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9章:帰りたい場所
8話:ブラッドレイン
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翌日、ランバートは警邏からは外れてウェインの補佐として事務仕事をする事になった。ファウストは「通常業務の範囲で行動しろ」と言ってくれたのだが、心配性のウェインは「仕事してもいいけどデスクワークにして」と言ったのだ。
昨日の事件をきっかけにブルーノ達は騎士団にも追われる立場となった。器物損壊と傷害事件の容疑者だ。だが奴らの足取りや行方は分からないまま、今も探しているという。
一日をほぼウェインの部屋で過ごしていると、終業時間の一時間前くらいにファウストが西砦を訪ねてきた。
「ウェイン、奴らは見つかりそうか?」
「それが、なかなか。ウルーラ通りの裏手側に逃げた可能性は高いけれど、あの辺も古い建物が多いし、廃墟とかもあるから全ての捜索はまだ。周囲の不審者情報も聞き込んでいますが、今日はまだです」
「そうか」
ファウストは思案顔をし、ウェインは申し訳なさそうな顔をした。
ランバートは素知らぬ顔でその話を聞いていた。本当は、いくつか心当たりがある。昔、奴らが東地区の人間を攫って暴行するために使っていた建物がいくつか残っている。それらの中にいるかもしれない。
だが、それを口にすることはできない。ランバートの過去が口を閉ざさせる。これらの場所を明かす事は同時に、ランバートの暗い部分と直結するのだから。
そのまま、ランバートは業務終了を言い渡されて着替えさせられた。ウェインからは「これ以上事務仕事なんてないよ」と言われ、ファウストからは「行くぞ」と言われて終わりだ。
確かに仕事らしいものはなく、明日は安息日。ファウストがどこに連れ出そうとしているかは聞かなくても分かる。ランバート自身も昨夜のルカの様子を見て心配だったし、これ幸いと誘われる事にした。
「腕の調子はどうだ?」
ルカの店に向かう道すがら、ファウストはさりげなく聞いてきた。さりげない素振りだが心配はしているのだろう。不器用な気遣いに、ランバートはくすくすと笑った。
「動かすと少し痛みますが、それだけですよ」
「ルカが世話になったな。有り難う」
「いいえ。俺がそうしたかっただけですから」
「すまなかった」ではなくて「有り難う」であった事が嬉しい。素直にそう思い笑顔で応じた。
「店で待っているのですか?」
「あぁ。流石に今日は店を閉めているが、割られたガラスの修理などもあって業者とも話さなければと言っていた。早めに目処をつけて再開したいんだろう」
「そうですか。良かったです、閉めるなんて言わなくて」
怪我を気にしているようだったから、心配していた。これをきっかけに気持ちが折れて店を閉めるなんて言い出したらと気がかりだった。でも、店の修理を早めに考えているなら杞憂だったのかもしれない。
「レオの存在が大きいんだろう。あいつ一人なら店を閉める事を決めていた。レオがいて、二人で手を取り合っているからこそ、あいつも強くなっているように見えた」
「そうですか」
これも嬉しい話だ。レオにとっても居場所ができた。これが今後、自分の家だと言えるまでになってくれればいい。今の仕事を自分の仕事だと胸を張って言えるようになってくれるといい。自身に誇りを持って生きていてくれるといい。
「ファウスト様は、今回大人しいですね。どうしました?」
弟が襲撃を受けたなんて知ったら荒れるだろうと思った人は、案外冷静だ。ルカを側に置いていない事にも驚いた。過保護なファウストなら絶対に側を離れないと思ったのだが。
隣の人は真っ直ぐに、少し寂しそうに笑う。少しの憂いと、それ以上の決意を感じる表情だ。
