恋愛騎士物語1~孤独な騎士の婚活日誌~

凪瀬夜霧

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8章:花の誘惑

1話:雑用係

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 先の事件からランバートが復帰して三日、ファウストは予想外の展開に重く溜息をついた。

「なんじゃ、来て早々にうっとうしい。困り事などないであろう」

 現在、宰相府執務室。こちらに上げなければならない報告書や懸念案件などを届けにきたところだった。

「ランバートはよく仕事をしておる。何をそんなに気にしておるのだえ」
「その仕事ぶりがなんともな」

 そう、そんな贅沢な悩みが今一番の懸念なのだ。

 ランバートは先の事件の罰として、一週間ファウストの雑用をしている。ただこれは口実で、ファウスト自身が手元に少し置いておきたかったのだ。不安を拭う為の時間と距離が欲しかった。
 ランバートは実によく働く。整理されていない日々の報告書の整理整頓、散らばっている資料の整頓、書面の清書、会議に使う資料の収集や抜粋、関連書類の作成。そればかりじゃない、掃除や換気、備品の補充に休憩時のお茶の準備まで。ほぼ完璧だ。
 だがこうまで完璧だと逆に劣等感を刺激される。ファウスト自身それほど事務仕事が得意だとは思っていなかったが、余計にそれを見せつけられるようなのだ。

「一週間も俺の雑用をしたら、あいつ俺の仕事を完璧に覚える」

 落胆しながら言うと、シウスは実に愉快そうに笑った。

「よいではないかえ。いっそ、お前の直下につけてしまえばよいのに」
「シウス」
「お前の仕事はあまりに多い。部下の教育や指導、訓練だけならまだしも、報告書の点検や地方砦の管理、問題案件の考察。騎兵府の仕事は細かくあれこれと忙しい。この際、有能な補佐官を一人つけるのもよいだろうよ」

 そんな勝手を簡単に言うが、これはそう簡単な事ではない。
 各団長は自分の直下として、補佐官を任命する権利がある。団長の補佐や、不在時の代理などを任せるのだ。
 だがそこに、入団二年目になったばかりのランバートをつけるのは問題がある。他の隊員からの不満もあるだろう。
 そして個人的に、ファウストは心配だった。ランバートにあまりに頼ってしまうことが。

「あの坊やの有能さは、この決算書類を見ても容易にしれる。こんなに完璧な決算書類、騎兵府から上がってきたことがないからの」

 シウスの手には少し厚めの紙の束がある。騎兵府の一ヶ月の決算だ。予算や必要経費の精算や決済は宰相府が行っている。だが、この書類の作成が一番面倒で、そして苦手なのだ。細かな数字を合わせる事や、領収書を他の計算書類に起こし、それを更に決算書に起こす作業がだ。普通の量ならそれほど手間とも思わないが、何せ数が多い。そして、ファウスト以上にこういうことが苦手な隊員が多く、字が汚い。
 これが出来ていない事をランバートが知ったのは昨日の夕刻。領収書やら報告書やらをかき集め始めたのが今朝の事。そして全ての書類を作成し、領収書を拾い集めて添付、不明部分は過去の報告書を読み、それらしい記述を見つけるとそれを更に書き写して添付、数字を合わせてきたのが昼を少し過ぎたくらいだった。

「それにしても、本当に丁寧でかつわかりやすい。騎兵府からこれを期待出来る日が来ようとは思わなんだ。お前らの書類を城に上げるのに、私がどれだけ苦労するか」
「うっ、すまん」
「お前のせいばかりではないがな。字が汚くて読むに耐えぬとか、領収書の重要さをいまいち理解していないアホとか、とにかく色々いる」
「俺は事務仕事に向いていないのか?」
「いや、普通じゃよ。お前はちゃんと出来るほうだが、許容量を超えているのよ。そしてあの坊やの処理速度が桁違いなんじゃ」

 全てをチェックしたシウスは直ぐに決算書に「可」の印鑑を押す。いつもはこんなに簡単にこの印を押してもらえない。異例の速度だ。

「先の事件の報告書も完璧ぞな。一つ一つの小事件の詳細や報告書の添付、事件全体の流れに最終的な記録。だが一番完璧なのがあやつの反省文と始末書っていうのが、笑えるがのぉ」
「紙の端にタブをつけて、目当てのページが直ぐに見つかるように改良していたな」
「うむ、実にわかりやすい。表書きも美しい。お前、本当にあやつを直下につけぬか?」
「やめろ、乗っ取られるような気がして気が気じゃない!」
「ははっ、確実に乗っ取られるな」

