強制力がなくなった世界に残されたものは

りりん

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その時世界は

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  空が抜けるように蒼く澄んだその日、一人の公爵令嬢がこの世を去った



  「公爵令嬢、お前との婚約を破棄する。そして、ここにいる聖女となった男爵令嬢との婚約を宣言する」

  王城での舞踏会が開かれた日、王太子は公爵令嬢に婚約破棄を突き付けた
  王太子の隣には震えながら涙を浮かべた小柄な男爵令嬢が撓垂れ掛かっている
  舞踏会に集まった貴族は拍手をしてそれを歓迎した
  それだけならまだ良かったのかもしれない、その後に続く王太子の発言に、公爵令嬢は唖然とした

  「お前は、聖女である男爵令嬢を虐め虐げた。ドレスを破り、持ち物を盗み、私に愛されている男爵令嬢に嫉妬して階段から突き落として怪我をさせた。健気にも虐めに耐えていた男爵令嬢が、怪我をさせられた事でお前を怖がっている。私もそんな女をこの国で生かしておくわけにはいかないと思う」

  公爵令嬢は顔を真っ青にして声をなくしていた
  男爵令嬢を虐めた事もなければ、階段から突き落とすなどとしたこともない。冤罪である

  「申し訳ありません、我が家の汚点であります。娘は今、この時をもって廃嫡といたします」

  令嬢の父である公爵が娘に飛び掛り頬を殴りつけた
  公爵令嬢は床に倒れ込んだ
  痛みと父に殴りつけられた恐怖に呆然としている公爵令嬢を駆け付けた騎士が乱暴に引き起こして立たせた

  「公爵令嬢は公開処刑にてギロチンの刑に処す。今日をもって公爵令嬢ではなくなった平民の娘故、処刑の日まで地下牢に入れておけ」

  国王が言い渡すと騎士達が娘を棒で殴り追い立てながら会場を引き摺り出されて行った

  地下牢に入れられた娘は、聖女を虐めた罰だと、食事もろくに与えられず理不尽な暴力さえ振るわれた

  冤罪だと訴えれば更に酷い暴力が加えられる
  娘は何もかも諦めた、冤罪だと訴える事もしなくなった
  黙って理不尽な暴力を受ける
  指は有り得ない方向に折れ曲がり、綺麗だった髪は無惨に切り刻まれ、顔は腫れ上がっていた
  痛みを訴えるはずの声も、流す涙すらも失くした

  処刑当日の朝、男爵令嬢を連れた王太子が地下牢に降りてきた
  無惨な姿を嘲笑う王太子に

  「きゃあ、怖いっ、酷いですぅ」

  男爵令嬢が王太子に抱きつきながらわざとらしい声を上げる
  王太子は男爵令嬢を抱き締めて撫でながら

  「流石男爵令嬢は慈悲深いな、酷い事をされた女に情けをかけるとは」

  娘からはニヤニヤと笑みを浮かべる男爵令嬢の顔が見えていた
  今更何も言う事はないが

  「公爵は、お前の犯した誤ちの責任を取りたいと、男爵令嬢を養女に迎えた。夫人も弟君も、元姉の非道を恥じていたぞ」

  娘は無言で一言も声を発さなかった
  王太子は顔を歪めて

  「ふてぶてしい女だ、流石聖女を虐めるだけの女だな。親切に教えにきてやったのだ、有り難く思え」

  吐き捨てるようにして男爵令嬢を抱き寄せながら去っていった

  

  縄で拘束された娘が引き摺られるように公開処刑の場に連れられてきた
  ボロボロのドレスに殴られた痕、髪はざんばらで殴られた顔は腫れ上がっている
  まともに歩く事すら出来ない娘に、処刑を見に来た民衆から石が投げつけられ罵倒が浴びせられた

  ギロチン台に固定され………………首が落ちた

  その瞬間拍手喝采が沸き起こったのだった

  「聖女様を虐めた悪女に罰が下った」

  民衆の声が沸き起こる
  王太子の影に隠れるように縋りついていた男爵令嬢の顔には、ニヤリとした醜悪な表情が浮かんでいた

  一週間程した頃、朝から晴れ上がっていた空が昼を過ぎた頃に真っ暗になった
  嵐のように雨が降り始め雷が大きな音をたてた………………………瞬間に人々の頭の中で何かが弾ける音がした

