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南の島の青い瞳
しおりを挟む【漂流、漂着、そして……(1)】
豪華客船エリザベス号は嵐の中の木の葉のように大波に揺られていた。
船員達が怒鳴りあって、乗客大河右往左往する甲板に僕は人へ押されて投げ出される。
嵐は一瞬でやってきた。
手すりで漸く一息ついたものの、その手すりの上まで波は被る。グラリと船体が大きく斜めに傾いで、僕の身体は中に投げ出された。
(え……嘘……!?)
何を思う間もない。僕の手は手すりからあっという間に離れて、後はザブンと波の間に身体が飲み込まれる。意識があったのはそこまで。
僕は一人、嵐の海へと投げ出されてしまったのだった。
時は十八世紀。
アメリカ大陸へ渡ろうとする商人の両親と妹ともに僕はエリザベス号へ乗っていた。
名前は……エドウィン、エドだ。年齢は十九歳。
頬の下のサラサラとした細かい砂の感触がする。目を開けて、砂浜に倒れたまま自分のことをぼんやりと思い出してみる。
まだ朝なのだろう。日差しは白っぽく、そう暑くはない。
ザザっと波が下半身を洗っている。
(助かっ……た……のか、僕は……)
片手には誰のものとわからない旅行かばんをしっかりと抱いていた。
トランクケース型のこれのおかげで、なんとかしがみついてここまで漂着したらしい。
「だ……誰か……」
掠れる声は、自分の耳にも弱々しく感じた。
腕に力を込めて、ぐっと上半身を持ち上げて波間から身体を引き上げる。
全身濡れた身体は疲れ果てた腕には重すぎた。
「どこだ……ここ?……とにかく、誰か……!」
目の前に広がるのは白い砂浜、そしてその奥に緑のジャングル。噂に聞いていたアメリカ大陸とは大違いだ。
ザッと身体から血の気が引くのが分かる。
(も、しや……無人島? それか、血も涙もないっていう……野蛮な原住民のいる村?)
ヨーロッパからアメリカに渡る間には無数の小島が点在し、言語も礼節も分からぬ現住民がいるらしいというのは旅行者の中でもっぱらの噂だった。中には人をとって食うよいう部族もいるらしい。
そんなことを思い出して、僕は助けを呼びかけた口をはっと塞ぐ。
その時だった。
ジャングルの下生えをかき分けて、人が近づく音がする。
ザッザッと大股な歩み。僕は辺りを見渡して、隠れるところなどないと知り、思わずトランクケースを立て掛けて、自分の身体をその背後に隠した。勿論丸見えなわけだけれど。
「……!?……!!」
出てきた『それ』に何かを、叫ばれる。言葉が分からない。
大股で砂浜を走ってきた『それ』が、俺の肩をがっと掴むと、トランクケースを投げ捨てて抱きついてきた。
(な、何!? 獣! 獣!?)
獣のような体毛はそれにはなかった。
抱きしめてくる腕は素手だが、人間のものだ。けれど、伸びっぱなしの金の髪、顔を覆う顎髭、伸びた爪に黒ずんだ裸足の足。何よりも、全身何も身につけていない、こんがりと焼けた肌。
(げ、現住民……だ!!?)
僕はパニックになって『それ』を押し返そうとするけれど、『それ』の力は半端なく、そして僕よりも身体が一回りは大きい。ぎゅうぎゅうと抱きつかれて、砂浜に押し倒される。
体中で喜び? を表した犬……狼のような『それ』に体中を確かめるように触られて、僕はそこでまた気を失った。
それから目が覚めたのは浜辺とジャングルの挟間ぐらいにある木陰だった。砂浜部分には丁寧にヤシの大きな葉が敷き詰められ、僕はその上に横たわっていた。
「け、獣はいったい……どこに……」
褐色の肌と金色の長い毛並み。だが二足歩行をしていたように思う。ギラギラとした少しつり上がった青い瞳を見て、僕はそのまま失神したんだろう。
「やっぱ、原住民だろうな……真っ裸だったし」
ヤシの葉の上に座り込み、僕は膝を抱えてため息をつく。両親と妹は無事なんだろうか、というか船自体どうなったんだろうか。っていうか、僕はあの原住民に丸焼きにされて食べられる運命なんだろうか。
(行ってみたかったなぁ、アメリカ)
うちは富裕層と呼ばれる商人の息子に生まれたせいで、アメリカへ行くチャンスを手に入れた。あの船に乗っていたのはさらに身分も階級も持っている貴族や伯爵が多かったはずだ。
(最後のディナーのオマールエビ、美味しかったな。あの原住民にオマールエビの美味しさを伝えられれば、僕は食べられずに済むかもしれないのに)
──どうでもいいことばかりが頭に浮かぶ。
取りあえず潮水で濡れたジャケットを脱ぎ、側にあった木に吊るしておく。見たこともない南国の木。見たこともない黄色い木の実が成っている。
革靴と靴下も脱ぎ捨てて、ずぼんの裾をふくらはぎ辺りまで折り上げた。
どうせ食べられてしまうか、生贄やら悪魔の使いみたいに扱われるなら、洋服なんて持っていても仕方がない。
逃げることを考えたりもしたけれど、目の前は遥かなる地平線。真後ろは鬱蒼としたジャングル。断崖絶壁の岩場と足の裏が熱くなるほどの砂浜。
「おーい! 原住民さん、もう覚悟は出来てるから焼くなり煮るなりしてくれよ。あんまり遅いと決心が鈍るだろ」
ジャングルのほうに向かって思い切って声を掛けてみるが返事はない。返事はなかったが、ガサガサと風とは違う、何かが動くような気配がした。
「うおっ……待って待って、食べるなら殺してからね? 生きたまま焼かれるとかすっげぇ嫌だから。あと野生の獣に食い散らかされたり、毒蛇に噛まれてのたうち回って死ぬとかも勘弁してな?」
緊張のあまり独り言で必死に自分を誤魔化す。しばらくそこでジッとしていたが何も出てくる雰囲気がなさそうなので、改めて周りを見渡した。
(あ、トランクケース)
浮き輪変わりに抱きしめていたトランクケースが砂浜に放り出されていた。僕はそっと立ち上がり、それをズルズルと引き擦って木陰に戻ると、そのケースを開いてみた。
あれだけの水中を浮き沈みしていたにもかかわらず、中はほとんど浸水していない。よほどの金持ちの物だろう。
僕の持ち物ではなかったけれど、この際落とし主なんてどうでもいい。もし落とし主がいるならばいますぐ現れて、僕を泥棒として警察に突き出してくれたほうがマシだ。
着替えが数点と小物のあれこれ、本やノートもあったが、とりあえずは再び蓋を閉めて脱いだ靴の側に置いておいた。
「えーっと、まあ、原住民というか『あれ』が来たら話をしてみることにして……たぶん言葉なんて通じないだろうけど、なんでもやってみるしかないしなぁ」
キャンプは家族で何度か行ったことはあったが、道具はすべて馬車で運んでいた。なーんにもないこんな場所だと火も起こせない。
「……もし、原住民が来なくても餓死するほうが早いよな、きっと」
都会育ちの自分をこれほど呪ったことはない。ベッドはいつもふかふかで、リビングに行けば食事が当たり前のように用意されていて、メイドがきちんとプレスしてくれた洋服を身に着けているのが当たり前の毎日。
考えてもどうしようもないことばかり頭に浮かべて、僕は葉っぱのシーツの上に再び横になって目を閉じた。
次に目が覚めたときには、夕暮れが迫っていた。
独り占めのオーシャンビュー。沈みゆく太陽の美しさ……ってヤバくないかこれ?
「喉……乾いた……本当に餓死しちゃうよ、これ」
相当疲れていたのだろう。日中を、丸一日近く眠ってしまっていたのだった。
「どうしよ……」
「……ど、どう……しぉ……?」
「そう、これからの俺──って、おわ!?」
俺のすぐ横には例の原住民さんがいて、やはり裸のまま、ちょこんと犬座りで俺を見下ろしていた。
俺は飛び起きて、ざっとトランクケースの側まで後退する。後手で開けたままのそれの中を探る。武器、武器になるようなものはなかったか……ない、よな。
原住民さんは、首を傾げて青い瞳でこちらを見ていた。
どうやら、最初のようにすぐにも襲ってくるという雰囲気はない。
距離はほんの少し、多分相手が一歩近寄れば腕が届く距離だ。
近くで見る原住民さんは、予想よりも若かった。
髭や伸びっぱなしの髪で分かりづらかったが、二十代半場くらいに見える。
顔つきも、僕ら西洋人に近い。
もしかしたら、大昔に僕と同じくここに流れ着いてそのまま居着いてしまったのかも。
「あんた、一人……?」
「……い、とり……?」
「いや、そうじゃなくて。他に人間は? 誰か、いないのか?」
「タレ……ない」
伝わっているのか伝わっているのか、原住民さんは俺の言葉を繰り返すのみだ。
そして、なぜかもじもじとすると、そっと背後から葉っぱに乗った何かを出してきた。
「……木の実、とフルーツ?」
原住民さんは腕を伸ばしそれを俺の前に置くと、そこから一つ、見たこともない黄色い手のひらサイズの実を手に取ると、目の前でクシャリと音を立てて食べて見せた。溢れ出た果汁が手のひらから手首に伝い落ちる。
僕はゴクリと生唾を飲んだ。喉はカラカラで、お腹も空いている。
原住民さんはその食べかけのそれを、そっと葉っぱの上に戻した。そして、食べるジェスチャーを繰り返す。
「食っていいの? 俺が、食われる側じゃない?」
「食う」
俺が食べるふりで『食う』と繰り返すと、頷いて原住民さんは唇の端をほんの少し上げた……ように見えた。
俺はそっと果実を手に取り、甘い匂いのするそれにかぶりつく。じゅわっと果汁が口の中で広がって、目を丸くする。今まで食べてきたどんなお菓子よりフルーツより美味しかった。
「うっめぇ! い、いただきます!」
後は一心不乱に食べ続けた。一緒に盛ってあった木の実も少し苦いがカリカリとしていて美味い。原住民さんは、そんな俺をじっと眺めているだけだ。
すべてを食べ終える頃には、日は残り少ない輝きを残すだけで夕闇が迫ろうとしていた。
「ごちそうさま、でした。──伝わんねぇだろうけど、本当にありがとう。俺は、エドウィン……じゃ、長いな。エド。エドっていうんだ」
「エ……ド」
「そう、エド。あんたは?」
自分の胸を差しつつ、名前を繰り返すと分かったのか原住民さんは頷く。けれど、向かい合わせに彼の胸に指を指し示しても、名前は返ってこなかった。
「名前……伝わんねぇのか、それともねぇのかな。原住民さん、じゃ呼びにくいし」
俺は、ふと思いついて、背後のトランクケースを探った。いくつかものを取り出すと、本人と奥さんらしき人が映った写真が出てきて、裏に名前があった。俺は笑顔で振り返る。
「あんた、リオン、リオってのはどうだ? リオ、リオだ」
「……り、お」
「そう、今日からあんたはリオだ」
「リオ……?──エド」
交互に指を指して確認する原住民さん、もといリオを俺は満足げに眺める。
理解する知能はあるようでホッともしてした。
不意に手を延ばされギュッと抱きしめられ、頬擦りをされて僕はどうしていいのか分からずホールドアップの姿勢をとった。
もちろんリオが僕に危害を加えようとしていないことは分かったけれど、いきなりの直接的な表現にびっくりしてしまったのだ。
「リオ、ま、待って……!」
「待っ……て?」
「ゆっくり、ゆっくり。びっくりするから」
「待って」
「……うん。怖くないけど、待って」
「待つ」
知能的には三歳前後ぐらいなのだろうか。少し教えれば飲み込みも早い。
金髪のウェーブのかかった長い髪と青い瞳がリオン……ライオンのようで、僕は僕のネーミングセンスにちょっと満足げに微笑んだ。
「リオ!」
名前を呼ぶとリオが片手だけ延ばして、僕の手を握った。
日が暮れて、辺りが星と月明かりだけになってくると、リオは眠そうに目を擦り、葉っぱのシーツの上に横になる。『ここは僕の寝床だ』と主張しようと思ったけれど、葉っぱさえあればどこにだって寝床は作れる。しかもこの寝床を作ってくれたのはリオだ。
──ま、ここまできて言うのもなんだけど、リオは丸裸だ。
ジャングルでの生活には慣れているだろうリオが側にいることに少し安心しながら、僕もその隣に寝転ぶ。
満天の星空。もう少し星座の勉強をしていれば良かったと思う。手を延ばせば、月が掴めそうに感じられた。
【リオとの生活(2)】
──なぜ……。
朝日に目覚めたら、僕は背後からリオに抱きしめられて眠っていたようだった。それは百歩譲って許すとしよう。
だが、いくらズボンの上からでも、なんていうか……リオの朝勃ち……が、尻に当たっている。しかもデカい。
他に人もいないのだから当たり前なのだろうけど、羞恥心など持ち合わせていないようで、ただ本能で勃起を僕の尻にスリスリと不器用に押し付けてくる。
