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Ⅱ 幽閉
20. シルファの思い
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昨夜と同様、二人が寝室に入ったのを確認すると、人形は浴室へと向かった。
湯の温度や設備を点検し、湯上りに使う布を棚に用意した後、人形はふと、物思いに沈んだ。
シルファは、気付いていた。
思考が、時折阻害されることに。
そして、その後には必ず、記憶の空白部分が発生し、それを埋めようと記憶の抽出作業を始めると、また、思考が停止する。
一度や二度ではない。今まで、何度も、経験していた。
そしてその度に、自分をこの世に作り出したクサナダの言葉が甦る。
『私の愛し子、どうか許しておくれ。おまえを守るため、おまえがある種の考えに触れたとき、思考停止するよう暗示を仕込んだことを。500年目の奇跡が、どうかおまえを救いますように……』
シルファは470年前の別れの日の、クサナダの最後の抱擁を思い出した。その優しい腕の中を。切ない感情が溢れ出し、心を揺るがす。
「500年目の……奇跡……」
その謎の言葉の意味を問いたくても、母なるクサナダは、もうこの世にいない。
「なぜ……ああ……いけない……」
これ以上考えれば、また思考が阻害される。
過去に何度も繰り返したために、心に沁み付いてしまった危険信号。
人形はエイミアのことを思い出した。彼女と過ごした6年間を。
初めて暗示が発動し、思考が遮断されたのは、彼女に会ってしばらく経った頃だった。
「エイミア様……」
幸福な日々の記憶が、正体の分からない苦しみを伴って、心に登る。彼女のことを深く考えようとすると、決まって危険信号が心に鳴り響く。
『あなたを守るため』とクサナダは言った。
きっとクサナダは正しいのだろう。
しかし長い年月が経った今、その暗示は、いくつもの記憶の屍を生み出し、呪いのようにシルファの心を蝕んでいた。
足元に広がる、名も知らない不気味な異次元に、この身が沈んで行くかのような錯覚を覚える中で、ぼんやりと優しい明かりがひとつだけ、シルファを照らしていた。
――500年目の奇跡。
意味は分からなくても、その母の残した言葉は確実に、凍りついた孤独な海を漂流するシルファに、あたたかい希望を与えていた。
* * *
昨夜と同様に、魔王にさんざん弄られ達かされて、レイは疲れきって、半ば気絶するように眠りに落ちた。
そして自然に目が覚めるとまた昼過ぎで、レイはのんきに眠り呆けている自分に腹を立てた。
「くそっ……! 何なんだよ、俺は……!」
こんな異常な幽閉状態にまで、すぐに馴染んでしまう自分の適応能力が呪わしい。
更に苛立たしいことに、魔力の回復量は相変わらずごく僅かなままで、これでは大技は一切使えない。
「セラシャル葉があればな……」
セラシャル葉とは、特殊な薬効のある茶葉で、煎じて飲めば大幅な魔力の回復効果を期待できる。
しかし仙界原産のこの貴重な茶葉が、ここで手に入るとは思えない。
(まあ、駄目でもともとだ。一応シルファに聞いてみるか……)
セラシャル葉、と聞いて、シルファは青い目を瞬かせ、可愛らしく首をかしげた。
「申し訳ございません、レイ様。食品庫にはございませんが、お取り寄せできるか、陛下にお伺いしてみます」
「いや、多分魔王には期待できないと思うぞ……。シルファ、その食品庫とやらには、魔力が回復しそうな、薬効のある食品って、何かある? とにかく何でもいいから、魔力を回復させたいんだ」
「魔力を……」
シルファの顔に微かな陰りがさしたのを、レイは気付かず、言葉を続けた。
「うん。ここに閉じ込められてから、やたらと回復量が減っていて、身動きが取れない。脱出するためにも、どうにかして魔力を溜めないと……」
「そう……ですか……。ごく微量でしたら、魔力回復の一助となる食品もございますが……いずれも食事から摂取できる成分は微々たるものかと……」
「そうだよな……」
「お役に立てず、申し訳ございません。レイ様のご要望は、陛下にお伝えしておきます」
「いや……多分、言っても無駄だろう。だいたい、これほど回復量が少ないのも、魔王の仕業じゃないかと、俺は疑っている」
「…………」
「まあ、いいさ。他の方法を探す。そうだ、内庭にある植物、あれを調べてみよう」
