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12章:ルシオ・フェルナンデス消失事件
11話:狙い
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例の施設が近づくにつれて、レイバンの表情は険しくなった。
「臭い」
「しかたないだろ」
「行かなきゃだめ?」
「どっかが吹っ飛んでいいなら来なくていい」
そう言うと流石に文句も言えないのか、レイバンは大人しくついてきた。
施設はレンガ造りの建物だ。中へと入り奥へと向かうと、例の場所がある。酷い臭いではあるが、幸いな事にそこに物体はなかった。
「ラッキーかも」
「これさ、糞尿あったらどうしてたの」
「掻き出して探るしかないかな」
少し低くなった平らな場所に降りたランバートは、汚れるのも気にする事なく周囲を見回す。そして直ぐに痕跡を見つけた。
掘り返した跡がある。あまり考えずに一カ所を深く掘ったのだろう。そこに穴が空いている。
「やっぱり」
レンゼール派は特に火薬を使うのが好きな奴らだ。持ち出した量を考えると建物を吹き飛ばすようなものではない。だが、壁を壊すくらいは訳ないだろう。
「ランバート」
背後から声がして振り向く。ファウストは随分と嫌な顔をしながらもそこにいた。
「ゼロスから話は聞いた。どうだ?」
「痕跡があります。壁を崩すくらいの威力はあります」
「どこかに潜入するつもりだろうか」
「かもしれません」
奴らが花火を上げたいというなら、どこがいい。そもそも、この火薬では花火など上がらない。可能性があるとすれば、元々持ち込んでいた四十トンの火薬の存在だ。あれを利用するしかない。
「ファウスト様、押収した火薬は今どこにあるのですか?」
「城の武器庫の中だ。危険物だからな、その辺に放り込んでおく訳にもいかない」
「城……!」
ランバートの顔は見る間に青くなった。そして、駆け出すように外に出て、そのまま側にある鉄の扉を引き開けた。
「どうした!」
「ここです! 奴らは最初から城をターゲットにしたのかもしれません!」
「どういうことだ?」
ファウストが怪訝な顔をするが、なんて説明したらいいか。本当は地図があったほうがいい。だが、今はそれを書いている時間が惜しい。捜索に時間がかかるのだから。
「この道はカロンの道に通じています。あの水路は表に出して運ぶ事がはばかられるものを運ぶ道。死体を運び出す他に、し尿を運ぶ道でもありました」
「それで?」
「このカロンの道は東地区の全域にあるのです。そして数カ所、城に通じる地下道の側を通っているのです」
これだけ言えばファウストも気づいてくれたようだった。目に見えて焦った顔をした。
「どこだ」
「分かりません。場所は数カ所あると言われていますが、俺も正確に把握していません。『ドラクル』がまだ捕まっていませんし、レンゼールもまだ発見出来ていません。今から探しても、見つけるのに時間が」
「このまま探す。レイバン、戻ってシウスとオスカルに伝言を頼む」
「了解しました」
レイバンは迅速に走ってくれる。ランバートはファウストと二人、地下へと降りていった。
地下は本来水路となっている。人が徒歩で歩ける道はあるものの、一人分しか幅はない。だが今は、本来あるはずの水が抜けていた。
「水門が閉じて、排水弁が開いている」
「そんな設備まであるのか」
薄暗い空間に、ランバートは火を灯した。道は暗いため、出入り口にはランプが置かれているのだ。それを自分と、ファウストに。辺りを照らしても、そこに水はまったくなかった。
「鋼鉄製の水門があります。そこを閉じて排水弁を開ければ、水が抜ける仕組みです。ここは元々、貴族の町だったので」
水の抜けた水路を歩きながら、ランバートは入り組んだ道の案内を始める。目指すは北側、城のある場所。
「貴族の町?」
「もう、五百年以上は昔の話です。今の西地区は比較的新しい町なのです。元々貴族が過ごしていたのはこの下東地区。カロンの道や入り組んだ水路は、その当時の名残なのです。だからこそしっかりしていますし、それなりの設備も整っています」
ランバートが関わったのはこの、下東地区と呼ばれる場所。騎士団の東砦よりも下の部分だ。町の再生などをする時に土地柄なども調べて初めて知ったことだった。
「時は奴隷制度がまだ健在だった時代の事、西地区が新たに整備された事で、貴族達はそちらへと居住区を移しました。けれど奴隷は置き去りのまま。これが、貴族が下東地区の土地をバラバラに所有していた理由と、スラムの成り立ちです」
五百年以上前はまだ奴隷制度があり、貴族は多くの奴隷を所有していた。使い捨てのようにされていた彼らは、家が移ったからといって連れて行ってはもらえず、人権も何もない中でここに住むしかなかった。これが後のスラムだ。
この意識は奴隷制度がなくなり、全てを平民とした後でも消えなかった。スラムの人間に畜生よりも劣る暴行や横暴を行った貴族達は、この時代の名残が消えていなかったと言える。
「流石に詳しいな」