「リオ!」
「……エド」
「えーっと……あの……洋服とか……あるわけないよなー。葉っぱで隠す……必要もないよなー。ちょっと待ってて」
「待つ」
トランクケースを漁ると、僕にはかなり大きめのベージュのショートパンツがあった。
(持ち主さん、もし僕が無事にアメリカに渡れたら新品をお返しします)
そんなことを思いながら、僕がズボンを履いていることをジェスチャーで示し、リオにショートパンツを履かせてやる。
最初はその違和感に戸惑って地団駄を踏んでいたが、頭を撫でたり、微笑んだりしてみると少しだけ誇らしげな表情になって、砂浜を走り回り始めた。
(子供だと思えばいいのか……無駄に体格がデカいから大人扱いしちゃうんだよな)
だが、そこからはリオの独壇場だった。
まず朝食なのだろう、黄色の果実とじゃがいもにも似た根野菜を持ってきた。じゃがいもを海水で洗い、器用に岩の端で硬い表面を削いで手渡してくれた。味は本来の甘味しかないが食べれないほどじゃない。
その後はリオの手に引かれるままに、リオのお気に入りなのだろう場所に連れて行かれた。
リオは裸足のまま慣れているのだろう、ジャングルの中の獣道をずんずんと進む。僕は靴を履いてもついていくのがやっとだった。
途中、見たこともない七色の羽を持つ鳥や、手の異様に長い猿など様々な動物に出会った。
木を這っていた蛇をリオが手でガッと掴み、絞め殺してしまった時には流石にひっと悲鳴を漏らしてしまった僕だけれど、リオは当たり前のようにそれを越しのズボンに差して歩き始めた。後で食べるつもりなのかな……と僕は戦々恐々とする。
ジャングルの中を歩いて程なくして、冷たい空気と水音が流れてきた。
「滝だ!」
僕は歓声を上げた。小さいながら、崖から流れ落ちてくる滝、そしてその下の清らかな流れ。果物は食べていたけれど、ここに来てから水を口にしたことはない。僕が水に近づき飲むジェスチャーをすると、先にリオが地べたに手を付き、そのまま這うような姿勢で水を飲み始めた。
「のむ……できる」
顔を上げたリオが、ざぶざぶと流れの中に入っていく。僕も真似て水の中に入ると、流れは思いがけず冷たくて、それが一層心地よかった。滝の下まで来て、全身に水を浴びる。口を開けて目一杯喉に水を流し込んだ。
「すげー気持ち良い。ありがとうな、リオ。身体が干からびそうだったんだ」
「ありが、とう」
「そこは、『どういたしまして』だな。どういたしまして」
「どう、いたま……して?」
びしょ濡れで、繰り返すリオが可愛い。思わず手を伸ばしてくしゃくしゃと髪を撫でていた。距離が近づく。
「『ゆっくり』、いい」
「ん?」
「『ゆっくり』」
最初は何の事が分からなかったが、次の瞬間、その長い腕に巻き取られるように腕に抱きしめられていた。『ゆっくり』と言いつつ、頭や首筋、背中をそろりそろりと撫でてくる。
どうも、抱きしめるのがリオなりの喜びの表し方のようだった。
そして、やはりこれも喜びなのか自然現象なのか、リオのペニスが勃起している。
(そういう意味で言ったんじゃないんだけどな……)
腰をぐっぐっと擦りつけて、僕を抱きしめて息を次第に荒げるリオの腕から逃れようと、僕はリオの顔をぐっと押しのける。
「リオ、駄目。『ゆっくり』、違う」
「『ゆっくり』……いい、『ゆっくり』」
「いや、だから。これは『ゆっくり』でも駄目、ノー。って通じないよなぁ……」
「……んっ……『ゆっくり』」
体格差もあって、とうとうそれは叶わなかった。僕は逃げ切れずに、抱きしめられたまま腰や尻にリオの白濁の飛沫をかけられた。勿論衣服の上からだけれど。
「エド、エド……」
終わってもその余韻からかリオは腰を擦り付けて離さない。おそらく誰とも出会わずに大きくなったリオ。初めて同類の生き物……僕に会った喜びはそれは僕が想像もつかないほど、とても言葉では表せないものなんだろう。
放出が終わって、犬のようにリオは僕の頬に自身の頬を擦り付けて、抱きしめてくる。
嫌というよりは、しょうがない……という気持ちのほうが強かった。というか、無邪気なリオは正直可愛い。
帰ったら、今の行為は僕相手では駄目だとどうやって教えようかと悩みつつ、砂浜に僕たちは帰った。
そしてやはりというか、その日の晩飯は蛇と果物だった。
食え食えと手で示すリオに、嫌だと固辞する僕。けれど、最後には悲しそうな目で僕を見るものだから、差し出してくるその一口分を、僕は嫌々ながらに口にした。
……残念ながらというか何というか、予想以上に美味しかった。
それからは、リオが取ってくる獣や果物はとりあえず食べてみることに僕はした。
リオは島を知り尽くしていて、ジェスチャーで色々と訪ねてみた所、簡単な島の地図を砂浜に描いてくれた。
やはりここは無人島で、周囲には目立つ大きな島もない。
リオは泳げたが、どうもその泳げる範囲には大陸も島も無いようだった。
しかし、その他には、リオが砂浜以外に島内で寝床にしている森林、果物がなる木々、危険な崖等リオはなんでも知っていた。
それから数日が過ぎ、リオは元々は頭は悪いほうではないらしく、僕が言葉を教えると乾いたスポンジのようにどんどんと知識を吸収していくようだった。
日常の習慣のせいか、たまにショートパンツを履き忘れて砂浜で遊んでいたりはしたけれど。
リオとの生活に慣れたというか、毎日のルーティーンワークが決まってきたというか、朝日が昇る頃に目覚め、食料を採りに出かけ、滝で水浴びをしたり、日が暮れたら眠るという毎日の繰り返しになった。
「『ゆっくり』?」
「『ゆっくり』は駄目」
「エドは『ゆっくり』したくない?」
ま、それは……あの……リオがジャングルで蛇だの木の実だの獲ったりしてる隙に、奥のほうでこっそりしてますから大丈夫です。
リオは最初は怖がったが、火を点けて焚火をすることも出来るようになった。海で魚を獲ることも。生活はより文明的だ、素晴らしい。
「あー、髭をそろそろ剃らないと。さすがに剃刀なんてないよな」
僕は髭が濃いほうではないが、さすがに一週間以上も放置していればそれなりになる。リオなど顔の半分は髭で埋もれていた。
トランクを漁ると剃刀にはほど遠いが小さなナイフが入っていた。滝の水面を鏡代わりにして髭を剃るとますます文明度が増したようで嬉しい。リオはそんな僕の様子をジッと見ていたが、そのうちに自分の顔を指さして『俺も俺も』とジェスチャーを始めた。
おっかなびっくりながらも、その髪と同じ金髪の髭を剃ると……ギリシャ神話にでも出てきそうな美青年が嬉しそうに微笑んでいたのだった。
「リオ、かっこいい」
「かっこいい。気持ちいい」
「気持ちいいのか?」
「すべすべ」
顎先を僕の首筋に寄せて『すべすべ』と繰り返す。いつもの『ゆっくり』ではなく、単純に『すべすべ』を僕に伝えたかったらしいことがすぐ分かる。
もう毎日寝起きを共にして二十四時間一緒にいるのだから、難しい説明や言葉がなくてもリオの言いたいことはなんとなく分かるようになってきていた。リオもまた同じようで、僕が怒っているのだとか、楽しんでいるのか、どんな食べ物が好きなのだとかを理解しているようだった。
なるだけ焚火を消さないようにしながら、捕まえてきた鳥や魚を焼いて食べることも覚えた。シーズニングスパイスがあれば最高のごちそうになっただろうに。
それでも初めて食べる焼いた食物にリオは大興奮で、砂浜を走って一往復してから僕に背後から抱きついた。
「美味しい! エド、魚、美味しい!」
それから本能なのか、どこかで見た猿の親子か夫婦がやっていたのか、お互いの鼻先を擦り合わせる動作をした。
──キス……されるのかと一瞬身構えた自分が恥ずかしい。
リオなりの愛情表現というか、とても嬉しいという動作なのだろう。されるがままにしばらく鼻先を擦り合わせながら、僕がリオの髪を指先で梳いてやると、それを真似るようにリオも僕の髪を撫でた。
小さなナイフでリオの髪を整えるのはさすがに難しかったので、木の幹に巻きついていた細い蔓で髪を後ろで一括りにした。目鼻立ちがハッキリした彫りの深い顔立ちに、海と同じ色の青い瞳。普段からあちこちを走り回っているせいで筋肉に覆われた体躯。ぼんやりと焚火の炎を見つめている横顔など、まるでどこかの美術館の彫刻のようだった。
「リオは本当にかっこいいね。もし都会に出たら女の子にすごくモテるよ」
「女の子?」
「あー、見たことないよな。好きな人のことだよ」
「好きな人……エド! エドが好き!」
「僕は男だから違うよ」
よく分からないというように、頬に手のひらを当てながら三角座りの姿勢でリオはしばらく何かを考えているようだった。だがやっぱりその後、まるで独り言のように『俺はエドが好き』と呟いた。
僕はそれに何も答えてやれなかった。
リオの好きは多分刷り込みのようなものだ。初めて見た人間が僕だったから、その嬉しさを恋愛の好きと勘違いしている。けれど、それを言葉で伝えるのはとても難しかったし、リオの想いを否定しているようにも思えて、どうしてもそれ以上は何も言えなかった。
それからのリオは、なにかある度に『エドが好き』と言うようになってしまった。
必死に繰り返すリオは可愛くて、僕は好きに放っておいた。どうせ、深い意味なんて分かっていない筈だ。……筈だ、よな?
朝起きたときに『ゆっくり』を強請る回数も増えてきた。僕を抱きしめて、勃起したペニスを衣服越しを押し当ててくる。ただ最初の頃と違うのは、僕が『駄目』と何度も押し返すと、わりと素直に身体を離すことだった。
「『ゆっくり』……エド、嫌。俺、エド好き。好き」
「うん、好きなのは知ってる。けど、『ゆっくり』は僕相手には駄目だよ」
「エド、俺……嫌い? 嫌い?」
「嫌いじゃないよ。だけど、僕相手じゃ駄目なんだって。一人でして、ね?」
そう説得するとしょぼんとして立ち上がり、ジャングルの奥へ消えていく。人前、僕の目の前で自慰をするのも禁止していたので、それを守って木陰で処理しているらしかった。
少しずつ、少しずつリオは僕の真似をして、そして自分でも成長していった。
以前なら雨が降ったら飛び出して全身でその雨を受けていたリオだが、最近は木陰に僕を導いて一緒に雨が上がるまでそこで雨宿りする。雨に僕を濡れさせないためにだろうか。大きな木の葉で僕の身体を包むと、木陰へ押しやって、自分がその前に立った。
食事も一緒だ。取れた魚や獣は、一番に僕の前へと大きなものを持ってくる。
そして、僕が食べるまでじっとその様子を見守ってから、ほんの少し微笑みを浮かべて食事を始めるのだった。
火は絶やさないようにしていた。それは食事や身体を温めるためでもあったし、船が通りかかったら良いなと言う一筋の希望の意味もあった。
今日もリオは、大きなトカゲを処理して焼き、僕の前に丸々一匹を置いてくれた。
島に暮らしてから分かったが、トカゲや蛇は存外美味い。
今日はだから、ご馳走だった。
リオの前には小さなトカゲ。
ここまでしてもらえば分かる。
野生動物が巣を作って異性へアピールするように、獲物を取って捧げるように、身体の大きさを誇示するように。リオは僕へアピールしているのだ。
それは気恥ずかしくて、むず痒くて……嫌と思えない自分が不思議だった。
「いただきます……」
声が小さくなる。僕は多分、リオなりのやり方で求愛されている。
リオは満足そうに頷くと、自分も一回り小さなトカゲに手を伸ばした。
【『ゆっくり』(3)】
その日は夕食を獲りに行く寸前に長いスコールにあたり、ジャングルへ入ることも、荒れた海に近付くことも出来なくなった。
もし以前のリオなら雨など気にせずにジャングルに入って行っただろうけれど、いまは僕を雨から守ることを使命感としているように立ちはだかっている。
「少し雨が止んだら今日は木の実にしようか」
「エドはトカゲかヘビが好き」
「たまには木の実でいいよ。それにこの雨だとジャングルの奥に入って行くのは危ない。怪我をしたら痛いだろ」
「痛い……これ?」
いままできづかなかったが、日焼けに隠れて太ももの内側にかなり大きな裂傷の痕があった。よくこんな土地で化膿せず治癒出来たものだと感心するしかない。本当に野生の獣そのものだ。
「痛かっただろ。悲しくなかったか?」
「痛いのは分かる。ずっと寝てた。でも……悲しいは分からない」
