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53話:初仕事2 薬草採取
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しばらく歩き続けていると、木々の密度が多くなり仄かに湿気と爽やかな香りが漂い始め、やがて小さな湖に辿り着いた。
「わあー、素敵な所ね」
湖の畔には翠緑の葉っぱが生えており、風に撫でられる度に葉の爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「凄いな、フローレ草の群生地か」
「そ、カルディナの冒険者の間では有名な採取スポットになっていてね。お節介な先輩冒険者は、よく新人にここの場所を教えているみたいなの」
リアナの解説を聞きながら、フィリアは湖に手を入れてその水の冷たさを楽しむ。
水は澄み渡り、上から降り注ぐ陽光が反射してキラキラと煌めいていた。フローレ草の香りと相まって、なんとも落ち着く場所だ。
「そういえば、アゼルたちの村の森にも泉があったわよね? あそこも、本来はここくらい奇麗な場所だったの?」
「ん? ああ、言われてみれば似ているな。ここみたいに良い香りをしているわけじゃないが、水の美しさという点では負けていないんじゃないか?」
リアナたちが来たときは残念ながら喰血哭のせいで血に汚れた場所になってしまっていたが、本来はここと同じくらい美しい場所で、フローレ草の香りの代わりに多様な動物を楽しめる場所だった。
あれからもう何日も経過しているからもう戻っていると思うが、果たして逃げた動物たちは帰ってきただろうか。
「へえー、私たちの村の近くにそんなところがあったのね。帰ってきたら私もそこまで行ってみたいわ」
「もしロスウェル村に帰ってこれたらな。仮に帰れたとしても、それなりに強くなってないと連れてはいけないな。少なくともあの森の昼の主である陽暉大狼から逃げられるくらいにはなってもらわないとな」
「陽暉大狼ってたしかCランクの魔物よね。てことはフィリアもCランクの冒険者にならなくちゃいけないわね。長い道のりになるわよ~?」
「うぐ、Cランクかぁ……頑張るわ」
悪戯っぽく笑うリアナに、フィリアは苦い顔でそう言った。
普通の人間だと、身体強化無しでは陽暉大狼のスピードからは逃げられないからなあ。俺も十歳の時に初めて遭遇した時は、子どもの体格も相まって逃げるのに苦労した記憶がある。
あの時はシンプルに焦ったなあ。もともと血染布を作るために血を集めていたところだったから手元に十分な武器もなかったし、身体強化で逃げようにも子どもの歩幅ではなかなか撒けなかった。前世と違い、肉体がまだ俺の魔力で変質していないことを忘れていたから余計に苦労した。
最終的には木に登って、猿みたいに上を移動することで事なきを得た。あの件をきっかけに狩りも慎重に行うようになったなあ。
フィリアもこういった経験を経て強くなっていくのだろうな。
「ま、フィリアなら地道にやっていけば十分可能性はあるだろう。それはそうと、やっぱりここには緋露芍薬は無さそうだな」
ここは風通しが良いが、少々水気が多い。周囲を見渡しても翠緑色の葉っぱしか見当たらない。
ここよりもう少し高くて、湿気のない所に行かないと緋露芍薬は見つからないだろうな。
「あ、鞄に空きがあるなら少しフローレ草を摘んでいかない? 回復薬は万年必要とされているからね。報酬を受け取る時一緒に提出すれば、フローレ草の採取依頼もついでに達成できるよ」
「ん? そんな横着な事ができるのか」
「採取依頼は受けても受けても尽きることがないからねえ。需要の高い薬の材料とかは特に。環境調査にきた探索者とかは、環境に影響を与えない範囲で現地に生える植物を採取して、依頼達成報告のついでにその場で採取依頼を受けて即報酬を受け取っているし。もちろん、その依頼が張り出されていることを知っていなければ無駄になるけどね」
ふーん、一つの依頼をこなして二つの依頼報酬と実績を受け取るか。なんとも要領のいい働き方だな。
そういうことであるなら、少し採っておこうか。報酬額としては多分雀の涙程度だろうが、今は一つでも依頼達成数を積んで早くランクを上げていきたいところだ。
雑用をするのも悪く無いが、低いままだと報酬の良い依頼が受けられないからな。
