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4. 恋慕
しおりを挟む「実はな、墨怜にマネージャーをやって欲しいといっている後輩もいるぞ」
「そ、そう?」僕の知らない所で繰り広げられた会話に身を固める。
「僕別に何もしてないんだけれど。そう言うなら正式にマネージャーやろうかな……」
僕は冗談半分でそう呟くと、練太郎くんは顔を勢いよく上げた。
「本当か?!」
「え?! じょ、冗談だよ。僕はただのボランティアだから」
「そうか……。だがもし、墨怜が本気でマネージャーになってくれるなら俺も嬉しい」
「か、考えておくよ」
「それと、今度の大会なんだが。良かったら、墨怜にも来て欲しいんだ。いや、来てくれないか? 予定が噛み合えばいいんだが……」
「いいの?! うん、絶対観に行く! 霧雨くんも誘ってみるね」
「あぁ。ありがとうな。そしたら、俺。本当に頑張れそうだ」
練太郎くんは表情を緩ませ右拳をギュッと握る。本当に嬉しそうな姿に僕も心が温かくなった。
「墨怜は、人の喜びも自分の様に喜ぶよな」
「え? だって練太郎くんが大会に出るんだよ? そんなの嬉しいじゃん」
逆に嬉しくない人なんていないと思う。そう念を込めて伝えると、練太郎くんが頬を掻いた。そして、首元を何度も触り始めた。
「そうか……? はは、そうだよな。でも俺は、そんな墨怜が好きだな……」
「え?」
「あ! 今のは気にしないでくれ。ただの独り言だ……」
練太郎はそのまま黙り込んでしまった。心なしか彼の顔が熱っている気がする。
「練太郎くん、どうしたの? もしかして体調悪い?」
僕が彼の顔を覗こうとすると「待て」と制された。
「……何でもない。いや、何でもなくはないか」
自分に言い聞かせるように放たれた言葉は僕にもしっかり聞こえた。何が練太郎くんを考え込ませんるんだろうと彼を見つめる。
「墨怜」
練太郎くんはどこか覚悟を決めたような顔で俺に視線を刺す。
「何、練太郎くん」
「俺は、墨怜が好きだ」
◆
【猿喰視点】
空に月が昇り始めた頃。
井戸口家の正門に黒い車が停車する。他の組員の者が、車内から出てくる者を待ち侘びそわそわさせていた。
だが、俺は別の意味で気が気ではなかった。
坊の様子が可笑しい。
学校から帰ってきた坊はどこかうわの空で、何を話しかけても生返事しか返ってこない。
そして、屋敷に着いた途端部屋に篭ってしまった。
「風邪ではないといいんですが……」
「何がですかー?」
隣にいるケラトが首を傾げる。
彼は坊とは一番歳が近く、仲良さげ印象が深い。
……俺から坊を遠ざけようなら容赦しないが。
「今日やっと、組長が帰ってくるようですね。兄貴たちも同行してたぽいのでなんだか会うのに緊張します」
「そこまで緊張することですか?」
深呼吸を繰り返すケラトに呆れる。ケラトは俺の反応が信じられないのか「いや可笑しいでしょ!」と半分叫ぶ。
「猿喰さん、坊の世話係でしょう? 墨怜坊は、組長の弟なんですから不在だった時のことを根掘り葉掘り聞かれるじゃないですか」
「いつも通りだったと言っておけばいいんですよ」
坊のことを隅々まで知っているのは俺だけでいい。
あの組長の済ました顔を崩すのも悪くはないが。
「全く……。そう言えば、猿喰さんは組長と坊がまだ幼い時から、ここに居たんですっけ」
「はい。一応、鴉さんの父親が組長を勤めていた時代から。ほら、あそこに莅戸さんがいるでしょう? 丁度彼も若頭をやっていましたし」
そう言って俺は、他の組員に話しかける中年男性を指差す。
莅戸目次さん。井戸口組の組員で前代の若頭である。
「へぇー。莅戸さんがですか。そういや今朝、莅戸さんに呼ばれてましたけれど、なんの話だったんです?」
ケラトの問いかけに、脳内で今朝の出来事を思い出す。そして優しく微笑んだ。
「他愛のない話ですよ。人に話すまでもないことです」
そうしている内に、車の後部座席ドアが開く。
「組長、おかえりなさい。お待ちしておりました」
莅戸さんの言葉と共に他の組員も一斉に声を上げる。車内からは俺と同い年くらいの男性が現れる。
井戸口組組長、井戸口鴉だ。
「みんな。ただいま。僕が居ない間、シマに変なゴロつきとかは出なかった?」
「はい。特には出ておりません。他の奴らも大人しくしておりました」
莅戸さんは淡々と述べる。
「そう。それなら良かった。無駄な争いはするべきではないからね。井戸口組の品が失われる」
彼はこの組内の長とはかけ離れた柔らかい表情を浮かべる。
極道に品とかそもそも必要なのか?
率直な意見が喉から漏れそうになった。
そして後ろから、若頭の逆井冬近と若頭補佐の屋根春もこちらに向かってくる。二人は組長の付き添いで共に遠方に出ていた。
「やねはるの兄貴と逆井の兄貴もおかえりなさい!」
ケラトは即座に二人の所に駆け寄る。その姿があまりにも犬そのもので心の中で笑った。
「お、伏見か。なんか久しぶりだなー」
やねはること屋根さんは、背筋を伸ばして大きな欠伸をする。ケラトのツンツンした髪を思い切り撫でる。
遠方出張がそんなにストレスの溜まるものなのか。
「わっ、ちょっとやねはるの兄貴! 折角セットしたのにやめてくださいよ」
「もう夜なのにそんなこと気にしねーって。なぁ? 逆井さん」
屋根さんは隣にいる逆井さんに話を振る。
「あぁ」逆井さんは小さく頷くだけだった。
いや、口数が少な過ぎないか?
もう少し何か言っても良いだろう。
しかし、二人も彼の性格を把握済みであるためそれほど気にしていないようだ。屋根さんは呆れ混じりであるが。
「お前は相変わらず、表情筋が死んでるな」
「そもそも会話に笑顔とか必要ないと思う」
「愛想悪くちゃ誰も近寄ってこねーぞ」
「俺はヤクザだ。その時点で笑顔などいるか?」
「穏便に済ませたい時とかあるだろーが」
屋根さんの怪訝そうな顔に逆井さんは「そうか」と対して思ってもない返事を返す。
……そろそろ、坊の様子でも見に行くか。
「あれ? 墨怜は……」
玄関付近で、鴉は弟の姿が見られないことを心配する。他の組員が心配げに口を開いた。
「それが、帰宅したら直後に体調が悪くなったみたいで部屋で寝ています」
「坊が? 珍しいこともあるんだな」
屋根さんは目を丸くして呟く。
「はい。何かあったのかと聞いたのですが、答えてくれず……」
ケラトは落ち込んだような顔になる。
「確かに心配だな」逆井さんまでもそう同意した。
ここの組員は全員、坊に過保護である。組長である兄もそうだが、みんな坊の表情には敏感だ。
それだけで妬ましい。
こいつら全員の目玉を穿り出したいくらいだ。
「綺人」
坊と似たような声が降りかかる。
顔を上げると組長は綺麗な笑みを作っていた。形の良い唇を動かした。
「墨怜のことよろしく頼むね」
「はい。任せてください」
そんなこと、あなたに言われるまでもない。
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