心理学というのは僕も詳しくはないけれど、他人との関係性があって、それが破綻することによって生まれる感情なのかもしれない。それが同調だったりもするだろうけれど。
「でも──いまはエドがいなくなったら、悲しい。ずっと誰もいなかった。エドが言葉を教えてくれた。エドが焚火も教えてくれた。『ゆっくり』が駄目なことも」
「……うん」
「エドが嫌がることはしない。だから俺を悲しくさせないで」
「……うん」
僕はただ頷くしか出来ない。たった一人で誰と会話をすることもなく、こんな小さな島で暮らしてきたリオのことを思うと胸がギュッと強く締め付けられるようだった。街には車が走り、見上げるようなビルがあり、男性はスーツ姿でたばこや酒を嗜み、女性はドレスで着飾り、やがて恋をして子供を産む。そんな当たり前のことすらリオは知らない。
「エド? エド、悲しい?」
「ど、どうして? へんな顔してたかな。悲しくないよ」
「エド、また海の向こうに行く? そうしたら俺は悲しい。でもエドが悲しいのはもっと嫌だ」
帰りたくないといえば嘘になる。死ぬまでこの小さな島で暮らしていくと考えると少し落ち込みそうになるのは事実だ。もしリオがいなかったら、もうとうに僕はおかしくなっていたかもしれない。
「泣いてるの?」
「ぼ、僕が?」
「前に痛くなったときに、俺も少し泣いたから知ってる。このまま身体がどこかになくなってしまうような感じがした。悲しかった」
僕は自然とリオの首筋に両腕を廻して、鼻先を擦り合わせた。吐息が掛かるほどの近い距離。そして──唇を重ね合わせた。
目を見開いて金髪の長い睫毛を何度も瞬かせながら、リオもまた『ゆっくり』と僕の身体を抱きしめた。いつもなら『駄目』と言う僕が叱らないことに安堵してか、重ねた唇をより深いものにする。
「ゆっくり、ゆっくりだから……エド」
「うん……今日はいい……」
「これ、気持ちいい。これは、なに?」
「……キス」
「キス好き……エドのキス、好き。エドが好き。エドの全部が好き。エド、海に帰らないで。ずっと俺の側にいて」
なんとなく──なんとなくだけれど、僕は自分からリオの言葉をそれ以上聞かないようにするために、唇でその声の続きを塞いだ。大きな手のひらが僕の髪や背を撫でる。たまに見つかる美味しくて赤い果実を食べるときのように、リオは僕の唇を食んだ。
これ以上キスを続けると僕が『ゆっくり』を我慢出来なくなりそうだった。
これもまた刷り込みなのだろうか。野生の獣をゼロから手なずけた、僕が感じたリオへの刷り込み。
「……今日だけ『ゆっくり』を僕がしてあげるから……」
少しややこしい言い回しだったかもしれない。隣にリオを座らせ、ショートパンツの前を開いて、すでに硬く勃起したペニスを引きずり出す。その間もキスを何度も繰り返しながら、手の中でその欲情の熱を上下に扱く。
その太い肉塊は他人から与えられる初めての行為に敏感に打ち震え、太い竿に浮かぶ血管をびくびくと脈動させている。
「エド……っ、この『ゆっくり』……怖い……気持ちいいのに、怖い」
「大丈夫、いつもジャングルでしてるだろ。それと同じ」
「ん……エド、手が熱くて、自分でするより気持ちいい……出る……白いのが……」
「出していいよ、リオ。我慢しなくて、いい……」
「んんっ! エド、エド……いっぱい、出る……っ!」
僕の手のひらに大量の白濁が吐き出され、リオは呆然と僕の顔見つめていた。まだ止まないスコールでその白濁を洗い流し、それからリオの着衣を整えた。
「どうして、今日の『ゆっくり』は怒らないの?」
「どうしてかな。どうしてだろう……」
「エドがまたいいって言ったら『ゆっくり』しても怒らない?」
「……いいって言ったら」
真っすぐ僕を見つめるリオの視線が気恥ずかしくて、僕はそっと顔を背けると、海面を打ち付けるスコールを眺めているしか出来なかった。
それから、いつもの日常が始まった。
僕はあの日から何日か恥ずかしくて、リオの顔を見ることが難しかった。
けれどその間にも、リオは僕に求愛の……食物やどこで覚えてきたのか花などを贈ってきた。
ジャングルの奥地にしか生えていない筈の、白い小さな花の群れの中で朝目覚めたときには本当に驚いた。獣道から、最後の一抱えだったのだろう白い花を山程抱えて帰ってきたリオは、満面の笑顔で僕に『好き』と言って鼻先を擦り合わせた。
「あ、ありがとう。リオ」
ここまで直球の愛情を示されては、僕も……もう納得するしかなかった。
刷り込みかもしれない。けれどリオの僕に向ける今のこの愛情は本物だ。
(僕は……僕は、どうなんだろう──その、好きだよ? けど……)
白い花を頭上から降り注がれて僕はその中に埋もれてしまう。
気持ちはほぼ決まっていた。けれど、それを急に認めるのは気恥ずかしくて自分からはうまく言い表すことが出来なかった。
「エド、『ゆっくり』をするの駄目? 今日したい……今日も駄目?」
その夜も寝るときに、リオが下半身を押し当ててきた。後ろから僕を抱きしめて、木の葉のベッドの上で僕の首筋の匂いを嗅いでいる。
(リオのが……当たってる)
あの日、滝の前でしてから以降は僕はリオにそれを許していなかった。切ないため息が背後から聞こえる。
「嫌ならしない──我慢、する。けど……したい。したい……エドはしたくない? 俺は、エドを思い出しながら、したよ。沢山、ジャングルでしたよ」
「リオ……」
首筋をカリッと噛まれた。その小さな刺激にゾクゾクとする。鼻先が髪の中に潜って、耳元で深くため息のように『したい』と繰り返された。
僕は決意した。
くるりと腕の中で向き合うように身体を動かすと、顔を真っ赤にしたエドの顔が間近にあった。遠い焚き火の薄明かりで見るリオの顔はやはり彫刻のように綺麗だ。けれど腰はいやらしく動いて、僕の足へと股間を押し付けてくる。
僕も多分顔が真っ赤だったと思う。
「待って、リオ。……僕としたいんだよね? なら、僕の顔を見て」
「待つよ。エド、なに?」
腰を動かすのを止めて、リオはぐっと我慢をするように唇を噛む。
僕はその唇をそっと撫でて、それから首を伸ばしてその唇に触れるだけのキスをした。
「──僕も、リオが好きだよ。だから、したい。リオも僕が好き?」
「好き! 大好き」
笑顔でリオが抱きついてくる。僕はその耳元に囁いた。
「うん、僕も好き。だからね、リオ。これは好きな人同士じゃなきゃしちゃダメだよ」
「リオはエドが好き。エドも……リオが好き?」
「そう、おんなじ好きだよ」
言った途端だった。僕の背へと腕が伸びてきてぎゅぎゅうに抱きしめられる。『エド、エド』と名を呼ばれるのに、僕も背を抱き返してあやすように名前を呼び返した。
「この間の『ゆっくり』しても良い? エドにここ触って欲しい。エドにギュッって」
腰にまとわりつくズボンに指をかけてリオが聞いてくる。
直接触れた前のことを指しているのだろう。僕はうん、と頷いてリオの前を寛げた。リオのペニスは既に上を向いて、固く勃起していた。太い筋を根本から撫でると、リオは首を反らしてため息のように息をついた。
上下に軽く擦り上げると、それだけで先走りが滲み出る。リオがガブガブと僕の首筋を噛んでくる。擽ったいのか、それとも気持ち良いのか……何とも言えない快感が腰から駆け上がってくる。
「エド、エド……っん……気持ちいい、気持ちいい」
勃起したペニスを下から上へと擦り上げる。僕の拙い手付きでもリオのペニスは先走りをトロトロと零して、僕はその先端を優しく指の腹で撫で擦った。
気持ちよさそうなリオのそこを見ていると、僕のペニスもどんどん固くなってくる。知らず知らずの内に、リオの内ももに僕のペニスの先端を擦り寄せてしまって、僕は小さく喘ぎ声を上げた。
「……あっん……ぁ」
その声に腰を必死に使っていたリオが薄く目を開いて僕を見た。ズボンを引きずり下ろすと、リオの足に触れて先走りを零す僕のペニスにそっと手を伸ばしてくる。指でつっとペニスの先端から亀頭を円を描くように撫でる姿は新しい玩具を見つけた子供のようだった。
「ねえ、エドも気持ち良い? ここ『ゆっくり』する?」
答えるよりも先に、リオが僕の勃起を握って、ずるっと全体を上下に扱いた。
「っひぁ……待って、リオ……っん、ゆっくりして」
「うん、『ゆっくり』する」
ゆっくり、の意味が間違って伝わってしまった。少し強く僕のペニスを握った大きな手が激しく扱き出す。
僕は反論することも出来なくて、少しの痛みと声にならないような快感を全身で感じていた。腰を反らして身悶える。
「エド、可愛い……『ゆっくり』、してるエド可愛い」
「……っんぁ、あ……リオ、リオ……駄目、優しく……すぐイッちゃうから、駄目っ……!」
涙目で訴える。その涙を舐め取ってリオは僕に更に腰を寄せてきた。
お互いに砂浜に寝転んで、下肢を突き合わせてお互いのペニスを手に包み込む。
僕にしても初めての行為だった。
最初に果ててしまったのは僕だった。リオの手の中に放ってしまった白濁を、リオはしげしげと見つめてから嬉しそうに舐め取っていた。
恥ずかしくて気持ちよくて、僕らはその晩、一晩中抱き合っていた。
【君とキス(4)】
お互いの手で慰めあうことを知ってしまったからなのか、リオはより親密な接触と遠慮のない愛情に満ちた表情で僕を見つめるようになっていた。
──問題なのは、僕自身がそれを嫌だと思わないことだ。
「エド、可愛い。可愛いエドもっと見たいから、今日もまた『ゆっくり』していい?」
「あー……ん……ああいうのは毎日しちゃ駄目なんだよ」
「駄目!? 可愛いのに!? エド、痛い? 悲しくなる?」
「か、悲しくも痛くもないけど……」
「良かった」
二人の間では密着する行為を『ゆっくり』と呼んでいた。いまさら性行為やセックスなんて言葉を教えられる訳もない。無邪気に抱き合うことやキスは『ゆっくり』ではないけど、手で扱き合ったり、濃密なキスやハグは『ゆっくり』になる。
(どうやって説明すりゃいいんだよ……)
リオの知能は日に日に上がっていっているのが手に取るように分かる。僕の言葉の意味を知りたがり、間違えて使ったりするとすぐに次の言い回しを勉強する。そして間違いはほぼ繰り返さない。
もしきちんとした教育を受けていたなら、それなりの知能を持っていただろう。生きるための本能とはいえ、たった一人で何もない島でここまで暮らしていけていたのだから。
今日の朝食はいつもの黄色い果物だった。毎日食べているけれど飽きることはなく、これだけで腹が膨れる優れもの。しかもいつでも取り切れないほど木に実っていた。
「くだもの取ってきた。エドに大きいほう、俺はこっち」
「リオのほうが身体が大きいんだから、大きいほう食べなよ」
「ううん。エドは俺が好き。ジャングルの動物も小さいほうが、大きいほうにごはんをもらったりする」
「番の雌か、僕は……」
「つがい? めす?」
「いやいや、そんな言葉は覚えなくていい」
最初は気が動転して気付かなかったが、ジャングルにはいろいろな動物が生息していた。図鑑や動物園でしか見たことのない生き物ばかりだったが、人間に一番近いのは猿の群れだ。それをリオは見ていたのだろう、二匹が仲良くしていたり、餌を分け合ったりしていることを言っているのだと思う。
僕は大きなほうの果実を受け取り、丸かじりする。
甘い果物のそれを、口のサイズ以上に頬張ってしまい、口端から果肉と果汁が溢れ出す。慌てて手の甲で拭いかけた瞬間、顔を寄せたリオが熱い舌でその汁を舐め上げた。
「急がなくても俺は取らないよ」
「う、うん……」
「美味しいね。一人で食べるより美味しい。……んー、でもエドと食べるのも美味しいけど、いま舐めたくだものの味のほうが美味しかった」
「お、同じだよ。ほら、リオも早く食べないと。ごはんが終わったら魚を捕りに行く約束だっただろ」
「うん!」
リオが自分で何を言っているのか理解しているとは到底思えなかったけれど、僕の胸の鼓動を早めるにはじゅうぶんな行為と言葉だった。
舐められた口端の熱い舌の感覚がまだ肌の上に残っている。
──無邪気って怖い。笑顔であんなことされたら、怒るに怒れないじゃないか。
「海、行かないの? まだごはん足りない?」
「もう食べ終わるから行く。大きいほうだったから時間かかっちゃった」
そう言えば、少しまえまでは小さな子供相手のような喋り方をリオにしていたけれど、いまではすっかり普通に話しかけるようになっていた。まだ難しい言い回しや単語は無理だけど、日常会話なら雰囲気や簡単な説明を付け加えれば通じる。
