山吹アマネの妖怪道中記

上坂 涼

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五頭龍に愛の微笑みを

巫女の成れの果て

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「はあっ!」
 二人は同時に声を発した。
 すると目の前に真っ赤な妖気の結界が出来上がった。結界はびくともしていないように見えたが、二人が結界を両腕で必死に押している姿から、事態は劣勢になりつつあることが伺えた。
「はっはっは。やはりもやはり。さすがは千五百年分の恨みですねえ。ちと苦しいぜ」
 アマネの言う通り、結界は少しずつ押し返されていた。うめき声を上げながら結界を押し返す二人を、空木は怯えて後ろから見ているしか出来なかった。
「アッキーのギターか、カルラちゃんの羽団扇があればなあ。このままじゃ勢いに負けて、弾き飛ばされちまう。そしたら空木はこの瘴気に呑まれて、瞬く間に全身が腐り落ちるだろうよ」
「え、なにお前、迦楼羅天のこともちゃん付けなの?」
「え、そこですか? ……いやまあ、別に私が呼び方を決めたわけじゃないですよ? 俺のことはカルラちゃんと呼べい! って直々に言われたから呼んでるだけでごぜえやす」
「ほんと陽気なヤツなんだな」
 と、野沢がはたと気付いて、言葉を続けた。
「姿をくらました父親を探すより、迦楼羅天を探した方が手っ取り早かったりしねえか? 協力してくれそうだけどな」
「んー。どうでしょう。妖霊界の事情を知る霊や妖怪は、一向に私を避けてますからね。出くわしても口を決して割らない始末なのはアッキーも知っての通り。私を危険な目に遭わせまいと、おとっつぁんが手を回したんでしょうが、とんだ見当違いですよ。父を心配しない娘がどこにいるかってんだよなあ……ほんとに!」
 ぴたりと壁の後退が止まる。
「で、カルラちゃんとやらを探す案は採用で良いのか?」
「うむ。それでいこうか!」
 ぐぐぐとわずかに壁が前へ進む。
「じゃあまずはこの状況を切り抜けねえとな!」
「無事生還出来たら、新宿のタカノフルーツパーラーでお祝いしようぜ!」
「いや、それいつもだろう。完全に常連だろうが」
「確かに!」
 二人は会話をしながら気持ちを高め合った。少しずつではあるが結界を前に押し込んでいく。
「それで? 結界をいつまで押し進めれば終わるんだ」
「彼女の強烈な邪気が、とてつもない速度で近づいてくるのを感じる。おそらく白骨死体の片方……あるいは両方が彼女の瘴気にやられて亡くなったのだろう。彼女は恨み辛みを重ねて、洞窟の奥底でしくしく泣いているだけの女性ではなくなっていたということだな」
「つまりどういうこった」
「今に……ほら来た! 構えろ!」
 構えたことで体勢を崩さないことには成功したが、結界を死守するという目的は失敗に終わった。
「空木さん! 羽団扇を!」
 壁の一部が破壊されて、瘴気が流れ込んでくる。それを見たアマネは咄嗟に空木へ駆け寄り、その手から羽団扇をもぎとった。
「空木さんは絶対に煙には触れないでください!」
 羽団扇がアマネに渡った今、空木は怪奇から身を守る術を持たない。瘴気を吸ったら、身体が内側から腐っていき、ものの数秒で死体と化してしまう。
「アッキー! 結界を解け!」
「おう!」
「……イチかバチか、だが! 死んだら許せよ!」
 彼女はぶわりと羽団扇を扇いだ。すると透明なオーラを纏った狂風が巻き起こり、レーザー光線のように瘴気を大きく穿つ。風で空いた穴の内側から外側にかけて瘴気が霧散していき……消滅した。
 アマネが短く息を吐いた。
「ここらの壁が脆かったら生き埋めだったな」
「だから許せと言ったろう」
 野沢の言葉に返事をするアマネだったが、すぐさま空木に羽団扇を渡す。
「だがまだ終わってないぞ。すぐ目の前に結界を突き破った張本人がいるからな」
 アマネの指を差した方向――空木の背後へと皆が視線を向ける。空木も皆に習って後ろへと振り返った。
「ネタマシイ」
 そう言葉を発した者の影が近づいてくる。紫色の瘴気をまとっているようだ。テラ公の発する明かりで、その姿が少しずつ露わになっていく。
 やがて彼らの前に現れたのは、女性の青白い巨大な顔だった。身体は存在しない。ぽっかりと穴の空いた双眸から瘴気が漏れ出ていて、まるで紫色の涙を流しているようだった。彼女はべっとりとした長髪を地面に這わせ、のそりのそりと近づいてきた。あんぐりと大きな円を描く口からは蛆が湧き出ていた。
「テラスちゃん! 双方の通訳よろしく!」
「はぁ!? なんでウチがそんなことしやんといかんのじゃ!」
 アマネの言葉にテラ公がぷりぷり怒り出す。
「やだなあもう。私が古墳時代の言葉なんて分かるわけないじゃないですかー。ここは古来より日本を見守ってきた大先輩に一肌脱いでもらいたいなあ」
「古墳時代には現代語の基礎は出来とったろうが! 話そうと思えば、話せるやん!」
「テラ公、頼む。時間が無いみたいだ」
 野沢がそう言うと、テラ公はしぶしぶ口をつぐみ、空木の隣に並んだ。
