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Ⅰ 強奪
3. 思いがけない申し出(1)
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二年前、魔王の幼い弟を救ったレイは、異界の英雄として名誉ある位を授けられ、以来いつでも王宮内に出入り自由の身となった。
そうして何度か王宮内に足を運ぶうち、国を束ね、民を安寧な暮らしへと導いていく王としての責務が、思った以上に過酷であることを知った。
臣下の中には権を振りかざし、王の目を盗んで悪事を企む輩もいる。
魔王の弟が誘拐されたのも、国政内に力を持ち、魔王のやり方に異を唱える者の謀略だったと聞く。
政の有様について縁遠い、庶民のレイではあったが、魔王は王としての器をすべて兼ね備えた、稀に見る立派な人物に思えた。そしてその思いは、魔王と2年付き合ううち、確信に変わった。
魔界の民にとって、彼はかけがえのない優れた王であり、強い光であった。
しかし光は強ければ強いほど、濃い影を落とすものである。
王宮内に蔓延る暗い影との闘いから、魔王が早く解放されることを、レイはただ祈るしかなかった。
「あんまり気にすんなよ、魔王。だれが何をしようと、あんた以外の王なんて、あり得ない。――どんな局面でも、あんたなら乗り越えられるさ。もちろん、俺にできることがあれば、いつでも手を貸すぜ? まあ、あんたと違って俺にできることといったら、王宮内で愛敬を振りまくことぐらいだろうけど……でも結構、俺の笑顔は効果絶大だぜ。政敵とやらも、おまえの側に寝返らせてやるよ! まかせとけって、ははははは……」
わざとふざけて明るい雰囲気を作ろうとしたが、見事に失敗したとみえて、魔王はにこりともしなかった。かわりに重いため息をつく。
「おまえの笑顔の威力は知っているが……。別に、連中のことを気にしているわけではないのだ。奴らの嫌がらせを苦にしたところで、事態は好転せぬからな。……ただ、あまりの忙しさに、おまえに会いに来る時間を捻出するのが難しく、それが私には苦痛なのだ」
静かな声で言い終えた魔王は、微熱でもあるかのような潤んだ瞳で、レイを見つめた。
その視線を受けて、レイの鼓動が一瞬大きく跳ね上がる。
薄暗い部屋の中が、どこか別の世界のように感じられ、レイはわけの分からない息苦しさに喉を詰まらせた。
「あっ……あんたさ、そういうの、くどき文句っていうやつ、女に言うもんだろ? まったく、よっぽど疲れてんだな。誰か甘やかしてくれる奴、傍にいないのかよ?」
顔を赤くして、焦りながらまくしたてるレイとは対照的に、魔王はどこまでも静かだ。その静けさが嵐の前触れのような気がして、いっそうレイを落ち着かない気持ちにさせる。
「甘えられる者など、いるものか。私は王だぞ。孤高の存在だ。……だが、おまえが許してくれるなら、私はおまえに甘えたいと思う」
そう言い終わるより早く、魔王は身をかがめ、隣に座っているレイの腰に抱きついてきた。
「なっ……! ちょっと待て! おいおいおい、おいって……魔王!」
「頼む……少し、このまま休ませてくれ」
レイの膝の上に頭を乗せ、魔王がぐったりと体を預けてくる。
いつになく疲れきったその様子に、胸が痛む。
レイはひとつ溜息をつき、仕方ない、と振り解こうとした手をゆるめた。
立派な体格の男に、子供のように甘えられ、本来なら気持ち悪いと思っても差し支えのない状況なのに、不思議とレイは安らかな心地になった。
(睡眠時間を削って、俺に会いに来たのだろうか……)
そう思うと、何かが胸に込み上げてくる。切ないような、泣きたいような、じんわりと生温かい感情が、心中に広がってゆく。
レイは戸惑いながらも、膝の上で寝息を立て始めた男の、柔らかい金髪を労るように撫で始めた。……そうすることが、ごく自然な気がして。
――どれほどの間、そうしていただろうか。
やがて外の通りで、流しの歌うたいの男が、手に持ったリュートを演奏しながら、よく響く声で歌い始めた。
階下の食堂で、騒いで酒を酌み交わしていた客たちの声がぴたりと収まり、皆がその男の歌声に聞き惚れている様が伝わってくる。
――それはどうやら、恋歌のようだ。
月の光のようにあえかな娘に恋した男が、溢れる想いをいかにして伝えるべきか、悩み苦しんでいるという内容で、哀切に満ちた歌詞と旋律が、聞く者の心を抉る。
やがて歌が終わり、宿の客たちがどっと拍手喝采を始めると、てっきり眠っていると思っていた魔王が、口を開いた。
「まるで今の私の心境を、代弁するかのごとき歌だな……」
それを聞いた瞬間、レイの胸にひやりと冷たい帳が下りた。
(魔王には、誰か好きな女がいるのか!?)