まだ舌の熱さを忘れられない唇を親指で拭ってから、砂浜で手を振っているリオの許へと僕は駆け出した。
午後いっぱいは二人で魚を捕るのに時間を使った。
勿論網や釣り竿なんかはないから、浅瀬や岩場に二人して魚を追い込む追い込み漁のスタイルだ。僕らは裸になって海へと飛び込んだ。
母国では見たこともないカラフルな魚たちが波間に泳いでいる。
それを僕たちは歓声を上げながら追い回していた。
「うわ!?」
波に足を取られて、僕はザブンと波間に身が沈む。
一瞬、船で投げ出されたことを思い出して僕はパニックになる。慌てなければ足の着く深さだと頭では分かっているのに、海水が口の中に入ってきて、更に慌てる。海水を飲み込んでしまいそうになる。
「エド!」
海中の中で声がくぐもって聞こえたかと思うと、片腕を取られて海水からザバリと引き上げられる。たくましい腕に支えられてなんとか立ち上がると、僕は引きずられるようにして波打ち際に引き摺りあげられた。
「エド、痛いの? 大丈夫……大丈夫。落ち着いて、息して」
僕がゲホ、ゴホっと噎せている間、リオは背中を優しく撫で続けてくれていた。
(び、びっくりした……こんな浅瀬で溺れるなんて)
どうにか僕が呼吸が楽に出来るようになると、リオが正面からギュッと抱きしめてきた。
僕が溺れかけてリオも驚いたんだろう、ドキドキと鼓動が早く鳴っている。僕はと言えば、その心臓の音で落ち着きを取り戻しつつあった。
「あの、もう平気。平気だから……っ」
お互いに裸体のままだと気づいた僕は、体を離して、言いかけた台詞を飲み込んだ。
見上げたリオはただ心配そうに僕の肩や背を撫でているだけだ。なのに、なんというか……幼稚な表現だけれど、その時の僕にはリオがすごく格好良く見えた。
綺麗に盛り上がった両肩の筋肉雨も、傷だらけの手足も、日焼けした褐色の肌に彫刻のような綺麗な顔も。僕より大人の、成人した青年の顔だ。
(今まではリオの純真で、幼稚な、そんな面ばかりを僕は見てきたけど……)
改めて意識をした途端、僕はその場で真っ赤になってしまった。
「エド……?」
僕が動かないのを不審に思ったのかリオが髪を掻き上げて顔を覗き込んでくる。
そんな仕草一つにも胸がドキリとする。
「いや、何でもないんだ。大丈夫……──っ!」
そっと、裸の腰を捕まえられて、そのままリオが僕の額にキスをしてきた。
キスというか、ぺろりと額を舐められた感じだ。
「エドの痛いの、治す……こうやってしたら治るから。エド、そうしたらもう痛くなくなる。悲しくない」
「そうじゃないんだ、リオ。痛くないよ、僕は──」
「治す」
額を舐め、目尻を舐め、つっと頬をたどっていた舌先が僕の口内に忍び寄ってくる。
そして、僕の言葉はリオの舌に絡め取られた。
優しく口内を探るような口づけ。隅々まで舌を這わされて、舌を絡ませられる。
手は僕の腰から背中をなで上げて、肩を擦る。そしてすっと降りていったかと思うと、今度は腹を撫でて胸を手のひらで擦った。腰を撫で、尻を割れ目の際どいところまで指で辿って、前へと手は回ってくる。
リオはもう『ゆっくり』とは言わなかった。
僕も『待て』とは言わなかった。
誰もいない。ほんの少し日が陰ってきた夕日の海辺。
僕らはそこで口づけを何度もして、互いの身体を手で隅々まで探り合った。
僕は気づけば足の先に小さな切り傷を負っていた。
貝殻でも踏んだのかもしれない。
身体をお互いに確かめ合うように触った後、それに気づいたリオはしゃがんでそこにも舌を這わせた。幸い傷は浅くて、リオの舌が少し擽ったいと感じる程度だ。
けれどリオは顔を真っ青にして僕の膝裏へ腕を回し、僕の身体を軽々と持ち上げた。
「リ、リオ!? 大丈夫だってば、こんなにしなくても、僕は歩けるよ!」
「駄目。エドが痛いと俺も痛い、悲しい。だからエドを運ぶ」
初めて『駄目』とリオに言われた。それはいつもの僕の台詞なのに。何だかおかしくて、僕はそのまま浜辺の葉っぱのベッドまで静かに運ばれた。
「ありがとうな、リオ」
「どういたしまして」
額や鼻筋をお互いに擦り合わせる。そしてちょっと迷ったけれど、リオの頬に手を当てて僕からの初めての唇へのキスをリオにしたのだった。
一瞬なにが起こったのか分からないようなきょとんとしたリオの表情に僕は思わず吹き出して笑ってしまう。
キスは何度もしたけれど、僕からしたのは初めてだったせいだ。
「キス? エドが俺にキスした?」
「したよ。駄目だった?」
「もう一回して。もう一回、エドから俺にキスして。キスは好きな人とするんだよね? エドが俺を好きって思ったからキスしたんだよね?」
何度も何度もキスという言葉を連呼されて、僕のほうがだんだん恥ずかしくなってくる。
そわそわとリオが両腕を小さく上げたり下げたり、拳を開いたり握ったりしてるのは、僕に抱きつきたい衝動を堪えているせいだろう。
「いいよ。抱っこ、したいんだろ?」
「エド……! 好き、俺もエドが好き」
ギュッと強く抱きしめられる。太陽と塩水の匂いがする肌が心地よかった。
真っ直ぐに向けられる感情や、嘘や駆け引きのない言葉。少し伸びた僕の後ろ髪を犬のように匂ったり食んだり、首筋に唇を押し当てたりと持て余す感情を全身で示していた。
「ね、エド、『ゆっくり』してもいい? 足が痛いなら今日は我慢する、けど」
「痛くないよ、リオがすぐに助けてくれたから」
「悲しくない? 消えちゃいそうになってない?」
「悲しくもないし、消えない。僕もリオと『ゆっくり』したい」
リオの逞しい腕を枕にするようにして、新しく敷き詰めた葉っぱのシーツの上で向かい合わせに横になる。
パチパチと焚き火にくべた枯れ木が燃え、お互いの姿を暗闇にぼんやりと浮かび上がらせていた。
僕からもう一度リオに短いキスを送る。青色の瞳が今度は嬉しそうに細められた。
リオの大きな掌が僕の股間を撫でると、そこが熱くなって硬さをもっていく。それがまた嬉しいのか丁寧な優しい手付きでズボンの上から何度も擦られる。
「……直接が、いい」
「エドも触って? 痛くなってきた」
僕はリオのパンツの前を開いてペニスを引きずり出す。ピンと跳ねるように飛び出してきた大きなそれを手の中に包み込み、上下に扱き始めた。リオもまた僕を真似るようにしてズボンをずらし、勃起を握るとゆるゆると擦り始めた。
「エドのことを考えると、ここが大きくなって痛くなる。嫌な痛さじゃないけど『ゆっくり』ばっかりしたくなる」
「……んっ、ぁあ、リオ……そこ、同じところばっかりだと……」
「痛い? 苦しい?」
「ち、違う……気持ちよくて、出そうに、なる……はッ、ぁ……」
「白いの出して、舐めるから。エドの白いの、好き」
僕は快感にリオのペニスを扱くことを忘れて、稚拙な手の動きに翻弄されていた。強かったり、優しすぎたり、ときどき手を止めては僕にキスをしたり、愛撫と呼ぶにはめちゃくちゃで幼い行為だったけれどそれが愛しかった。
「ごめ……リオ、僕のほうが手が、動かせ、な……ん、ぁんッ!」
「いい、見てるだけで気持ちいい。エドの顔をずっと見てたい。キスして、エド。さっきみたいにキスして欲しい……」
僕は両腕をリオの首筋に廻して、唇を重ね合わせた。
その瞬間に、リオの掌の中で僕の欲望が爆ぜた。
リオも絶対に欲望をすぐにでも放ちたいはずなのに、僕を急かそうとはせず微笑みながらお互いの視線を絡ませていた。それが恥ずかしくて俯くと、髪や額に何度もキスを落とされる。そして僕は声には出さず、俯いたまま『リオが好きだ』と呟いた。
【二人きりの島(5)】
恋愛感情を自覚してしまった僕は、それから暫くリオから逃げ惑った。
……といっても二人きりの島の中。島を知り尽くしているリオにすぐに見つかってしまって、ジャングルの中で抱きしめられた。
リオのお気に入りの滝の前で背後からそっと抱きしめられる。
「エドは何で逃げる? リオのこと嫌いになった? 怖い?」
純粋なリオは『逃げる』=『怖い』『嫌なこと』と思ってしまうらしい。
そうは言っても恥ずかしい。今顔を見たら絶対に顔が赤くなる。変なことを言ってしまう。後ろ抱きにされたまま、僕は深呼吸をして俯いたままリオの腕を掴む。
「嫌いじゃないよ。……大好きだ。誰よりもリオが好きだよ」
「じゃあなんで? エドがリオの顔を見ないの、リオは悲しい。ぎゅってなって消えそうになる」
「違うよ、そんな──」
恥ずかしいだけだよと言おうとして、僕は言葉に詰まった。リオは恥ずかしいという感情を知らないのかもしれなかった。たった一人でこの島で動物相手に暮らして、話す相手もいなくて。そんなの、相手がいなければ恥ずかしいという感情が芽生えるはずもない。
僕は少し迷ってから、リオの腕の中で体勢を入れ替えた。
心配そうに僕を覗き込むリオに向き合って、目線を上げる。
「僕はその、恥ずかしいだけなんだ。君を大好きになって、それを君に伝えるのが恥ずかしい。顔を見ると嬉しいような、むずむずした気持ちになるんだ」
リオはやはりきょとんとしていた。僕は懸命に言葉を繋ぐ。
「分からなくても良いよ。ただ、僕はリオが大好きだ。それで……時々、隠れちゃいたくなるんだ。本当にいなくなりたいわけじゃないよ。ほんの少し、顔を見るのが……難しくなるんだよ」
「エドはリオが嫌いじゃない……?」
そこだけは伝わったのか、リオが再度確認してくる、僕はその青い目を見てはっきりとうんと頷いた。
「大好きだ」
それで満足したのか、『恥ずかしい?』と繰り返し確認ながら、リオは僕の頬に手を添わせてキスをしてきた。触れるだけだった子供の遊びのようなキスが、舌を絡ませる濃厚なものに変わるのにそう時間はかからなかった。
それから僕たちは誰もいない島で、砂浜で、ジャングルで時には水の中で。互いの身体を触って唇を重ね合わせるようになった。
だって周囲には誰もいない。隠す必要も隠れる必要もなかった。
性的な行為に慣れてきたリオは最初の突進してくるような乱暴な愛撫から、少しずつ丁寧な、僕の顔を伺い見るような反応も見せるようになっていた。
「あっ……ん、ぅ……リオ、イイ……」
「イイって……気持ちいい? エド、ここ気持ちいい?」
「……うん、気持ち良い……っんぁあ……触って、もっと、強くても、いい、から」
砂浜の葉っぱのベッドの上で僕を後ろから抱きしめて、リオが僕のペニスを扱く。僕は後手でリオのを触ろうとするけれど、自身の快感で頭がいっぱいでなかなかうまく手が動かせなかった。
太陽はまだ真上にいて、僕たちは木陰で裸体を横たえている。
朝早くに魚を取りに海に入ったリオが、海から上がって、まだ寝ていた僕の横に横たわったのは覚えている。
「ご飯ある。エド、今日リオは『ゆっくり』、沢山したい。……ううん、する」
そう囁かれて今まで、ずっと身体を触られている。
最近のリオは僕の言うことをただ繰り返したり、反応を見たりするだけではなく、自身の意思を言葉で伝えるようになってきていた。
血管が浮き出て勃起したリオのペニスは僕の尻と足の隙間で一度射精をしていた。今はそこにまたペニスを擦りつけながらリオは自身も腰を動かしている。
「エド、可愛い……もっと、する? 好き? リオとするのいっぱい……好き?」
「好きだよ、大好きだ……リオ、リオ…────っ!」
何度目かわからない白濁をリオの手に吐き出す。リオの手はもう僕の出したものでヌルヌルだ。リオはそれを楽しそうに弄んで、舐めたり、僕の身体に擦り付けたり……僕の身体を表に返して、乳首や腹に塗ってその上から噛んだりする。
そして足の間の奥にまで指先を潜らせて、後孔を触る。
「ここ、ここも……舐めたい。エド、嫌?」
放出でぐったりとした僕の下半身を軽々と抱いて、リオは僕の足を大きく開く。
「リオ!? 駄目、そこは……っ! んや、は、駄目だって──……んっ」
「駄目、ない……エド気持ちよさそう。ここも、ここも……好き」」
精液でベトベトになった後孔の皺を指で拡げられて、丁寧に舌先で舐められる。
狭い小さな孔に舌先を突っ込まれて、前も一緒に扱かれた。爪の先程度だけれど、時折、指先が中にそっと潜ってきたりもする。
動物が──猿なんかがそこを弄っているのを見たのかもしれない。躊躇なく舌を這わせてくる様子は無邪気に淫蕩で、僕は強く拒否できない。
全身をギュッと縮めて、リオがそこを舐めるのを飽きるまで好きにさせる。
