにトレヴァーが攫われた事を話さなければならなくなる。そうなれば、あいつは本当に制止も聞かずに飛び出すかもしれない。
それでも他に頼るべき相手がいない。重い腰を上げ、最悪自分が側についてあいつを自由にする。そのつもりでファウストはランバートの部屋を訪ねる事にした。
執務室から一般騎士の部屋へと上がっていくと、一つの扉の前にウェインがいた。なんとなく落ち着かない様子で。
「ウェイン?」
「あぁ、ファウスト様……と、ウルバス? どうしたの?」
「どうしたの? って」
困り切った顔でウルバスはファウストを見上げ、ファウストは首を横に振る。ウェインの側には常にランバートがいたから、事件の事は話していない。
「何かあったの?」
不安げな、そして真剣な瞳が向けられる。ファウストはそれに答えず、扉の前に立った。
「ランバートの部屋の前で、何をしているんだ?」
「訓練が終わって、着替えたら一緒に食事する約束したんです。で、待ってます」
「どのくらいいる?」
「えっと……三十分待たないくらい?」
その返答に、ファウストの中の嫌な予感は大きく膨らんだ。その感情のまま、扉を開けた。
部屋の中はもぬけのから。窓から夜を感じる冷たい風が吹き込んでくる。ウェインは目を丸くし、ウルバスは開いている窓に駆け寄った。
「窓から抜け出したみたいです」
「あいつは暗殺者か何かか!」
二階とはいえ、かなりの高さがあるはずだ。そこを悠々と出ていくなんて、普通の感覚ならやろうとは思わないだろう。
「ウェイン、何かいつもと違う事はなかったか」
「いつもと……手紙! ランバート宛に実家から手紙がきてた」
飛びつくようにウェインは机の上に置かれた封筒を手にする。そこには確かにヒッテルスバッハからの手紙がある。だが名は、知らないものだった。
「差出人は?」
「ランバートが自分で、昔からいる執事のものだって。心配して、時々屋敷での出来事なんかを手紙にして送ってくるから、これもそうだろうって言って」
そんな話をランバートから聞いた事がない。中を改めると小さなカードが一枚と、一束の茶色の髪が入っていた。
『第四区の空き地で待つ』
たった一言書かれたメッセージ。だが、ランバートにはこれで十分だっただろう。この手紙を受け取った時に異変を感じたはずだ。だから、ウェインに嘘をついてしれっと騙したに違いない。
「ファウスト様、この地図」
「どうした」
ウルバスが机の上にある地図を広げて見ている。黒いインクで書かれた地図に、赤い×印が点在している。だがそれとは別にもう一つ、青いインクで書かれた謎の道がそこに重なっていた。そしてその青い道はことごとく、今回の事件が起こった場所に重なっている。
「この道、なんでしょうか」
表には見えない道。忘れ去られたような道があそこにはある。これで確信できた。
「ウェイン、ランバートと別れて三十分程度だな」
「はい」
それならまだ間に合うかもしれない。ファウストは地図を手に踵を返す。そこで、青い顔をした隊員が駆け込んできた。
「どうした!」
「トレヴァーが見つかりました!」
「本当に!」
ウルバスの体から明らかに力が抜ける。安堵した様子だったが、ファウストにしたらまだ終わっていない。ランバートを見つけなければ手遅れになる。
「今どこにいる」
「エリオット様のところです」
「わかった。ウルバス、行くぞ」
へたりそうなウルバスの腕を掴み、ファウストは猛然と走る。そして一階に下りて医務室の扉を開けた。
トレヴァーはまだ意識がないのか、ぐったりと横になっている。その側で、エリオットは怖い顔をしていた。
「容態はどうだ」
「先の隊員と同じで、後に響くようなものはありません。ですが、よりしっかりと薬品を嗅がされたのか意識が戻っていません」
気がかりだが、命に別状はないというのに安堵した。だが、ここに来た要件はそれだけじゃない。ファウストの緊張した表情を見て、エリオットも不安そうな顔をした。
「何がありました」
「ランバートに出し抜かれた。姿が見えなくなって三十分。トレヴァーが戻ってきた事を考えると、既に奴の手に落ちただろう」
「!」
声を失い青い顔をしたエリオットの体が震えている。オロオロとした様子の彼は、それでも騎士団の人間だ。一度深呼吸をすると、強い瞳をファウストに向けてくる。
「私に手伝える事はありますか」