「ルカもレオも、互いを支えて手を取り合って今を守ろうとしている。強くなろうとしている二人を見たら、俺が過保護にすることがいいとは思えなくなったんだ。ここで俺が前に出る事は容易で、俺としては安心できる。だがそれは、二人の為になるのかと」
「ファウスト様も大人になりましたね」
「お前には言われたくない」
途端に憎らしいと睨まれてランバートは笑う。でも本当に、そんな風に思えた事が大きな進歩のように感じる。ようやく弟離れができたように思えて、その寂しさもまだ垣間見えて、なんとも微笑ましい気持ちになった。
ルカの店の前を過ぎ、裏口へと回る。細い裏路地と繋がる勝手口を叩いても反応がない。ファウストと顔を見合わせ声をかけても反応がない。
嫌な予感がする。ランバートがノブに手をかけて引くと、かかっているはずの鍵がかかっておらず、扉は簡単に開いた。
「レオ!」
キッチンダイニングの床にはレオが一人倒れていた。助け起こすランバートの手に、僅かながら血がつく。ゾクリと背が寒くなり、急速に音が聞こえなくなりそうだ。
「レオ!」
「リフ?」
弱いながらも名が呼ばれ、薄くオレンジの目が開いた。頭を殴られたのだろう、腫れている。血は腕からだ。
「何があった」
努めて静かに刺激しないようにファウストが問いかけている。視線だけがファウストを捕らえ、途端にレオの目に涙が浮かんだ。
「ルカさんが、連れてかれた……」
「誰に」
「ブルーノ達……俺がドジして、捕まって、ルカさんが扉を開けて、それで」
背が寒い、世界が揺らぐ、心臓が五月蠅い。そんな自分に気づくよりも前に、ランバートはファウストにレオを押しつけて走った。
知っている、あいつらは人の命などゴミのように扱う事を。日々の鬱憤を晴らすためだけに何人の無抵抗な人間を殺したか分からない。殴り殺し、嘲笑い、命乞いを踏みつけてきた奴らだ。今更躊躇うとは思えない。
知っているんだ、ランバートは。あいつらが自身の家が所有する建物の地下に秘密の部屋を造り、そこに弱い者を引っ張り込んで散々な事をしていた。その建物はまだ残っている。
ブルーノの縄張りで、ここから一番近いのは今は使われなくなったミュージックホール。あそこにも地下があり、何人もの人間が酷い目にあってきた。あの場所なら大きな通りに出ずに引っ張り込む事ができる。
躊躇わず、疑わず、ランバートは走った。感覚が昔に戻っている。凍るような殺気と憎しみを秘め、狂気が心を支配していく。ここにいるランバートは騎士ではない。激情に身を任せた殺人鬼だった。
◆◇◆
ミュージックホールは、かつての賑やかさを失っていた。外壁の色はあせ、扉は半分取れかけている。ランバートが入ったのは裏にある平面の扉。両開きの扉を引き開けると、そこには地下に繋がる階段がある。素早くそこを降りていくと、複数の男の声が聞こえた。
「お前が余計な事をしなけりゃ、内務に感づかれる事も無かったんだよ!」
「詫び入れろって言ってんだろうが!」
音と共に怒鳴る声。一番奥の扉から聞こえている。ランバートは近づいて、扉を押し開けた。
室内は狭い。十人の男が集まって一人を暴行しているが、周りのギャラリーが既に邪魔くさい。更に少し下がる造りのそこに、男達はいた。
「何だお前?」
突如入ってきたランバートに男達の視線が向かう。ガラの悪い視線が一斉にランバートを見て、いきり立っている。
その真ん中で、ルカは倒れていた。小柄な体をくの字に曲げてひたすらに耐える姿はあまりに酷い。こいつらは見える場所に暴行の痕を残さない。後々面倒になる事を知っているから。
「ランバート……さん?」
弱く声がして、僅かに首を持ち上げたルカがランバートを見て泣きそうな顔をしている。分かる、この期に及んでまだ自分ではなくランバートの心配をしていることを。
