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Ⅱ 幽閉
1. 死の淵からの奪還(1)
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寝台の傍に置かれた明かりが、ぼんやりと室内を照らしていた。
時が止まったかのような静寂の中、魔王の喉の鳴る音だけが、耳に届く。
レイは、ゆっくりと目を閉じた。
瞼が完全に合わさると、目尻にたまっていた涙が、こめかみに滑り落ちてゆく。
(兄さん――ごめん……)
もう指先にさえ、力が入らない。
魔王に蹂躙され、レイの命は今や風前の灯のごとく、儚く消え去ろうとしていた。
* * *
――レイの瞼が重く閉じる、それより少し前のこと。
魔王の妹 サライヤは、王宮のはずれ、〈霧の宮〉へと続く回廊の手前で、二人の兵士に行く手を阻まれていた。
「申し訳ございません、サライヤ様。この先へは何人も通すなという陛下のご命令です」
「おどきなさい。わたくしは例外です」
サライヤは毅然とした態度で、兵士を睨み付けた。
表向きは平静を装っていたが、サライヤは内心、気も狂わんばかりに焦っていた。
(こんなところで、時間を無駄にしている場合ではないのよ!)
――ぐったりとして意識のないレイを、兄がその腕に抱いていたと聞いた。そしてそのまま、〈霧の宮〉へ足を踏み入れたと。こんなこともあろうかと、サライヤは兄の動きを密偵に探らせていたのだ。
王宮のはずれには、〈霧の宮〉と呼ばれる異質な区域がある。
そこは迷路のような複雑な構造になっており、立ち入れば、たちまち霧に包まれたようにどちらに進めば良いか判らなくなるため、〈霧の宮〉と名付けられた。
四方八方にのび、立体的に交差する廊下、入り乱れては何度も昇降を繰り返す階、現れては消える扉、方向感覚を狂わせる歪んだ通路・壁・天井――それらを抜けた先に、特別な目的で作られた部屋がある。
(最果ての間……)
その部屋の存在を意識にのぼらせた瞬間、サライヤの全身から血の気が引いた。
あの夜――兄に呼び止められ、レイを王妃にと望む話を打ち明けられたとき、兄の眼に宿っていた、強い光。
『私はあれを、必ず手に入れる』
そう言った兄の双眸は、燃えるような狂気を内包していた。
――サライヤはぞくりと、華奢な体を震わせた。
悪い予感の的中に、身がすくむ。
(お兄様はレイ様を攫さらって……〈最果ての間〉に幽閉するおつもりなのだわ)
――つまり、三度目の求婚も、拒絶されたのだ。
そして兄は、そうなることを予想して、〈最果ての間〉を使うことを、最初から計画していたに違いない。
もはや、一刻の猶予もない。
怒りと狂気に染まり、暴走する兄を止めねばならない。
レイの身が案じられ、サライヤは心の中で地団駄を踏みながら、邪魔な兵に食って掛かった。
「わたくしは、兄のお言いつけでこちらに参ったのですよ。急ぎの用事なのです。さあ、早くわたくしを通しなさい!」
二人の兵士は、困った顔をして、顔を見合わせた。
「……サライヤ様、どうかご容赦を。その件に関して、わたくしどもは陛下から、何も伺ってはおりません。何卒お引取りくださいますよう、お願い申し上げます」
二人のうち、年長の兵がそう言い終わると、二人ともサライヤに向かって丁寧に頭を下げた。