「ああフィリア、そんなに強く引っ張らないで。根っこが傷付いちゃって次が生えなくなっちゃうから。フローレ草を摘むときはこうやって、先端の茎を優しくちぎるの」
「ああ、ごめん……こうかしら?」
リアナの指導を受けているフィリアを横目に、俺は慣れた手つきで五本ほどのフローレ草を摘み取る。緋露芍薬と同様の理由で、フローレ草も前世ではよく摘んでいた。薬師の用な本格的な調合はできないが、手元に物資がない時の応急手当として師匠から簡単なレシピを教わっている。
「よし、こんなもんだろ。さて、どこか高い木は……と、あれが良いな」
摘み終わった俺は二人がまだ摘んでいるのを確認したあと、周囲をぐるりと見渡す。程よく丈夫そうな木を見つけると、ポーチから一枚の細い血染布を取り出しその下へ向かう。
布の先端を結んで簡単な重りを作ると、結び目のない方の端を握って腕を大きく振りかぶった。
「【血織刃:紅鎖鞭】」
腕を振り抜くと布は本来の大きさよりも長く伸び木の天辺まで先端を届かせる。まるで生きた蛇のように【紅鎖鞭】は木の幹に何重にも巻き付くと、そのまま固い結び目を作りしっかりと固定された。
【紅鎖鞭】を何度か引っ張り幹が折れないことを確認すると、追加で魔力を流して布に収縮するように念じると、たったそれだけで俺の身体はゆっくりと上へ引っ張られていく。
登っていく途中にある邪魔な枝を躱しつつ【紅鎖鞭】が巻き付いた位置までたどり着くと、もう一枚血染布を取り出しそれを腰と幹に巻き付けて繋げる。
さて、ここから先は少し集中しなくちゃな。
「【紅鎖鞭】」
先ほどよりも多めに魔力を流して魔術を発動すると、重力に逆らって二本の【紅鎖鞭】が俺を上空へと持ち上げていく。
「ふう、何度も練習したが、細い血染布で身体を持ち上げるのは少し緊張するな」
ロープで引き上げられることよりも、揺れるロープで持ち上げられることの方がイメージが難しい。少しでも鞭の制御を誤ると、布は一気に垂れ下がって俺は幹に叩きつけられることになるし、最悪の場合はそのまま地面まで落下してしまう。
この技を練習していたときは地面から低い位置で行っていたが、地面に足のつかないこの不安定さになかなか慣れなくて、よく落下して捻挫したものだ。しかも質が悪いことに、この技は地面から足が離れれば離れる程に制御が難しくなり、より高い集中力を必要とする。その理由については単純で、俺の不安が魔力の制御や術式発動後のイメージ図を歪ませるからだ。
魔術の発動は、理論とイメージが重要だ。落ちたらヤバいという緊張が、空を浮くというイメージをかき乱している、と言うとわかりやすいだろうか。
「さて、ここ以外にどこか開けている場所は……」
緊張と戦いながら俺は【紅鎖鞭】を動かし、あちらこちらへと身体の向きを変えていく。
緋露芍薬は日光が当たり風通しが良く、水はけの良い土に生える。ここは湖があるから生えていないが、ここから離れておりかつ日光が当たりやすい開けた場所があればそこに生えている可能性が高い。
木よりも高い場所から森全体を見渡していると、いくつか木々の薄い場所を発見する。念のため手帳に方角と大まかな位置を書き記して、俺は慎重に地面へ降りて行った。
降りるときは昇るよりも楽だ。縄を伝っての降下は、誰でもできる自然の法則だからな。
「お帰りー。アンタ凄いことするわね」
地面に降り立ち血染布を回収していると、リアナとフィリアが半分呆れたような笑みを浮かべて立っていた。
「盾に、鞭に、剣に、鎧。それから大型弩砲……それだけじゃなく、今度は空に浮かぶなんてね。アンタその内武器と称して空飛ぶ戦車とか出すんじゃないの?」
「さすがに空を飛ぶなんてことは……」
「え、できるの?」
冗談めいて言うリアナに、俺は否定の言葉を投げたが、途中で可能性があることに気付いてしまった。不意に黙ってしまった俺に、フィリアも驚きのあまり尋ねる。
考えてみれば【血織刃】を遠隔で操作したり空中に浮かせたりすることができるのだから、それに乗せるか吊るすかすれば人を飛ばすこともできるか。人や物を乗せるとなるとまた勝手が変わるだろうが、理論上では空を飛ぶことは不可能ではないな。
現段階でも、俺ひとりならば血染布の支えで上に持ち上げられることができているのだから、訓練次第では可能性は大いにあるな?