心臓をぎゅっと掴まれたような気がして、レイが体を強張らせたとき、腰に回されていた魔王の腕が、ひときわ強くレイを抱きしめた。
苦しい、と抗議の声を上げるより早く、魔王の次の言葉が、レイの脳内を硬直させる。
「私の妃に、なってくれぬか、レイ。私はおまえを愛している」
そうして何度か王宮内に足を運ぶうち、国を束ね、民を安寧な暮らしへと導いていく王としての責務が、思った以上に過酷であることを知った。
臣下の中には権を振りかざし、王の目を盗んで悪事を企む輩もいる。
魔王の弟が誘拐されたのも、国政内に力を持ち、魔王のやり方に異を唱える者の謀略だったと聞く。
政の有様について縁遠い、庶民のレイではあったが、魔王は王としての器をすべて兼ね備えた、稀に見る立派な人物に思えた。そしてその思いは、魔王と2年付き合ううち、確信に変わった。
魔界の民にとって、彼はかけがえのない優れた王であり、強い光であった。
しかし光は強ければ強いほど、濃い影を落とすものである。
王宮内に蔓延る暗い影との闘いから、魔王が早く解放されることを、レイはただ祈るしかなかった。
「あんまり気にすんなよ、魔王。だれが何をしようと、あんた以外の王なんて、あり得ない。――どんな局面でも、あんたなら乗り越えられるさ。もちろん、俺にできることがあれば、いつでも手を貸すぜ? まあ、あんたと違って俺にできることといったら、王宮内で愛敬を振りまくことぐらいだろうけど……でも結構、俺の笑顔は効果絶大だぜ。政敵とやらも、おまえの側に寝返らせてやるよ! まかせとけって、ははははは……」
わざとふざけて明るい雰囲気を作ろうとしたが、見事に失敗したとみえて、魔王はにこりともしなかった。かわりに重いため息をつく。
「おまえの笑顔の威力は知っているが……。別に、連中のことを気にしているわけではないのだ。奴らの嫌がらせを苦にしたところで、事態は好転せぬからな。……ただ、あまりの忙しさに、おまえに会いに来る時間を捻出するのが難しく、それが私には苦痛なのだ」
静かな声で言い終えた魔王は、微熱でもあるかのような潤んだ瞳で、レイを見つめた。
その視線を受けて、レイの鼓動が一瞬大きく跳ね上がる。
薄暗い部屋の中が、どこか別の世界のように感じられ、レイはわけの分からない息苦しさに喉を詰まらせた。
「あっ……あんたさ、そういうの、くどき文句っていうやつ、女に言うもんだろ? まったく、よっぽど疲れてんだな。誰か甘やかしてくれる奴、傍にいないのかよ?」
顔を赤くして、焦りながらまくしたてるレイとは対照的に、魔王はどこまでも静かだ。その静けさが嵐の前触れのような気がして、いっそうレイを落ち着かない気持ちにさせる。
「甘えられる者など、いるものか。私は王だぞ。孤高の存在だ。……だが、おまえが許してくれるなら、私はおまえに甘えたいと思う」
そう言い終わるより早く、魔王は身をかがめ、隣に座っているレイの腰に抱きついてきた。
「なっ……! ちょっと待て! おいおいおい、おいって……魔王!」
「頼む……少し、このまま休ませてくれ」
レイの膝の上に頭を乗せ、魔王がぐったりと体を預けてくる。
いつになく疲れきったその様子に、胸が痛む。
レイはひとつ溜息をつき、仕方ない、と振り解こうとした手をゆるめた。
立派な体格の男に、子供のように甘えられ、本来なら気持ち悪いと思っても差し支えのない状況なのに、不思議とレイは安らかな心地になった。
(睡眠時間を削って、俺に会いに来たのだろうか……)
そう思うと、何かが胸に込み上げてくる。切ないような、泣きたいような、じんわりと生温かい感情が、心中に広がってゆく。
レイは戸惑いながらも、膝の上で寝息を立て始めた男の、柔らかい金髪を労るように撫で始めた。……そうすることが、ごく自然な気がして。
――どれほどの間、そうしていただろうか。
やがて外の通りで、流しの歌うたいの男が、手に持ったリュートを演奏しながら、よく響く声で歌い始めた。
階下の食堂で、騒いで酒を酌み交わしていた客たちの声がぴたりと収まり、皆がその男の歌声に聞き惚れている様が伝わってくる。
――それはどうやら、恋歌のようだ。
月の光のようにあえかな娘に恋した男が、溢れる想いをいかにして伝えるべきか、悩み苦しんでいるという内容で、哀切に満ちた歌詞と旋律が、聞く者の心を抉る。
やがて歌が終わり、宿の客たちがどっと拍手喝采を始めると、てっきり眠っていると思っていた魔王が、口を開いた。
「まるで今の私の心境を、代弁するかのごとき歌だな……」
それを聞いた瞬間、レイの胸にひやりと冷たい帳が下りた。
(魔王には、誰か好きな女がいるのか!?)
心臓をぎゅっと掴まれたような気がして、レイが体を強張らせたとき、腰に回されていた魔王の腕が、ひときわ強くレイを抱きしめた。
苦しい、と抗議の声を上げるより早く、魔王の次の言葉が、レイの脳内を硬直させる。
「私の妃に、なってくれぬか、レイ。私はおまえを愛している」
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