感覚が静かに尖り、余計な情報が消えていく。目の前にいるこの男達は間違いなく、殲滅対象だ。
「こいつだ! こいつが内務にチクったに違いない!」
見た事のある金髪の男がランバートを指さして叫んでいる。すぐさま騒ぎ出し、手にパイプやら棒やらを持った男がルカからランバートへと標的を変える。
静かに、ランバートは扉を閉めて階段を降りた。足音すらもしない動きは幽鬼のようにも思える不気味さがある。これに気づけないのなら、そいつは生きられるはずがない。
「やっちまえ!」
声がかかって数人の男が手に武器を持って振りかぶる。ランバートの動きはどこまでも滑らかだ。滑るように前に出ると、振りかぶってガラ空きの胴を容赦なく殴り、振り下ろされた木材を避けるついでに踵で落とす。地に無残に転がって呻く男に目もくれず、ランバートは他の男に目を向けた。
「何してるんだ! さっさとやれ! この際死体が一つでも二つでも構わないだろ!」
しきりに五月蠅くわめき立てているのがいる。あれが、ブルーノだ。
男の一人が剣を抜いた。ランバートはそれを見逃していなかった。力業でしかない男の剣を奪うなんてこと造作も無い。手を捻り上げ、剣を落とした所で遠くへと蹴り飛ばす。背後からも男が剣を持って振りかぶっている。落ちた剣を拾ったままの流れで、ランバートは一閃させた。
血が、吹き上がった。どれだけ離れていても体に染みついたものは簡単に忘れない。鮮やかに無駄もなく男の首が切れて血が吹き上がり、壁と天井を染め上げる。その勢いで切れた首は更に裂けて男の体は転がった。
「……殺した」
ぽつりと一人が呟いた。水を打ったような沈黙の中、ピチャピチャと天井から滴った血が床を塗らす音だけが不気味に響いている。
血ぬれの顔に薄い笑みが浮かぶ。青い瞳に慈悲などない。そしてその動きはいつものそれよりもずっと滑らかに動いた。
「うっ……うわぁぁぁぁ!」
一人がパニックを起こせばそれに全員が引きずられる。逃げだそうとした最初の男を拾い上げた石を投げて転倒させると、続いた奴も転ぶ。その隙に逃げた奴を中心にランバートは殲滅した。
狙うのは首だけ。最も楽に人が殺せ、剣が引っかかるリスクもなく、反撃されるリスクもない。吹き上がった生暖かく錆び臭いものが辺りを染め上げ天井を塗る。滴る血は既に雨のように降ってくる。髪に、顔に、体に染みつく。
やがて倒れていた奴も気づいて場の異様さに驚き腰を抜かして命乞いを始めるのも、ランバートは冷たく見下ろしていた。
「たっ、頼む許し……許して……」
立っている奴はもういない。最初に転がした数人だけがまだ息がある。まだ血を吹き上げ踊っているような奴が背後で倒れる音がした。
「頼むぅぅぅ許してくれぇ!」
「ランバートさん、ダメ!」
声が聞こえる。唯一ここからすくい上げなければならない命。けれど目の前で盛大に失禁しながら命乞いをしている男は、違う。
躊躇いもなく、ランバートは男の首を切り裂いた。新しい血が染めていく。そしてゆっくりと、部屋の隅を見る。
分かっている。男が一人そこに蹲り、息を潜めていることを。当然だ、息をしていない奴らの中で隠しきれない荒い息づかいなど耳につく。視界に何も映していない奴らの中で、意志のある視線は自ずと気になる。心臓を止めた奴らの中で、緊張と恐怖に音を立てる心臓の音は分かるんだ。
ゆるりと首を向けたランバートの視線に、男は「ひっ」という短い悲鳴を上げた。そのまま、ランバートはゆっくりと近づいていく。男は腰も抜け、壁際に追い込まれ、恐怖に顔を引きつらせて盛大に失禁していた。
「頼む……許して……」
「ブルーノ・シーブルズだな」
「……へ?」
名を呼ばれ、男は僅かに呆ける。涙を張り付かせ、だらしなく口を開けてランバートを見上げている。
「お前、命乞いを一度でも叶えてやったことはあるか?」