「一緒に来てくれ。ランバートは事件の痕跡を正しく追っていた。そして、俺にもヒントを残している。今からこれの答えが分かる奴のところに行く」
エリオットは頷くと、素早く白衣を脱いで黒い制服を奥から出してくる。それに、細身の剣を一つ差した。
「ファウスト様……」
不意に聞こえた声に驚き、振り向く。トレヴァーが目を閉じたまま、ファウストの服の裾を握っていた。
「大丈夫か、トレヴァー」
「大丈夫、です。すみません、俺……」
「今はいい。それよりも」
「暗くて、冷たくて、酷い臭いがしました」
端的な言葉が小さく紡ぐ。それに、ファウストは何かの確信を得たような気がした。どこかで見えない道の正体を感じていたのだ。
「水が、腐ったみたいな。そこを揺られて、いました」
「分かった。後は俺たちでなんとかする。お前は体を戻す事だけを考えて、今は休め」
頭を撫で、ファウストは視線を向ける。この間に、エリオットはすっかり昔の通り準備を整えていた。
「相手は毒を使う。俺では何かあったときに対処ができない。任せていいか」
「勿論です」
「よし。ウルバス、行くぞ」
既に空は暗くなろうとしている。ファウストは二人を連れて、東地区へと向かっていった。
◆◇◆
傭兵ギルドの酒場の扉を開けると、ジンと数人の傭兵達が驚いた顔で出迎えた。それほどに、ファウストの表情は鬼気迫るものがあったのだ。ランバートが消えて既に一時間が経とうとしている。
「一体……」
「ランバートが消えた。おそらく、イーノックの手に落ちた」
端的に告げると、ジンの表情ばかりか傭兵達の表情も変わった。にわかに騒然とする周囲を置いて、ファウストはジンの前に地図を広げた。
「あいつの友人が攫われ、呼び出された。攫われた友人は無事に戻ったが、ランバートが帰らない。交換条件だったなら、既に手に落ちている」
トレヴァーの解放を条件におびき出されたと考えるのが普通だろう。もしくはトレヴァーに気を取られている間に気絶させられたか。何にしても、一時間。奴が欲望を直ぐにでも叶えようというなら、既に。
背筋が寒くなり、同時に言いようのないドロドロとした感情がわき上がって震える。手遅れだったら、そう思うと息ができなくなりそうだ。
「ジン、手を貸してくれ。ランバートは何かに気づいてこの地図に書き込んでいった。ここには、使われなくなった水路があるんじゃないのか?」
ファウストは確信していた。この道は東地区を流れるルノン川から枝分かれしている。だが現在、この川から枝分かれしている水路なんて知らない。だが、あったんじゃないか。それこそ、昔に。
ジンも地図を見て目を丸くした。そして、硬く奥歯を噛んでいる。
「カロンの道か。こんな大昔の黄泉路をどこで知ったんだ、あいつ」
「黄泉路?」
不穏な響きに不安を感じたウルバスが問う。それに、ジンは静かに頷いた。
「スラム時代に使っていた葬送道だ。とにかく毎日死体があるような状態だったから、陸の道なんかじゃ間に合わない。だからこの水路に小舟をつけて、それに乗せて運んだんだ」
「そんな事が……」
エリオットも顔色をなくす。エリオットは特に地方出身だ、こうした時代は知らないだろう。
「こんな謂われの道だ、古い人間だってこの道の事は忘れてる奴が多い。ここを知っているのはスラム時代からの古い人間か、当時この道を使った事のある奴だけだ」
忌むべきものを人は拒み、忘れようとする。東地区はスラムの時代を経て今のような活気ある場所になったが、今現在スラム時代を知っている古い人間は少なくなっていると聞く。多くの住民は復興を始めた時代に入ってきた人々だ。
「この×印の場所は、地上と水路が繋がってるのか?」
「あぁ。昔ここから下に死体を落としていた、その名残があるはずだ。そうか、リフは気づいていたのか。今の今まで俺も忘れていた」
「どこに繋がっている」
「外壁を越えて一丘超えたところにある、古い教会だ」
「そんな遠くまで通じているのか!」
思いのほか遠い場所にファウストは驚き、ウルバスも驚く。そして余計に気持ちは焦った。それほどの距離なら、ここからどのくらいかかる。これから夜になろうとしている、馬でもかかる。時間を取れば取るほど、ランバートの生存確率が下がっていく。
「馬を!」
「それじゃ一時間以上かかっちまう。人数は運べんが小舟を出そう。それなら三十分かからん」
言うが早いか、ジンは他の傭兵にも視線を向けた。
