虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

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Ⅲ 誓約

15. 決意(1)

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その日の昼過ぎ、サライヤが血相を変えて居間に駆け込んできた。

「レイ様、ご無事ですか?! ああ、良かった……いったい、何があったのですか!?」

そう第一声を放ったサライヤは、顔面蒼白で小刻みに震えていた。
居間で遅い昼食を取っていたレイは、手に持っていたスプーンを取り落とすと、椅子からサッと立ち上がった。

「誰か……被害が出たのか?」

レイの顔から血の気が引く。今朝の魔王の様子なら、周囲に被害が出ても、不思議はない。
サライヤはハッとして、口元を押さえた。

「取り乱して失礼致しました、レイ様。ご心配には及びませんわ」

「サライヤ、隠さず教えてくれ。魔王あいつは怒り狂って、誰かを傷付けたのか?」

(――だとしたら、俺のせいだ)

レイはこぶしをギュッと固めた。
その様子を見て、サライヤが慌てて言葉を継ぐ。

「いいえ! 傷を負った者はおりません。ただ何名かが気絶して……打ち身を作った程度です」

「その人たちは……」

「しばらくすれば意識を取り戻すでしょう。どうかお気になさらず……」

レイは俯くと、つらそうに顔を歪め、唇を噛んだ。
そしておもむろに、話しだす。

「俺は……昨夜、魔王に愛してると告げた」

一瞬、サライヤの顔がパッと輝く。

「!! まあっ……それはっ……」

「そして今朝、世界中で一番幸せだと言った男を……不幸のどん底に突き落としたらしい……。魔王は、烈火のごとく怒って、部屋を出て行った」

「……なぜですの? いったい何が……」

サライヤは戸惑ってレイを仰ぎ見た。

「王妃にならないと、俺が言ったから」

「!」

レイはドサッと椅子に腰を下ろすと、

「あれほど怒るとは思わなかった……」

と、うなりながら頭をかきむしった。
サライヤはレイの傍に腰かけると、少しためらったのち、口を開いた。

「……レイ様、わたくし今日は、兄に口止めされていたことを、お話しようと思います……」

レイの目が困惑の色を浮かべてサライヤを見つめた。

「……いいのか? 話すことで、君の立場が悪くなるんじゃ……」

「構いませんわ。わたくしは、今話すべきだと、そう感じました。どうか聞いてくださいませ」

「待て、サライヤ……」

一つの懸念が頭に浮かび、レイは慎重に言葉を選んでサライヤに向き合った。

「俺は自分が原因で、君と魔王の仲を裂きたくない。サライヤ、君が俺を心配して、力になろうとしてくれるのは、すごくありがたい。けれど、自分を犠牲にはしないでくれ。口止めされてそれを承諾したのなら、黙っていた方がいい」

サライヤは首を振ると、たおやかな手を差し出し、レイの手を握った。

「いいえ、レイ様! わたくしはお話ししたいのです! ずっとずっと……この胸にしまっておくのが、苦しかった! どうかお聞きになって。今ここで話すことが、わたくしの使命なのです!」

サライヤの気迫に圧されて、レイは黙って話を聞くことにした。

サライヤは王妃候補の一件にまつわる、王宮内の権力抗争をかいつまんで話した。それによってレイの身に危険が及ぶかもしれないこと、そのために万が一の事態に備えて、レイが自分の身を守れるように、魔力回復薬を差し入れたこと……そして。

「もし、レイ様が王妃の座を拒むと仰るなら、兄はあなたを諦めて、誰か適当な者を選ばねばなりません。この国を預かる者として、この一件の更なる放置は混迷を一層深め、国政にも支障をきたす事態へと発展するでしょう。……だから兄は……急いだのです。もう猶予は、ほとんどありませんでした」