『リオ』と名前を呼んで、僕は何回目かわからない射精をリオの手の中にした。
葉っぱのシーツの上にリオが受け止めきれなかった白濁がいくつも染みを作っている。僕はもうそれを隠すことも、足を閉じることも出来ないまま、力が抜けた身体を横たえていた。
「俺も……もう、ここが痛い。ぎゅうぎゅうってなってて止まらない……」
「も……出ないから……リオ、いっぱい出したせいで、僕の白いの出ない……」
「……悲しい? 痛い?」
白濁と唾液とで濡れた指先がひくつく孔に添えられ、指の第一関節まで埋められる。違和感と同時に痺れるような快感が背骨を伝わり全身に走った。
「あぁ、ぁ……ああッ! リオッ……んぐぅ……そこ……ぁあ!」
「苦しそうなのに、気持ちよさそうな、変なエド。でも俺もここから白いの出そう」
悲鳴に似た声を上げても、それがただの痛みではないことを本能が知っているのかもしれない。指はさらに深く潜り込み、無意識に内壁がそれを締め付けていた。まるでペニスの動きのように前後に動かし、深く沈めた指先は腸壁を抉って掻き回した。
──こんなの……男なのに……こんな場所で……。
自分でも不思議だった。口づけを繰り返しながら指で犯され、なのに快感が止まらない。むしろリオそのものを欲しいと思ってしまっていた。
「リ、リオ……リオの大きいの……挿れて、いい」
「大きいの? 俺の痛くなってるこれをエドに挿れる? 痛くない? エド、泣かない?」
「泣くかもしれない、けど……それは痛いの涙じゃないから……早くッ……んッ、あ!」
ズルリと指が引き抜かれ、感じたのは安堵ではなく喪失感だった。自分でも触れたことのない後孔の深い場所が淫らにひくひくとリオを求めている。
窄まった震える孔をしげしげとリオに見つめられていることが、恥ずかしくも快感に変わっていく。僕はそれが堪らなくなって、リオに両腕を伸ばすと、自分から『早く』と挿入をねだってしまった。
先走りが滴るリオの太いペニスの切っ先が、後孔に宛てがわれ、そろしそろりと侵入してくる。張ったカリの太さや、肉厚な竿、脈動する肉棒に浮かんだ血管まで、リオの全てが敏感な内部が感じてしまう。
「う゛……ぁあ゛、はぁッ! リオ、リオ……すごい……奥までリオのが……ッん゛!」
「エド、溶ける……俺の硬いのがエドの中で溶けちゃう……ッ、は……ぁ」
「動い、て……そこ、ん゛ぅ、好き、好きだから……気持ちいい、僕が泣いても止めないで……ひぃ、んぁ、あ゛……リオ、好き……リオが好き……ああッ!」
「俺も……エドがいっぱい好き……白いの出る……中で出る……エド、エドッ……!」
お互いを求める快楽に抑制が効かなかった。突き上げるような揺さぶりの抜き差しも、唾液を混ぜ合わせるキスも、ジャングルのどんな獣にも負けないような喘ぎも、羞恥も、困惑も、全てを投げ出してただひたすらにリオを求め、求められた。
「……いく……リオ、出る……」
「んっ、んんッ! エドの中で白いの出して、いい?……もう、止まら、ない……イク、イクね、エド……イクッ────!」
「僕も……また、あ、あ、あぁ……あ゛──イクッ……!」
腸壁に叩きつけられたリオの精液はひどく長い間、吐き出し続けられていた。溢れそうな熱いそれを僕は深層部で感じながら、リオの背に腕を廻してキスをする。
「……エド、まだ止まらない。手でする『ゆっくり』より、いっぱい気持ちいい……。もう一回……ね? エド、もう一回いい?」
荒い呼吸で僕が返事すらろくに出来ないのをいいことに、少しも萎える気配のないリオの勃起が白濁の粘着質な音を結合部から響かせながら動き始める。
──心地よい海に沈んでいくような気持ちだった。少し苦しくて、でもそのまま沈んでいってしまいたいような。
声が掠れて言葉にならないぐらい、リオの名前を何度も呼んだ。快感の涙をリオが熱い舌で拭ってくれる。
──溶けてしまいそうなのは僕のほうだよ、リオ。
目覚めたのは朝日が登る直前だった。まず瞼が開き、まだ暗い空をぼんやりと眺めながら、最後の記憶を思い起こす。
何度もおねだりをされて、断る暇もなく中を突かれ、意識を失いかけては快感に引き戻されるということが何回も繰り返された。もう何も出なくなり、快感さえも掴みきれなくなった頃、僕はそのまま意識を飛ばしてしまった。
(……腰が……動かない……)
ひどく長い時間をかけて上半身を起こすと、足の谷間からたっぷりと注がれた白濁が葉っぱの上に流れ落ちた。
満足そうに寝息を立てているリオを起こさないように、汚れた葉っぱを丸めて捨ててから、よろよろとした足取りで滝へと向かった。
歩いている途中も絶え間なく孔から欲望の名残が足を伝って地面に染みを作る。ごぷごぷと卑猥な音が響くのが恥ずかしかった。
冷たい泉に足を浸し、それからゆっくりと火照る全身を柔らかな水の揺らめきの中に沈めた。いまさらだと言われようが、リオとセックスしたということが恥ずかしく──そして感じてしまったことも──少し腫れたようになっていた後孔の欲望の名残を自分の指で掻き出した。
「……何回イッたのかも覚えてないし、リオなんて一度も抜いてな、い──ッ!?」
「エドッ! 起きたらエドがいなかったッ! 痛いから!? 怒ったから!?」
不意に背後から声を掛けられ、僕はビクリと肩を跳ね上げさせて、慌てて孔から指を引き抜いた。
「ち、違う違う。痛くないし、怒ってない。水浴びをしたかったんだけど、リオが気持ちよさそうに寝てたから」
「寂しかった。さっきまで一緒にいたのにエドが消えたのかと思った。俺が痛いこといっぱいしたから、エドが消えたんだと思って……」
「一言、声を掛けたら良かったね。大丈夫、僕はどこにも消えたりしないから」
「本当に?」
「本当だよ。約束する。……ほら、リオも水浴びしないと、白いのでドロドロだよ」
「エドの白いのは汚くない。好き」
「駄目。綺麗にしないと抱っこもキスもしない」
僕の言葉が終わる前にリオはザブンと泉へと勢いよく飛び込んだ。
セックスの途中で外れてしまった髪を束ねていた蔦が外れていて、水面に金色の長い髪が広がる。朝日を浴びたその金髪がとても綺麗で、自分で『駄目』だと言っておきながら、僕はリオの身体を抱きしめた。
【ずっと一緒にいようね(6)】
僕たちはところ構わず、時を選ばずに寝るようになった。
だって無人島だ。周囲には誰いない。止める理由もない。
リオが鼻を擦り合わせてくると僕がキスで返す。キスをリオからも返されてそれが深くなって、裸同然の僕たちは残りの衣服も脱ぎあって抱き合う。
リオは物覚えが良くて、僕の身体の良い所をすぐに覚えた。僕の声音を聞き分けて、『駄目』が本当に駄目なのかもすぐ見抜かれてしまうようになった。
互いの身体を愛撫し、挿入し、果てたらまた互いのペニスを口にして扱き合う。
──まるで獣みたいだと、どこかで思う自分がいる。けれどやめようとは思えなかった。二人でいるのが幸せだったからだ。
狼煙の意味を持つ浜辺の焚き火はそれでも、火を絶やさないように僕は気をつけていた。
本心では……このままここに残っても良いんじゃないかと、実はそう思い始めていたけれど。
今日も夕暮れの浜辺で僕たちは身体を繋いでいた。
リオが胡座をかいて、僕がその上に跨って乗る。
身体の奥深くにリオを感じて、下からの突き上げに合わせて腰を僕も動かしていた。
夕日にリオの金の髪が映える。汗をかいて息を荒くして、目を半場閉じているのが可愛い。快感を懸命に追っているようだった。
「リオ、リオ……」
名前を呼ぶと、情欲に濡れた青い目で僕を見上げる。僕はギュッとリオの肩に抱きついて耳元で囁く。
「ずっと……一緒にいようね」
「っん、うん、一緒……リオとエドは、ずっと一緒」
身体を仰け反らせて首を傾けてキスをすると、最奥に精を放ちながらぎゅっと抱きしめられた。僕たちは幸せだった。
船影が遠く朝日とともに水平線の向こうに小さく見えた時、僕たちは葉っぱのベッドでまだ寝ていた。
警笛の音で目が覚めて、僕ははっと海の向こうを見た。
煙を上げて真っ直ぐに近づいてくる船影。巨大な豪華客船だ。
僕はその正体に気づいて呆然とした。
「船、だ……」
リオは船が何か分からずに、けれど見たことのない巨大なものが近づいてくるとわかると僕をジャングルの奥へと誘うように腕を引いた。
「エド、行こう。怖いものが来る、逃げないと駄目。ジャングルに、逃げよう」
「いや、リオあれは……」
『大丈夫』と言いかけて、身体が震えている自分に気づいた。
待ち望んでいた助けだ。けれど本当に『大丈夫』なのだろうか。ここでの粗野で、不衛生で……けれど幸福な時間が壊されてしまうのではないだろうか。
考えている暇はなかった。
船はドンドン近づいてきて、沖合で停泊するとその白い船体からボードが波間に降ろされる。
僕は考える時間が欲しかったのに、現実はどんどんと近づいてきて、懐かしい正確な英語が聞こえてきた。
「おーい、大丈夫か! 怪我は? そこにいるのは、君たち二人だけか!?」
船員らしき、白い服の男性が四名、ボートには乗っている。
「エド! 逃げよう! エド!?」
泣き声のようにリオが繰り返す。
ズルズルと砂浜からジャングルの方へと引きずられながら、僕はリオと近づいてくるボートを何度も見比べる。僕はぐっと唇を噛んだ。頭を振って、なぜか溢れそうになる涙をこらえてリオの腕にそっと触れた。
「『大丈夫』だよ、リオ。助けだ……助けが来たんだ。これで、僕らは──この島から出られる」
言いながら、嬉しさは微塵もなかった。不安で、泣き叫びたくなるほどの悲しみが襲ってきて、僕はそれでも笑ってリオを振り返った。
振り返ると、俺の手首を強く掴んだまま、怒りと恐怖を湛えさせた獣のような、それでいて悲しそうなリオの表情があった。僕はそんなリオを見つめながら、立ちつくして動けない。なにが最善策なのかが分からない。
「英語はわかるか? こちらは暴力を振るうつもりはない。以前に津波に襲われて海に落ちた乗客を探しているだけだ」
「……英語なら分かります。その海に落ちた乗客はたぶん僕です」
「そっちの青年もそうなのか」
「彼は……違います。ずっとこの島に一人で暮らしていたようなんですが、簡単な言葉なら分かります」
僕の言葉の半分以上はリオも理解しているようだった。そして白服の水兵が、敵ではないにしろ、僕とリオの幸せな生活を脅かす存在だということも本能で察知している。
「ここはエドとリオの場所。おまえたちは嫌いだ」
「リ、リオ……違う、この人達は悪い人じゃない。僕も海から来た人間だけど、悪い人間じゃなかっただろう?」
「エドとは違う。俺はエドと二人でここにいたい。エドもずっと一緒って言った。ずっとずっと俺と一緒にいるって言ったっ!」
僕とリオの会話を聞いて、二人に言語や生活能力があると悟ったんだろう水兵が優しい笑みを浮かべてボートを指し示す。綺麗にプレスされた制服や、真っ白なデッキシューズ、きちんと刈られた髪、整えられた指先や爪。
「ろくな食事もなかっただろう。船に食事も服もある。話はそれからでもゆっくりすればいい。君たちのご両親やご兄弟も心配しているはずだ」
潮の香りに混じり、水兵から軽やかな香水の匂いがした。街を思い出させる匂いだ。
それに比べて僕はリオは薄汚れた半ズボンに樹木や土で汚れた手、日に焼けた黒い肌、伸び放題の髪。ジャングルの奥地にいる猿とほぼ変わらないような姿だった。
「リオ……リオ、怖くないから。僕の育った街に行ってみたくないか? ずっと一緒にいるから。僕と一緒なら怖くないだろう?」
「……一緒? 本当に、エドと一緒? もし俺が行かないって言ったら、エドだけアレと一緒に海の向こうに行く?」
「リオが……一緒に来てくれないなら……」
こう言えばリオが『エドと一緒に行く』と答えることを分かっていて、僕はそんな言葉を吐いてしまった。二人での生活に慣れたリオはもう一人きりになれないだろう。生まれて初めて『孤独』を知り始めている。
「エドと一緒なら……行く」
「……うん」
嬉しいはずなのに僕は泣き出しそうになっていた。あれほど助けの船を待ち望んでいたはずなのに、少しも嬉しくなかった。僕自身のためにも、リオのためにも、街へ戻ることが良策だと分かってもいたのに。
「少しだけ荷物があるので持ってきていいですか」
「ああ、構わないよ」
「リオ、いつものトランク、持っていこうか」