「なに……」
「スラムの無抵抗な人間を殴り、蹴り、骨を折って嘲笑い、血を吐いてでも命乞いをしていた人間を嬉々として踏みつけただろ?」
「ちが!」
「顔が分からないほど殴り、目を抉り、歯を折って、触れただけで内臓がグチャグチャだと分かるくらい殴り殺しただろ」
「違う!!」
「結婚を目前とした幸せな人間を、お前は殴り殺した!!」
「許してくれ!!!」
頭を庇って悲鳴を上げたブルーノの喉をめがけ、ランバートの剣は一突きにした。吹き上がった血がランバートの顔を真っ赤にする。それを、ただ冷たく見下ろした。
びちゃびちゃと、一歩を踏むだけで音がする。ヒタヒタと、雨が降る。怒りと悲しみと憎しみに息が乱れ、心が冷たくなっていく。
分かっている、これで何かが変わるわけじゃない。失われた命が戻る事はない。罪を増やすばかりで、いいことなんて何もない。
それでも抑えられないんだ。一度は許そうと思った心が、再び大切な人を傷つけられた事で更なる憎悪に染められた。
「ランバート……」
戸口で声がする。ゆるりと視線を巡らせると、そこには夜が立っている。黒い瞳を驚きに染めた人が、珍しく動けないでいる。
「あ……」
足を動かそうとすると、ビチャという音。むせるような血の臭い。降る雨は赤い。
剣がするりと手から落ち、硬質な音と水音を響かせた。口元に張り付いた笑みが消えない。狂ったような三日月の笑み。けれど頬を、赤ではないものが伝い落ちた。
「……すみません」
そう言って、ランバートはファウストの脇をすり抜けて走った。表に出ると外はバケツをひっくり返したような雨。辺りは既に暗い。その中を、ランバートは走っていった。
昨日の事件をきっかけにブルーノ達は騎士団にも追われる立場となった。器物損壊と傷害事件の容疑者だ。だが奴らの足取りや行方は分からないまま、今も探しているという。
一日をほぼウェインの部屋で過ごしていると、終業時間の一時間前くらいにファウストが西砦を訪ねてきた。
「ウェイン、奴らは見つかりそうか?」
「それが、なかなか。ウルーラ通りの裏手側に逃げた可能性は高いけれど、あの辺も古い建物が多いし、廃墟とかもあるから全ての捜索はまだ。周囲の不審者情報も聞き込んでいますが、今日はまだです」
「そうか」
ファウストは思案顔をし、ウェインは申し訳なさそうな顔をした。
ランバートは素知らぬ顔でその話を聞いていた。本当は、いくつか心当たりがある。昔、奴らが東地区の人間を攫って暴行するために使っていた建物がいくつか残っている。それらの中にいるかもしれない。
だが、それを口にすることはできない。ランバートの過去が口を閉ざさせる。これらの場所を明かす事は同時に、ランバートの暗い部分と直結するのだから。
そのまま、ランバートは業務終了を言い渡されて着替えさせられた。ウェインからは「これ以上事務仕事なんてないよ」と言われ、ファウストからは「行くぞ」と言われて終わりだ。
確かに仕事らしいものはなく、明日は安息日。ファウストがどこに連れ出そうとしているかは聞かなくても分かる。ランバート自身も昨夜のルカの様子を見て心配だったし、これ幸いと誘われる事にした。
「腕の調子はどうだ?」
ルカの店に向かう道すがら、ファウストはさりげなく聞いてきた。さりげない素振りだが心配はしているのだろう。不器用な気遣いに、ランバートはくすくすと笑った。
「動かすと少し痛みますが、それだけですよ」
「ルカが世話になったな。有り難う」
「いいえ。俺がそうしたかっただけですから」
「すまなかった」ではなくて「有り難う」であった事が嬉しい。素直にそう思い笑顔で応じた。
「店で待っているのですか?」
「あぁ。流石に今日は店を閉めているが、割られたガラスの修理などもあって業者とも話さなければと言っていた。早めに目処をつけて再開したいんだろう」