「砦に行って、今の話伝えてやれ! 場所が複雑だから道案内も頼む。多分地上からじゃ瓦礫になって分かりゃしないからな」
「分かった」
一人が立ち上がって走っていく。それを見送ったファウストの肩を、ジンが叩いた。
「舟守の爺さんに話をつけてそのまま行く。この人数なら乗れるだろうから、それでいいか」
「頼む」
「じゃあ、ついてきな」
大柄なジンが駆け出す後ろを走りながら、ファウストはただ祈ることしかできない。不甲斐なく、悔しく、気持ちが焦る。そして思う。ランバートもこんな気持ちだったのだろうと。
ルノン川にいる老人は、小型のゴンドラの上で驚いた顔をして四人を見ていた。ジンが先頭を行って、老人に声をかける。
「爺さん、カロンの道を進みたい。リフがヒュドラに攫われた」
「カロンの道じゃと?」
皺の多い顔に驚きを貼り付けた老人は、直ぐに頷く。その瞳には鋭さがあったように思う。辛い時代を生き抜いた、そうした人間の鋭さが。
「お前が操船しろい、ジン。わしじゃもう、あそこまで漕ぐには力が足りん。道は分かるな」
「あぁ、恩に着る」
「リフの坊主を助けてやんな。あれを死なせれば、大恩を返せん」
ゴンドラの反り返る両端にランプを下げ、それに火を入れた老人が船を下りる。ジンが櫂を握り、ファウストとウルバス、エリオットが乗り込む。そうして船は暗い川へとこぎ出した。
程なく船は横道へと進んだ。よく見なければ見落とすような石造りの道へ入ると、一気に温度が下がったように思えた。
「寒いですね」
「水場で陽もささんからな。まぁ、そればかりじゃないだろう」
「だから黄泉路なんだ」とジンは言う。暗く先の見えない水路を照らすランプの明かりは、あまりに頼りなく揺れている。本当に黄泉へと通じている、そう信じてもおかしくない場所だった。
「多くの人がこの道を通って葬られた。船頭以外は帰ってこない、そんな場所だ」
「この道を、ランバートは知っていたのですね」
「あいつは東地区を設計した一人だ。当然この水路の事を知っていたし、実際に使っていた。豪胆な奴でな、この道に恐怖を感じる事はないと言っていた」
「やはり、ランバートはロトか」
ファウストが問いかけると、ジンは困ったように黙った。だがその沈黙が、何よりの肯定に思えた。
「あいつが、この状況を変えると言い出さなきゃここは未だにスラムだ。俺たちは横暴な貴族連中と戦っちゃいたが、無様でな。武力じゃない方法での解決なんてのは、あいつが言わなきゃどうにもならんかった」
ランバートは言っていた。楽しくて惨めで残酷な時代だったと。誇らしげに。あいつにとって初めて手にした大きなものだったに違いない。彼らが初めて得た大切な仲間だったに違いない。
「俺らにとって、リフは誰よりも大事な仲間で友人で、そして恩人だ。そいつを死なせたとあれば、俺らはやりきれん」
唸るようなジンの言葉を噛みしめ、ファウストも頷く。ファウストだってやりきれない。あいつを失うと考えた時、言いようのない痛みに息が詰まる。それを目の当たりにするかもしれないと思うと、この道を進むことを躊躇ってしまう。
「大丈夫、必ず助けましょう」
エリオットが確かな目で言う。強い意志を持つ瞳を、どれだけ情けない目で見ていたか。ファウストを見たまま、エリオットはしっかりと頷いている。
「あぁ、そうだな」
口に出して、言葉にすれば前に進む。頭の中だけでは全てが悪い方向へと向いてしまう。でも、それではダメだ。必ず助けると誓ったのだから。
小舟は進む、薄暗い黄泉路を。先行きを照らす僅かな明かりだけを頼りに、ほんの僅かな希望を乗せて。
「姿が消えて、三時間は経ったか」
どう考えてもおかしい。トレヴァーはそれなりに長身で体重もそれなりにある。一方イーノックという男はいかにも細く力はなさそうだ。そんな男が日中、自分よりも重いだろう男を担いで移動できるか。しかも、人目につかず。
多分だが、まだ知らない道があるに違いない。住人達もとうの昔に忘れたような、そんな場所が。
こういう時、ランバートに聞ければ一番早い。だがそれは同時に、ランバートにトレヴァーが攫われた事を話さなければならなくなる。そうなれば、あいつは本当に制止も聞かずに飛び出すかもしれない。
それでも他に頼るべき相手がいない。重い腰を上げ、最悪自分が側についてあいつを自由にする。そのつもりでファウストはランバートの部屋を訪ねる事にした。
