虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

文字の大きさ
54 / 80
Ⅲ 誓約

2. サライヤの来訪(2)

しおりを挟む
ほどなくシルファが、茶の仕度を整え、レイは林檎のパイを堪能した。甘く柔らかな林檎の果肉と、サクサクとしたパイ生地が、絶妙の調和を奏で、口の中でとろけてゆく。サライヤの作るカスタードクリームには独特の風味があり、それがまた林檎に程よく絡まってうまかった。
口の中に広がる至福に、レイは夢中になって切り分けられたパイを頬張った。2個、3個と続き、4個目を皿に乗せようかと躊躇ちゅうちょしていると、

「どうぞ、たくさん召し上がって。レイ様のために焼いてきたんですもの」

とサライヤがにっこり微笑んだ。
その言葉に4個目を皿に乗せたレイは、思わず呟いた。

「もし兄さんがこれを見たら、叱られるな。甘いものの食べ過ぎは体に良くないって、いつも俺……」

兄のことを思い出した途端、忘れていた焦燥感が胸に甦り、レイは息を詰まらせた。
その気持ちを感じ取り、サライヤもまた、表情を曇らせる。

「レイ様のお兄様は、わたくしたちとの交流のことを、ご存知なのですか……?」

「いや……兄さんは、何も知らない。俺は誰にも何も……話していないんだ。人間界の何でも屋の俺が、魔界の王族と知り合いだなんてさ……誰も信じないだろ。俺だって意外に思ってるくらいだし……。……もし、このことを知ったら……兄さんは……」

レイはぶるっと身を震わせた。
魔界の王宮の一角で、レイが閉じ込められていると知れば、弟を溺愛している兄――フリューイは、死にもの狂いで助けに来るに違いない。しかしそれこそが、レイの最も危惧する事態であった。

仙界人と魔族は、水と油のように、相容れない。古いおとぎ話で語られるように、魔族の中には未だに仙界人に対して、魔界を出奔した賤民と、蔑視する風潮も見られる。
魔族と仙界人の外見には共通点があるが、仙界人特有の雰囲気は、魔族とは一線を画している。フリューイがもし魔界に入れば、魔族は彼を奇異な目で見て、阻害しようとするだろう。いくらフリューイが魔導術に秀で、屈強であっても、何の伝手つてもないまま魔界に入って無事にすむとは思えなかった。

「サライヤ、手を貸してくれないか。俺はあと1ヶ月程で、家に帰りつく予定になっている。俺はそれまでに、ここから出て家に帰りたい。頼む……俺を助けてくれ」

必死の懇願に、サライヤもまた、真剣な眼差しでレイを見つめた。

「レイ様、わたくしもあなたをお救いしたいと思っております。兄のしたことは許されない非道な行い。……妹として、恥ずかしく思います。……ですが……わたくしは兄と、約束をしたのです」

「約束?」

「はい……。わたくしは兄の申し出を受け、いくつかの条件と引き換えに、30日間の猶予を差し上げました」

「30日……? つまりサライヤは、魔王が俺をここに30日間留め置くことを、承諾したということか?」

「はい……そうです」

サライヤが申し訳なさそうに、目を伏せる。
レイは戸惑ってサライヤを見つめた。

「どうして……30日も?」

「それは……」

サライヤは言い淀んだ。
30日必要なのは、<神聖な誓い>を成就させるためだが、それをレイに告げることはできない。サライヤはレイに<神聖な誓い>に関して告げることを、魔王から口止めされていた。

レイは魔族のしきたりに関して疎く、<神聖な誓い>についても何も知らない。魔王はそのレイの無知を利用して、<神聖な誓い>を成就させようとしていた。それというのも、<神聖な誓い>には、血の交換が必要不可欠になるからだ。レイの同意を得られていない今、そのことを告げれば、レイは吸血行為への不快感から<神聖な誓い>を、ひいては魔王そのものを、ますます拒絶するだろう。

サライヤは言葉を探して束の間目線をさまよわせ、歯切れの悪い口調で返答した。

「それは……それだけあれば、充分だと思ったからでしょう。……30日間というのは、兄の申し出なのです」

レイはサライヤが何かを隠しているのを感じ取ったが、追及はしなかった。彼女から、苦渋に満ちた感情が波のように押し寄せてきたため、サライヤを追い詰めるのをはばかられたために。

(多分、魔王に何か、口止めされているんだ……)

サライヤの心中を推し量り、レイは次の疑問を口にした。

「さっき君の言ってた、いくつかの条件って、何なんだ?」

サライヤは話題が変わったことにホッとして、詰めていた息を吐き出した。この質問に答えるのは、たやすい。

「条件は、封印扉ふういんひの解呪方法を変更しないこと、いつでもレイ様と面会する権利を、わたくしに授けることです。もし……猶予期間に何かレイ様の身に危険が及べば、わたくしは兄との約束を、即刻反故ほごにする覚悟でございます。
……ですが、レイ様。レイ様は、兄の運命のお方と伺っております。それが兄の虚言だとは、わたくしにはとても思えませんでした。もしお二人が運命の絆で結ばれているのなら、今引き離すのは、とんでもない悪行だと……わたくしはそう思い、兄の申し出を、受けたのです」

 ――またか、とレイは思った。
『運命の相手』――魔王もその言葉を口にしていた。

『レイ、おまえは私の運命の相手だ。紛れもなく。おまえの額瞳がくどうは、真実をおまえに告げた。後は魂に従うだけだ』

魔王にそう告げられたときの動揺が甦り、レイは顔が火照り、心臓が踊り出すのを感じた。
――そういえば、初めて抱かれたときも、魔王はしきりに運命がどうとか言っていた。

「いったい……何なんだ、その運命の絆って……どうしてそんなに、それにこだわるんだ?」

紫水晶のようなサライヤの双眸が、驚きに見開かれた。

「ご存知ないのですか? 兄は……何も説明を?」

「詳しくは何も……。魔王はしきりに運命がどうのと言っていたけど……よく覚えていないんだ。……教えてくれ、サライヤ。運命の相手って……何なんだ?」
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。 2026/02/14 累計30万P突破御礼バレンタインSS追加しました 2026/02/15 累計いいね♡7777突破御礼SS 19時に公開します。 様々な形での応援ありがとうございます!

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

すべてを奪われた英雄は、

さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。 隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。 それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。 すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。

処理中です...