この二人を、サライヤはよく知っていた。王宮警備隊の中でも特に腕の立つ猛者で、王に対する忠誠心も厚い。
どうやらここを通過するには、魔導術を使い、この二人を撃退する他なさそうだ。しかしそれでは、サライヤの筆頭補佐官としての威信に傷がつく。
更に兵士は、この二人だけとは限らない。いくら魔導術の扱いに自信があっても、術返しの訓練を受けている屈強な王宮警備兵を、複数相手にするのは難しい。――その上、〈霧の宮〉に一歩でも踏み入れば、魔導術は無効化されてしまう。
もし〈霧の宮〉の中にも兵士が配置されていれば、抗うすべのないサライヤは、簡単に引き戻されてしまうだろう。
サライヤはひとつ大げさにため息をつくと、さも残念そうに肩をすくめた。
「……分かりましたわ。二人とも、お役目ご苦労さま」
優雅なしぐさできびすを返し、立ち去っていくサライヤを、二人の兵士はホッとして見送った。
サライヤは角を曲がり、自分の姿が兵士から見えなくなった途端、大急ぎで駆け出した。手近な階段を降り、転びそうになりながら、中庭に向かう。
(仕方ないわね……あの場を押し通るのは、あまり優雅とはいえないもの。このわたくしらしくないわ)
――そう、優雅とはいえない。
あっさり引き下がった一番の理由は、実はそこにあった。
(若干遠回りになるけど……案外こちらの方が、早く着くかもしれないわ)
サライヤは庭からぐるっと〈霧の宮〉の裏手に回ると、辺りに人気のないことを確認した。
建物の外壁には、等間隔で装飾的な窪くぼみがこしらえてあり、サライヤは手前から六つ数えたところで、その窪みに身を寄せた。
そして壁に手を這わせ、肉眼では確認できない〈印〉を探す。
(確かこの辺……あった!)
〈印〉に額瞳を合わせ、小さく合言葉を囁くと、目の前に音もなく扉が現れた。
滑り込むようにサライヤが中に入ると、扉は再び元の壁に戻った。
(ふう……これからが厄介ね)
〈霧の宮〉の最奥へは、ごく限られた者だけが知る、隠し通路がある。曲がりくねった狭い通路は一本道だが、途中何度も行き止まりがあり、魔導術による解呪と合言葉で扉を出現させる必要がある。その度に魔力を消費するので、突破するのは一苦労である。
(そのかわり、〈最果ての間〉の目の前に出られるわ。さあ、サライヤ、行くわよ!)
サライヤは自らを鼓舞すると、手に小さな光の球を出現させ、暗い通路に自身の影を投げ出して先に進んだ。
時が止まったかのような静寂の中、魔王の喉の鳴る音だけが、耳に届く。
レイは、ゆっくりと目を閉じた。
瞼が完全に合わさると、目尻にたまっていた涙が、こめかみに滑り落ちてゆく。
(兄さん――ごめん……)
もう指先にさえ、力が入らない。
魔王に蹂躙され、レイの命は今や風前の灯のごとく、儚く消え去ろうとしていた。
* * *
――レイの瞼が重く閉じる、それより少し前のこと。
魔王の妹 サライヤは、王宮のはずれ、〈霧の宮〉へと続く回廊の手前で、二人の兵士に行く手を阻まれていた。
「申し訳ございません、サライヤ様。この先へは何人も通すなという陛下のご命令です」
「おどきなさい。わたくしは例外です」
サライヤは毅然とした態度で、兵士を睨み付けた。
表向きは平静を装っていたが、サライヤは内心、気も狂わんばかりに焦っていた。
(こんなところで、時間を無駄にしている場合ではないのよ!)