  公爵と夫人、弟は、娘の部屋に飛び込んだ
  綺麗に整頓された、何日も人の温もりを感じない冷たい空間だけが広がっていた
  三人と使用人達は狂ったように家中を駆けずり回って娘の姿を求めた
  その脳裏に過ぎるのは、娘の、処刑の瞬間だった
  床に崩れ落ち悲鳴を上げて泣き叫んだ
  父は最愛の娘を、その手で殴りつけたのだ
  母と弟は、罵倒して罵ったのだ

  王太子は、王城で立ちすくみ叫び声を上げて泣き叫んだ
  国王も王妃も宰相達も号泣していた
  王太子は嵐の中を走った
  処刑された罪人が打ち捨てられた場所に
  頭を失くしたボロボロのドレスを纏ったボロボロの真新しい骸に縋りついて泣き続けた
  嵐の中誰一人、止められる者も声を掛けられる者もいなかった

  優しい娘、優しい姉だった
  いつも穏やかで明るく笑顔の絶えない娘だった
  いつからだったのだろう、公爵家で娘が居場所をなくしていったのは
  父母は娘を詰り、弟は姉を罵った
  聖女を、男爵令嬢を虐める醜い娘だと
  どうしてだろう、そんな事をするような娘でない事は、家族が一番知っていたのに
  たとえ、男爵令嬢に何かしたとしても、娘は公爵令嬢だったのだ、そんな責められるような事でもない
  それに、娘は何度も訴えていたのだ、自分は何もしていないと
  どうしてあんなにも娘を罵り、男爵令嬢を盲目に信じたのか
  なぜ、愛娘を殺して男爵令嬢を養女に迎えなければならなかったのか
  マナーのない男爵令嬢を褒めちぎり、淑女の鏡とまで言われた我が娘を詰ったのか
  
  優しく美しい婚約者だった
  幼き頃から共に学び一緒に笑い一緒に泣き、支え合った、愛する婚約者だった
  何故だろう、男爵令嬢と仲良く寄り添う王太子の姿を見る悲しげな婚約者を蔑み、嘲笑ったのは
  男爵令嬢の言いざまだけを妄信的に信じ、婚約者を罵倒したのは何故だろうか
  虐めたり、ましてや階段から突き落とすようなまねをする事がないのは、誰よりも自分が知っているはずであったのに
  男爵令嬢と一緒にいる所を見ても、悲しげに微笑む婚約者に、自分は何をしたのだろう
  自分は、ボロボロになった婚約者の前で何をした、何を言った

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  敬うべき令嬢に、自分達は何をしたのか

  慈悲深く優しい令嬢だった
  民衆に寄り添いたいと、手を差し伸べてくれた
  そんな令嬢に、自分達は何をしたのか
  石を投げ、罵倒を浴びせたのは何故だったのか

  娘を亡き者にして、何が残ったのか
  
  天真爛漫などではない、マナーも教養もない粗野で傍若無人な女だった
  怖い怖いと泣きながら、次の瞬間には笑って自分の要求をする女だった
  男とみればベタベタと撓垂れ掛かる女だった
  
  嗚呼そうだ、怖い怖いと、公爵令嬢が生きていると怖いとあの女が泣きわめいたのだ

  公爵令嬢が寄り添い手を差し伸べた民衆から、国庫が足りないと、税を取り立てさせた女が残ったのだ
  高価なドレスや宝石を当たり前のように強請る女が残ったのだ

  誰が聖女だと言ったのだ
  聖女とはなんなのか
  傍若無人に振る舞い、贅沢を貪るのが聖女なのか
  
  最後に皆が見た公爵令嬢はどんなだったか
  ざんばらに切り刻まれた髪に腫れ上がった顔、殴られ折れた骨にまともに歩く事すら出来ずにいても、最期まで静かに凛とし続けた令嬢

  娘はいなくなり、誰も灯りを灯す事のない暗闇の国に、嵐は吹き荒び続けた
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