「調べましたからね、反吐が出ましたが。ヒッテルスバッハは能力主義ですし、実力主義ではありますが差別意識はありません。生まれに左右されず、個人を見て用いよ。出来ねばヒッテルスバッハにあらずです」
「厳しいな」
「これが家訓ですよ。文字が読める前から聞かされる事ですから、嫌になります」
辟易と息を吐きながら、ランバートは道をひたすらに歩いていった。
やがて色の違う道に出る。アーチ状のレンガはあるが、その内側は塞がれた形跡がある。これが、下東地区と上東地区との境。ランバート達が下東地区を整備した時、ここを塞いだのだ。
だが今はその簡易の壁が壊されている。斧か何かで破壊されたその先にもまた、同じような道が続いている。
「左右に分かれているな」
道が左右に分かれている。ここからはランバートも道を知らない。城のある北側へと向かってゆくしか方法がないのだが。
「北へ向かえば城だな。分かれて探すぞ」
「分かりました。俺は左へ」
「では俺は右へ向かう。見つけたら無理をせずに引き返して俺を探せ」
「分かりました」
左右に分かれて捜索を開始する。一人になると多少心細く感じるのは、依存しているからだろうか。それでも見逃せばどうなるか。大事な場所がなくなりかねない事態につべこべ言っている暇はない。
水は抜けている。元々、上東地区の水路は不要なもので排水されてしまっている。それでも、湿り気と僅かな臭いはあった。そこを足音を立てずに城の方面を目指して歩いていると、不意に気配を感じて立ち止まった。
今歩いている通路から左に延びた脇道の内側が、ランプの明かりに照らされている。そこから伸びる影は五人。内一人はやたらとでかい。
こっちが当たりだ。思い、ランバートはランプの明かりを消した。そしてそのまま後ろに下がろうとすると、その背に何かを感じた。
「!」
途端に受けた後頭部の痛みに僅かに呻いてしまう。ヨロヨロと数歩前に出たランバートは、それでも剣を抜いた。
いつの間にか背後にいた人物は、ランバートを感情のこもらない目で見ている。ランバートにも気配を悟らせなかったのなら、多分暗殺者だろう。城に入り込み、カーライルの命を狙うつもりで同行していたのか。
「まったく、ネズミがいると思ったら」
声は女性のものだ。驚いて見ていると、口元を覆っていた布を彼女は取った。十分に美しいと思える顔立ちだが、そこに感情がないのが惜しかった。
「何事だ!」
声に気づいた連中が飛び出してくる。ランバートは痛む頭を振って袖口に仕込んだナイフを素早く先頭の男の足をめがけて投げた。
「ぐはぁ!」
野太い声を発して転倒した男の動きはとりあえず封じた。だが、女暗殺者の攻撃は思ったよりも俊敏だ。
短いナイフを繰って音もなく舞った彼女は、無駄もなくランバートの頭上から下ろされる。剣を使って弾き、後方に逃げた彼女の前に駆けつけた男が数人立った。
「おいおい、予定が狂うと困るんだろ? 行けよ」
ニヤニヤと笑う二メートルの男、ドラクルはランバートを見て陰湿な顔をする。その前に更に男が三人。これはどうにでもなりそうだった。
「消しておけ」
「分かってるって。きっちり仕事はするからよ」
女暗殺者はそう言って消えていく。ランバートは追おうとしたが、三人同時の攻撃は流石に邪魔だった。
剣で受け、払って男共をのかせながら真ん中の一人は強い蹴りで沈めておいた。それに、ドラクルは感心したように口笛を吹く。
「いい目をした犬だと思ったが、意外と骨がある。これは嬲る以上に楽しいかもな」
言葉を交わす意味もない。舌なめずりするドラクルの舐め回すような視線が不快だ。ランバートは睨みながら、まだ元気な男共を殲滅する事に専念した。
大した相手ではない。確かに素人ではないが、それでも簡単だ。今年の四月に入ってきた新人と同じくらいだ。
全てをいなし、投げナイフと蹴りと剣で黙らせる。沈んだ男が足元に転がる。ランバートは改めてドラクルを見ようとして、そのあまりの距離に驚いて顔を引きつらせた。
「可愛い顔するじゃないか」
巨体を屈めた男の顔が目の前にある。濁った瞳はいっそここまでくれば清々しいイカレっぷりだ。ニタリと笑った舌がランバートの頬を撫でて、思わず気持ちが悪くて後ろにのいた。
「怯えた顔がそそるってのはいいことだ。なぁ、お前はどこまで耐えられる?」
「……は?」
意味が分からない。何を耐えるんだ。ランバートの理解は追いつかない。だが、目の前の男の異様さは肌が伝えてくれる。
「腕の一本折るくらいなら、平気だろう。流石に切り落とすと後が短いからな。まぁ、最後は無理矢理あそこにぶち込んだまま首絞めるんだけどよ。これでもかってくらい締まって気持ちいいんだぜ、男も女も」
ニタリニタリと笑う男の異様さが体を凍らせる。変態だとか、異常だとか、もうその域を超えている。
ゴクリと喉が鳴った。上から押さえられるような威圧感と殺気に喉が渇く。だが、ここで動けなければ間違いなく惨殺だ。
剣を握るランバートは、ありったけの殺気で相手に挑む。男の太い足が、地を駆ける獣のように力強く踏み出した。
早い!