今度は僕がリオの手を引いて海岸から距離のある、葉っぱのシーツの場所へと向かった。持っていきたいものは古ぼけたナイフやリオが気に入っていたボロボロになったタオル程度だったが、それを取り出して葉っぱに包む。
ぼんやりとした表情で僕を見つめているリオの首筋に両腕を廻し、唇を深く重ね合わせた。
「……ずっと、ずっと一緒だから怖がらないで。ヘビやトカゲもいないし、美味しい黄色い果実もないけど、僕の生まれ育った街を見てみたくないか? 最初は少し怖いかもしれないけど、僕がいるなら平気だろ?」
「エドが居てくれるなら。エドだけいればいい」
息が止まるぐらいに強く抱きしめられ、何度も何度もキスを繰り返してから身体を離した。泣きそうな笑みを浮かべたリオの顔が僕をより一層悲しくさせた。
僕たちは揃ってボートに乗せられて、客船へと乗船させられた。
揺れるボートにも、大きな客船にもリオは怯えて僕の影に隠れるようにして不安そうだった。
幸いにも同じ部屋を与えられて、水や食料、着替えを手渡されたことで、船員達や乗客達に敵意はないということが伝わったようで、部屋に入った後は落ち着いた様子だった。
けれど、繰り返し僕に『ずっとエドと一緒?』と確認するのは変わらずに、船が陸へと着くまで僕はリオのことが心配でたまらなかった。
陸では──僕の母国では、アメリカへ渡った家族の代わりに叔父一家が出迎えてくれた。
下船した途端に駆け寄られ、力いっぱい抱きしめられる。
流石の僕も久しぶりに見る叔父夫妻や従兄弟たちに涙が止まらなかった。帰ってきたんだという安堵感。
けれど僕らの後ろで所在無げに立ち尽くすリオの存在を忘れたわけでは決してなかった。再会を終え、涙ぐんだ声で僕はリオを紹介した。
「ずっと一人で、無人島で暮らしていたらしいんだ。今は少しは言葉もわかるよ。……一緒に連れて帰っちゃ駄目かな?」
叔父夫婦は渋面を作った。確かに、年齢も素性も知れない青年だ。国もどこが出身だか、民族さえ不確かだ。僕は必死で叔父夫婦を説得したが、船員たちから医者や警察の方まで連絡がいっていたらしい。
僕たちが揉めていると、そこに警察だという二人組が割って入ってきた。
「身元不明の若者を連れて帰ったというのは、こちらですか?」
「……はい。けどリオは──」
「リオさんというのは本名で?」
「いえ……僕が名付けました」
その場で始まった簡易な事情聴取に、リオはほとんど答えることが出来なかった。僕との会話は簡単で、僕がゆっくり喋っていたから成り立っていたんだというこを今更思い知る。
そして、リオは本当に自分について何一つ知らない様子だった。警察官の言うことをわかり易い言葉に解してリオへ伝えても、リオは何もかもに『わからない』と不安そうに答えるばかりだった。
警察官が困ったようにため息をついて手帳を閉じた。
「名前さえわからないのでは……身元不明の失踪人が見つかったという、そういう扱いになりますねこれは」
「そんな! どうなるんですか、リオは!?」
「まずは身体に異常がないか、病院へ。その後は……警察へ。そしてどこか……とても珍しいケースですので大学や研究所関連の施設へ入ってもらうことになるかもしれません」
僕はその場に立ち尽くした。
「駄目です! 僕は約束したんです。リオと一緒にいるって!」
「エド、止めなさい。彼にとっても一番良い選択肢を選ばなければ」
警察と医者に両脇を取られて、リオが僕の目の前を通り過ぎる。何度も僕を振り返るリオがその目に戸惑いを浮かべているのを見て、僕は叔父が止めるのも聞かずにリオを追いかけようとした。
「リオはエドと一緒にいる。エドは? 一緒じゃないの?」
「後で一緒になれますよ。さあまずは病院です」
「ホントに? 本当にエドとリオはずっと一緒?」
「ええそうです。だから心配をかけないように、先に行っておきましょう」
リオが医者に言いくるめられているのが聞こえる。僕は叔父と従兄弟たちに腕を引かれて、リオのところまでたどり着けない。
「離して! リオ、僕から離れないで! そっちに行っちゃ駄目だ!」
馬車に乗り込もうとするリオと騒ぎ出した僕に気づいた地元の記者たちが、僕らを一斉に取り囲んだ。見物人も僕とリオに群がって、僕達を隔ててしまう。
僕の声に振り返ったリオが医者と僕とを見比べる。そして、はっと気づくと両腕を振り回して叫び始めた。
「エド! 違う。ずっと一緒って言った。駄目、一緒じゃないと行かない! エド!」
腕を伸ばしてくるリオに僕も腕を伸ばした。けれど無情なことに僕らは僕らに群がった大量に人によって、また僕らを心配してくれる人々によって引き離されてしまった。
医者や景観がフクス係でリオを取り押さえて馬車へ押し込んでいる。
「リオ!」
馬車が、遠く離れて行ってしまう。リオを乗せた馬車が。最後に振り返った青い瞳を僕は忘れる事ができなかった。
【君に会いたい(7)】
リオは知能や身体能力、どういった経緯であの島に一人で暮らしていたのかなどを調べているのだと、叔父夫婦や僕に研究所の人間が説明してくれた。いくら僕がリオに会いたいと告げても『私の一存では……』とお茶を濁されるだけだった。
なにより辟易したのが雑誌や新聞社の連中が、僕とリオのことを面白おかしく毎日のようで書き立て、叔父夫婦の家にまで取材に現れることだった。
大きな見出しや、偽物のリオの写真、『奇跡の生還者!』『獣に育てられた少年』『謎の人食い人種』……呆れてものも言えない。僕はそんな記事を読む度に自分自身が疲弊していくのが分かるが、こんな知らない世界で唯一人追い詰められているだろうリオのことを考えると、なぜ戻ってしまったのかと後悔せざるを得なかった。
「暫く、事が落ち着くまで田舎の別荘のほうで暮らしてみないか?」
「……でも、リオが……」
「こんな大きな事態になったんだ、彼も暫くは病院を出られないだろう。もし出られるようなことがあれば、私達が彼を引き取ってエドと暮らせるように段取りをする」
「それでも……それでも……約束したんだ、離れないって!」
「リオはエドの命の恩人だ。アメリカのご両親にも手紙を送っておいた。いい返事がきっと貰えるだろう。だからエドも自分の身体をリオのためにも大切にしなさい」
叔父の説得に僕は一晩泣き明かした後、田舎の別荘にこもる決心をした。最後に一度だけリオと会えるならという約束をして。
スーツを着てリオに会いに行く。叔父があちこちに手を廻してくれて、ほんの短い時間だけれど話をすることが許されることになった。
地方都市にある隔離病棟にリオは幽閉されている状態らしい。その情報だけで僕は涙を堪えるので精一杯だった。島で駆け回り、海で自由に泳ぎ、太陽の明るさで寝起きする生活から、狭い病室の暗い電灯の下で暮らすリオ。
リオへの病室へ向かう廊下も薄暗く、なんの装飾もないコンクリートがむき出しだった。分厚い鉄の扉と、分厚い本が一冊入る程度の覗き窓。ドアの下方に食事が差し込まれるのだろう、これもまた鍵の掛かる小さな鉄の窓があった。
「リオを出して下さい……」
「それはちょっと無理なんです。彼はもう言葉も喋れないし、食事もほとんど摂らない、人を見れば引っ掻いたり噛み付いたり……動物と同じです」
「それは怖がってるだけです! 僕なら大丈夫だから! こんなとこに閉じ込められたら普通の人間だっておかしくなるにきまってる!」
「規則は規則です。話だけならこの覗き窓を開けば出来ます。十五分だけですが」
カシャンと音がして、ガラスの小窓が開かれる。ちょうど目の高さにある窓から必死にリオの姿を探しても、あの綺麗な金髪すら見当たらない。
「リオ! リオ! 僕だよ、分かるだろ。覚えてるだろ、エドだよ!」
「……エド……?」
「会いに来たよ。ごめんね、遅くなって」
リオの声がしたのは質素なベッドの下からだった。その暗い奥に身を隠すようにして、光りを失った目だけで声のする僕の方向だけを見ていた。
ゆっくりとベッドの下から這い出してきたリオの姿に僕は言葉を失う。
あんなに日に焼けて逞しかった手足は痩せ細り、あの美しかった金髪はざんばらに切られ、僕の目元しか見えないドアに顔を近づけて、がむしゃらに拳で鉄板の扉を叩いた。
「リオ! 手が痛くなるからドアを叩いちゃ駄目だ。僕の話を聞いて。お願いだから、リオ! 僕の言葉がまだ分かるなら、ドアを叩くのを止めて!」
「……エド、帰りたい。ジャングルと海のところにエドと帰りたい……」
「聞いて、リオ。必ず約束するから、他の人を噛んだりしちゃ駄目だ。リオはちゃんと話せるんだから、話もちゃんとする。出来るよね?」
「も……帰りたい……エド、一緒にずっとずっと居るって言ったのに……」
「だから……だから、僕がいない間に言葉ももっと覚えたら、ここから出られるし、僕と一緒に暮らそう。街が嫌ならまた島に帰ってもいい。だから、お願いだから……」
もう僕にはそう言うだけしか出来なかった。リオが普通の人間だということを他の人に分かって貰うしかない。それから暫くしてようやくドアを叩く鈍い音が止まった。
ドアの向こうの隙間から、リオの青い瞳が真っ直ぐに僕を見つめていた。
「……怪我をしてないのに、痛くて痛くて、俺は消えてしまいそうだ……エド」
「リオ……僕もだよ……」
細い隙間から痩せた指先をリオが僕の方へと伸ばし、僕はその指先を捉えて指を絡め合わせる。
「愛してる、エド」
「……僕も愛してるよ、リオ」
二人にしか聞こえない囁くような言葉を交わすと、リオの目にほんの少し光が宿り、それから少しだけ微笑んだ。
「大好き、エド」
「……うん」
「大好き、エドしか好きじゃない」
「うん」
「エド、島に帰ろう」
「うん」
僕はただ頷く。でも十五分という時間は短かった。少し離れた場所にいた研究員らしき男が事も無げに時間を告げ、僕たちの絡めあっていた指先が離れ、覗き窓が閉じられた。
なにがなんでも、どんなことをしてでもリオを助けなければならない。
胸の痛みで二人が消えてしまう前に。まだ正気を保っていられるうちに。
何度も病院や研究室に頼んでも、もう面会を許されることはなかった。あの十五分も叔父が頑張ってくれたのだろう、すべて『規則です』の一言で一蹴された。
あんなに島で時間があったのにリオに文字を教えなかったことが悔やまれた。手紙を書いても届くのかも分からないが、もし届いたとしてもリオには読めない。
リオの生存確認だけのために両親から小切手で金を借り、研究員や看護師に賄賂を渡したりもした。『まだ生きていますよ』のたった一言を聞くだけだったが、それだけで安心できた。
「もう別荘に行きなさい。リオよりもおまえのほうが先にどうにかなってしまう」
「でも約束したんだ、リオと島に帰るって!」
「そんな弱った身体で船の長旅が出来るのか? 金も使い切ってしまったんだろう? 私達もなるだけ努力する。なにかあったらエドに報告する。だから少し休みなさい」
僕は緊張の糸が途切れてしまったように、その場に突っ伏して泣き声を上げた。もう立ち上がる気力もなかった。
──島にリオと帰りたい。リオと一緒ならば、海の中に消えてしまっても構わない。
もう世の中は『生還した漂流者』『獣に育てられた青年』の話題にはすっかり飽きたようだった。もしくは叔父夫婦が情報を閉ざしてくれていたのか、田舎の別荘に住む僕のところにマスコミは現れなかった。
島から持ち帰ったもう錆きったナイフと、ボロ雑巾のようなタオルをぼんやりと見ているだけの毎日が過ぎていく。
叔父の手紙によれば、リオはいろんな病院や施設を転々としていて、行方も追いにくくなっている状態だと書いてあった。必ず探し出してあげるからエドも頑張りなさい、といつも書かれるその一文だけのために僕は半年を過ごした。過ごしたと言うよりも、生きながらえていたといったほうが正しいかもしれない。
「坊ちゃま、エド坊ちゃま。お客様が見えられておりますけれど、お通ししてよろしいですか?」
「新聞社や雑誌の人間なら人違いだと言ってくれ」
別荘の管理や食事を作ってくれている初老の女中の声に、ベッドに腰を掛けて手にしていたナイフとタオルを僕は枕元のチェストにしまいながらそう告げた。
「立派な車に乗られた紳士で……リオン様というお名前でしたが、ご存知ないのであれば──」
「リオン!?……リオ? 金髪の髪だったかい? 僕よりも背がくて、とても綺麗な青い瞳の色で……」
僕は言葉を最後まで告げられないまま部屋を飛び出し、裸足のまま玄関へと向かう。
──車? 紳士? リオン?