「そうですか。良かったです、閉めるなんて言わなくて」
怪我を気にしているようだったから、心配していた。これをきっかけに気持ちが折れて店を閉めるなんて言い出したらと気がかりだった。でも、店の修理を早めに考えているなら杞憂だったのかもしれない。
「レオの存在が大きいんだろう。あいつ一人なら店を閉める事を決めていた。レオがいて、二人で手を取り合っているからこそ、あいつも強くなっているように見えた」
「そうですか」
これも嬉しい話だ。レオにとっても居場所ができた。これが今後、自分の家だと言えるまでになってくれればいい。今の仕事を自分の仕事だと胸を張って言えるようになってくれるといい。自身に誇りを持って生きていてくれるといい。
「ファウスト様は、今回大人しいですね。どうしました?」
弟が襲撃を受けたなんて知ったら荒れるだろうと思った人は、案外冷静だ。ルカを側に置いていない事にも驚いた。過保護なファウストなら絶対に側を離れないと思ったのだが。
隣の人は真っ直ぐに、少し寂しそうに笑う。少しの憂いと、それ以上の決意を感じる表情だ。
「ルカもレオも、互いを支えて手を取り合って今を守ろうとしている。強くなろうとしている二人を見たら、俺が過保護にすることがいいとは思えなくなったんだ。ここで俺が前に出る事は容易で、俺としては安心できる。だがそれは、二人の為になるのかと」
「ファウスト様も大人になりましたね」
「お前には言われたくない」
途端に憎らしいと睨まれてランバートは笑う。でも本当に、そんな風に思えた事が大きな進歩のように感じる。ようやく弟離れができたように思えて、その寂しさもまだ垣間見えて、なんとも微笑ましい気持ちになった。
ルカの店の前を過ぎ、裏口へと回る。細い裏路地と繋がる勝手口を叩いても反応がない。ファウストと顔を見合わせ声をかけても反応がない。
嫌な予感がする。ランバートがノブに手をかけて引くと、かかっているはずの鍵がかかっておらず、扉は簡単に開いた。
「レオ!」
キッチンダイニングの床にはレオが一人倒れていた。助け起こすランバートの手に、僅かながら血がつく。ゾクリと背が寒くなり、急速に音が聞こえなくなりそうだ。
「レオ!」
「リフ?」
弱いながらも名が呼ばれ、薄くオレンジの目が開いた。頭を殴られたのだろう、腫れている。血は腕からだ。
「何があった」
努めて静かに刺激しないようにファウストが問いかけている。視線だけがファウストを捕らえ、途端にレオの目に涙が浮かんだ。
「ルカさんが、連れてかれた……」
「誰に」
「ブルーノ達……俺がドジして、捕まって、ルカさんが扉を開けて、それで」
背が寒い、世界が揺らぐ、心臓が五月蠅い。そんな自分に気づくよりも前に、ランバートはファウストにレオを押しつけて走った。
知っている、あいつらは人の命などゴミのように扱う事を。日々の鬱憤を晴らすためだけに何人の無抵抗な人間を殺したか分からない。殴り殺し、嘲笑い、命乞いを踏みつけてきた奴らだ。今更躊躇うとは思えない。
知っているんだ、ランバートは。あいつらが自身の家が所有する建物の地下に秘密の部屋を造り、そこに弱い者を引っ張り込んで散々な事をしていた。その建物はまだ残っている。
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躊躇わず、疑わず、ランバートは走った。感覚が昔に戻っている。凍るような殺気と憎しみを秘め、狂気が心を支配していく。ここにいるランバートは騎士ではない。激情に身を任せた殺人鬼だった。
◆◇◆
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「お前が余計な事をしなけりゃ、内務に感づかれる事も無かったんだよ!」
「詫び入れろって言ってんだろうが!」