「くっ!」
振り上げられた斧を剣が受け止める。酷い音がして、ギチギチとめり込むように体重をかけられる。一点を集中するように加重されると剣が折れそうだ。
「ほぉ、やっぱりいい腕をしている。熟練の傭兵だって俺の初手で真っ二つになる奴が多いんだぞ」
「気に入った」と語尾に添えられ、斧の重みが一瞬抜ける。だが、その後は更に容赦がない。振り下ろされる斧をランバートは避けるようにステップを踏む。どうにもならない時は剣で流し、受けた。でもその度に剣が悲鳴を上げている。重い斬激を受ける剣は刃こぼれがして可哀想だ。
「ほら、どうした!」
挑発に、ランバートは乗らない。実力が違う。相性もすこぶる悪い。隙を見て足元を払ったが、丸太のような足を払う事はできない。腕を狙った攻撃も、効果がない。投げたナイフが男の腕に刺さったが、まるで爪楊枝でも刺さったかのような扱いで抜かれた。
山のような筋肉は硬い。しかもこの男は巨体の弱点である足回りもきっちり鍛えていて隙がない。ランバートは後退しながらファウストの来るのを待つしかない。
音は聞こえているはずだ。激しい金属音はアーチ状の地下道に響き渡っている。聞こえているはず。聞こえていてくれ。
「っ!」
何度目かの斧を受け止めた時、全身の重みを乗せるようにドラクルが加重をかける。ランバートの腕ではそれを支えきる事ができなかった。そもそも、手がだいぶ痺れてきて言う事をきかなかった。
剣が弾かれると同時に、胸に痛みが走る。斧の切っ先が僅かに服を裂きその下の肉を裂いた。血がポタポタと伝い落ちていく。吹き上がらなかったのは、まだ浅いからだ。
「なかなか楽しかったが、追い詰めた」
ニタリと笑うドラクルの芋虫のような指がランバートの首を鷲づかみにし、吊り下げて壁に押しつける。勢いのある動きに後頭部を再び強打したランバートは呻きながらも目眩がした。首が絞まるその手首に手をかけて掻きむしるように爪をたてるが、男には子猫がひっかく程度の痛みも与えられていなさそうだった。
「苦しそうだ。いい顔だな、お前。絶望や痛みに色気があるのはいいことだぞ。こっちが欲情する」
「くっ……うぁぁ!」
裂けた服の下で血を流す傷を抉るように、ドラクルは爪を立ててギチギチと引き下ろす。痛みに頭の中が点滅していく。悲鳴は止められなかった。涙が一つ伝い落ちる。喉が痛くなるような悲鳴のあと、ランバートの首は落ちた。
力が入らない。首も僅かに締まっていて苦しいが、窒息するほどのものじゃない。苦痛を長引かせる為に生かしている。それとわかるものだ。
「いい声だ。ますます楽しみだな」
抉った指先についた血を美味しそうに舐めるドラクルを見下ろし、それでも何かないかとぼんやりした頭で考える。死にたくはない。こんな男に嬲り殺されるのだけはごめんだ。思いながら、ランバートは袖口のナイフを男の手首の内側へと突き立てた。
「っ!」
男の濁った目が僅かに見開かれ、首を押さえていた手が離れる。壁伝いに落ちたランバートは、動かない足に精一杯の命令を下して地を蹴り剣に手を伸ばした。だが、指先が触れるほんのわずか前に、体がボールのように飛んだ。
「!!」
意識が飛ぶ。二度ほど軽くバウンドした体は、転がって止まった。腹を蹴りつけられたのは分かった。強烈な熱と痛みと吐き気が同時に押し寄せて、ランバートはそのまま吐き出す。僅かに血の味が混じっていた。
「抵抗するじゃないか」
柔らかい手首の内側は、流石に痛かったらしい。手を振りながら近づいてきたドラクルを見上げる力も、今は残っていない。腹の中が気持ち悪い。
「やっぱり腕は折っておくか。両腕だな」
力の入らない腕を持ち上げられる。そこに、わざとゆっくりとした力が加わった。関節の辺りが悲鳴を上げるが、実際には悲鳴が上がらない。声が思うように出なかった。
じわりと骨が悲鳴を上げてミシミシ鳴るのを聞く。ダメだ、折られる。思って覚悟を決めた、その時だった。
「!」
何かがドラクルの頭をめがけて飛んできた。多分、石だろうと思う。鋭い勢いのそれに、ドラクルは仰け反り手を離した。パタリと、手が落ちる。そして目の前に、漆黒の背が映り込んだ。
「あ……」
安堵に声が漏れる。逞しい背は待ち望んだ人のものだ。あまりに嬉しくて、涙が溢れてきた。
「そこにいろ、ランバート。直ぐに終わらせる」
少し低い声が怒気と殺気を漂わせながら紡がれる。それに、ランバートは安堵して小さな声で「はい」と返事をした。
ドラクルは頭を振ってファウストを見る。そしてまた、ニヤリと笑った。
「こちらも強そうだ。今日はいい獲物が手に入る」
「言ってろ」
狂ったように振るわれるドラクルの斧を、ファウストは難なく受け止めている。身幅の広い逞しい剣はこのくらいの攻撃に悲鳴など上げない。鍛え上げられた体はこの馬鹿力にも負けはしない。
動じる事なく、むしろ押し返される事にドラクルは怒りを覚えるのか、急速に攻撃を早めている。だがどれも子供のそれを払うようにいなされていく。
「くそ!」