リオをリオンと正しく呼んだのは島で会ってからの数度きりだった。リオがまだ言葉もろくに喋れなかった頃。詐欺師かもしれない、ぬか喜びかも、ただの人違いかも。それでも僕は走らずにはいられなかった。
「リオ!?」
僕は玄関を引き開けた。
走った勢いのまま開いた先には、三つ揃いのスーツにステッキを持ち、綺麗に髪を撫でつけた美形の紳士が立っていた。靴はピカピカに磨かれて、後ろには黒い車が控えている。
僕の覚えているあのリオとは全然違う。けれど、顔は──。
「リオ……!」
僕が感極まって名前を呼ぶと、薄っすらと日焼けした顔へ、リオは微笑みを浮かべた。それから目元を歪ませて、目を潤ませる。わななく唇で、僕の名前を呼んだ。
「エド……。エドがずっと一緒にいようって言ったから、俺から会いに来たよ」
言うと、手にしていたステッキを投げ捨てて僕の元へ走り寄る。僕は腕を広げて抱きついてくるリオの身体を抱き返した。逞しい、島でのリオの体格に比べればほんの少し痩せていた。けれど、あの施設で会ったときのリオとは比べ物にならないしっかりとした体つき。
ほんのりと香るコロンの中にリオの体臭を見つけて僕はリオの胸で息を吸い込んだ。
本物のリオだ。
「リオ ! 会いたかった……! 本当に毎日君のことばかりを考えて──……けどどうして?」
「親切な老夫婦が養子にと申し出てくれたんだ……おかげで、施設や病院を転々とする生活から抜け出すことが出来た。養父と養母は僕に教育を受けさせてくれた。エドのように、言葉や常識を教えてくれた……その合間を縫って、エドを探していたんだ」
「僕を……見つけてくれたんだね」
「俺はずっとエドを待っていた。けれど、俺が一人なように、エドもどこかで一人で……泣いているんじゃないかと思うと堪らなかった。だから、探した。エドは泣いてなかったか……?」
「泣いていたよ。君を、リオを思い出してばかりだった」
顔を敢えて、僕は再度リオの顔をよく見ようと両手を伸ばした。
整えられていた髪が乱れて、以前のリオの面影が過ぎった。太陽のような金色の髪が額に触れている。
「もう、泣かなくていい。ずっと、一緒だ」
「うん、リオ。──ずっと、一緒だ」
僕たちは固く抱きしめ合い、そしてどちらからともなく首を傾けてキスをした。
もう一生離れたくない。二人で一つの生き物になってしまいたい。どこもかしこも溶け合って一つになりたかった。
「リオ……今日は? このまま少しは時間はあるんだろう?」
「……うん。エド……俺、エドと『ゆっくり』がしたい。話したいことが沢山あるし、聞きたいことも沢山ある。けど、今はエドと……『ゆっくり』がしたい。離れたくない」
懐かしい言葉だった。リオがまだ言葉を覚えていない、そのときに二人だけで使っていた言葉。別の言い方も出来ただろうに、リオは僕の耳元で密やかにその言葉を使った。
「エドを抱きたい。『ゆっくり』、しちゃ駄目かな?」
「……いい、よ。僕も、『ゆっくり』……したい」
その言葉を使うだけで僕は真っ赤になってしまった。今のリオに言われると島で過ごした日々と今のリオとの差で頭がくらくらした。
リオは紳士然とした見た目になっていたけれど、中身は変わっていないようだった。
僕が頷くと甘えるように鼻先を僕へ近づけて、鼻筋を擦りつけてくる。繋いだ指先を絡め合って、互いの体温を伝え合う。
僕はもう一度リオへと唇を重ねようとして、漸く気づいた。
「──女中を帰らすよ。ちょっと中で待っててくれないかい?」
「ああ。分かった」
改めて顔を見合わせると、お互いに漸くほほえみ合うことが出来た。お互い顔をもう一度撫で合ってから僕たちは身体を離した。
【柔らかなベッド(8)】
島でのリオなら驚きで呆然とするか、あちこちを覗き回っていただろうこの部屋も、街での生活にすっかり慣れているのか、カウチに腰を下ろして僕を嬉しそうに見つめていた。
僕はといえば、白いシャツに茶色いベスト、同じ柄のズボンを履いただけの部屋着で、ネクタイもジャケットも身に付けていなかった。
リオにそっと手招きをされて、その隣の座る。リオの大きな掌が僕の手に重ねられて、指先をキュッと強く握りしめられた。島ではその野蛮な生活からか、掌も足の裏も岩のように硬かったのに、いまでは街の人間そのままに温かくてしなやかな優しい手になっていた。
「キスしていい?……駄目って言われてもするけれど──」
「……んっ……ぁ……リオ……」
言葉が終わる前に唇が重ね合わされ、肉感的な少し厚みのあるそれが僕の呼吸を塞いでっしまう。心臓が高鳴り、たとえ口を開けたとしても思っていることがきっと言葉に出来なかっただろう。
「エドが『愛してる』って言ってくれたから、頑張れた。エドが俺に嘘をつかないことは知っていたから。最初に出会った日から今日まで、俺にはエドしかいない。エドしか必要ないんだ」
「……すぐに会えなくてごめん……探せなくて、ごめん……きっとリオに寂しい思いをさせたはず」
「施設の鉄格子のある窓から、エドの後ろ姿を一度だけ見た。門番に追い返されて、それでも何度も門番に話しかけてるエドの姿。エドが俺のことを忘れたりなんてしないはずだって確信してた」
腰を引き寄せられ、唇を重ねる。リオは目を細めるだけで僕の顔から目を離そうとしなかった。僕もまたリオの背に両腕を廻して柔らかく唇を食んだ。
キスをしたまま両膝裏に手を添わされ、軽々と抱きかかえ上げられるとベッドに横たわらせられた。なにをするのかも、島で何度となくやってきたその行為の意味が分からないほど僕は鈍感じゃない。シーツに身を横たえると、あの葉っぱの青臭い香りはしなかったけれど、あの時の感覚が思い出された。
「たくさん夢にエドが出てきた……ジャングルの木の根元や海岸や、あの葉っぱのベッドで何度も『ゆっくり』したよね。手も唇も、俺はエドのことを忘れたことなんてない」
「……僕も覚えてる。僕はまるでリオの玩具みたいだった」
お互いに服を脱ぎ落としながらクスクスと笑う。あの島には楽しい思い出ばかりだった。悩みがなかったと言えば嘘になるかもしれないけれど、リオの熱い舌が僕の胸の先端を愛おしむ仕草は以前と少しも変わっていなくて、そんなことなど忘れてしまう。
──触れられてもいない勃起が熱くなっていく。
まるでセックスの交わりなど知らなかった頃のように、ズボンの上からお互いのペニスを焦れったく擦り合わせた。僕もリオも無意識のうちに腰を揺らしてもっと深い快感を求めている。
「……リオ、意地悪になった……?」
「エドが少し痩せて、色が白くなって、強くすると壊れそうで怖いから」
「島ではあんなに無茶をしたくせに。僕は毎日ヘトヘトになってた」
「気持ちを伝えるちゃんとした言葉をまだ持ってなかったんだから仕方ない。いまなら百ぐらいは言える……と、思う」
「んー……言わないでいい。一年に一回でいい。そしたら百年楽しめるから」
僕の言葉にリオは楽しそうに少し声を上げて笑ってから、耳元に唇を寄せて囁いた。
「俺はいま世界で一番幸せな男だ……」
「……それは僕の言葉と同じかな」
他愛もない囁きを繰り返しながら、お互い全裸になるとその体温や感覚を味わうようにして掌であちこちを撫でる。どんなに紳士の容姿に変わっても、リオはリオだ。頬にそっと掌を当てると、まるで手慣れた獣のように顔を擦り寄せてくる。髪を撫でれば心地よさそうに瞼を瞬かせ、唇を求めるように顔を上向けた。
リオの唇が僕とのキスから丁寧に目元や耳朶、首筋を通って胸元に下りていく。柔らかかった先端がキュッと堅くなる行程がリオは以前から好きで、執拗に舐めては吸い、甘噛をし、舌の上でキャンディを舐めるように転がした。
「んっ、あ……ぁ、そんなに……優しくしなくても、大丈夫……ふ、ぅん……」
「……他の人に抱かれたりしなかった?」
「リオのことを考えているだけで一日が終わる生活だった」
「同じ、だね」
胸元から唇はさらに下肢へと滑り、臍から下腹部、鼻先で陰毛を搔き分けて勃起の根本に舌を這わせた。
その動きも前と同じだ。僕の身体全体を味わうようにして、いろんな場所に舌を這わせたり、口づけの跡を残すのが好きだったリオ。その快感に『早くして』といつの間にかねだるようになった僕。
大きく足を拡げた僕は、何度もリオを受け入れた秘所を晒し、言葉の代わりに熱い愛部を求めるようにその孔をヒクヒクと蠢かした。
「可愛いエド……ここがヒクヒクしてる……そんなに俺がほしいの?」
「……うん。リオがほしいよ、ずっと欲しかった。……んっ、会いたくて寂しくて……ぁ……ぁあ」
陰嚢を口に含まれて、丁寧に舐められる。勃起したペニスの裏筋を下から上まで舌先で辿られると、後孔がキュッと閉まるのが自分でも分かった。早くリオが欲しいと、足を更に開いて、腰を浮かせる。
リオはそんな僕の下肢を持ち上げると、かつてしていたように、尻を両手で割り開いてヒクつくそこに舌先を押し当てた。
「ぁあ……ん、っあ……リオ、そこに、んっ、リオのを頂戴……」
「……ん、っ可愛いエド。エド……あんまり煽らないで、ひどく抱いてしまいそうだ」
「酷くていい、ぁ……んっ中っまで、リオでいっぱいにして……っ!」
皺を伸ばすようにして孔を拡げ、リオが舌先を中へと差し入れてくる。縁を舌先で突かれて、ぐにっと下が中へと入ってくる。隙間から一緒に中指を押し込まれて、中へと流し込まれる唾液の熱を感じながら僕はあられもない嬌声を上げた。
リオの頭を抱いて、『リオのペニスが欲しい』と耳元へ懇願する。
リオはそれを聞くと耳元まで真っ赤にしながらも、指を増やして、僕の勃起して先走りに濡れたペニスを口に含んだ。
「んっふ……エド、食べてしまいたい……んっ……全部、俺のものにしたい」
「して、リオ。僕を食べて……リオのものに全部して……もう、離れないように。僕を全部リオのものにして」
ずるっと指が引き抜かれた。息を荒くした、金髪のライオンのようなリオがそこにいた。
荒い息を吐いて、僕の上に被さってくる。膝裏を押さえつけられて、体をぐっと折りたたまれる。リオの太く血管が浮き上がったペニスがひたりと僕の後孔に当てられたのが、大きく開いた足の間から見えた。
「あぁ……エド、エド、もうっ……離さない……っ」
「んうっ、ひっあぁあ……うん、離さない……で。んあっ……ぁ、リオ……リオ」
挿入された瞬間に、僕の内側でリオがぐんっと大きくなったのが分かった。
挿入の衝撃で、僕の先端から白濁混じりの先走りが下腹へと散る。痛みはなく、快感と喜び、圧倒的な質量だけが僕の中に収まりつつあった。
はあはあと荒い息をついて、リオは僕の最奥まで腰を進めると、そのまま目を伏せて浅い抜き差しを始めた。奥の腸壁を軽く叩くように、何度もそこばかりを突く。僕は挿入のあとの多幸感に浸りながら、リオに揺さぶられるままに身体を喘がせた。
「……あ、あっ、んっ、はぁ、ぁ……リオ、奥、ぅ……凄い、リオが、いっぱいっ、ん、あっは……んんっ」
「うん、好き……エドを俺でいっぱいにしたい……好きだ、エド、エド──」
奥を貪る動きから、徐々に大きくリオは腰を動かし始めた。腰を引かれ、押し込まれる度にズルっと内蔵まで持っていかれるような快感。大きく張ったカリの部分が僕の中の浅いイイ所を掠めて、揺さぶられながら何度も背を反らして僕は喘ぎ声を上げた。
「っんん……駄目、や、ぁッ、ん゛……っんは、ひっ……リオ、っんぁ、イク……一緒に、もう……あぁ゛」
「うん、一緒に、っ……イきたい……っエド……!」
「んっぁ゛……イクっ……リオ……っ!────んぁあ゛ああ!」
「は、俺も……っ……──エド、エド……っ!」
リオが僕の足首を持ってぐっと腰を突き出してきて、最奥突かれた。グリグリと押し付けられるように腸壁へ先端を擦りつけられ、最奥でリオの太いペニスが熱い飛沫を撒き散らす。僕もほぼ同時にリオと僕の体自身の間で白濁を放った。
「……ぁ……は……リオ……?」
改めて腕を伸ばしてリオの肩を抱く。全身からは激しい性交にぐったりと力が抜けてしまっていた。
「エド……好きだ。愛してる」
「ん、僕もだ……愛してる」
どちらからともなくキスをする。
あの島のときのように、お互いの顔を撫で、抱きしめ合う。もう胸の中に寂しさや悲しさはなかった。幸せで胸が一杯で、僕らは飽きず口づけを交わしあった。
リオは腰を浮かせると、まだ硬さを保った太いペニスを僕の体内からずるりと引き抜いた。僕のペニスはそれにさえ感じてしまい、ピクリと動く。それに気づいたリオが、僕の足の間に身を屈めると、放出したばかりの僕のペニスを手にとって、その先端をパクリと口に含んだ。
「リオ……!?」
「エドの……まだ、して欲しいって言ってる。……可愛い」
「待って、まだっ……イったばかりで……んんっ」
「嫌だ、待たない……エドもして? 俺の、舐めて……エドの口で『ゆっくり』して」
「……ん……良い、よ」
ぬるりとした熱い口内に包まれて、僕は小さく喘いだ。それからもぞもぞと身体をシーツの上で動かして、リオの下半身に近づく。
まだ大きく張りを持っているそれを口に含むと、しょっぱくてちょっと苦いリオの味がした。島での『ゆっくり』を思い出しながらそれを舐め上げて、口に余る部分は手で扱く。
「エド……俺の白いの、沢山出てくるね。……凄い、可愛い。ここ……好きだ」
「あっ……ナカ、は……ダメだって……ん」
リオは僕のペニスだけでは飽き足らずに、僕の片足を持ち上げると、先程まで繋がっていた箇所へと顔を伏せて舌先でそこを突いた。足の間からとろりと流れ落ちるそれを、まるで獣が水を飲むようにぺちゃぺちゃと音を立てて舐め取っている。
緩んだ縁を舌先でこじ開けて、入り口付近の襞を捲りあげるように舐めてくる。