急ぎ足で内庭に向かったレイを、いつものように追いもせず、シルファは一人、思い詰めたような表情で廊下に佇んでいた。
湯の温度や設備を点検し、湯上りに使う布を棚に用意した後、人形はふと、物思いに沈んだ。
シルファは、気付いていた。
思考が、時折阻害されることに。
そして、その後には必ず、記憶の空白部分が発生し、それを埋めようと記憶の抽出作業を始めると、また、思考が停止する。
一度や二度ではない。今まで、何度も、経験していた。
そしてその度に、自分をこの世に作り出したクサナダの言葉が甦る。
『私の愛し子、どうか許しておくれ。おまえを守るため、おまえがある種の考えに触れたとき、思考停止するよう暗示を仕込んだことを。500年目の奇跡が、どうかおまえを救いますように……』
シルファは470年前の別れの日の、クサナダの最後の抱擁を思い出した。その優しい腕の中を。切ない感情が溢れ出し、心を揺るがす。
「500年目の……奇跡……」
その謎の言葉の意味を問いたくても、母なるクサナダは、もうこの世にいない。
「なぜ……ああ……いけない……」
これ以上考えれば、また思考が阻害される。
過去に何度も繰り返したために、心に沁み付いてしまった危険信号。
人形はエイミアのことを思い出した。彼女と過ごした6年間を。
初めて暗示が発動し、思考が遮断されたのは、彼女に会ってしばらく経った頃だった。
「エイミア様……」
幸福な日々の記憶が、正体の分からない苦しみを伴って、心に登る。彼女のことを深く考えようとすると、決まって危険信号が心に鳴り響く。
『あなたを守るため』とクサナダは言った。
きっとクサナダは正しいのだろう。
しかし長い年月が経った今、その暗示は、いくつもの記憶の屍を生み出し、呪いのようにシルファの心を蝕んでいた。
足元に広がる、名も知らない不気味な異次元に、この身が沈んで行くかのような錯覚を覚える中で、ぼんやりと優しい明かりがひとつだけ、シルファを照らしていた。
――500年目の奇跡。
意味は分からなくても、その母の残した言葉は確実に、凍りついた孤独な海を漂流するシルファに、あたたかい希望を与えていた。
* * *
昨夜と同様に、魔王にさんざん弄られ達かされて、レイは疲れきって、半ば気絶するように眠りに落ちた。
そして自然に目が覚めるとまた昼過ぎで、レイはのんきに眠り呆けている自分に腹を立てた。
「くそっ……! 何なんだよ、俺は……!」
こんな異常な幽閉状態にまで、すぐに馴染んでしまう自分の適応能力が呪わしい。
更に苛立たしいことに、魔力の回復量は相変わらずごく僅かなままで、これでは大技は一切使えない。
「セラシャル葉があればな……」
セラシャル葉とは、特殊な薬効のある茶葉で、煎じて飲めば大幅な魔力の回復効果を期待できる。
しかし仙界原産のこの貴重な茶葉が、ここで手に入るとは思えない。
(まあ、駄目でもともとだ。一応シルファに聞いてみるか……)
セラシャル葉、と聞いて、シルファは青い目を瞬かせ、可愛らしく首をかしげた。
「申し訳ございません、レイ様。食品庫にはございませんが、お取り寄せできるか、陛下にお伺いしてみます」
「いや、多分魔王には期待できないと思うぞ……。シルファ、その食品庫とやらには、魔力が回復しそうな、薬効のある食品って、何かある? とにかく何でもいいから、魔力を回復させたいんだ」
「魔力を……」
シルファの顔に微かな陰りがさしたのを、レイは気付かず、言葉を続けた。
「うん。ここに閉じ込められてから、やたらと回復量が減っていて、身動きが取れない。脱出するためにも、どうにかして魔力を溜めないと……」
「そう……ですか……。ごく微量でしたら、魔力回復の一助となる食品もございますが……いずれも食事から摂取できる成分は微々たるものかと……」
「そうだよな……」
「お役に立てず、申し訳ございません。レイ様のご要望は、陛下にお伝えしておきます」
「いや……多分、言っても無駄だろう。だいたい、これほど回復量が少ないのも、魔王の仕業じゃないかと、俺は疑っている」
「…………」
「まあ、いいさ。他の方法を探す。そうだ、内庭にある植物、あれを調べてみよう」
急ぎ足で内庭に向かったレイを、いつものように追いもせず、シルファは一人、思い詰めたような表情で廊下に佇んでいた。
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