傭兵として、常に強者という立場から全てを見下してきた男のこれは焦りの声だ。初めて味わう挫折の色だ。ファウストを前にキョロキョロしたドラクルが見つけたのは、未だ動けないランバートだ。
ニタリと笑みが浮かぶ。分厚い舌が唇を舐める。そして低い姿勢から獣が地を蹴るように、ランバートへと斧が振り下ろされた。
見ていても、動けるはずはない。反応していたって、体は悲鳴をあげている。自分の体が真っ二つになるのをただ待つしかない。思わず目を閉じたランバートは、襲う痛みのないことに目を開けた。
ドサリと、巨体が地に転がった。ファウストの剣が男の首を綺麗に跳ね飛ばしていた。斧の切っ先はランバートの鼻先数センチの所に突き刺さっている。間一髪もいい所だ。
「大丈夫か」
「あ……はははっ」
正直、怖かった。だが、人間本当に死ぬかもしれないと思うと色んな事が出なくて笑う。脳がそのようにしているのかもしれない。
ファウストの腕が背と膝の裏に回り、抱き上げる。お姫様抱っこをされたランバートはそのまま壁際に寄りかからせられた。
「酷いな。胸と、首も絞められているか」
気遣わしい様子で傷を診られる。裂けた服から覗く肌に、青く痣になる腹部も見えた。
「吐き気は止まったか」
「はい、多分……」
「少し血も吐いたか。直ぐにエリオットの所につれていく」
口の端に血がついていたのだろう。ファウストは指の腹でそれを拭い取って、同じようにお姫様抱っこをしようとした。だがその手を、ランバートは必死に止めた。
「俺よりも、大変な事が」
「これ以上大変な事はないだろ」
「陛下の御身に関わります……女暗殺者が先へ進んで、止められなくて」
掠れる弱い声でそれだけを言うのが精一杯だ。痛む傷がどうにもならない。倒れそうなのを必死に支えている。
「俺はここで待つので、先に。そこを左側に……!」
言ったのに、ファウストは聞こえていないのか胸元から出したスキットルの栓を抜き、中身を胸の傷に流した。焼けるような痛みに悲鳴が出る。喉を引き絞るような声が地下道に響き渡っていく。
「とりあえず消毒だ」
中身は度数の高い蒸留酒だったのだろう。痛みに頭が揺れる。意識が飛ぶ寸前の目で、ランバートはファウストを追った。落ちているランバートの剣を持って鞘に収めてくれた人は、そのままランバートを抱き上げた。
「あの」
「城なら心配するな。レイバンの報告で皆が動いている。陛下の暗殺も、城の爆破も阻止してくれる。だからお前はまず、休め」
そう言いながらも左の脇道へと入っていく人は、周囲を注意深く見ている。抱き上げられる腕に抵抗などできずに、ランバートはやがて浅い息のまま意識を手放した。
◆◇◆
女暗殺者は城に通じる地下の道を火薬で抜いて中へ入った。音も最小限にしたそれは僅かな臭いしかしない。壁を抜き、予定通りの場所に出られた事を周囲の様子から知る。城の内部にも協力者はいる。そいつから内部の構造は聞き出した。
そのまま彼女が向かったのは王の寝室だった。ここに大量の火薬が保管されているのは知っている。だが、あの青年が現れたということは火薬にも注目がいっているだろう。危険を冒して城を爆破する意味はない。王の暗殺こそが彼女の目的だ。
人の目をかいくぐり、彼女は奥院へと忍び込む。そして、程なく目的の部屋へと辿り着いた。王家の守護者たる天使のレリーフを施した扉。そこを押し開けた彼女は、そのまま驚きに目を丸くして立ち止まった。
待っていたのは王ではない。王の寝台の側に立っていたのは、柔らかなクリーム色の髪をした青年だった。
「やぁ、こんばんは。こんな可愛い子が夜這いだなんて、ちょっと照れるな」
やんわりと笑った彼、近衛府団長オスカルはしっかりと体を正面に向け、柔和な笑みを浮かべる。だが彼女には分かった。その目尻の下がった青い瞳の奥に潜む、暗い光を。
「でも、残念だね。君の探し人はここにはいないよ」
彼女は地を踏んで加速した。ナイフを容赦なくオスカルへと向ける。だが、いつの間に抜いていたのかオスカルは軽く剣でそれを受け止めてしまった。
「短気は損をするよ」
「煩い!」
彼女は声を上げてギリギリと迫る。青い瞳は全てを受け入れ、飲み込むように冷静に見ている。
「勿体ないね、可愛いのに。他の生き方なかったの?」
「煩い!」
ナイフを乱暴に払い、距離を取ってまた前へ。だが、今回は受け止めるなんて可愛いものじゃなかった。
ナイフを持つ手首を難なく取られ、力を込められる。その思わぬ強さに手が痺れてナイフを落とすと同時に、腹部に強烈な痛みが走って息が詰まった。オスカルの膝が正確に、彼女の鳩尾へと入ったのだ。
床に倒れた彼女を、青い瞳が見下ろす。やんわりとした笑みは浮かべたままだ。
「ごめんね、楽にならなくて。ここさ、汚せないんだよね。血とか御法度なんだ。許してね」
そう言いながらも彼女の前髪を掴んで容赦なく掴み上げたオスカルの瞳が、狂気に光ったように思った。
「さて、話を聞かないと。えっと……あ、ここじゃまずいのか」