「……思い返せば、既にフィリアで似たようなことやっていたな」
あの時は無我夢中でやったことだったから忘れていたが、喰血哭との戦いでフィリアを【断紅障】で掬い上げて運んでやった。飛行というには地面に近かったが、人を乗せて浮かせることは成功していた。
いま改めてやるとどうなるかはわからないが、逆を言えば訓練と血の量次第では十分実現が可能であると断言できる。
「これは今後の課題として後日取り組むとして――上から緋露芍薬が生えていそうな場所を見つけたから、今はとりあえずそっち行くぞ?」
「すっごい気になるけど……わかったわ。その代わり宿に帰ったら、そこら辺しっかり話し合うわよ?」
フィリアが確固たる決意を以って言った。彼女のその気持ちはわかる。
俺の知る限り、空を飛ぶ魔術は存在しない。俺が死んだ後の二〇〇年で開発されたかもしれないが、少なくとも容易な魔術であるはずがない。最低でも上級魔術の域にあるはずだ。
それを固有魔術で出来る可能性があるのだから、魔術師としては興奮するのも仕方が無いというものだ。
とは言えそれは今やるべきことではない。ましてやこの場にはリアナがいる。
登録試験でさんざん披露したが、こいつにはまだ【血濡魔術】の名も、特性も明かしていない。もし研究するならば、人目のつかないところでやる必要があるな。
俺はいつか本格的に研究することを密かに決意しつつ、先ほど発見した場所へ向かう。
休憩を挟みつつ方角を頼りに森を進んでいると、木々の隙間が大きくなり視界が開けた。
「おおー、こんなにたくさん。こっちも凄く奇麗ね!」
目の前に広がる光景にフィリアが感嘆の声を上げる。
目の前には埋め尽くすように緋色の花が咲き誇り、時折吹く風に花弁が揺れて赤い波を作り出していた。茶と緑ばかりの場所から突如現れた赤い絨毯に、各々が思い思いの感情が沸き上がる。
「こんなにたくさん……これ全部、緋露芍薬なの?」
「ああ、間違いない。俺もここまであるとは予想していなかったがな……」
予想以上に見つからず湖からだいぶ離れた所まで来てしまったが、ようやく目当ての緋露芍薬を見つけることができた。
この場にある物を全部採ったとしたら、いったいどれだけの報酬と薬ができるのだろうか。
「よし、さっさと採っちまおう。ノルマは五株だ、花は傷つけないように気を付けろよー」
「おっけー。フィリア、せっかくだから中心まで行って一番きれいな花を探さない?」
「いいわねそれ。ほら、アゼルも行きましょ?」
「あ、おい……随分と楽しそうにまあ……」
まるで幼年期に戻ったように無邪気に花畑に入っていく二人を追いかけて、俺も緋色の海に足を踏み入れる。足を踏み入れたとき一瞬だけ心がざわついたが、楽し気に歩き回る二人の少女の姿に人知れず心が解きほぐされる。
足元にある緋露芍薬を根元から手折ると、それを脇に置いて根っこを丁寧に掘り起こしていく。
とりあえず依頼分は最低でも確保するとして、傷付いた時用と自分用にもう少しだけ確保するか。腰のポーチには自作の増血薬があるが、今ある物よりも緋露芍薬の増血薬の方が効果が高い。次いつ見つかるかわからないから、根っこは少し多めに貰っておこう。