 楽しげに言ったシウスが笑い、ファウストは脱力する。既にこの図が、大いに笑い話だった。


 執務室に戻れば、ソファーセットに腰を下ろしたランバートが書籍の整理をしている。そして、とても穏やかな笑みでファウストを迎えた。

「お帰りなさい、ファウスト様。遅かったですね、何か問題が?」
「いや、少し話し込んでいただけだ」

 言うとランバートは安堵したように微笑み、「そうですか」と言う。
 机の上には久しぶりに書類らしいものがない。いつもは紙があれこれと端のほうに積み上がっているのだが。

「あっ、インクが切れそうだったので補充しておきました」
「あぁ、すまない」
「どうぞ」

 手早くお茶が出される。その味もまた、店で飲むものと遜色がない。

「どうしました?」

 お茶を前にしばし言葉がないのを不審に思ったように、ランバートが問いかける。それに苦笑して、ファウストは内心溜息だ。

 本当に、恐ろしいほどに完璧な奴だ、と。

「そういえば、グリフィス様が訓練をつけて欲しいと言っていました。あと、オリヴァー様が二年目を対象に訓練用の森での薬草授業を始めたいそうです」
「あぁ、そういえば前にも言っていたな」

 先週同じような事を言われたが、事件もあって先送りになっていた。そして今現在、もの凄く手持ち無沙汰だ。

「確か、明日の朝は予定がありませんでしたよね?」
「あぁ。昼を過ぎてから定例の団長会議があるが、他は特にないはずだ」
「行ってこられてはどうですか? 会議に必要なものがあれば、俺で用意しておきます」
「いや、定期的な報告のみだから必要なものはない。事件も落ち着いたから、それらの話を少しして終わるはずだ」

 あえて必要書類があるとすれば、今日シウスに届けた事件の詳細報告だろうか。

「では、思う存分体を動かしてきてください」

 にっこりと微笑むランバートに、もうファウストは敵う予感が一切しなかった。

◆◇◆

 翌日は朝から何の憂いもなく訓練をつけに第五師団に合流した。

「ほら、しっかり腰入れろ!」
「はい!」
「軸がぶれる! 体幹トレーニング追加するぞ!」
「はいぃ!」

 素手での戦いを想定しての組み手だが、朝からファウストは容赦なかった。不慣れな二年目を投げ飛ばし、ひねり上げている。その間にも上の隊員に指示を出す姿は、どこか鬼気迫るものがあった。

「なんか、荒れてますね」

 グリフィスが苦笑するが、ファウスト自身はそんなつもりはない。実に楽しく動いているつもりだ。機嫌が悪いわけじゃない。

「ストレス発散、してませんか?」
「ストレス?」

 若干引き気味のグリフィスに、汗を拭いながらファウストは問う。ストレスなんて感じているつもりはないのだが。

「いや、先の事件は精神的にきつかったんで、イライラしてたのかと」
「あぁ……」

 それを言われると、ファウストはなんと答えていいか分からなくなる。確かにやきもきとした気持ちが募っていた。だが、それから大分時間がたった。ストレスなんて、今更な気もしたのだ。

「ファウスト様は考え事するよりは体を動かすほうが性に合ってるでしょうし、そう考えるとストレスかと」
「それを言えば騎兵府の大半がそうだろ」

 グリフィスだって同じ性分だ。こいつは考え無しにまずは突撃する。だからこその先発部隊なのだから。

「まぁ、俺としちゃぁ部隊が鍛えられるのは有り難いんで、ビシバシやってもらっていいですけどね」

 そんな事を言うグリフィスがポリポリと頭を掻く。まるでそこに自分が含まれていないような言いぶりだ。ファウストは鋭い笑みを浮かべて、グリフィスを指でクイクイと誘った。