動けないままの彼女の手を背中に回し、オスカルは懐から金属製の枷を取り出す。太めの腕輪をくっつけた様なそれは、カチャンという音を立ててはまった。
彼女は知っている。この枷が外される事はきっと、もうないだろうと。
「臭い」
「しかたないだろ」
「行かなきゃだめ?」
「どっかが吹っ飛んでいいなら来なくていい」
そう言うと流石に文句も言えないのか、レイバンは大人しくついてきた。
施設はレンガ造りの建物だ。中へと入り奥へと向かうと、例の場所がある。酷い臭いではあるが、幸いな事にそこに物体はなかった。
「ラッキーかも」
「これさ、糞尿あったらどうしてたの」
「掻き出して探るしかないかな」
少し低くなった平らな場所に降りたランバートは、汚れるのも気にする事なく周囲を見回す。そして直ぐに痕跡を見つけた。
掘り返した跡がある。あまり考えずに一カ所を深く掘ったのだろう。そこに穴が空いている。
「やっぱり」
レンゼール派は特に火薬を使うのが好きな奴らだ。持ち出した量を考えると建物を吹き飛ばすようなものではない。だが、壁を壊すくらいは訳ないだろう。
「ランバート」
背後から声がして振り向く。ファウストは随分と嫌な顔をしながらもそこにいた。
「ゼロスから話は聞いた。どうだ?」
「痕跡があります。壁を崩すくらいの威力はあります」
「どこかに潜入するつもりだろうか」
「かもしれません」
奴らが花火を上げたいというなら、どこがいい。そもそも、この火薬では花火など上がらない。可能性があるとすれば、元々持ち込んでいた四十トンの火薬の存在だ。あれを利用するしかない。
「ファウスト様、押収した火薬は今どこにあるのですか?」
「城の武器庫の中だ。危険物だからな、その辺に放り込んでおく訳にもいかない」
「城……!」
ランバートの顔は見る間に青くなった。そして、駆け出すように外に出て、そのまま側にある鉄の扉を引き開けた。
「どうした!」
「ここです! 奴らは最初から城をターゲットにしたのかもしれません!」
「どういうことだ?」
ファウストが怪訝な顔をするが、なんて説明したらいいか。本当は地図があったほうがいい。だが、今はそれを書いている時間が惜しい。捜索に時間がかかるのだから。
「この道はカロンの道に通じています。あの水路は表に出して運ぶ事がはばかられるものを運ぶ道。死体を運び出す他に、し尿を運ぶ道でもありました」
「それで?」
「このカロンの道は東地区の全域にあるのです。そして数カ所、城に通じる地下道の側を通っているのです」
これだけ言えばファウストも気づいてくれたようだった。目に見えて焦った顔をした。
「どこだ」
「分かりません。場所は数カ所あると言われていますが、俺も正確に把握していません。『ドラクル』がまだ捕まっていませんし、レンゼールもまだ発見出来ていません。今から探しても、見つけるのに時間が」
「このまま探す。レイバン、戻ってシウスとオスカルに伝言を頼む」
「了解しました」
レイバンは迅速に走ってくれる。ランバートはファウストと二人、地下へと降りていった。
地下は本来水路となっている。人が徒歩で歩ける道はあるものの、一人分しか幅はない。だが今は、本来あるはずの水が抜けていた。
「水門が閉じて、排水弁が開いている」
「そんな設備まであるのか」
薄暗い空間に、ランバートは火を灯した。道は暗いため、出入り口にはランプが置かれているのだ。それを自分と、ファウストに。辺りを照らしても、そこに水はまったくなかった。
「鋼鉄製の水門があります。そこを閉じて排水弁を開ければ、水が抜ける仕組みです。ここは元々、貴族の町だったので」
水の抜けた水路を歩きながら、ランバートは入り組んだ道の案内を始める。目指すは北側、城のある場所。
「貴族の町?」
「もう、五百年以上は昔の話です。今の西地区は比較的新しい町なのです。元々貴族が過ごしていたのはこの下東地区。カロンの道や入り組んだ水路は、その当時の名残なのです。だからこそしっかりしていますし、それなりの設備も整っています」
ランバートが関わったのはこの、下東地区と呼ばれる場所。騎士団の東砦よりも下の部分だ。町の再生などをする時に土地柄なども調べて初めて知ったことだった。
「時は奴隷制度がまだ健在だった時代の事、西地区が新たに整備された事で、貴族達はそちらへと居住区を移しました。けれど奴隷は置き去りのまま。これが、貴族が下東地区の土地をバラバラに所有していた理由と、スラムの成り立ちです」
五百年以上前はまだ奴隷制度があり、貴族は多くの奴隷を所有していた。使い捨てのようにされていた彼らは、家が移ったからといって連れて行ってはもらえず、人権も何もない中でここに住むしかなかった。これが後のスラムだ。
この意識は奴隷制度がなくなり、全てを平民とした後でも消えなかった。スラムの人間に畜生よりも劣る暴行や横暴を行った貴族達は、この時代の名残が消えていなかったと言える。
「流石に詳しいな」