「よし、こんなもんだろう。根っこは適当に鞄に入れておけばいいとして、花はどうやって運ぶかな。依頼人が花を何に使うかはわからないが、移動中に茎が折れでもしたら受け取ってもらえないかもしれないな。そうなるとせっかくの成果が無駄になっちまうし……」
少し考えてから、俺は血染布を取り出した。
まず花を束ねて根元でまとめ、【血濡魔術】で円錐状に包んでいく。広がった上の部分の布は柔らかく、逆に細い下の部分の布は固くする。こうすることで多少揺れても布が花弁を優しく受け止めて傷つけるのを防ぎ、うっかり手に力を入れても茎が折れないようになる。
片手がふさがってしまうのは難点だが、まあDランク程度の魔物までなら片手で事足りる。いざとなればそこら辺に置いとけばいいしな。
「あ、なにそれ! いい感じにラッピングしてるじゃない。私たちのも入れてよ」
「はいはい、そう言うと思ったよ」
流石の目敏さで反応したフィリアに適当に返事をして、二人が摘んだ花を受け取り束に加えていく。集まった花と根は合計で十五か。粘魔とフローレ草を含めると、今日の稼ぎはそれなりのものになるだろう。
「よし、これで十分だろう。そろそろ切り上げるぞ?」
「そうね、これ以上遅くなると町に着く頃にはすっかり暗くなっちゃうしね」
フィリアの言葉にリアナも賛同したので、俺たちは花に気を遣いながら慎重に町への帰路についたのだった。
「わあー、素敵な所ね」
湖の畔には翠緑の葉っぱが生えており、風に撫でられる度に葉の爽やかな香りが鼻孔をくすぐる。
「凄いな、フローレ草の群生地か」
「そ、カルディナの冒険者の間では有名な採取スポットになっていてね。お節介な先輩冒険者は、よく新人にここの場所を教えているみたいなの」
リアナの解説を聞きながら、フィリアは湖に手を入れてその水の冷たさを楽しむ。
水は澄み渡り、上から降り注ぐ陽光が反射してキラキラと煌めいていた。フローレ草の香りと相まって、なんとも落ち着く場所だ。
「そういえば、アゼルたちの村の森にも泉があったわよね? あそこも、本来はここくらい奇麗な場所だったの?」
「ん? ああ、言われてみれば似ているな。ここみたいに良い香りをしているわけじゃないが、水の美しさという点では負けていないんじゃないか?」
リアナたちが来たときは残念ながら喰血哭のせいで血に汚れた場所になってしまっていたが、本来はここと同じくらい美しい場所で、フローレ草の香りの代わりに多様な動物を楽しめる場所だった。
あれからもう何日も経過しているからもう戻っていると思うが、果たして逃げた動物たちは帰ってきただろうか。
「へえー、私たちの村の近くにそんなところがあったのね。帰ってきたら私もそこまで行ってみたいわ」
「もしロスウェル村に帰ってこれたらな。仮に帰れたとしても、それなりに強くなってないと連れてはいけないな。少なくともあの森の昼の主である陽暉大狼から逃げられるくらいにはなってもらわないとな」
「陽暉大狼ってたしかCランクの魔物よね。てことはフィリアもCランクの冒険者にならなくちゃいけないわね。長い道のりになるわよ~?」
「うぐ、Cランクかぁ……頑張るわ」
悪戯っぽく笑うリアナに、フィリアは苦い顔でそう言った。