音と共に怒鳴る声。一番奥の扉から聞こえている。ランバートは近づいて、扉を押し開けた。
室内は狭い。十人の男が集まって一人を暴行しているが、周りのギャラリーが既に邪魔くさい。更に少し下がる造りのそこに、男達はいた。
「何だお前?」
突如入ってきたランバートに男達の視線が向かう。ガラの悪い視線が一斉にランバートを見て、いきり立っている。
その真ん中で、ルカは倒れていた。小柄な体をくの字に曲げてひたすらに耐える姿はあまりに酷い。こいつらは見える場所に暴行の痕を残さない。後々面倒になる事を知っているから。
「ランバート……さん?」
弱く声がして、僅かに首を持ち上げたルカがランバートを見て泣きそうな顔をしている。分かる、この期に及んでまだ自分ではなくランバートの心配をしていることを。
感覚が静かに尖り、余計な情報が消えていく。目の前にいるこの男達は間違いなく、殲滅対象だ。
「こいつだ! こいつが内務にチクったに違いない!」
見た事のある金髪の男がランバートを指さして叫んでいる。すぐさま騒ぎ出し、手にパイプやら棒やらを持った男がルカからランバートへと標的を変える。
静かに、ランバートは扉を閉めて階段を降りた。足音すらもしない動きは幽鬼のようにも思える不気味さがある。これに気づけないのなら、そいつは生きられるはずがない。
「やっちまえ!」
声がかかって数人の男が手に武器を持って振りかぶる。ランバートの動きはどこまでも滑らかだ。滑るように前に出ると、振りかぶってガラ空きの胴を容赦なく殴り、振り下ろされた木材を避けるついでに踵で落とす。地に無残に転がって呻く男に目もくれず、ランバートは他の男に目を向けた。
「何してるんだ! さっさとやれ! この際死体が一つでも二つでも構わないだろ!」
しきりに五月蠅くわめき立てているのがいる。あれが、ブルーノだ。
男の一人が剣を抜いた。ランバートはそれを見逃していなかった。力業でしかない男の剣を奪うなんてこと造作も無い。手を捻り上げ、剣を落とした所で遠くへと蹴り飛ばす。背後からも男が剣を持って振りかぶっている。落ちた剣を拾ったままの流れで、ランバートは一閃させた。
血が、吹き上がった。どれだけ離れていても体に染みついたものは簡単に忘れない。鮮やかに無駄もなく男の首が切れて血が吹き上がり、壁と天井を染め上げる。その勢いで切れた首は更に裂けて男の体は転がった。
「……殺した」
ぽつりと一人が呟いた。水を打ったような沈黙の中、ピチャピチャと天井から滴った血が床を塗らす音だけが不気味に響いている。
血ぬれの顔に薄い笑みが浮かぶ。青い瞳に慈悲などない。そしてその動きはいつものそれよりもずっと滑らかに動いた。
「うっ……うわぁぁぁぁ!」
一人がパニックを起こせばそれに全員が引きずられる。逃げだそうとした最初の男を拾い上げた石を投げて転倒させると、続いた奴も転ぶ。その隙に逃げた奴を中心にランバートは殲滅した。
狙うのは首だけ。最も楽に人が殺せ、剣が引っかかるリスクもなく、反撃されるリスクもない。吹き上がった生暖かく錆び臭いものが辺りを染め上げ天井を塗る。滴る血は既に雨のように降ってくる。髪に、顔に、体に染みつく。
やがて倒れていた奴も気づいて場の異様さに驚き腰を抜かして命乞いを始めるのも、ランバートは冷たく見下ろしていた。
「たっ、頼む許し……許して……」
立っている奴はもういない。最初に転がした数人だけがまだ息がある。まだ血を吹き上げ踊っているような奴が背後で倒れる音がした。
「頼むぅぅぅ許してくれぇ!」
「ランバートさん、ダメ!」
声が聞こえる。唯一ここからすくい上げなければならない命。けれど目の前で盛大に失禁しながら命乞いをしている男は、違う。
躊躇いもなく、ランバートは男の首を切り裂いた。新しい血が染めていく。そしてゆっくりと、部屋の隅を見る。