執務室から一般騎士の部屋へと上がっていくと、一つの扉の前にウェインがいた。なんとなく落ち着かない様子で。
「ウェイン?」
「あぁ、ファウスト様……と、ウルバス? どうしたの?」
「どうしたの? って」
困り切った顔でウルバスはファウストを見上げ、ファウストは首を横に振る。ウェインの側には常にランバートがいたから、事件の事は話していない。
「何かあったの?」
不安げな、そして真剣な瞳が向けられる。ファウストはそれに答えず、扉の前に立った。
「ランバートの部屋の前で、何をしているんだ?」
「訓練が終わって、着替えたら一緒に食事する約束したんです。で、待ってます」
「どのくらいいる?」
「えっと……三十分待たないくらい?」
その返答に、ファウストの中の嫌な予感は大きく膨らんだ。その感情のまま、扉を開けた。
部屋の中はもぬけのから。窓から夜を感じる冷たい風が吹き込んでくる。ウェインは目を丸くし、ウルバスは開いている窓に駆け寄った。
「窓から抜け出したみたいです」
「あいつは暗殺者か何かか!」
二階とはいえ、かなりの高さがあるはずだ。そこを悠々と出ていくなんて、普通の感覚ならやろうとは思わないだろう。
「ウェイン、何かいつもと違う事はなかったか」
「いつもと……手紙! ランバート宛に実家から手紙がきてた」
飛びつくようにウェインは机の上に置かれた封筒を手にする。そこには確かにヒッテルスバッハからの手紙がある。だが名は、知らないものだった。
「差出人は?」
「ランバートが自分で、昔からいる執事のものだって。心配して、時々屋敷での出来事なんかを手紙にして送ってくるから、これもそうだろうって言って」
そんな話をランバートから聞いた事がない。中を改めると小さなカードが一枚と、一束の茶色の髪が入っていた。
『第四区の空き地で待つ』
たった一言書かれたメッセージ。だが、ランバートにはこれで十分だっただろう。この手紙を受け取った時に異変を感じたはずだ。だから、ウェインに嘘をついてしれっと騙したに違いない。
「ファウスト様、この地図」
「どうした」
ウルバスが机の上にある地図を広げて見ている。黒いインクで書かれた地図に、赤い×印が点在している。だがそれとは別にもう一つ、青いインクで書かれた謎の道がそこに重なっていた。そしてその青い道はことごとく、今回の事件が起こった場所に重なっている。
「この道、なんでしょうか」
表には見えない道。忘れ去られたような道があそこにはある。これで確信できた。
「ウェイン、ランバートと別れて三十分程度だな」
「はい」
それならまだ間に合うかもしれない。ファウストは地図を手に踵を返す。そこで、青い顔をした隊員が駆け込んできた。
「どうした!」
「トレヴァーが見つかりました!」
「本当に!」
ウルバスの体から明らかに力が抜ける。安堵した様子だったが、ファウストにしたらまだ終わっていない。ランバートを見つけなければ手遅れになる。
「今どこにいる」
「エリオット様のところです」
「わかった。ウルバス、行くぞ」
へたりそうなウルバスの腕を掴み、ファウストは猛然と走る。そして一階に下りて医務室の扉を開けた。
トレヴァーはまだ意識がないのか、ぐったりと横になっている。その側で、エリオットは怖い顔をしていた。
「容態はどうだ」
「先の隊員と同じで、後に響くようなものはありません。ですが、よりしっかりと薬品を嗅がされたのか意識が戻っていません」
気がかりだが、命に別状はないというのに安堵した。だが、ここに来た要件はそれだけじゃない。ファウストの緊張した表情を見て、エリオットも不安そうな顔をした。
「何がありました」
「ランバートに出し抜かれた。姿が見えなくなって三十分。トレヴァーが戻ってきた事を考えると、既に奴の手に落ちただろう」
「!」
声を失い青い顔をしたエリオットの体が震えている。オロオロとした様子の彼は、それでも騎士団の人間だ。一度深呼吸をすると、強い瞳をファウストに向けてくる。
「私に手伝える事はありますか」
「一緒に来てくれ。ランバートは事件の痕跡を正しく追っていた。そして、俺にもヒントを残している。今からこれの答えが分かる奴のところに行く」
エリオットは頷くと、素早く白衣を脱いで黒い制服を奥から出してくる。それに、細身の剣を一つ差した。
