妄想女医・藍原香織の診察室

Piggy

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迷走編

9話【after work】戸野倉 凛太郎 18歳:片思い(藍原編)

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 夕方、いつものように病院を出て駅に向かおうとすると、夕闇の中で、背の高いモデル体型の男の子が振り向くのが見えた。

「あ、藍原先生……」
「え、凛太郎くん……?」

 うわあ、遠目から見ると、かなり目を引くスタイルのよさだわ。芸能人みたい。

「今までずっと林さんのところに? ご苦労様ね」
「いえ、あの、今日は藍原先生にお話があって、待ってました……」

 え、あたしに話って。そのために、いつ出てくるかもわからないあたしを待って、ここに?

「そ、そんなことなら病棟で声をかけてくれればよかったのに! ごめんなさい、待ってるなんて知らなくて。寒かったでしょう?」
「いえ……ほんのちょっと、お時間いただけますか?」

 あたしは凛太郎くんと近くの公園に行った。ベンチに座ると、凛太郎くんが話し始めた。

「藍原先生……林先生は、あとどれくらい生きられますか」

 え!? 何だか突然重たい話題だけど、林さん、そんな病気じゃないし。

「あの、肺炎と肺気腫ですから、そんな悲観的にならなくてもいいですよ。肺炎はこのまま治れば後遺症もないでしょうし、肺気腫は、ちゃんと禁煙してお薬を使えば、今より悪くなるのを食い止めることはできますから。……いきなり、どうしたんですか?」

 凛太郎くんはため息をついた。

「林先生は……命に執着のない人なんです。タバコもいくらいってもやめないですし、たぶん、やめる気もないんです。肺気腫の治療だって、真面目にやるかどうか……」

 命に執着がない、か。それは何となく、あたしも感じてた。自分の体に関心がないというか。

「それは凛太郎くんも、もどかしいですよね」
「林先生は、絵を描くことにしか執着がないんです。僕は、少しでも先生に長生きしてもらって、素晴らしい絵をたくさん描いてほしい。でも、その気持ちがなかなか先生に伝わらないんです」

 凛太郎くん、すごく苦し気に話すのね……。

「僕は、林先生の絵への欲がもっともっと深く大きくなったら、生への意欲も増すんじゃないかと思うんです。僕は1年前から先生のモデルをやっているけれど、……残念ながら、僕の力では、そこまで先生の情熱を引き出すことができない」
「そうなの? 林さんは、ずいぶんとあなたを信頼して頼っているように見えるけど……」
「頼られるのと、モデルとして優秀なのとは別です……。僕は全力を尽くしているつもりですが、たぶん林先生には、まだ……先生の求める官能の極みは、僕を通しては見えてこない……」

 そういって寂し気に笑う凛太郎くんは、もう恋する少年そのもので。あたしは胸がきゅうっと痛んだ。

「あの、凛太郎くん。間違っていたらごめんなさい。あなたは……林さんのことが、好きなのね?」

 凛太郎くんの目から涙がこぼれた。

「尊敬していますし、愛しています。林先生が愛とエロティシズムの行きつく先を描きたいというのなら、そのモデルは、僕にしかできない。そう思って、ずっとやってきました。でも……僕じゃ、無理なんです……」

 そうか……やっとわかった。あのとき病室で見た、凛太郎くんの裸。ものすごくびっくりしたけど、同時に、とてもきれいだと思った。それは、単にヌードだからだとか、凛太郎くんが美少年だからとかではなかったんだ。凛太郎くんの全身から、林さんへの愛が溢れていたから……だから、あんなにも美しかったんだわ。凛太郎くんは、林さんを愛している。でも、林さんは、凛太郎くんではなく、彼を通して見えてくるはずの究極の美を探し求めている。……これほど辛い片想いがあるかしら。

「でも、藍原先生……いえ、香織さん。林先生は、僕には見出せなかったものを、あなたに見出そうとしている」
「え……?」

 凛太郎くんは、まっすぐなまなざしであたしを見た。

「林先生は、あなたにこそ究極の美が隠れているのではないかと、考えていらっしゃいます。この前、ほんのわずかでしたが、香織さんの変化を見て、ますますその思いを強めたようです」
「えっと……どういうことかしら……」
「香織さん。あなたが感じている姿を見て、その先が見たいと、林先生はおっしゃっていました」

 ちょっと待って。風向きが急に変わってきたわよ?

「今日は、僕からもお願いするためにずっと待っていました。香織さん、林先生のモデルに、なっていただけませんか?」
「ええ!? モデルって、だって今の話だと……その、ただのモデルどころか、ぬ、ヌードどころか……」
「あなたが感じているところを、見せていただきたいのです」

 いやいや、それをサラッといわないでよ、凛太郎くん! あ、あの先なんて、とても見せられたもんじゃないわよっ!?

「で、でも凛太郎くん、あたしがモデルになったら、凛太郎くんの気持ちはどうなるの……」
「僕は、林先生の役に立ちたいんです。林先生が満足いく作品を生み出せるのなら、僕の私情なんてどうでもいいんです」
「そ、そんな悲しいこといわないで……」
「でも事実、林先生は僕ではなく、香織さんの姿により強いエロスを感じているんです。林先生を満足させられるのは、香織さんしかいません」

 うう、林さんをそこまで献身的に想う凛太郎くんに、応えてあげられたらとは思う。それは思うけど……さすがに、裸になってエロいことされて感じてるところを見せろなんて、それは、無理!

「……ごめんなさい、凛太郎くん。本当に申し訳ないけど、あたしには、ちょっと……」

 そういうと、凛太郎くんは悲し気に視線を落とした。

「……そうですか……。残念です……。林先生も、さぞ残念がるでしょう……」

 ああ、ものすごい罪悪感。でもやっぱり、それは引き受けられない。だって、あれ以上エロいことって……凛太郎くんの指が、あたしのあんなとこやこんなとこを、ああしてこうして……ああっ、こんな美形少年にえろえろ、じゃない、いろいろされたら、そりゃあ感じちゃうでしょうけど。凛太郎くんだって、好きでもない女の体なんて、本当はいじりたくないはず。それも、愛する林さんの目の前で……。

「わかりました。……もし気が変わったら、いつでもいってください……」

 凛太郎くんは肩を落として帰っていった。
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