 テラ公は野沢を振り返り、
「新宿、ウチも連れてけよ」
 と言って、玉依姫命の言葉に耳を傾けた。
「――忌々しき空木の者よ。今更何用だ。私がお前を生きて帰すとでも思っているのか?」
 空木は何も言わない。いや、言えなかった。
「おい、しっかりしろ」
 見かねた野沢が後方から声をかけるも、彼は微動だにしなかった。蛇に睨まれた蛙である。玉依姫命は進むペースを緩めない。のそり、のそりと空木にじわじわ近づいていく。もうじき彼の視界は巨大な顔だけで埋まってしまう。
「――無様だな。おのれのような塵芥は早々に腐ってしまえばいいのだ」
 玉依姫命は近づいてくるのと同時に、目から流す瘴気の量を増やしはじめた。
「ち、違うんだ。待ってくれ」
 喉を絞りきってやっと出たような声だった。彼の言葉に玉依姫命の動きが止まる。
「――何が違うというのだ。今更弁解をするというのか。……ならば今すぐ私にハラワタを差し出せるか?」
 空木はまた何も言えない。
「――利のためなら人を陥れることも容易い畜生が。お前らは私に最後まで白羽の矢を立てた。そんな世でも私は強く生き、苦しみの末に龍神様と出逢い、幸せを手にした。だのにお前らは私から奪ったな。迚も斯くても私には幸せなど手にできないと嘲笑うかのように奪ったな」
 玉依姫命はそこで言葉を切った。空木の返答を待っているかのようだ。
「……」
 しかし空木は言い淀んでいる。勇気が出ないのか、言葉を選んでいるのか。
「――返す言葉もないか! それとも今も私を心の内で笑っているのか!? ふざけるな! ふざけるな! ふざけるなよ!」
 玉依姫命は突如、迫り来る速度を上げた。テラ公が発する言葉からは玉依姫命の感情の機微が伝わらなかったが、眼前の本人から発せられる声は明らかに邪悪なものへと変貌していた。
 空木は間もなく訪れるであろう死を、為す術もなく受け入れようとしていた。そっと目を閉じて、父、母、弟、妹を思い浮かべる。
 ごめん……僕、みんなを守れなかった。
「何もせずして命を散らすでない」
 と、突然激しい光が空木の瞼を襲った。何事かと目を開けると、テラ公が空木の前に出ていて、全身から光を放っていた。キィン! という金属音のようなものとともに、玉依姫命が数メートルほど吹き飛ばされる。
 テラ公が空木に顔だけ振り向けて、ふっと笑う。
「これは先行投資や。……あとは分かるな?」
「う、うわああああ!」
 空木は意を決して、玉依姫命に突っ込んだ。両目から溢れ出る瘴気にも構わず、巨大な顔にひしと抱きついた。
「――空木の者よ。なんのつもりだ」
「……すまなかった! 謝って済むことではないのは分かっている! それでも……すまなかった! 貴方が望むのなら、この身体も魂も捧げる。だから家族を呪うのだけはやめてくれないか……お願いだ」
 決死の願いの最中にも、彼の両腕は瘴気に触れて朽ちていく。服はとうに溶け、露出した腕もドロドロになっていく。既に骨の一部が現れ始めていた。それでも彼は、玉依姫命からは離れようとはしなかった。
「頼む……頼むよ」
 と、泣きじゃくりながら玉依姫命にすがりついている。……ここで玉依姫命の両目から漏れ出ていた瘴気の流出が止まった。
「――もうよい」
 テラ公が玉依姫命の言葉を代弁する。
「――これ以上、私に触れたら本当に腕が使い物にならなくなるぞ。離れなさい」
「え?」
 呆気に取られた顔で、空木はそっと玉依姫命から身体を離した。腕を動かせず、そのまま顔から地面に倒れ込む。アドレナリンが出ているのか、大して痛がる素振りは見せない。
「玉依姫命よ。媒体としている妖具を持っているな。それは龍神様からの贈り物か」
 ここでアマネが玉依姫命に声を掛けた。
「――龍神様と同じ気を感じる。ただの人間ではないな。お前はそれを知ってどうするというのだ」
「龍神様のところに連れて行ってやる」
 玉依姫命の動きが完全に止まった。ぴくりとも動かない。
「連れて行くのは私ではなく、ここにいる空木だがな」
「――誠か?」
 空木は息も切れ切れに、声を震わせて答えた。
「ええ、元々そのつもりでした。僕の目的は貴方をこの岩屋から連れ出し、龍神様に再会させることです。それが唯一、僕が出来る罪滅ぼしだと考えました」
「――そうか。お前は命を投げ打った。信じよう。あの時……お前のような者が空木にいればな」
「……必ず、龍神様のもとに連れて行きます」
 玉依姫命の目元がわずかに緩んだように見えた。
「――この島を頼んだぞ。ここは私と龍神様が出逢った場所だ」
「はい」
 彼は涙ながらに答えた。巨大な顔が透明になっていく。
「――私の亡骸はここから一里ほど歩いたところにある。傍らに龍神様から授かった宝珠もあるから、それだけ持っていくと良い。既に宝珠と私は共にある」
 言い終わるのに合わせて、彼女はすぅっと姿を消した。
「どれ、見せてみ」
 テラ公が空木の元に歩み寄る。彼の腕の状態を確認して、険しい表情を浮かべる。
「左腕はもうダメやね。完全に壊死しとる。右腕だけでも治すから待ってな」
 そう言って、空木の右腕に両手をかざした。
 