「ファウスト様……」
不意に聞こえた声に驚き、振り向く。トレヴァーが目を閉じたまま、ファウストの服の裾を握っていた。
「大丈夫か、トレヴァー」
「大丈夫、です。すみません、俺……」
「今はいい。それよりも」
「暗くて、冷たくて、酷い臭いがしました」
端的な言葉が小さく紡ぐ。それに、ファウストは何かの確信を得たような気がした。どこかで見えない道の正体を感じていたのだ。
「水が、腐ったみたいな。そこを揺られて、いました」
「分かった。後は俺たちでなんとかする。お前は体を戻す事だけを考えて、今は休め」
頭を撫で、ファウストは視線を向ける。この間に、エリオットはすっかり昔の通り準備を整えていた。
「相手は毒を使う。俺では何かあったときに対処ができない。任せていいか」
「勿論です」
「よし。ウルバス、行くぞ」
既に空は暗くなろうとしている。ファウストは二人を連れて、東地区へと向かっていった。
◆◇◆
傭兵ギルドの酒場の扉を開けると、ジンと数人の傭兵達が驚いた顔で出迎えた。それほどに、ファウストの表情は鬼気迫るものがあったのだ。ランバートが消えて既に一時間が経とうとしている。
「一体……」
「ランバートが消えた。おそらく、イーノックの手に落ちた」
端的に告げると、ジンの表情ばかりか傭兵達の表情も変わった。にわかに騒然とする周囲を置いて、ファウストはジンの前に地図を広げた。
「あいつの友人が攫われ、呼び出された。攫われた友人は無事に戻ったが、ランバートが帰らない。交換条件だったなら、既に手に落ちている」
トレヴァーの解放を条件におびき出されたと考えるのが普通だろう。もしくはトレヴァーに気を取られている間に気絶させられたか。何にしても、一時間。奴が欲望を直ぐにでも叶えようというなら、既に。
背筋が寒くなり、同時に言いようのないドロドロとした感情がわき上がって震える。手遅れだったら、そう思うと息ができなくなりそうだ。
「ジン、手を貸してくれ。ランバートは何かに気づいてこの地図に書き込んでいった。ここには、使われなくなった水路があるんじゃないのか?」
ファウストは確信していた。この道は東地区を流れるルノン川から枝分かれしている。だが現在、この川から枝分かれしている水路なんて知らない。だが、あったんじゃないか。それこそ、昔に。
ジンも地図を見て目を丸くした。そして、硬く奥歯を噛んでいる。
「カロンの道か。こんな大昔の黄泉路をどこで知ったんだ、あいつ」
「黄泉路?」
不穏な響きに不安を感じたウルバスが問う。それに、ジンは静かに頷いた。
「スラム時代に使っていた葬送道だ。とにかく毎日死体があるような状態だったから、陸の道なんかじゃ間に合わない。だからこの水路に小舟をつけて、それに乗せて運んだんだ」
「そんな事が……」
エリオットも顔色をなくす。エリオットは特に地方出身だ、こうした時代は知らないだろう。
「こんな謂われの道だ、古い人間だってこの道の事は忘れてる奴が多い。ここを知っているのはスラム時代からの古い人間か、当時この道を使った事のある奴だけだ」
忌むべきものを人は拒み、忘れようとする。東地区はスラムの時代を経て今のような活気ある場所になったが、今現在スラム時代を知っている古い人間は少なくなっていると聞く。多くの住民は復興を始めた時代に入ってきた人々だ。
「この×印の場所は、地上と水路が繋がってるのか?」
「あぁ。昔ここから下に死体を落としていた、その名残があるはずだ。そうか、リフは気づいていたのか。今の今まで俺も忘れていた」
「どこに繋がっている」
「外壁を越えて一丘超えたところにある、古い教会だ」
「そんな遠くまで通じているのか!」
思いのほか遠い場所にファウストは驚き、ウルバスも驚く。そして余計に気持ちは焦った。それほどの距離なら、ここからどのくらいかかる。これから夜になろうとしている、馬でもかかる。時間を取れば取るほど、ランバートの生存確率が下がっていく。
「馬を!」
「それじゃ一時間以上かかっちまう。人数は運べんが小舟を出そう。それなら三十分かからん」
言うが早いか、ジンは他の傭兵にも視線を向けた。
「砦に行って、今の話伝えてやれ! 場所が複雑だから道案内も頼む。多分地上からじゃ瓦礫になって分かりゃしないからな」
「分かった」
一人が立ち上がって走っていく。それを見送ったファウストの肩を、ジンが叩いた。