「久々に、やろうか?」
「うえぇ!」

 ギクリと肩を震わせるグリフィスは明らかに消極的な態度だが、ファウストは体を解して温める。首を回し、そして笑みを浮かべる。

「たまにはお前とも組もうか。逃げるなよ、グリフィス」
「あぁ、いやぁ……はい」

 渋々という様子で前に出たグリフィスとファウストを見て、周囲がどよめき始める。そのギャラリーの中で、二人は向かい合った。
 なんだかんだと言いながら、グリフィスの目は輝いている。こいつは特に戦闘狂の気があるから、強い奴を好む。そういう本性が今ムクムクと湧き上がってきた、そんな様子に見えた。

「んじゃ、お手合わせ願います」
「あぁ、好きに来い」

 互いに素手だが、この素手というのがグリフィスは得意だ。彼曰く、剣はまどろっこしいという。その気持ちはファウストも多少理解できた。ファウスト自身、そんなに綺麗な剣を好むタイプではないからだ。
 獣のような巨体が動き、正面から組み合う。力押しのような当たりはやはりどんな師団長よりも強い。迫るような金の瞳が余計に獣を思わせた。
 だがこれを楽しいと思えるファウストがいる。強い拳を腕で流し、時に受けつつも足で払う。それを獣並みの瞬発力でグリフィスはよけている。

「素早くなったな」
「これでも日々訓練はしてるんでさぁ」
「なるほど」

 前に手合わせしたのは一年くらい前か。それから考えると、動きがだいぶいい。若い奴から力を得ているのだろう。
 身を低く、突き飛ばす勢いのグリフィスをいなし、ファウストは背後を取って足元を狙う。低い蹴りは見事にグリフィスの脛を払い、大きく体勢が崩れた。そこを狙い、ファウストは押しつぶす形を取ろうとしたが、相手もそうはさせない。伸びた太い腕が胸ぐらを掴み、飛んできた頭部が思い切りヒットする。これには流石によろめいた。

「頭突きするな、石頭!」
「実践なら何でもありっすよ、ファウスト様」

 一発当てたことを喜ぶようなその言葉に、ファウストの目はつり上がる。口の中に鉄臭い味が広がった。

「あっ、やっべ」
「グリフィス」

 本気の目を向けたファウストの迫力に気圧されるように引いたグリフィスだが、後の祭りだ。体勢的な優位は未だファウストにある。膝をついてかがむグリフィスの前に仁王立ちのファウストの拳一発は、見事にグリフィスの頭上に落ちてそのまま顔面から修練場の硬い石にキスする羽目になったのである。



「あの……一体何をしたらこんな風になるんですか?」

 訓練終了後、ファウストはグリフィスと共に執務室に戻ってきた。双方共に服は汚れ、顔も傷だらけ。だがこれでエリオットのところに行く気にはなれない。青筋を立てた友人のゾッとする笑みを見るのは嫌だった。

「とにかく座ってください。救急箱」

 室内の清掃などをしていたのだろうランバートが、呆れた様子で二人をソファーに座らせる。直ぐに救急箱を目の前に広げると、脱脂綿に薬をしみこませた。

「いって!」
「文句を言わないでください、グリフィス様」

 顔面から修練場に叩き落としたから、グリフィスはあちこち切っている。目の上やら唇やら。鼻血はとりあえず止めたが。

「どれも浅い傷ですが、痛々しさが酷いですね。唇、これは腫れますよ」
「痛い! あぁ、俺の自慢のセクシーな唇が」
「言ってろ」

 元々厚い唇が今でもそれなりに腫れている。大げさに嘆いているのを横目に、ファウストも自分の口元に触れた。まだ血の味がする。

「ファウスト様も」
「ん?」

 目の前に膝をついて見上げるように言うランバートの手が伸びて、顔を固定される。驚いている間に口を開けろと怒られ、中を見て眉を寄せられた。

「しっかり切ってるじゃないですか」
「たいした事はない。放っておけば治る」
「口腔用の薬は常備してないんですよ。あんまり酷いと、エリオット様に縫っていただかないと」
「そんなに酷い傷じゃない」

 怪我をするよりも治療で縫合される方がよほどゾワゾワする。ファウストも例に漏れず医者が苦手だ。
 苦笑したランバートが水を手渡し、軽いすり切れた傷に軟膏を塗る。グリフィスも同じようにされていた。

「お二人とも、いい年なんですから程々にしてくださいね」
「「……はい」」

 呆れたように言われたこれには、二人とも面目なく頷くより他になかった。
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