普通の人間だと、身体強化無しでは陽暉大狼のスピードからは逃げられないからなあ。俺も十歳の時に初めて遭遇した時は、子どもの体格も相まって逃げるのに苦労した記憶がある。
あの時はシンプルに焦ったなあ。もともと血染布を作るために血を集めていたところだったから手元に十分な武器もなかったし、身体強化で逃げようにも子どもの歩幅ではなかなか撒けなかった。前世と違い、肉体がまだ俺の魔力で変質していないことを忘れていたから余計に苦労した。
最終的には木に登って、猿みたいに上を移動することで事なきを得た。あの件をきっかけに狩りも慎重に行うようになったなあ。
フィリアもこういった経験を経て強くなっていくのだろうな。
「ま、フィリアなら地道にやっていけば十分可能性はあるだろう。それはそうと、やっぱりここには緋露芍薬は無さそうだな」
ここは風通しが良いが、少々水気が多い。周囲を見渡しても翠緑色の葉っぱしか見当たらない。
ここよりもう少し高くて、湿気のない所に行かないと緋露芍薬は見つからないだろうな。
「あ、鞄に空きがあるなら少しフローレ草を摘んでいかない? 回復薬は万年必要とされているからね。報酬を受け取る時一緒に提出すれば、フローレ草の採取依頼もついでに達成できるよ」
「ん? そんな横着な事ができるのか」
「採取依頼は受けても受けても尽きることがないからねえ。需要の高い薬の材料とかは特に。環境調査にきた探索者とかは、環境に影響を与えない範囲で現地に生える植物を採取して、依頼達成報告のついでにその場で採取依頼を受けて即報酬を受け取っているし。もちろん、その依頼が張り出されていることを知っていなければ無駄になるけどね」
ふーん、一つの依頼をこなして二つの依頼報酬と実績を受け取るか。なんとも要領のいい働き方だな。
そういうことであるなら、少し採っておこうか。報酬額としては多分雀の涙程度だろうが、今は一つでも依頼達成数を積んで早くランクを上げていきたいところだ。
雑用をするのも悪く無いが、低いままだと報酬の良い依頼が受けられないからな。
「ああフィリア、そんなに強く引っ張らないで。根っこが傷付いちゃって次が生えなくなっちゃうから。フローレ草を摘むときはこうやって、先端の茎を優しくちぎるの」
「ああ、ごめん……こうかしら?」
リアナの指導を受けているフィリアを横目に、俺は慣れた手つきで五本ほどのフローレ草を摘み取る。緋露芍薬と同様の理由で、フローレ草も前世ではよく摘んでいた。薬師の用な本格的な調合はできないが、手元に物資がない時の応急手当として師匠から簡単なレシピを教わっている。
「よし、こんなもんだろ。さて、どこか高い木は……と、あれが良いな」
摘み終わった俺は二人がまだ摘んでいるのを確認したあと、周囲をぐるりと見渡す。程よく丈夫そうな木を見つけると、ポーチから一枚の細い血染布を取り出しその下へ向かう。
布の先端を結んで簡単な重りを作ると、結び目のない方の端を握って腕を大きく振りかぶった。
「【血織刃:紅鎖鞭】」
腕を振り抜くと布は本来の大きさよりも長く伸び木の天辺まで先端を届かせる。まるで生きた蛇のように【紅鎖鞭】は木の幹に何重にも巻き付くと、そのまま固い結び目を作りしっかりと固定された。