僕は『もう』だの『ダメだって』だのとリオの頭をそこから離させようとしたが、リオは離してくれなかった。
舌での掃除を終えると、漸く僕は開放されて、リオがずり上がってくる。
目の前に、精悍な美しいリオの顔があった。
ぎゅっと抱き寄せられて、髪を掻き上げられ、手のひらで確かめるように背や肩を撫でられる。リオの癖だ。僕の身体を隈なく探って、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
「ずっと……こうしたかった。エドと……こうやって抱き合って、あの島でのように一緒に夜空を眺めて眠りたかった」
「僕もだ……君の夢を何回も見たよ。島での君との暮らしが懐かしくて……泣いた夜もあった」
「もう、エドしかいらない。……外の、街やいろいろな世界も見たけど、俺にはエドしかいないんだ。あの島へ……戻りたい。二人きりの世界へ」
「リオ……」
真摯な告白に胸が締めつけられた。
僕も同じ気持ちだった。リオと二人でいたい。もう引き離されるなんて嫌だ。
あの島へ帰る。二人で過ごしたあの島へ、そのためには他のすべてを捨てても良いとさえ僕には思えた。
【瞳に似た青(9)】
リオの養子先のご夫婦も、僕の叔父夫婦や両親も、僕たちの事情をすべて分かっていてくれた。会えなかった何ヶ月もの間にお互いを想い、不安や恐怖から抜け殻のようなったり、食事さえろくに摂れない日々もあった。
二人で島に戻ると告げたときは、みんな寂しそうな表情を浮かべたけれど、僕にはリオ、リオには僕が側にいない生活など考えられないということも理解して貰えた。
「三ヶ月に一度は私の会社の船を出す。口の堅い人間だから、二人の存在を外部に漏らすことはないだろう。医療品や必要なものを運ぶくらいは手伝わせてくれ」
大きな貿易商を営んでいるというリオの養子先の白い髭をたくわえた男性が微笑む。彼がリオに言葉や文字を教えてくれたのだろう。リオの瞳が優しげで警戒心の欠片もなく細められていた。
僕が嵐で落ちた海域は、普段なら静かで穏やかなはずなのだが、運が悪いとああいった事故が起こるらしい。リオも僕が漂着する数年前に似たような事故にあったのだろうという話だった。
地図にも乗っていない小さな島。浅瀬と岩が点在して広がり、大きな船が近寄ることはない。僕とリオは『自ら望んで、無人島の漂泊者』になるのだ。
「リオ、それでいいのかい? 僕はリオと一緒にいられるならどこだっていいんだよ」
「島がいい。誰だって故郷に帰りたいと思うはずだ。俺は島で生まれて、エドに育てられた。故郷はあそこしかない」
「……む。なんだか僕よりも言葉が上手になったね」
「エドが待っていてくれている間に、たくさん勉強をしたからね」
リオの言葉は大袈裟でも、まんざら嘘でもなく、雇う家庭教師がいなくなるほどの頭脳と能力を持っているのだと養子先の夫婦が自慢げにしていた。そんな二人からリオを奪うような形になるのは少し心苦しかったけれど、獣のようなリオを勉学に向かわせたのは『エドに会いたい』という一心だということも最初から分かっての養子縁組だった。
「エドのご両親やこちらの叔父夫婦のかたのご考えは?」
「半分死んだようにぼーっと暮らすエドを見ているぐらいなら、南でも北でも好きな所に行ってきなさいと言わざるを得ないでしょう」
まるで家族のように朗らかな談笑が続く中、僕とリオはみんなに見えないように背中の後ろで指を絡め合わせる。三秒でも離れたら、それが永遠になるようで怖くて、トイレに行くときでさえもリオはドアの向こうで待っている。
女中も僕とリオの日常にすっかり慣れたようで、どこに居ても二人だというのをごく当たり前に受け止めてくれた。ただ、朝までセックスをしていて寝坊をするとまるで子供が悪戯をしたときのように二人して怒られたけれど。
「エド坊ちゃんとリオ様がおられなくなると、この別荘も寂しくなりますわ。まるで孫が出来たように思っていたんですから」
「行方不明になるわけじゃないし、街に来ることがあったらこっちにも顔を出すよ」
「俺も来ていいかな……ああ、そうだ、僕とお父さんとお母さんが暮らしている家を、島に行く前にエドに紹介したいんだ。少し涼しい場所だけど、海が近いんだ」
「うん、行ってみたい」
「お父さんとお母さんには女の子のお孫さんがいて、すごくやんちゃで口癖が『どうして?』ばっかりで。今回、島で暮らすことになったら自分も行くって駄々をこねるだろうから内緒だよ」
どこの家庭にでもいるような、優しい親と子供と孫、叔父夫婦やちょっとうるさいけど気のいい料理上手の女中。こんな当たり前の日常に鼻の奥がツンとなり涙が浮かびそうになってしまう。それは悲しい涙ではなく、当たり前のことに感謝出来るようになった自分自身にだ。そしてなによりも、愛するリオが側にいる。
「エドと二人で島に持って行く物の話し合いをしていいですか」
「ああ、いるものなら何でも用意するからゆっくりと考えておいで。私達はしばらくここに滞在させていただく予定だから」
「ありがとう、お父さん、お母さん」
チュッと音を立ててリオが両親の頬にキスをし、僕の手を引いて二人の部屋に向かう。あんなにもいろんなことがあったのに、リオの綺麗な心は決して汚れたりしない。楽しければ楽しいと全身で示し、怒りや悲しみや不安も隠そうとしない。
──やっぱり、僕のほうがずっとずっと弱い人間かもしれない。僕はリオを助けたのだと思っていたときもあったけれど、助けられたのは僕のほうだ。
「とりあえず、スコールと陽射し避けぐらいは出来る屋根は欲しいかな。木はジャングルに売るほどあるし」
「ベッドは葉っぱのままでいい?」
少し悪戯な笑みでリオが耳元で囁く。僕はチラリと横目で一睨みしてから、軽く向こう脛を蹴ってから笑った。
「どうせ柔らかな布団を持って行ったって、リオのことだし、どこでだって襲ってくるだろ」
「エドが『嫌』って言わないから。それに『ゆっくり』、気持ちいいでしょう?」
「あーあ、ホントに口ばっかり上手くなって」
「……でも柔らかいベッドも好きだけど、葉っぱの布団も俺は好きだよ」
「確かに洗濯の必要もないし……」
「ううん……一番最初にジッとエドを見たのが、葉っぱの上で眠るエドだったから。ジャングルの動物とは違うって思った最初が葉っぱの上のエド」
改めてそう言われると、ひどく懐かしい思い出のような気がした。原住民や人食い人種だと怯えたり、言葉を教えたり──初めてキスをしたり。
部屋に入り、後ろ手にドアを閉めてから僕はリオの首筋に両腕を廻して唇を重ねた。
唇が触れ合う距離でリオが囁く。
「──死が二人を分かつまで」
「ん? 結婚式の?」
「死ぬことぐらいじゃ、俺とエドは離れない」
「……うん」
もう何度聞いただろう。『愛してるよ、エド』とリオが囁き、僕はその言葉に黙って頷いた。
二人を分かつものがあるとしたら、それは一体なんなのだろう。
──僕は思う。もし、もしそういうことがあるのならば、リオの瞳と同じ色をした海の中で二人でひっそりと消えてしまいたいと。
僕たちは出港までの短い時間の中で急いで支度をした。
二入で街まで行って本を購入したり、トランクを新調したり。沢山のものを持っていっても仕方ない。けれど、一緒に暮らしていた中でこれがあったら良かったのにと思えるものはいくつかあって、僕らはそんな細々したものを買い集めた。
忙しい毎日だったけれど二人で行う準備の何もかもが楽しかった。
出港の日。
港には叔父夫婦と、リオの義両親が見送りに来てくれた。
叔父が持つ商船の一角に僕たちは間借りして、島の近くまで連れて行ってもらう予定だった。後は島に近づいたらボートを一つ借りて、島へ上陸する手筈だ。
「じゃあ、元気でなエド。身体にだけは気をつけるんだぞ。定期的に船を送るからそのときには絶対に無事を知らせて……」
「分かってるよ、叔父さん。何度も聞いた。大丈夫だよ、僕には島でずっと生きてきたリオがいる」
「はい、大丈夫です。エドに怪我なんて……絶対にさせません」
僕が叔父夫婦と抱きしめ合い、リオが叔父と強く握手を交わした。リオも義両親と抱擁し合い、僕も『どうぞ無事で』と抱きしめられた。
周囲では同じく船員や旅行者と家族が涙ながらに別れを惜しんでいる。
僕の目にもうっすらと涙が浮かんだけれど、それは別離の涙ではなくて、見送ってくれる全員への感謝の念だった。リオも同じ気持ちだったのだろう。僕の顔を見ると前へ進み出てきれいなお辞儀をした。
「本当に、感謝しています……皆さんも、どうぞお元気で」
「うん、本当にありがとう。これが永遠の別れになるわけじゃないけど、身体には気をつけてね」
僕たちはトランクを持ち、大きくて振って船へと乗り込んだ。
出港の汽笛が鳴り響く。
甲板に出て、僕たちは陸が見えなくなるまでずっとその場で見送っていた。
旅は長かった。
けれどその間にも僕たちは懐かしい海の匂いをかぎ、風にあたって島での生活に夢をはせた。僕たちは船員や商人たちとも仲良くなって、船の操を習ったり、商品を見せてもらったりして過ごした。
そんな風にして、リオの肌も最初に出逢った頃のようにこんがりと焼け、褐色の肌に近づく頃、船は懐かしい島影が見える位置にまで辿り着いた。夕日に映える砂浜、流れる小川に鬱蒼としたジャングル。何もかもが別れを告げた当時そのままだった。
「話は聞いてる。だが、今からでは夜になってしまうので危ない。明日、早朝に出発すると良い」
船長はそう言って、僕らも頷いた。
辿り着く前にボートが岩礁に乗り上げたりしてはかなわない。
そしてともに船内のベッドで過ごす最後の夜。
真っ暗な船内の一室で、リオは隣のベッドから初めてほんの少し心細そうに僕へと呟いた。声はポツリと落ちた。
「エド……本当に良かった?」
「当たり前だよ。逆になんで悪いと思うの?」
「エドを文明から引き離した……」
「違うよ。引き離されたんじゃない、ここへ僕は引き寄せられたんだ。リオとあの綺麗な島にね」
僕がそう言うと、リオがベッドから立ち上がる気配がした。僕も身を起こす。するとリオは裸足で船室に膝を付き、僕の手を取ると、まるで僕へと祈りを捧げるように目を閉じた。
「……ずっと、一緒にいよう」
「もちろんだよ……」
僕らは互いの手に口づけをした。暗闇なので互いの顔は見えない。けれど僕らは長い間互いをそうして見つめ合っていた。夜は静かに更けていった。
僕たちの事情を知っている船長と船員に見送られ、乗客がまだいない早朝の甲板へと出る。小船を水面に下ろし、必要最低限の荷物だけを積み込んでから僕とリオは、懐かしいあの島を目指して船を漕ぎ始めた。
奥はジャングルで覆われているけれど、海からでは断崖絶壁の岩肌しか見えない。改めてこの島が誰の気も引かなかったことに気付いた。
「やっと帰ってきたね、リオ。島に帰ったらなにがしたい?」
「……うーん……あの黄色い果実が食べたい。この暑苦しい服を脱ぎたい、靴も嫌だ」
「街の生活に慣れてるものだと思ったけど、そうでもなさそうだね」
「エドと島のことばかり考えていたせいかな」
そう言った僕もリオと同じようなものだった。小舟が進むスピードがもどかしくて、そのまま服を脱いで海に飛び込んでしまいたくなる。街ではみることが出来ない色鮮やかな熱帯魚の群れ、数メートル先まで見渡せる透明度の高い海水、爽やかな潮の香り、抜け殻だったような僕をいきかえらせてくれる輝く太陽。
「──見えてきた! あの砂浜!」
リオの声に僕は船から体を乗り出して、真っ白な砂浜を凝視する。もう泳いでだって行ける距離だ。砂浜の向こうに青々としたジャングルの木も見えた。
砂浜とジャングルの境目辺りに、僕とリオが初めて出会った葉っぱのベッドのある木陰があるはずだ。
我慢できないというようにリオがジャケットもシャツも脱ぎ落とし、ズボンや下着までも蹴散らかすと大きな水音を響かせて海へと潜る。金色の髪をなびかせ、熱帯魚と戯れるように二度、三度と海中で身を躍らせていた。
僕も身に付けていたものを全て脱ぐと、ギュッと目を閉じて足から水面へ身を沈めた。そんな僕をリオが抱きしめる。そっと目を開くと、泡の中にリオの笑みがあった。
しばらく海中でのハグやキスを楽しんでいたけれど、さすがに呼吸が続かなくなって肩口まで水面から身体を出す。
「島に来て、いま一番やりたいこと思い出した」
金髪から海水の雫を滴らせながらリオが僕に唇を重ねる。
「ん? なに? 黄色の果実じゃないなら、ヘビかな」
「ヘビも久しぶりに食べたいけど……」
「遠慮するなんてリオらしくない」
「『駄目』って言わない?」
リオの海水に濡れた掌が僕の背をそっと撫でる。首筋から背骨を伝って臀部の割れ目を人差し指がいききする。
「──エドと『ゆっくり』したい。もう一度、ここで最初からエドとの生活を始めたい。葉っぱのシーツの上で、二人で夜がくるまで『ゆっくり』しよう」
どんな口説き文句よりもそれは魅力的な誘いに違いなかった。
「リオが僕にベッドを作ってくれるなら」
「ふかふかの葉っぱのベッドにする」
「……リオとたくさん『ゆっくり』したい……」
「キスもたくさん?」
「飽きるぐらいにたっぷりと」
「エドのキスに飽きるなんて死ぬまでないと思うけど」
僕たちは海面に身を漂わせながら、もう一度、長い長いキスをした。
──ただいま。僕たちの青い島。ただいま、リオ。神様にこれほど感謝したことは生まれてこのかたなかった。僕とリオを出会わせてくれて、ありがとう。この島に戻らせてくれて、本当にありがとう。
──愛してる……リオ。
【END】
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