「調べましたからね、反吐が出ましたが。ヒッテルスバッハは能力主義ですし、実力主義ではありますが差別意識はありません。生まれに左右されず、個人を見て用いよ。出来ねばヒッテルスバッハにあらずです」
「厳しいな」
「これが家訓ですよ。文字が読める前から聞かされる事ですから、嫌になります」
辟易と息を吐きながら、ランバートは道をひたすらに歩いていった。
やがて色の違う道に出る。アーチ状のレンガはあるが、その内側は塞がれた形跡がある。これが、下東地区と上東地区との境。ランバート達が下東地区を整備した時、ここを塞いだのだ。
だが今はその簡易の壁が壊されている。斧か何かで破壊されたその先にもまた、同じような道が続いている。
「左右に分かれているな」
道が左右に分かれている。ここからはランバートも道を知らない。城のある北側へと向かってゆくしか方法がないのだが。
「北へ向かえば城だな。分かれて探すぞ」
「分かりました。俺は左へ」
「では俺は右へ向かう。見つけたら無理をせずに引き返して俺を探せ」
「分かりました」
左右に分かれて捜索を開始する。一人になると多少心細く感じるのは、依存しているからだろうか。それでも見逃せばどうなるか。大事な場所がなくなりかねない事態につべこべ言っている暇はない。
水は抜けている。元々、上東地区の水路は不要なもので排水されてしまっている。それでも、湿り気と僅かな臭いはあった。そこを足音を立てずに城の方面を目指して歩いていると、不意に気配を感じて立ち止まった。
今歩いている通路から左に延びた脇道の内側が、ランプの明かりに照らされている。そこから伸びる影は五人。内一人はやたらとでかい。
こっちが当たりだ。思い、ランバートはランプの明かりを消した。そしてそのまま後ろに下がろうとすると、その背に何かを感じた。
「!」
途端に受けた後頭部の痛みに僅かに呻いてしまう。ヨロヨロと数歩前に出たランバートは、それでも剣を抜いた。
いつの間にか背後にいた人物は、ランバートを感情のこもらない目で見ている。ランバートにも気配を悟らせなかったのなら、多分暗殺者だろう。城に入り込み、カーライルの命を狙うつもりで同行していたのか。
「まったく、ネズミがいると思ったら」
声は女性のものだ。驚いて見ていると、口元を覆っていた布を彼女は取った。十分に美しいと思える顔立ちだが、そこに感情がないのが惜しかった。
「何事だ!」
声に気づいた連中が飛び出してくる。ランバートは痛む頭を振って袖口に仕込んだナイフを素早く先頭の男の足をめがけて投げた。
「ぐはぁ!」
野太い声を発して転倒した男の動きはとりあえず封じた。だが、女暗殺者の攻撃は思ったよりも俊敏だ。
短いナイフを繰って音もなく舞った彼女は、無駄もなくランバートの頭上から下ろされる。剣を使って弾き、後方に逃げた彼女の前に駆けつけた男が数人立った。
「おいおい、予定が狂うと困るんだろ? 行けよ」
ニヤニヤと笑う二メートルの男、ドラクルはランバートを見て陰湿な顔をする。その前に更に男が三人。これはどうにでもなりそうだった。
「消しておけ」
「分かってるって。きっちり仕事はするからよ」
女暗殺者はそう言って消えていく。ランバートは追おうとしたが、三人同時の攻撃は流石に邪魔だった。
剣で受け、払って男共をのかせながら真ん中の一人は強い蹴りで沈めておいた。それに、ドラクルは感心したように口笛を吹く。
「いい目をした犬だと思ったが、意外と骨がある。これは嬲る以上に楽しいかもな」
言葉を交わす意味もない。舌なめずりするドラクルの舐め回すような視線が不快だ。ランバートは睨みながら、まだ元気な男共を殲滅する事に専念した。
大した相手ではない。確かに素人ではないが、それでも簡単だ。今年の四月に入ってきた新人と同じくらいだ。
全てをいなし、投げナイフと蹴りと剣で黙らせる。沈んだ男が足元に転がる。ランバートは改めてドラクルを見ようとして、そのあまりの距離に驚いて顔を引きつらせた。
「可愛い顔するじゃないか」
巨体を屈めた男の顔が目の前にある。濁った瞳はいっそここまでくれば清々しいイカレっぷりだ。ニタリと笑った舌がランバートの頬を撫でて、思わず気持ちが悪くて後ろにのいた。
「怯えた顔がそそるってのはいいことだ。なぁ、お前はどこまで耐えられる?」
「……は?」
意味が分からない。何を耐えるんだ。ランバートの理解は追いつかない。だが、目の前の男の異様さは肌が伝えてくれる。
「腕の一本折るくらいなら、平気だろう。流石に切り落とすと後が短いからな。まぁ、最後は無理矢理あそこにぶち込んだまま首絞めるんだけどよ。これでもかってくらい締まって気持ちいいんだぜ、男も女も」
ニタリニタリと笑う男の異様さが体を凍らせる。変態だとか、異常だとか、もうその域を超えている。
ゴクリと喉が鳴った。上から押さえられるような威圧感と殺気に喉が渇く。だが、ここで動けなければ間違いなく惨殺だ。
剣を握るランバートは、ありったけの殺気で相手に挑む。男の太い足が、地を駆ける獣のように力強く踏み出した。
早い!