 玉依姫命の言う通り、一時間ほど歩いたところに白骨死体が転がっていた。彼女の亡骸の傍には玉ねぎのような形をした透明の珠が落ちていた。
 アマネが感嘆の声を上げる。
「久々にまともな妖具に巡り逢えましたね」
「知っているのか?」
 野沢の言葉にため息を吐く。
「アッキーは本当に調べたのかね? これは如意宝珠といって、竜王の脳みその中に存在する宝具だよ。どんな願いでも叶えられる代物だ。
 諸説あるが、大富豪になれたり、万病を治したり、不老不死の力を手に入れたり、自分が思うがままに願いを実現出来ると言われている」
 と、野沢が当然思い浮かぶ疑問を投げかける。
「だとすれば、玉依姫命は何を願ったんだ? どんな願いでも叶うならば、洞窟を抜け出すことなんてチョロいだろう」
 アマネが如意宝珠を手に取り、それをじぃっと見つめた。
「思うに……江ノ島の繁栄じゃないか? 彼女も最後に島を頼むと言っていたしな」
「そんなもんかね」
 野沢が腕を組み、アマネと同じく如意宝珠を見つめる。
「そんなもんだろう。これも推測だが、彼女は五頭龍に見初められ、天女にも例えられるほどの女性だ。慈愛に満ち溢れた優しい人だったんだと思う。自分の欲のために力を使うとは思えない」
「……まあな。空木を殺そうと思えば、もっと手早く殺せたしな。だけどコイツは空木を試した。千五百年分の恨みだぜ? 普通のヤツならとっくのとうに狂ってるよ」
 野沢は如意宝珠を依然として見つめながら言う。彼の言葉にアマネは小さく笑って返す。
「その通り。……実際、彼女はずっと狂気の狭間で揺れていたんだろうよ。初めにぶつけてきた瘴気の大波と、彼女自身の突進は、間違いなく私達をぶっ殺しに来てたからな」
 空木も二人の側に歩み寄って、如意宝珠を見つめた。野沢が苦々しい表情で空木の左腕をちらりと見やる。彼の左腕は第一関節から存在しなかった。アマネの持ってきた包帯でグルグル巻きになっている。テラ公の神通力で出血は止まっているため、包帯は白いままだ。
 空木は如意宝珠にそっと手を乗せて言った。
「玉依姫命は、お前のようなやつが空木にいればと言っていました。慈愛に満ち溢れた人だったとしたら、彼女は人身御供として犠牲になること自体には憤りを感じていなかったのではないでしょうか。……けれど、彼女の優しさに空木は甘えきって、彼女の犠牲はさも当然かのように扱った。それが彼女は許せなかったんじゃないですかね」
 彼の言葉にアマネは頷く。
「かもな。そのような邪な心があったからこそ、空木は玉依姫命への行いを殊更に恥じて、伝書を残したのかもしれない。忘れてはならない罪として」
 野沢がアマネに続く。
「んで、せめてもの償いとして江ノ島をその後も守り続け、玉依姫命と五頭龍を神格化し、常に崇めてきたってことか」
 再びアマネが口を開く。
「だろうな。……とすれば、天皇や将軍、僧といった有権者にだけ真実を伝えて、神格化を手伝ってもらった説も現実味を帯びてくる。アッキーも第一岩屋の時に言っていたが、どう考えても、有権者による江ノ島の逸話が多すぎるからな。何かしら特別な理由があるとは思っていたんだ」
 と、ここでテラ公が手をパンパンと叩き合わせる。
「想像を膨らませて話し合うのも良いが、そろそろ出やんと」
 テラ公も如意宝珠に目をやり、改めて口を開く。
「玉依姫命も待ち遠しくしとるからな」
「そうだな。ほれ、みんな私に掴まってくれ。アッキーはいつもどおり恋人つなぎな!」
 アマネは肩掛けカバンから比翼の紐を取り出し、野沢の手を取った。がっちりと指を絡める。
「いつもどおりってなんだよ!」
「いいからいいからー」
 ぎゃんぎゃん騒ぐ野沢を、彼女は恍惚の表情でなだめる。
 空木は苦笑いを浮かべてアマネの服の裾を、テラ公は不服そうにスカートの裾を掴んだ。
「では行くぞ!」
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