分かっている。男が一人そこに蹲り、息を潜めていることを。当然だ、息をしていない奴らの中で隠しきれない荒い息づかいなど耳につく。視界に何も映していない奴らの中で、意志のある視線は自ずと気になる。心臓を止めた奴らの中で、緊張と恐怖に音を立てる心臓の音は分かるんだ。
ゆるりと首を向けたランバートの視線に、男は「ひっ」という短い悲鳴を上げた。そのまま、ランバートはゆっくりと近づいていく。男は腰も抜け、壁際に追い込まれ、恐怖に顔を引きつらせて盛大に失禁していた。
「頼む……許して……」
「ブルーノ・シーブルズだな」
「……へ?」
名を呼ばれ、男は僅かに呆ける。涙を張り付かせ、だらしなく口を開けてランバートを見上げている。
「お前、命乞いを一度でも叶えてやったことはあるか?」
「なに……」
「スラムの無抵抗な人間を殴り、蹴り、骨を折って嘲笑い、血を吐いてでも命乞いをしていた人間を嬉々として踏みつけただろ?」
「ちが!」
「顔が分からないほど殴り、目を抉り、歯を折って、触れただけで内臓がグチャグチャだと分かるくらい殴り殺しただろ」
「違う!!」
「結婚を目前とした幸せな人間を、お前は殴り殺した!!」
「許してくれ!!!」
頭を庇って悲鳴を上げたブルーノの喉をめがけ、ランバートの剣は一突きにした。吹き上がった血がランバートの顔を真っ赤にする。それを、ただ冷たく見下ろした。
びちゃびちゃと、一歩を踏むだけで音がする。ヒタヒタと、雨が降る。怒りと悲しみと憎しみに息が乱れ、心が冷たくなっていく。
分かっている、これで何かが変わるわけじゃない。失われた命が戻る事はない。罪を増やすばかりで、いいことなんて何もない。
それでも抑えられないんだ。一度は許そうと思った心が、再び大切な人を傷つけられた事で更なる憎悪に染められた。
「ランバート……」
戸口で声がする。ゆるりと視線を巡らせると、そこには夜が立っている。黒い瞳を驚きに染めた人が、珍しく動けないでいる。
「あ……」
足を動かそうとすると、ビチャという音。むせるような血の臭い。降る雨は赤い。
剣がするりと手から落ち、硬質な音と水音を響かせた。口元に張り付いた笑みが消えない。狂ったような三日月の笑み。けれど頬を、赤ではないものが伝い落ちた。
「……すみません」
そう言って、ランバートはファウストの脇をすり抜けて走った。表に出ると外はバケツをひっくり返したような雨。辺りは既に暗い。その中を、ランバートは走っていった。
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不器用で、だけどまっすぐな愛情を注いでくれる彼と、美味しい料理で紡ぐ、甘くて温かい異世界スローライフ。
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
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結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!
めがねあざらし
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婚約者に見向きもされないまま誘拐され、殺されたΩ・イライアス。
目覚めた彼は、侯爵家と婚約する“あの”直前に戻っていた。
二度と同じ運命はたどりたくない。
家族のために婚約は受け入れるが、なんとか相手に嫌われて破談を狙うことに決める。
だが目の前に現れた侯爵・アルバートは、前世とはまるで別人のように優しく、異様に距離が近くて――。
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