サライヤが語り終えても、レイは何も言わず、ただ震える息を吐き出して両手に顔をうずめただけだった。その様子を映し出したサライヤの目が、心配気に曇る。

「レイ様……よろしいのですか。あなたの代わりに、他の誰かが、兄と……」

サライヤの言葉が、レイの頭に徐々に浸透し、心を揺さぶる。

――他の誰かが、魔王と。魔王が、俺以外の誰かを……。

そう考えたとき、燃え盛るような嫉妬心が芽生え、狂おしい感情が嵐のように胸中を吹き荒れた。
そしてその後に、何もかもがすうっと遠ざかり、自分一人がストンと何もない暗闇に落ちた気がした。

(いやだ……。絶対に)

「いやだ!!」

顔を覆ったまま、レイが掠れた声でそう叫んだとき、サライヤはホッとして肩の力を抜いた。

「兄にとっても、耐えられるはずがございません。レイ様、どうか兄の隣にお座りください。あなたがそれを受け入れてくだされば、<精霊たち>があなたをお守りするでしょう」

しかしレイには、サライヤのその言葉は届いてはいなかった。

――王妃にならなければ、魔王を失う。

その事実が、レイの心をグサリと突き刺し、五感を遮る。
レイは今朝、自分が魔王に放った言葉を思い出していた。

『周囲はどう思う? 俺みたいな雑種を王妃に据えて……どう反応する? 周りをよく見ろよ……。俺には無理だ』

(周りが見えていなかったのは……俺の方だったのか……)

自分のことばかりを、考えていた。いつのまにか愛されていることに慣れ、それに甘え、魔王の心情を一顧だにしなかった。

(なぜ……言ってくれなかった、魔王……。話してくれていれば……)

――いや、違う。

(俺が、言わせなかったのか……)

レイはズキリと、心を抉るような痛みに襲われた。
頑なに拒絶し、一切聞く耳など持たず、首を振り続け――魔王の期待を、粉々に打ち砕いた。

(俺は、なぜ魔王が俺を王妃に望むのか、その心中を知ろうともしなかった……)

レイはふと、あの宿屋での夜を思い出した。――初めて真剣に口説かれた、あのときの魔王の言葉を。

『私の妃に、なってくれぬか、レイ。私はおまえを愛している』

――どんな気持ちで切り出したのか。

(俺が拒絶すると、分かっていたはずなのに……)

『レイ、頼む。私の妃となって、共に国を支えてくれ』

――共に国を支える。
その意味を、レイは初めて意識した。
魔王の傍らに座り、共に生きるという意味を。

あの夜魔王の発した言葉は、いつのまにかレイの脳裏に染み付き、記憶にくっきりと刻印されるかのように、根を下ろしていた。あのときの魔王の苦しげな表情と共に、今も鮮明に思い出すことができる。

『甘えられる者など、いるものか。私は王だぞ。孤高の存在だ。……だが、おまえが許してくれるなら、私はおまえに甘えたいと思う』

ぐったりと体を預けてきた、疲れきったあの男を――支えることができるなら。

はじめから、選択の余地など、なかったのだ。

(ただ俺は怖気づいて……逃げ出したかったのか。魔王を……愛してると言っておきながら、あいつのためになることを、何一つ考慮しなかった。自分のことばかりを考えて、あいつの背負っている荷を……少しでも軽くしようとは思わなかった)

――これほど、必要とされているのに。

(荷の半分を……背負えるだろうか。この俺に……)

兄フリューイの優しい眼差しと声が、耳元に甦る。

『……何かをひとりで抱え込むことはないんだぞ? 私はいつでも、おまえの荷の半分を、引き受けるつもりだ。――それがどのような、過酷な荷でも』

(兄さん……!)

――兄に、会いたかった。
すべてを投げ出し、あの胸に飛び込んで、小さな子供のように泣きじゃくり、すがりつきたい。
しかし自分が決してそうしないことを、レイには分かっていた。

(持つよ……魔王。あんたの……荷の半分を)
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