【紅鎖鞭】を何度か引っ張り幹が折れないことを確認すると、追加で魔力を流して布に収縮するように念じると、たったそれだけで俺の身体はゆっくりと上へ引っ張られていく。
登っていく途中にある邪魔な枝を躱しつつ【紅鎖鞭】が巻き付いた位置までたどり着くと、もう一枚血染布を取り出しそれを腰と幹に巻き付けて繋げる。
さて、ここから先は少し集中しなくちゃな。
「【紅鎖鞭】」
先ほどよりも多めに魔力を流して魔術を発動すると、重力に逆らって二本の【紅鎖鞭】が俺を上空へと持ち上げていく。
「ふう、何度も練習したが、細い血染布で身体を持ち上げるのは少し緊張するな」
ロープで引き上げられることよりも、揺れるロープで持ち上げられることの方がイメージが難しい。少しでも鞭の制御を誤ると、布は一気に垂れ下がって俺は幹に叩きつけられることになるし、最悪の場合はそのまま地面まで落下してしまう。
この技を練習していたときは地面から低い位置で行っていたが、地面に足のつかないこの不安定さになかなか慣れなくて、よく落下して捻挫したものだ。しかも質が悪いことに、この技は地面から足が離れれば離れる程に制御が難しくなり、より高い集中力を必要とする。その理由については単純で、俺の不安が魔力の制御や術式発動後のイメージ図を歪ませるからだ。
魔術の発動は、理論とイメージが重要だ。落ちたらヤバいという緊張が、空を浮くというイメージをかき乱している、と言うとわかりやすいだろうか。
「さて、ここ以外にどこか開けている場所は……」
緊張と戦いながら俺は【紅鎖鞭】を動かし、あちらこちらへと身体の向きを変えていく。
緋露芍薬は日光が当たり風通しが良く、水はけの良い土に生える。ここは湖があるから生えていないが、ここから離れておりかつ日光が当たりやすい開けた場所があればそこに生えている可能性が高い。
木よりも高い場所から森全体を見渡していると、いくつか木々の薄い場所を発見する。念のため手帳に方角と大まかな位置を書き記して、俺は慎重に地面へ降りて行った。
降りるときは昇るよりも楽だ。縄を伝っての降下は、誰でもできる自然の法則だからな。
「お帰りー。アンタ凄いことするわね」
地面に降り立ち血染布を回収していると、リアナとフィリアが半分呆れたような笑みを浮かべて立っていた。
「盾に、鞭に、剣に、鎧。それから大型弩砲……それだけじゃなく、今度は空に浮かぶなんてね。アンタその内武器と称して空飛ぶ戦車とか出すんじゃないの?」
「さすがに空を飛ぶなんてことは……」
「え、できるの?」
冗談めいて言うリアナに、俺は否定の言葉を投げたが、途中で可能性があることに気付いてしまった。不意に黙ってしまった俺に、フィリアも驚きのあまり尋ねる。
考えてみれば【血織刃】を遠隔で操作したり空中に浮かせたりすることができるのだから、それに乗せるか吊るすかすれば人を飛ばすこともできるか。人や物を乗せるとなるとまた勝手が変わるだろうが、理論上では空を飛ぶことは不可能ではないな。
現段階でも、俺ひとりならば血染布の支えで上に持ち上げられることができているのだから、訓練次第では可能性は大いにあるな?