「舟守の爺さんに話をつけてそのまま行く。この人数なら乗れるだろうから、それでいいか」
「頼む」
「じゃあ、ついてきな」
大柄なジンが駆け出す後ろを走りながら、ファウストはただ祈ることしかできない。不甲斐なく、悔しく、気持ちが焦る。そして思う。ランバートもこんな気持ちだったのだろうと。
ルノン川にいる老人は、小型のゴンドラの上で驚いた顔をして四人を見ていた。ジンが先頭を行って、老人に声をかける。
「爺さん、カロンの道を進みたい。リフがヒュドラに攫われた」
「カロンの道じゃと?」
皺の多い顔に驚きを貼り付けた老人は、直ぐに頷く。その瞳には鋭さがあったように思う。辛い時代を生き抜いた、そうした人間の鋭さが。
「お前が操船しろい、ジン。わしじゃもう、あそこまで漕ぐには力が足りん。道は分かるな」
「あぁ、恩に着る」
「リフの坊主を助けてやんな。あれを死なせれば、大恩を返せん」
ゴンドラの反り返る両端にランプを下げ、それに火を入れた老人が船を下りる。ジンが櫂を握り、ファウストとウルバス、エリオットが乗り込む。そうして船は暗い川へとこぎ出した。
程なく船は横道へと進んだ。よく見なければ見落とすような石造りの道へ入ると、一気に温度が下がったように思えた。
「寒いですね」
「水場で陽もささんからな。まぁ、そればかりじゃないだろう」
「だから黄泉路なんだ」とジンは言う。暗く先の見えない水路を照らすランプの明かりは、あまりに頼りなく揺れている。本当に黄泉へと通じている、そう信じてもおかしくない場所だった。
「多くの人がこの道を通って葬られた。船頭以外は帰ってこない、そんな場所だ」
「この道を、ランバートは知っていたのですね」
「あいつは東地区を設計した一人だ。当然この水路の事を知っていたし、実際に使っていた。豪胆な奴でな、この道に恐怖を感じる事はないと言っていた」
「やはり、ランバートはロトか」
ファウストが問いかけると、ジンは困ったように黙った。だがその沈黙が、何よりの肯定に思えた。
「あいつが、この状況を変えると言い出さなきゃここは未だにスラムだ。俺たちは横暴な貴族連中と戦っちゃいたが、無様でな。武力じゃない方法での解決なんてのは、あいつが言わなきゃどうにもならんかった」
ランバートは言っていた。楽しくて惨めで残酷な時代だったと。誇らしげに。あいつにとって初めて手にした大きなものだったに違いない。彼らが初めて得た大切な仲間だったに違いない。
「俺らにとって、リフは誰よりも大事な仲間で友人で、そして恩人だ。そいつを死なせたとあれば、俺らはやりきれん」
唸るようなジンの言葉を噛みしめ、ファウストも頷く。ファウストだってやりきれない。あいつを失うと考えた時、言いようのない痛みに息が詰まる。それを目の当たりにするかもしれないと思うと、この道を進むことを躊躇ってしまう。
「大丈夫、必ず助けましょう」
エリオットが確かな目で言う。強い意志を持つ瞳を、どれだけ情けない目で見ていたか。ファウストを見たまま、エリオットはしっかりと頷いている。
「あぁ、そうだな」
口に出して、言葉にすれば前に進む。頭の中だけでは全てが悪い方向へと向いてしまう。でも、それではダメだ。必ず助けると誓ったのだから。
小舟は進む、薄暗い黄泉路を。先行きを照らす僅かな明かりだけを頼りに、ほんの僅かな希望を乗せて。
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新年に余り物でおせちを作ったら、冷酷と噂の騎士団長様に「運命の番」だと求婚されました
水凪しおん
BL
料理人だった俺が転生したのは、男性オメガというだけで家族に虐げられる不遇の青年カイ。
新年くらいはと前世の記憶を頼りに作ったのは、この世界にはない『おせち料理』だった。
それを偶然口にしたのは、氷のように冷酷と噂される最強の騎士団長リアム。
「お前は俺の運命の番だ」
彼の屋敷に保護され、俺の作る料理が彼の心を溶かしていく。
不器用で、だけどまっすぐな愛情を注いでくれる彼と、美味しい料理で紡ぐ、甘くて温かい異世界スローライフ。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
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