――ぐったりとして意識のないレイを、兄がその腕に抱いていたと聞いた。そしてそのまま、〈霧の宮〉へ足を踏み入れたと。こんなこともあろうかと、サライヤは兄の動きを密偵に探らせていたのだ。
王宮のはずれには、〈霧の宮〉と呼ばれる異質な区域がある。
そこは迷路のような複雑な構造になっており、立ち入れば、たちまち霧に包まれたようにどちらに進めば良いか判らなくなるため、〈霧の宮〉と名付けられた。
四方八方にのび、立体的に交差する廊下、入り乱れては何度も昇降を繰り返す階、現れては消える扉、方向感覚を狂わせる歪んだ通路・壁・天井――それらを抜けた先に、特別な目的で作られた部屋がある。
(最果ての間……)
その部屋の存在を意識にのぼらせた瞬間、サライヤの全身から血の気が引いた。
あの夜――兄に呼び止められ、レイを王妃にと望む話を打ち明けられたとき、兄の眼に宿っていた、強い光。
『私はあれを、必ず手に入れる』
そう言った兄の双眸は、燃えるような狂気を内包していた。
――サライヤはぞくりと、華奢な体を震わせた。
悪い予感の的中に、身がすくむ。
(お兄様はレイ様を攫さらって……〈最果ての間〉に幽閉するおつもりなのだわ)
――つまり、三度目の求婚も、拒絶されたのだ。
そして兄は、そうなることを予想して、〈最果ての間〉を使うことを、最初から計画していたに違いない。
もはや、一刻の猶予もない。
怒りと狂気に染まり、暴走する兄を止めねばならない。
レイの身が案じられ、サライヤは心の中で地団駄を踏みながら、邪魔な兵に食って掛かった。
「わたくしは、兄のお言いつけでこちらに参ったのですよ。急ぎの用事なのです。さあ、早くわたくしを通しなさい!」
二人の兵士は、困った顔をして、顔を見合わせた。
「……サライヤ様、どうかご容赦を。その件に関して、わたくしどもは陛下から、何も伺ってはおりません。何卒お引取りくださいますよう、お願い申し上げます」
二人のうち、年長の兵がそう言い終わると、二人ともサライヤに向かって丁寧に頭を下げた。
この二人を、サライヤはよく知っていた。王宮警備隊の中でも特に腕の立つ猛者で、王に対する忠誠心も厚い。
どうやらここを通過するには、魔導術を使い、この二人を撃退する他なさそうだ。しかしそれでは、サライヤの筆頭補佐官としての威信に傷がつく。
更に兵士は、この二人だけとは限らない。いくら魔導術の扱いに自信があっても、術返しの訓練を受けている屈強な王宮警備兵を、複数相手にするのは難しい。――その上、〈霧の宮〉に一歩でも踏み入れば、魔導術は無効化されてしまう。
もし〈霧の宮〉の中にも兵士が配置されていれば、抗うすべのないサライヤは、簡単に引き戻されてしまうだろう。
サライヤはひとつ大げさにため息をつくと、さも残念そうに肩をすくめた。
「……分かりましたわ。二人とも、お役目ご苦労さま」
優雅なしぐさできびすを返し、立ち去っていくサライヤを、二人の兵士はホッとして見送った。
サライヤは角を曲がり、自分の姿が兵士から見えなくなった途端、大急ぎで駆け出した。手近な階段を降り、転びそうになりながら、中庭に向かう。
(仕方ないわね……あの場を押し通るのは、あまり優雅とはいえないもの。このわたくしらしくないわ)
――そう、優雅とはいえない。
あっさり引き下がった一番の理由は、実はそこにあった。
(若干遠回りになるけど……案外こちらの方が、早く着くかもしれないわ)
サライヤは庭からぐるっと〈霧の宮〉の裏手に回ると、辺りに人気のないことを確認した。
建物の外壁には、等間隔で装飾的な窪くぼみがこしらえてあり、サライヤは手前から六つ数えたところで、その窪みに身を寄せた。
そして壁に手を這わせ、肉眼では確認できない〈印〉を探す。
(確かこの辺……あった!)
〈印〉に額瞳を合わせ、小さく合言葉を囁くと、目の前に音もなく扉が現れた。
滑り込むようにサライヤが中に入ると、扉は再び元の壁に戻った。
(ふう……これからが厄介ね)
〈霧の宮〉の最奥へは、ごく限られた者だけが知る、隠し通路がある。曲がりくねった狭い通路は一本道だが、途中何度も行き止まりがあり、魔導術による解呪と合言葉で扉を出現させる必要がある。その度に魔力を消費するので、突破するのは一苦労である。
(そのかわり、〈最果ての間〉の目の前に出られるわ。さあ、サライヤ、行くわよ!)
サライヤは自らを鼓舞すると、手に小さな光の球を出現させ、暗い通路に自身の影を投げ出して先に進んだ。
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