「……思い返せば、既にフィリアで似たようなことやっていたな」
あの時は無我夢中でやったことだったから忘れていたが、喰血哭との戦いでフィリアを【断紅障】で掬い上げて運んでやった。飛行というには地面に近かったが、人を乗せて浮かせることは成功していた。
いま改めてやるとどうなるかはわからないが、逆を言えば訓練と血の量次第では十分実現が可能であると断言できる。
「これは今後の課題として後日取り組むとして――上から緋露芍薬が生えていそうな場所を見つけたから、今はとりあえずそっち行くぞ?」
「すっごい気になるけど……わかったわ。その代わり宿に帰ったら、そこら辺しっかり話し合うわよ?」
フィリアが確固たる決意を以って言った。彼女のその気持ちはわかる。
俺の知る限り、空を飛ぶ魔術は存在しない。俺が死んだ後の二〇〇年で開発されたかもしれないが、少なくとも容易な魔術であるはずがない。最低でも上級魔術の域にあるはずだ。
それを固有魔術で出来る可能性があるのだから、魔術師としては興奮するのも仕方が無いというものだ。
とは言えそれは今やるべきことではない。ましてやこの場にはリアナがいる。
登録試験でさんざん披露したが、こいつにはまだ【血濡魔術】の名も、特性も明かしていない。もし研究するならば、人目のつかないところでやる必要があるな。
俺はいつか本格的に研究することを密かに決意しつつ、先ほど発見した場所へ向かう。
休憩を挟みつつ方角を頼りに森を進んでいると、木々の隙間が大きくなり視界が開けた。
「おおー、こんなにたくさん。こっちも凄く奇麗ね!」
目の前に広がる光景にフィリアが感嘆の声を上げる。
目の前には埋め尽くすように緋色の花が咲き誇り、時折吹く風に花弁が揺れて赤い波を作り出していた。茶と緑ばかりの場所から突如現れた赤い絨毯に、各々が思い思いの感情が沸き上がる。
「こんなにたくさん……これ全部、緋露芍薬なの?」
「ああ、間違いない。俺もここまであるとは予想していなかったがな……」
予想以上に見つからず湖からだいぶ離れた所まで来てしまったが、ようやく目当ての緋露芍薬を見つけることができた。
この場にある物を全部採ったとしたら、いったいどれだけの報酬と薬ができるのだろうか。
「よし、さっさと採っちまおう。ノルマは五株だ、花は傷つけないように気を付けろよー」
「おっけー。フィリア、せっかくだから中心まで行って一番きれいな花を探さない?」
「いいわねそれ。ほら、アゼルも行きましょ?」
「あ、おい……随分と楽しそうにまあ……」
まるで幼年期に戻ったように無邪気に花畑に入っていく二人を追いかけて、俺も緋色の海に足を踏み入れる。足を踏み入れたとき一瞬だけ心がざわついたが、楽し気に歩き回る二人の少女の姿に人知れず心が解きほぐされる。
足元にある緋露芍薬を根元から手折ると、それを脇に置いて根っこを丁寧に掘り起こしていく。
とりあえず依頼分は最低でも確保するとして、傷付いた時用と自分用にもう少しだけ確保するか。腰のポーチには自作の増血薬があるが、今ある物よりも緋露芍薬の増血薬の方が効果が高い。次いつ見つかるかわからないから、根っこは少し多めに貰っておこう。
「よし、こんなもんだろう。根っこは適当に鞄に入れておけばいいとして、花はどうやって運ぶかな。依頼人が花を何に使うかはわからないが、移動中に茎が折れでもしたら受け取ってもらえないかもしれないな。そうなるとせっかくの成果が無駄になっちまうし……」
少し考えてから、俺は血染布を取り出した。
まず花を束ねて根元でまとめ、【血濡魔術】で円錐状に包んでいく。広がった上の部分の布は柔らかく、逆に細い下の部分の布は固くする。こうすることで多少揺れても布が花弁を優しく受け止めて傷つけるのを防ぎ、うっかり手に力を入れても茎が折れないようになる。
片手がふさがってしまうのは難点だが、まあDランク程度の魔物までなら片手で事足りる。いざとなればそこら辺に置いとけばいいしな。
「あ、なにそれ! いい感じにラッピングしてるじゃない。私たちのも入れてよ」
「はいはい、そう言うと思ったよ」
流石の目敏さで反応したフィリアに適当に返事をして、二人が摘んだ花を受け取り束に加えていく。集まった花と根は合計で十五か。粘魔とフローレ草を含めると、今日の稼ぎはそれなりのものになるだろう。
「よし、これで十分だろう。そろそろ切り上げるぞ?」
「そうね、これ以上遅くなると町に着く頃にはすっかり暗くなっちゃうしね」
フィリアの言葉にリアナも賛同したので、俺たちは花に気を遣いながら慎重に町への帰路についたのだった。
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しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
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公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
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