「くっ!」
振り上げられた斧を剣が受け止める。酷い音がして、ギチギチとめり込むように体重をかけられる。一点を集中するように加重されると剣が折れそうだ。
「ほぉ、やっぱりいい腕をしている。熟練の傭兵だって俺の初手で真っ二つになる奴が多いんだぞ」
「気に入った」と語尾に添えられ、斧の重みが一瞬抜ける。だが、その後は更に容赦がない。振り下ろされる斧をランバートは避けるようにステップを踏む。どうにもならない時は剣で流し、受けた。でもその度に剣が悲鳴を上げている。重い斬激を受ける剣は刃こぼれがして可哀想だ。
「ほら、どうした!」
挑発に、ランバートは乗らない。実力が違う。相性もすこぶる悪い。隙を見て足元を払ったが、丸太のような足を払う事はできない。腕を狙った攻撃も、効果がない。投げたナイフが男の腕に刺さったが、まるで爪楊枝でも刺さったかのような扱いで抜かれた。
山のような筋肉は硬い。しかもこの男は巨体の弱点である足回りもきっちり鍛えていて隙がない。ランバートは後退しながらファウストの来るのを待つしかない。
音は聞こえているはずだ。激しい金属音はアーチ状の地下道に響き渡っている。聞こえているはず。聞こえていてくれ。
「っ!」
何度目かの斧を受け止めた時、全身の重みを乗せるようにドラクルが加重をかける。ランバートの腕ではそれを支えきる事ができなかった。そもそも、手がだいぶ痺れてきて言う事をきかなかった。
剣が弾かれると同時に、胸に痛みが走る。斧の切っ先が僅かに服を裂きその下の肉を裂いた。血がポタポタと伝い落ちていく。吹き上がらなかったのは、まだ浅いからだ。
「なかなか楽しかったが、追い詰めた」
ニタリと笑うドラクルの芋虫のような指がランバートの首を鷲づかみにし、吊り下げて壁に押しつける。勢いのある動きに後頭部を再び強打したランバートは呻きながらも目眩がした。首が絞まるその手首に手をかけて掻きむしるように爪をたてるが、男には子猫がひっかく程度の痛みも与えられていなさそうだった。
「苦しそうだ。いい顔だな、お前。絶望や痛みに色気があるのはいいことだぞ。こっちが欲情する」
「くっ……うぁぁ!」
裂けた服の下で血を流す傷を抉るように、ドラクルは爪を立ててギチギチと引き下ろす。痛みに頭の中が点滅していく。悲鳴は止められなかった。涙が一つ伝い落ちる。喉が痛くなるような悲鳴のあと、ランバートの首は落ちた。
力が入らない。首も僅かに締まっていて苦しいが、窒息するほどのものじゃない。苦痛を長引かせる為に生かしている。それとわかるものだ。
「いい声だ。ますます楽しみだな」
抉った指先についた血を美味しそうに舐めるドラクルを見下ろし、それでも何かないかとぼんやりした頭で考える。死にたくはない。こんな男に嬲り殺されるのだけはごめんだ。思いながら、ランバートは袖口のナイフを男の手首の内側へと突き立てた。
「っ!」
男の濁った目が僅かに見開かれ、首を押さえていた手が離れる。壁伝いに落ちたランバートは、動かない足に精一杯の命令を下して地を蹴り剣に手を伸ばした。だが、指先が触れるほんのわずか前に、体がボールのように飛んだ。
「!!」
意識が飛ぶ。二度ほど軽くバウンドした体は、転がって止まった。腹を蹴りつけられたのは分かった。強烈な熱と痛みと吐き気が同時に押し寄せて、ランバートはそのまま吐き出す。僅かに血の味が混じっていた。
「抵抗するじゃないか」
柔らかい手首の内側は、流石に痛かったらしい。手を振りながら近づいてきたドラクルを見上げる力も、今は残っていない。腹の中が気持ち悪い。
「やっぱり腕は折っておくか。両腕だな」
力の入らない腕を持ち上げられる。そこに、わざとゆっくりとした力が加わった。関節の辺りが悲鳴を上げるが、実際には悲鳴が上がらない。声が思うように出なかった。
じわりと骨が悲鳴を上げてミシミシ鳴るのを聞く。ダメだ、折られる。思って覚悟を決めた、その時だった。
「!」
何かがドラクルの頭をめがけて飛んできた。多分、石だろうと思う。鋭い勢いのそれに、ドラクルは仰け反り手を離した。パタリと、手が落ちる。そして目の前に、漆黒の背が映り込んだ。
「あ……」
安堵に声が漏れる。逞しい背は待ち望んだ人のものだ。あまりに嬉しくて、涙が溢れてきた。
「そこにいろ、ランバート。直ぐに終わらせる」
少し低い声が怒気と殺気を漂わせながら紡がれる。それに、ランバートは安堵して小さな声で「はい」と返事をした。
ドラクルは頭を振ってファウストを見る。そしてまた、ニヤリと笑った。
「こちらも強そうだ。今日はいい獲物が手に入る」
「言ってろ」
狂ったように振るわれるドラクルの斧を、ファウストは難なく受け止めている。身幅の広い逞しい剣はこのくらいの攻撃に悲鳴など上げない。鍛え上げられた体はこの馬鹿力にも負けはしない。
動じる事なく、むしろ押し返される事にドラクルは怒りを覚えるのか、急速に攻撃を早めている。だがどれも子供のそれを払うようにいなされていく。
「くそ!」
傭兵として、常に強者という立場から全てを見下してきた男のこれは焦りの声だ。初めて味わう挫折の色だ。ファウストを前にキョロキョロしたドラクルが見つけたのは、未だ動けないランバートだ。
ニタリと笑みが浮かぶ。分厚い舌が唇を舐める。そして低い姿勢から獣が地を蹴るように、ランバートへと斧が振り下ろされた。
見ていても、動けるはずはない。反応していたって、体は悲鳴をあげている。自分の体が真っ二つになるのをただ待つしかない。思わず目を閉じたランバートは、襲う痛みのないことに目を開けた。
ドサリと、巨体が地に転がった。ファウストの剣が男の首を綺麗に跳ね飛ばしていた。斧の切っ先はランバートの鼻先数センチの所に突き刺さっている。間一髪もいい所だ。
「大丈夫か」
「あ……はははっ」
正直、怖かった。だが、人間本当に死ぬかもしれないと思うと色んな事が出なくて笑う。脳がそのようにしているのかもしれない。
ファウストの腕が背と膝の裏に回り、抱き上げる。お姫様抱っこをされたランバートはそのまま壁際に寄りかからせられた。
「酷いな。胸と、首も絞められているか」
気遣わしい様子で傷を診られる。裂けた服から覗く肌に、青く痣になる腹部も見えた。
「吐き気は止まったか」
「はい、多分……」
「少し血も吐いたか。直ぐにエリオットの所につれていく」
口の端に血がついていたのだろう。ファウストは指の腹でそれを拭い取って、同じようにお姫様抱っこをしようとした。だがその手を、ランバートは必死に止めた。
「俺よりも、大変な事が」
「これ以上大変な事はないだろ」
「陛下の御身に関わります……女暗殺者が先へ進んで、止められなくて」
掠れる弱い声でそれだけを言うのが精一杯だ。痛む傷がどうにもならない。倒れそうなのを必死に支えている。
「俺はここで待つので、先に。そこを左側に……!」
言ったのに、ファウストは聞こえていないのか胸元から出したスキットルの栓を抜き、中身を胸の傷に流した。焼けるような痛みに悲鳴が出る。喉を引き絞るような声が地下道に響き渡っていく。
「とりあえず消毒だ」
中身は度数の高い蒸留酒だったのだろう。痛みに頭が揺れる。意識が飛ぶ寸前の目で、ランバートはファウストを追った。落ちているランバートの剣を持って鞘に収めてくれた人は、そのままランバートを抱き上げた。
「あの」
「城なら心配するな。レイバンの報告で皆が動いている。陛下の暗殺も、城の爆破も阻止してくれる。だからお前はまず、休め」
そう言いながらも左の脇道へと入っていく人は、周囲を注意深く見ている。抱き上げられる腕に抵抗などできずに、ランバートはやがて浅い息のまま意識を手放した。
◆◇◆
女暗殺者は城に通じる地下の道を火薬で抜いて中へ入った。音も最小限にしたそれは僅かな臭いしかしない。壁を抜き、予定通りの場所に出られた事を周囲の様子から知る。城の内部にも協力者はいる。そいつから内部の構造は聞き出した。
そのまま彼女が向かったのは王の寝室だった。ここに大量の火薬が保管されているのは知っている。だが、あの青年が現れたということは火薬にも注目がいっているだろう。危険を冒して城を爆破する意味はない。王の暗殺こそが彼女の目的だ。
人の目をかいくぐり、彼女は奥院へと忍び込む。そして、程なく目的の部屋へと辿り着いた。王家の守護者たる天使のレリーフを施した扉。そこを押し開けた彼女は、そのまま驚きに目を丸くして立ち止まった。
待っていたのは王ではない。王の寝台の側に立っていたのは、柔らかなクリーム色の髪をした青年だった。
「やぁ、こんばんは。こんな可愛い子が夜這いだなんて、ちょっと照れるな」
やんわりと笑った彼、近衛府団長オスカルはしっかりと体を正面に向け、柔和な笑みを浮かべる。だが彼女には分かった。その目尻の下がった青い瞳の奥に潜む、暗い光を。
「でも、残念だね。君の探し人はここにはいないよ」
彼女は地を踏んで加速した。ナイフを容赦なくオスカルへと向ける。だが、いつの間に抜いていたのかオスカルは軽く剣でそれを受け止めてしまった。
「短気は損をするよ」
「煩い!」
彼女は声を上げてギリギリと迫る。青い瞳は全てを受け入れ、飲み込むように冷静に見ている。
「勿体ないね、可愛いのに。他の生き方なかったの?」
「煩い!」
ナイフを乱暴に払い、距離を取ってまた前へ。だが、今回は受け止めるなんて可愛いものじゃなかった。
ナイフを持つ手首を難なく取られ、力を込められる。その思わぬ強さに手が痺れてナイフを落とすと同時に、腹部に強烈な痛みが走って息が詰まった。オスカルの膝が正確に、彼女の鳩尾へと入ったのだ。
床に倒れた彼女を、青い瞳が見下ろす。やんわりとした笑みは浮かべたままだ。
「ごめんね、楽にならなくて。ここさ、汚せないんだよね。血とか御法度なんだ。許してね」
そう言いながらも彼女の前髪を掴んで容赦なく掴み上げたオスカルの瞳が、狂気に光ったように思った。
「さて、話を聞かないと。えっと……あ、ここじゃまずいのか」
動けないままの彼女の手を背中に回し、オスカルは懐から金属製の枷を取り出す。太めの腕輪をくっつけた様なそれは、カチャンという音を立ててはまった。
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